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■2011.09.27  morning  管理人

HPを通じて知り合い(仲良し)になった共産党の方がいる。
土佐高知の雑記帳」というブログを開設しており、かつて代々木から暴力学生と呼ばれた私とか、元マルチュウのアッテンボローさん、旗旗さんのページなどなど、あちらからすれば憎っくきトロツキストのページをリンクしている。
この方、れっきとした共産党地区委員長なのだ(汗。
リンクのよしみもありこれまで何度かコミュニケーションを交わしていた。

昨日から、市内を有名な清流・四万十川が流れる高知県の四万十市内で開かれた会議に出張している。
この地域は高知県でも幡多地方と呼ばれ、県の中央部からは遠く離れ、地勢的には隣県の愛媛県南予に近い。
この出張の直前になってハタと思いついた。
確か土佐高知の雑記帳さんは高知県四万十市在住、彼の役職名は日本共産党高知県幡多地区委員長。
これは折角の機会だからお会いしなければとアクションした。

 ホテルから四万十市を臨む

しかし、若干躊躇した。
何故なら、ここ何回か日本共産党をけなす日記を綴っている。
これは面と面を合わすには気まずい思ったが、此処に至って日記を遡って改ざんするのも私のポリシーに外れる。
そいう事で、まあいいだろうと電話を入れた。
委員長との約束は昨夜の午後九時。
電話で私に是非会わせたい方がいるといい、その方はゴリの立命の全共闘だったそうだ。
私の知る限りでは、立命や同志社など関西の全共闘(全学闘)は”濃い”のだ。

結局、24時頃まで、話題は委員長ではなく濃い方への突っ込みに終始した。
聞くところによると、私より二歳上で、かつ学年は私より二つ下という。
ここのところは摩訶不思議、何度か合理的な説明を求めたが、やっぱりよく分からなかった。
文学部哲学科で一貫してノンセクトであったといい、かつ、最後は名誉ある除籍、これは二重マルなのだ。
「民青の連中はな!」と、現役委員長を前にしてこき下ろすのには焦ったが、それをニコニコ顔で聞いている委員長も委員長。
この二人はケタが外れている。
有体に云えば、私のようなシンプルな人間の発想を超越した、よく分からない種族と割り切らせてもらった。

この前後の下りは委員長のブログにアップされているからそちらを。
しかし別れたのが24時少し前、ブログのアップが24時39分、ネットのパワーでも元全共闘は現役共産党に既に負けている。




■2011.09.22  morning  管理人

私としては珍しく真面目に二つの文章を読んでみた。
原発からの撤退宣言」日本共産党、志位和夫委員長 2011.6.13
「科学の目」で原発災害を考える 社会科学研究所所長 不破哲三 2011.5.10

原発の安全性に関する懸念に付いて、共産党は今まで国会で色々と質してきたとしつこく主張している。
まあ、それについては間違いないだろ。
ただ、党として原発反対の運動を繰り広げてきたか否かについては言及していないし、
原発反対運動を進めてきた市民運動と連携してきたかについても言及はない。
していれば、いずれも誇らしくプロパガンダするはずだから、何れもしていないだろう。
末端の党員が個人レベルでどうあったか、それは別の話だ。

安全を確保できる原発はない、だから止めよう。
この事を根拠に、共産党は「脱原発、全ての原発を廃炉に」という方針にシフトしていると思う。
原子力の平和利用で原発分野に限っては止めようと云う事だろう。
しかし、原子力は正しく管理すれば、人類にとって未来の有益なエネルギー源になり、それを可能にするのは科学の進歩だとした党の見解から云えば、将来、科学が進歩し、安全性が確保されれば話は別になるとも受け取れる。
原子力は人類と相容れないとしている”過激”な主張とは一線を画しているように思う、この党は一貫して過激派は嫌いなのだ(笑。
不破哲三氏の「科学の目」でという演題の下りが、其の事を示唆しているように思う。

