■2012.01.28 morning
管理人
遅く帰宅すると郵便ポストに電気検針票が入っていた。 昨年同月比で約70%の使用料。 決して節電に協力した訳ではない、極めて利己的な家計のため。 家中の電球を全てLEDタイプに変更、 年間消費電力が今までの半分程の大型冷蔵庫に買い替え、 これへの投資は総計数十万円、 平均一ケ月で4〜5000円の電気料金圧縮で、全ての投資を回収し収支トントンになるのは多分4〜5年先だろう。

JUNさんからブログの紹介があった。 多分、知ってるだろうとの紹介だったが知らなかった、スンマセン! 1970年経済学部入学組だから、美味しいところは殆どなく初っ端から”敗退戦”しかなかった世代。 でも、乗り遅れた世代に特徴的な恨み事とか泣き事は全く綴られていない。 アッケカランとし、ふっ切れた文体。 私等の次世代の日大全共闘としては最優秀組、後輩ながら尊敬に値する程だ。 リンクページにも勝手に掲載、是非、ご一読を。 我が日大全共闘 
週末は天気が良ければ先週に続きクリスマスローズの手入れ。 この作業、心が一番和む。 この植物、本来は寒冷地に生息するもので、交配種(ハイブリッド)でもこれからの時期が最も勢いが良く根にも力がある。 植え替え、株分けなどには一番いい時期だがここ数年手を抜いてきている。 映画祭、討論会の盛況を念じながら、ひたすらクリスマスローズの手入れに励む予定。
■2012.01.21 morning
管理人
以前にも書きましたが、 年が明けて仕事の役回りが増えています、それが結構な業務量です。 役回り、業務量は増えても俸禄は同じで・・・・、 還暦再就職ですし、些少とはいえ年金も有りがたく頂いてますので、 ボケ防止と思い納得しています。早速、近場の隣県ですが出張に行ってました。 二日目は、これも以前書いた恒例(と云うことらしいですが)スポーツ交流、 それぞれが自費でプレーするのですから、出張二日目にけしからんと、とやかく言う筋合いでもないですが、別の理由でキッパリご辞退し帰ってまいりました。 しかし、次回は私がその幹事役ですので、如何しようかと悩みの種も一つ増えています。 皆も同じでしょうが中学、高校と体育必修で野球(ソフト)、サッカー、バレーボール、それにハンドボールと無理やりさせられました。 俊敏な身体的能力を要求されるこれら”球技”、鈍な私は一度として面白いと思った事は有りませんでした。 必須で無理やりやらされたトラウマもあり、その後”球技”は一生やるまいと心に決めています。 画一的な押し付け教育、恨みさえ持っています。 私が日大闘争に参加したのはそれが一要因かも(にゃ訳無いか。 1月28日からは「映画祭1968」 1月29日(日)には『回想の全共闘運動』出版記念討論会。 2月26日(日)は中村克己君墓参会。 行きたいなぁ〜 参加したいなぁ〜 目白押しに予定されていますが・・・・、 悔しい事に私の仕事も目白押し(泣。
BBS、JUNさんの告知から (何時ものように右上音楽プレヤーをOFFして再生スタートください、でぇないと・・両方鳴って収拾つかなくなります))
「映画祭・1968」
■2012.01.18 morning
管理人 友があわただしく北へ帰った。 日曜日の夕方帰郷、それから彼はバタバタと忙しく走り回り、昨夜やっと小一時間ほど酒を酌み交わした。
今までなら、連日酒を酌み交わしバカ騒ぎをしてた仲なのだが、今回から様相がガラリ変わってしまった。 友はもともと、先達てやり残した亡き実母の墓参りが主要な目的での帰郷だったのだが、それに彼の父親の介護ケアの見直し作業が加わりせわしい四日間だった。
「オイ、困った!」 「病院から呼び出され、これ以上病院で親爺の面倒は見られないと院長から宣告されてしまった」 「家に連れて帰っても、お袋(継母)は病弱、誰も父親を世話する者が居ない」
