■2012.02.27 morning
管理人 まあ・・・・、 今回計画中の旅行はJRのフルムーン旅行の様なものなのだが、違うところは3〜4組の夫婦の団体旅行なのだ。
団塊世代は直ぐに”つるむ”と揶揄されるが、 つるむにはそれなりの人間関係、信頼関係が必要で、「偉けりゃつるんでみろ!」と開き直る。 あの時代に繋いだ信頼関係は、「何年経っても薄まる事は無いのだ!」、とも開き直る。
ところで、今回計画の旅行には地元国立大・元全共闘二人組+私の他にもう一人(夫婦)参加している。 この高校同窓生、二つ強烈な思い出が有る。 一つ目は、高校三年生の時、
休み時間、遊び回る私等をしり目に彼は何時も自席で本を読んでいた。 「何の本を読んでいるの?」、 ある時、そう云って彼の読んでいた本の表紙を見せてもらった事がある。
題名は覚えていないが作者は”キルケゴール”。 哲学には爪の先ほども興味のない私には、訳の分からぬ本だった。 も一つは、'69年だったか'70年だったか定かではないが、駿河台で機動隊とドンパチとなった。
機動隊に追われ命からがら中央大学の学館に逃げ込んだ。 ヘルメットに軍手、片手にゲバ棒の完璧ないでたちで一階の奥まで走り込んだ。 当時、学館一階の奥は談話か喫茶コーナーだった。
「助かった・・・!!」 そう云って椅子に腰かけた。 ふと前の椅子を見ると、カップ片手に座り本を読んでいる学生が居る。 何気に顔をのぞくと、あのキルケゴールの同窓生。
向こうも此方を見て、お互いが同時に同じ言葉を発した。 「おい、お前、何してんだ?」 彼の問いかけは、 高校時代からは想像し難い目の前の私の姿、その私がそこに至るまでの経過が何なのだろうとの問いだったのだと思う。
私の問いかけは、 この騒乱の時代、お前は悠然と学館でカップ片手に読書をしている、何してんだ?、との問いだった。 この高校卒業から数年後の出会いは強烈だった。 中央大学文学部心理学科に進んでいた彼は、卒業後、医療機関でソーシャルワーカーとして働いている。
県内の業界筋では第一人者だそうだ。 ソーシャルワーカーってのが何なのか私には分からないが、この彼、酔いが回る程にしつこく絡んでくる。 「おい**、あの頃、俺達が目指した社会って何だったのだ?」
「俺達ちゃ、決して、今の様な世の中作ろうとした訳じゃない!」 まるで40数年前の感性が、そのまま冷凍保存されているような奴なのだ。 キルケゴールの同窓生と東北を旅するのだが、
楽しいのと気が重いのと半々。 なるべく彼には酒を飲まさないように努めようと思う。
■2012.02.26 morning
管理人 つくづく卑怯だと思った。 この夏、東北をグループで旅しようと打ち合わせを持った。 グループは高校の同窓で、地元国立大の元全共闘一派。 日大でいえば、議長、副議長クラスに当たるボスで悪い奴らだ。 役所をリタイアした元議長格がかつての仲間に声をかけ、夫婦連れで定期的に旅行をしている。 名誉な事に(笑)、今回、初めて私にもお声が掛った。 「お前ら(日大)はいいよな」 「俺たち全共闘一派は最大でも百名足らず、民青は常に2千を超えていた」 それでも1968年には二人して自治会選挙に立候補したと云う。 勿論、惨敗、箸にも棒にもかからぬ選挙結果だったそうだ。 時代に遅れまいと全共闘を名乗った時はその二人にプラス1名の三人だけだったいう、そう云う意味では私は彼等を尊敬している。 その後、他県のセクトが介入し、僅かだが勢力は増えている。
ところが1969年、燎原の野火のように拡がった火が地元国立大にも及んだらしい。 自治会選挙には勝てなかったが、民青も無視できぬ(100名程だが)勢力に伸長したという。 スト権確立の手順を踏んだかどうかは聞かなかったが、時代の勢いでバリケード封鎖に入り、以後、民青との実力バトルを繰り返したと云う。 1969年の夏だったと記憶している、帰省していた私も友のうわさを聞き大学に顔を出した。 丁度、民青は生協食堂に陣取っており、全共闘派がそこに突入するというシチュエーションに出くわした。 勿論、白ヘルを借り、助っ人で先頭切って生協食堂に突入した。 日大全共闘の名に恥じなく、やりたい放題したのは云うまでもない。 その後、”あの日大全共闘”と云う事で地元国立大や県立女子大ではVIP扱いとなったのも云うまでもない(大笑。