結局、
二つの文章から、共産党の「原子力の平和利用推進」の撤回は読み取れなかった。
今、少なからずの人達が、科学の進歩そのものに対して疑念を持ち始めたこと。、
高度に発達した科学的な文明社会の中で、人間らしい暮らしと科学の進歩について、新しい考え方を持つ人達が出てきたこと。
そういう新しい暮らし方や文化について、党中央は非科学的だと切り捨てるだろうと思う。
かつて、原発反対の市民運動を非科学的と切り捨てたと同じように。
再度云うが、
末端の党員が個人レベルでどうあるか、それは別の話だ。



■2011.09.21  morning  管理人

>ビラくれたのがいましたの。6.11んときの管理人さんのマネしました(謎)
クシャクシャにしてポイ。ムッとした顔のおっさんに「♪」の顔を向けました。
1968掲示板より

集会入口で貰ったビラ、クシャクシャにして投げつけてポイ。
そんなことする相手と云ったら、ミンセイさんか”あそこ”しかないだろう。
まあ、真昼間で公道上、周りはお巡りさんだらけだから、後ろから脳天にハンマーはないだろうから、こちらとしては安心してやっているのだが、
でも、イチャモン付けてきたら張り合う根性は残している。
しかし、”あそこ”も私等と同じように爺さんばっかりだね(笑。

話題は変わるが、
日本共産党は従前より原子力の平和利用推進を唱え、結果として原発政策を裏支えしてきたが、今般の事変で、原発は廃炉と主張している。
以前サロンの長老から、共産党には”良い核”と”悪い核”という論法があると聴いた事もある。
また2006年の「さざなみ通信」によると、原発そのものが安全かという問題に対して、過剰な市民運動が非科学的なことをいっているに過ぎないと反対派を牽制していたとも言われている。
今般、原子力の平和利用推進について政策を見直しをしたのか、それとも持論の論法から従前通りなのかどうなんだろうか?

それと、
集会前でビラ配っていたミンセイと大して変わらない”あそこ”の主張はどうなのかという興味はあるのだが、6.11で、中身を読まずにクシャ・ポイしたから、
分からないのだ。



■2011.09.18  morning  管理人


紹介、
今日の朝日読書面(2011年9月18日 朝日新聞 読書欄 <本の舞台裏>)に、三一の記事が載りました。







■2011.09.15  night  管理人

メーデー歌(聞け万国の労働者). by Vocaloid Hatsune Miku

ハツネ・ミクというコンピュターの合成音声だそうで、今、ワールドワイドで蔓延しているそうだ。
決して私の趣味ではないが、
レトロな労働歌のシリーズがYouTubeに色々とアップされている。

私等は、反戦歌や労働歌は”現場”で歌うのをよしとしており、
○共的な、男女混成合唱団の大合唱は好きでないのと、
これもまた
○共的な、歌声喫茶での仲良しの合唱は胸糞悪いので、
この機械音でもいいかも。





■2011.09.15  morning  管理人

朝の通勤列車、思わず通路側に座席を移動した。
南側の車窓からブラインドを突き抜けて朝陽が差し込んでくる。
朝陽と言えどもこの時期の日差しは強烈。
日差しがポカポカと気持ちよく感じられるのはもう少し先だろう。

10年前に我が家を建て替えた際、息子二人は大学生で別居中だった。
帰郷してくるかどうかは定かでなかったが、息子二人分の部屋と車庫スペースを確保し建て替えた。
帰郷後、次男坊は僅か数年で独立したが、長男坊はキッチリ10年間居座った。
その長男坊も年貢の納め時、居を別に構え、名実ともに独立してくれてしばらくになる。
当然だが空き部屋が二部屋、車庫が二台分空いた。
計画性が無かったと言えばそれまでだが、妻と二人の生活には広すぎる家になってしまった。

この間の変化は、
洗濯物が激減したこと、
浴室、洗面所、それにトイレが汚れなくなったこと、
そういうことで、主夫としての家事が減ったこと。
電気、ガス、水道料が目に見えて減ったこと、今後の年金生活には有り難い事だ。
そうそう、それと買い置きしているビールが一日に一缶しか減らなくなったこと。
次に、我が家が賑やかになるのはもう少し先だろう。