「どこかよい介護施設を知らないか、頼む、金は何とでもするから助けてくれ」 帰って来るなり、そう云って私に電話があった。 私は前職場で名ばかりだが福祉事業の責任者をしていた。
現場は全く知らないが、机上での福祉の制度の仕組みは少しは知っている。 「オイ、それはな、オイラに相談するのでなく、お父さんのケアマネに相談すべき事だよ」
「病院に置いてくれなくなって自宅に帰れと言われているのだから、入院以前に世話になっていた居宅介護支援員のケアマネジャーに相談しなくちゃ」 「お父さんの症状に合った施設を探して貰って、そこのケアマネに引き継いで貰わなくてはな」
「幸いな事に、お前さんもお父さんも経済的には余裕が有るから」 「こういっちゃ良くないが、福祉はお金で片付く部分が大きいからな」 「勿論、それだけではないけどね」 そうは言ったが、放っておけなくて知り合いの有能なケアマネに連絡し、ここなら安心という有料の福祉施設を探して貰った。
今朝、友は帰りの飛行機に乗る前に私の職場に訪ねてきた。 普段、私にはぞんざいな物言いしかしない友が殊勝に、 「教えてもらった施設は直ぐに申し込むように手配した」
「お前さんには随分と世話になった」 「お袋(継母)が、お前さんに面倒見てもらいたい、お前さんだと一番安心だと言っていた」 友のお袋(継母)さんにそう云われても困るのだが、
そういう我が家も、妻の実家がそういう状況に突入寸前になっている。 多少の差はあれ私等は、こういう年代に突入している。
■2012.01.14 night
管理人 昨日、牧師様から電話が有った。 年末、牧師様からの頼まれ事で、その領収書をまだお渡ししていなかった。 年末年始、金曜日に限って色々とあり、サロンから足が遠ざかっており牧師様にもなかなかお会いする機会が無かった。
色々といっても殆どが酒の席だったのだが。 「久し振りだから、今夜のサロンに行こうと思っていますが、牧師様は来られますか?」 そう云う事で久し振りにサロンに顔を出すことにした。
最近、仕事にストレスが無いと云うか・・・・、夕方になると人並に腹が減る。 サロンは九時頃まで、帰りつくのは十時頃になる、その前に小腹をはらそうと中華屋さんに立ち寄った。 ラーメンすすっていると過激な牧師様とは別の教会の、もう一人の牧師様が入ってきた。 もう一人の牧師様もサロンに行く前に食事をと云うことだったらしい。 酒飲み仲間なら酒屋でバッタリというところだが、牧師様と清き小羊はラーメン屋さんでバッタリなのだ(笑。
 姉御の勢いは益々というか、 原発で火を噴き、TPPで吠え、消費税で脳天が沸騰していた。 もし姉御が一号館バリケードに居たとしたら、私はこのような恐ろしい人には決して近寄らなかっただろう。 今の時代で良かったとつくづく思う。 私は四人目、真正面に座ったもので姉御のノーコンの直球を何度ぶつけられた事か。 そのうち五人目、六人目、そしてメンバーは十人程まで増え、お陰で姉御の直球の被害からは逃れられたが。 ゲバルト・ローザは決して誇張ではないのだ。 サロンは賑わい、予定しない新年会の様相を呈していた。 ところで、 姉御に問うた。 「原発、TPP、消費税の三つの課題、姉御はサロンで何を最優先でやるつもり」 姉御、一瞬考えて、 「どれもこれも深刻だが、取り敢えず消費税!」 だそうだ。 また、振り回されそう・・・・・。
■2012.01.13 morning
管理人 JUNさんに教えてもらうまで全く気が付かなかった。 我が家は朝日新聞と地元紙の二紙を購読している。 朝日は父の代から。
保守バリバリだった父と朝日の組み合わせは意外だが、我が家は昔から朝日新聞。 朝刊に連載中の「プロメテウスの罠」は、近頃の朝日には珍しく骨のある記事。
記事の内容はネットで既に出回っている内容を越すものではないが、それでも全国紙が書くのはそれなりに値打ちがある。 それに、購読者数から云えば、ネットの影響をはるかに越すものがあると言えよう。
記者の記名記事となっているが、それには全く関心がなく、気にも留めていなかった。 昨夜、JUNさんからメールが入っていた。 連載中の「プロメテウスの罠」の記者さん、日大(930)の中では知っている方も多いと書いてある。
新聞を取り出し、記者の名前をマジマジと見た。 「ウッッ・・・・、ひょっとして!」 デスクから名刺ホルダーを取り出しパラパラとめくった。
1969年1月東大本郷、雪の中、謀議を行う黒ヘルは同じく”ラッパの大将” 2009年11月22日。
一ツ橋教育会館で雑誌「情況」の座談会収録に参加し、午後から東大駒場祭に向かった。 教育会館を出て東大に向かう一向に、TBS系列の取材スタッフに加えて小太りの男性がいた。
駒場祭では構内でヘルメット被り、JUNさんたちと新版「叛逆のバリケード」のチラシを配った。 ここでひと悶着あった。 駒場祭実行委員の学生がビラ配りの規制に来たのだ。 「構内での勝手なビラ配りは止めて下さい」
「止めなければ如何する?」 「実力で排除させてもらいます」 このようなやり取りが実行委員の学生と、ヘルメット被った還暦親爺達とでやり取りされた。 この時、私は後ろでヤジる声をはっきりと聞いた。
「面白いじゃないか、やれるならやってもらえ(やってみろ)」 確かそういう内容のヤジだった。 ヤジってる主は、一緒に教育会館から駒場まで付いてきた小太りの男性だった。
この男性、翌年から930同窓会にも顔を出すようになった。 その時、その方に貰った名刺の名前と、 くだんの連載記事の署名が同じだったのだ(笑。
■2012.01.12 管理人 今朝午前7時の温泉宿手前の道路の映像。 雪が積もり踏み固められ僅かだが表面に光沢がでている、アイスバーンだ。
しめしめ、こうなると温泉浸かりにくる客は激減する。 週末は・・・、とにんまりした。  
昼過ぎ、も一度雪の状況をチェックにいった。 午前11時の映像。 ガックリ。 日中、陽が射してくると瞬く間に消えている。
豪雪地帯の方々にはヒンシュクを買うが、当地では強烈な寒波襲来を待つしかないようだ。
■2012.01.11 morning
管理人 ここのところ朝夕の通勤列車で真面目に読書している。 メーカー装備で妻の車に取り付けたカーナビの取説書。 妻のには私の軽四自動車より数段いい(高い)奴を取り付けた。
これが、私のと全く操作方法が違う、一から取説書を読んでいる。 若者も、そして私以外の年寄りも今やカーナビは常識なのだろうが、私等夫婦には初めて装備するメカニックになる。
一から操作方法が全く分からない。 先に納車になった私の軽四自動車のカーナビ、やっと操作できるようになったのだが、それが妻のは同じようにいかない、
性能が良くなれば出来る事も多くなり、その分操作は複雑怪奇になっている。 通勤列車で老眼鏡に掛け替え、真面目に熟読すること一週間程。 思うに若者はPCやゲーム機、スマホなど使いこなし慣れている、取説など読まなくても取り敢えず操作から入って、それなりに理解していくらしいが、
しかし私は、とにかく取説を読み込んで、頭で理解してからでないと操作に入れない。 新しいメカの理解、硬直化が始まっている我が頭には辛いのだ。
1969年1月、雪降る東大本郷キャンパス。デモ指揮者はあの”ラッパの大将” カーナビにはオーデイオ機能が付随している。
私のカーオーディオの認識は、カセットテープから始まり、CD、MDまで、そこで文明の進化は止まっている。 昨日、取説を読み進んでいくと、やっとオーデイオのページまでいった。
「画面をいちいちスライドさせて、こりゃほんとに面倒だわ」 CDの操作方法を読み込みブツブツぼやきながら次のページに進むと、 iPodオーデイオを聴く、USBオーディオを聴く、SDカードのオーディオを聴くとある。