■2011.09.11  night  管理人

小番さんが掲示板に写真をアップしてくれましたので、
借用してここにも貼らせてもらいます。

 2011.9.8 三一書房争議解決報告集会




■2011.09.09  night  管理人

三一書房労組委員長の小番(こつがい)さんと初めてお会いしたのは、新版・叛逆のバリケードの出版から遡ること半年以上前のことだから2008年か2007年だったと思う。
小番(こつがい)さんから私に確かメールが来て、東京で930の仲間と一緒に会った。
三一書房第二次争議は新版・叛バリの出版後に起こっているから、その時は争議の相手である岡部社長、また三一労組争議支援対策会議事務局の安西さんも一緒だった。
三一書房側から叛逆のバリケードの新版発行の誘いかけの”商談”だったと覚えている。
第二次争議は2008年12月、
三一書房組合員への不当労働行為から始まっている。

先日、番さんから争議の勝利解決と新生・三一書房発足の挨拶状を頂いた。
突然だが、
紛うことのない、「闘争〜勝利!」なのだ。
おめでとうございます。

昨夜、私のリンクページにリンクしている「三一書房労働組合ブログ」をゆっくり読んだ。
以前、番さんから聞かせていただいた第一次争議の公私にわたる苦労話、そして多くの犠牲を払らってやっと解決した矢先の第二次争議、
きっと血のにじむような努力があったのだろうと確信しているので、
そして、争議を支える会のMLで日々情報をいただいていたので、
勝利解決を知らせる<解決報告号>は涙無しには読めなかった、ブログのニュース第6号は、そういう意味で是非読んで欲しい。

会社が潰れても、労働者は自ら職場を再生させる力を持っているのだ
番委員長のメッセージには、今の労働組合が失っている力強さがある。
ましてや一次争議のときは会社側であった人間が組合に入ったことについて、古い知り合いたちにもなかなか理解されない時期がありました。しかし、問題は私が組合に入ったから生じたのではなく、なぜ私が組合に入ったか、入らざるを得なかったのかというところにあります。そのことを理解しない限り、今回の争議そのものについて理解することはできないでしょう
高書記長のこの吐露には、人を確信的に突き動かすものが何かをはっきり示していると思う。

高書記長のこの言葉を受けるかたちで、支える会の事務局長、広浜さんがニュースにこう書いています。
高さんが組合に入った理由として、『組合員が賃金差別をされるのを見て、黙っていられなかった。私が在日として生きてきて差別に敏感だったということもあったのかもしれません』と言われた言葉が忘れられません。
第一次争議の時も
番さんとは一緒に闘ってきましたが、今回の争議はこの高さんの言葉を聞いて、「絶対勝たせなきゃいけない」と強く思いました

番委員長、高書記長共々、
理不尽な事に、己の存在をかけての闘いだった訳で、
その根底の力が多くの仲間を引きつけ、勝利に導いたのだと思う。





■2011.09.08  morning  管理人

私は永らく海外旅行をしたことが無かった。
最後に行ったのは長男が中学生の頃だったから、もう二十数年も前の事になる。
息子達は誕生以来、忙しい私等に替って、親以上に身近に肌触れ合って祖父母と寝食を共にしていた。
その祖父母が僅か一年ばかりの間に相次いで病気で亡くなった直後、
中学生で思春期真っ只中の長男は、一時期、笑わぬ、物言わぬ子になってしまった。

祖父母の死は順番を違えぬ自然の摂理であっても、彼にとっては受け止めがたい辛い事実だったのだと思う。
妻と額を寄せあい思案した。
小学生だった次男坊はよしとしても、長男には”時間”以外の何らかのケアが必要だと意見が一致した。
その幾つかのケアの一つが”海外旅行”で、余裕のない家計から旅行費用を捻出した。
今、その時の写真をあらためて見ているが、その中に長男の笑顔の写真が何枚かある。
そういう意味では、旅行は日常を超えた何かを得るものが有るのだろう。