考えてみればカーナビ、下手なパソコンよりも数倍も高価な代物なのだ、 そのオーデイオ機能は私の頭と関係無く、止まることなく進化していたのだ。 これらオーディオソース、どれもこれも既に持ち合わせているし、
それに、いじりまわすのはお手の物。 8GBのSDHCカードだと千円前後、MP3だと1000曲は楽に入るし、 USBオーディオは手持ちのウオークマンでいけるし、
(余談だが、iPodはジョブズが嫌いだから止めた) ナビゲーション機能よりも、当面こちらのほうで楽しめそう。
■2012.01.06 night 管理人 私のスノードライブ歴は、スキーを始めた35歳からで大凡30年ほどになる。
最初はFR車でノーマルタイヤ、後輪にチェーンを巻いて走った。 アイスバーンの山脈越え、長い登り坂では助走が要った。 かなり手前から覚悟を決め腰を振りながらダッシュ、それでも後輪の駆動輪はスリップして徐々にスピードが落ちてゆく、途中で止まればそれこそそこでお終い、後ろから押さなければスタートできなくなる。
下り道は恐怖の一言、三速エンブレから二速エンブレに慎重に切り替える際でも大きく腰を振る。 後ろから長距離トラックにせっつかれた時は恐怖で顔が引きつった、この恐怖の経験から次のシーズンからはスパイク打込んだスノータイアに交換した。
次の車はパートタイム四輪駆動車。 新車の時からスノータイヤを履かせたが、今の様な幅広タイヤではない。 雪道をラッセルするには細いタイヤがいいとスキー仲間から聞き、標準より細いタイヤをチョイス。
この組み合わせは抜群だった。 シーズン始め、轍の付いていない登り山道を誰よりも早くスキー場に一番乗り、後ろから除雪車が付いてきた(笑。 スノードライブで一番楽しかったのはこの頃、シーズンで20回以上スキー場へ、計算すると週2回ペースで行った事になる。 次の車はフルタイム四輪駆動車。
パートタイム四輪駆動は乾燥路では厄介、間違って四駆にしたまま低速でハンドルを切るとギアが噛み込みエンスト、信号の真ん中で何度これをやったか。 その点、フルタイム四駆はイージードライブ、何処でも何時でも四輪駆動。
これにその頃出始めたスタッドレスタイヤを初めて組み合わせた。 このタイヤ、アイスバーンで少しハンドルが軽く感じる程度で、急ブレーキと急ハンドルさえ気を付ければ後は乾燥路と殆ど同じ、これはタイヤの革命だなと思った程。
これにタカをくくってヘアピン下りのアイスバーンで180度スピンを2〜3回経験。
そう云う事で30年で三台の車を乗り継いで来たと云う事は、一台当り10年乗ってきた事になる。 そして、今の車はFFの軽四自動車。
タイヤはピレリーのアイスコントロール。 急な登りの坂道や除雪してない道でなければ問題無く走ってくれるが、スノードライブを楽しむと云うレベルやフィールで無いところが寂しい限り。
しかし目的が温泉なもので、爺さんにはこれで十分なのだ、 負け惜しみなのだ(泣。
■2012.01.06 morning
管理人 正月三日目、昼から県境の温泉に出かけようと思ったが結局止めた。 山並みを望むと空はピーカン、 温泉宿HPにチェックを入れると、周りに雪は全くない。
この時期の私の趣味は温泉+スノードライブ。 温泉行きを止めた理由はもう一つ有る。 ノーマルタイヤで難なくいける天候だと、正月三が日は温泉宿が芋を洗うように混み合う。
人は同じような事を考え行動するものだ、温泉は下手すれば札止め、入場制限さえある。 そんなところへノコノコ出かけていく馬力はない。
温泉宿ライブスチールカメラより 明けて4日(水)の夜九時、温泉宿HPをチェックに行った。
猛烈な雪で、道路は真っ白に冠雪している。 休日であれば翌日5日に温泉に直行したかったのだが仕事があった。 写真は5日(木)、朝九時の道路の状況、雪は止んで道路には轍が。
路肩に少しでも雪が残っていれば走る車は激減する、明日土曜まで解けずに残って欲しいが無理だろうな。
■2012.01.05 night
管理人 ホームページを始めたことで、可笑しく、哀しい、そして楽しいこの十年が、自分に正直に記録できた。 ああ、俺ってこんな気持ちだったんだ、
自分のホームページを読み返しそう思う。 まるで他人事のように。 ホームページを開設した頃、 どうしようもなく心がメロウになる、そんな波が一定の振幅で繰り返し訪れた。
その間隔が少しずつ長くなり、 そしてだんだんと心が乾き枯れていく。 老いとはそういうものなのか。
■2012.01.03 morning
管理人
昨年末、暮も押し詰まった頃に佐高信さんの講演を聴く機会があった。 「佐高さん、人の悪口を言わしたら最高よ!」 日頃、佐高さんの本を読んでいる妻がそう言ってた。 講演会、小泉”単純”一郎との呼び捨てから始まり、機関銃のように絶品の悪口が連発される。 竹中平蔵に至っては、彼に言わせると”死刑”に相当するらしい。 でもこの人にして、悪口言った相手にはバツが悪いと聞いて笑ってしまった。講演会が終了して会場を出ようとすると雑誌を販売していた、「週刊金曜日」。 悪いが、私はこの雑誌は好きでない。 何故って? 好きでないから好きでないと云うか・・・・、 私等は”書”を投げ捨て行動に走った種族だから、そう云う意味で私等と同世代に並ぶ”編者”には偏見を持っている。 まあ・・・・、 自嘲的に言えば、 書を読み摂る能力が無かったとも言えるし、 加齢も加わり、自分の物差しでしか測れない(測らない)偏狭さで凝り固りかけているともいえるが(哀。 これは佐高流の悪口のつもり。
 元旦、AM4:30とAM11:00
年末年始、元旦に息子達と一緒に妻の実家へ年始周り、それ以外は殆ど何もせずに過ごした。 この何もしないというのはほんとに心地良い。 心地良いと云うのはメンタル面だけでない、 快食快便、フィジカル面でもこの連休とても調子良いのだ。 連休最後、今日の午後は山奥の温泉に、も一度だけ行こうと思っている。 何もしないで一時もじっとしていられない人、良く言えば活動的とも呼べるが、 病理学的には、例え大人でも多動症(ADHD)と五十歩百歩でないかと私は思う。 私の妻なんぞはその症状に近いし、地元のとある知人は殆ど重症ではないかと思っている。 方や私は、そのADHDとは真逆の症状、殆ど何もしないでも幾らでも過ごせる。 これは病理学的にどういう症状なのだろうか。 ADHDと思われる方々に言わせれば、 私なんぞは何が楽しみで生きているのか? 否、生きてる意味が無いじゃん! そう謗られそうだが、 私から見れば、彼等はうっとおしいのだ。
これも佐高流の悪口のつもりだが、インテリジェンス的には遥か遠く及ばない。 もっと修行を積まねば!
my
favorite songs MIYUKI
MARUYAMA "Tokyo"
■2012.01.01 morning
管理人
当然、朝二時に目が覚めた。 昨夜八時に寝たから六時間、そこそこの睡眠時間だが幾らなんでも早すぎる。 も一度寝て四時に起きた。 ほんでもって、未明のドライブに出掛けていた。

初日の出を拝みにという理由では決してない、 ましてや初詣でもない、私は神社仏閣は参拝しない信条。 年末ぎりぎりに届いた妻のニューカーで走ってみたかったから。 車庫からモーターで出て、帰りも手前からモーターに切り替える。 エコもさることながら、出入りが”無音”、 静かに暮らしたい私にはこれが実に良い。 エンジン・フィール? ん、なもにゃ〜、 これまでのフラット4の方が良いに決まってるじゃないか。
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