その後二十数年、海外旅行には縁が無かった。
時間が無かったのもあるが、正直なところの最大の要因は子育て・教育に必死で、気ままに海外旅行を楽しむそんな経済的余裕が無かった事だ。
リタイヤそして再就職、時間の余裕と、少しだが経済的な余裕も出てきた。
それに妻ももう直ぐ定年退職を迎える、二人で一緒に旅行する時間的余裕も出てくる。
次は、妻の永年の念願のイタリアに行きたいなと思っている。
当然、関空か羽田発着便を選ぶ。






■2011.09.07  morning  管理人

一様、団体旅行なもんで初日は終日コースのオプション・ツアーに参加。
機中泊から続いての強行軍ながら、夜までかけて一通り名所旧跡を全部巡る。

二日目はフリー、
ガーデニングが趣味の私、行きたいところがあった。
初日のコースにも組み込まれていたが、初日は如何せん時間が短い。
ホテルからタクシーを利用し直行。
午前中一杯、年中咲き誇る花々に見とれる。

午後からはトラベラーズパスの一日券を購入、独りでガイドブック片手に地下鉄を利用し無計画に自由気ままに行動。
この国の地下鉄は全て駅に番号が付けられていたので非常に分かりやすく、乗車、乗り替え、下車もスムーズ。
市場や、ガイドブックで激安店と紹介されている地元のスーパーマーケットを物色。
カフェテラスで一息、ターキッシュ・コーヒーを注文し、独り異国情緒を味わう。

三日目、
午前中は、ホテルでまったり・・・・・・、
と言うよりは、帰りの機中泊に備えて体力温存。
午後は、植民地時代の雰囲気が残る近くのホテルで評判のハイティー。

ホテルは、チャンネルをひねるとNHKが10分程遅れながらライブで映る、
羽田に降り立つと青空、我が家も突き抜ける秋の空だった。
台風情報はそれなりに掴んでいたが、
これほど被害が甚大とは思わなかった。

まあ、二泊五日の体力勝負の旅だったが、それなりに楽しい旅だった。






■2011.09.06  night  管理人

丁度今頃、
窓から眺めた夜空に、今夜と同じ様にお月様がポッカリ浮かんでいた。
私の中秋のお月様は、四角い格子窓の中に納まっていた。

初めてパクられ、ギュウギュウに取り調べられた夜の事。
あれから何年経つかなあ・・・・・・






■2011.09.05  night  管理人

台風が日本に居る間、私は日本に居なかった訳で、
相済みません。




行ってみたかった植物園で。







■2011.09.01  morning  管理人

先週半ば、私の後を引き継いだ前職場の役員が困った顔をして訪ねてきた。
取引先と関係がうまくいかなく、係争になりかけ、
訴訟を起こしてでも決着をつけようかという状況にまで至ってしまったらしい。
彼としては何としてもそれは避けたいと云う。

私は一様、無報酬の非常勤役員として席を残しているのだが、
しかし、それは結果責任をとることを覚悟していることで、係争に割って入って事を収める責は当然常勤役員の任と思う訳で、
そこまでの任を負う事は想定していなかった。
そう割り切ろうと思っていたのだが、
結局、この一週間、前職場のゴタゴタに引っ張り込まれていた。

最初はちょっとしたボタンの掛け違え、
その後は、言った言わないの応酬、
最後は、
「そこまで言うならやってやろうじゃないか」
世間でよくある事だし、
かく云う私にも身に覚えがあることだ。

言い分を聴くのに両者の間を何度か往復し、一週間かかった。
取り敢えず、各々の言い分は認め否定しない、
そして、妥協点を探る。
勿論、利害は折半がベストだが、折半でなくとも折半と思わせる作業、ここが一番難しい
最後は、ここは私の得意技、落とし所を決めて浪花節で泣き落とす。
そうやって昨日、やっと手打ちにこぎ付けた。
・・・・・・疲れたのだ。

それで、何を言いたいのかと言えば。
おば様連との付き合いが、
知らず知らずのうちに、辛抱強く相手の話を聞く習性を身に着けることになったのだと思う。
瞬間プッツンの単ゲバとしては随分の進化なのだ(老化かも)。
これもまた、想定外なのだ。

これから、鈍足台風と勝負です。

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