 話は逸れたが、 一緒に旅行に行く全共闘二人組みの一人は街頭の小競り合いで逮捕されている。 その話がまたまた面白い。 逮捕され所轄の留置所に入ったが、留置所内で騒いで扇動するいって直ぐに隣の市の警察署に移されたらしい。 隣の市の警察署ではタバコ、コーヒー、食事でも、希望する物は何でも与えられVIP扱いだったという。 何故なら、彼は全共闘の逮捕第一号で有るだけでなく、明治政府以来当県警では二人目の”政治犯”という扱いで、警察はどう扱ってよいか分からなかったらしい。 更に、逮捕された場所と起訴状の場所が相違する極めて初歩的な手続き上のミスが有り、その事実を突き付けたら検察が所轄の警察署を叱責し、彼の起訴は反故になったという。 いかにもローカルだ。 卑怯だと冒頭で謗ったのは、 その後、彼は沖縄闘争で上京しまたまた逮捕、一年間檻の中に居た。 日大ならこれで間違いなく、問答無用の除籍になる。 しかしこの彼、檻の中にいた期間にしか履修出来ない単位も履修出来ていたらしい。 卒業まで6年掛ったが、それでもちゃんと卒業出来たという。 日大から云わせれば、これは卑怯と云うしかない。 さらに卑怯な話も聞いた。 議長格のもう一人は、 「これで大学を卒業するなんて恥だ」と、授業料の払い込みを拒否したという。 このアクションは評価する。 日大でなくとも、私学なら未納で即除籍。 ところが彼は授業料未納のその時点で卒業保留扱いになったという。 その扱いは現在時点でも続いており、納付すれば学籍が復活し、規定上40数年経った今でも卒業の手続きが取れると云う。
東大は、全共闘でも「御免なさい」と謝れば許してもらい復学できる大学だという話は聞いているが、
それは東大という、ある意味超エリートの大学ならではのエセなリベラルだと思っていた。
しかし、当地のローカルな国立大でも同じだと云うことが昨夜の酒の席で分かった。
これは別視点で見れば、如何に日大がヒドイ大学だったかという見方もできるが、
ともかく、この規定が本当かどうか、真偽の裏取りはしていないが、これは羨望の思いも込めて”卑怯”と云う一語に尽きると思うのだ。
■2012.02.25 morning
管理人
今朝、未明に日帰りスキーへ行く妻を見送った。 後ろ姿に「気を付けてな!」と声かけ、も一度寝た。 目が醒めたら9時半、 普段より4時間程遅い起床だった。
昨日金曜日、朝九時にホテルロビーで人と待ち合わすことにしていた。
DV被害者の支援やフードバンク活動をしているのNPO団体にその方と視察に行く約束をしていた。
彼が訪れることで、地味だが地道な活動をしているNPO団体や殆ど社会的に認知されていないフードバンク運動に陽を当てるよい機会になるとの私なりの魂胆もあり、報道各社にも取材を依頼した。
報道からは取材に来るとの返答、その方のネームバリューはさすがだとあらためて思った。
まあ・・・・・、
その方をちゃっかり”人寄せパンダ”に使わせて貰った訳で、利用できるものを利用しない手はない。
この団体を日頃支援サポートしている懇意な県会議員さんにも声をかけた。
原発、沖縄、震災等々、世の中課題は山積しており、それらへの取り組みを疎かにすると姉御に日和見と厳しく謗られるが、世の中の不都合を一身に受け、人知れず困窮を極め、生き場を失っている方々の事も、それらに劣らぬ社会の大きな課題だと思っている。
意図せず偶々だが、それらに関わる職場に在籍したことも、何かの運命だとも思っている。
「いや〜、一度起きてたけど二度寝して、寝過ごしちゃいました、済みません!」 約束の九時にロビーに居ないので電話すると未だ寝ていた、結局、彼がロビー降りてきたのは九時ニ十分過ぎ。 今朝の私と同じ。 車を飛ばし、約束の時間に十分ほど遅れて到着。 記者やテレビクルー、議員さんも既にスタンバイしていた(汗。
DV支援のNPOで懇意な県議(旧社系)さんと 一昨日の木曜日、9県で構成する私の職場のブロック協議会の総会が有った。 今期から私の県が事務局県を仰せつかる事になっており、私が総会の実務責任者。 来賓・祝辞を県知事にお願いし、記念講演に湯浅誠さんを呼んでいた。 総会は会場準備や議事進行、宿泊手配等々定型パターンがありそれを踏襲すればいいので、ある意味楽な仕事だったが、 問題は来賓の県知事、講演を頼んだ湯浅さんの手配と調整、それに殆どの気苦労を費やした。 還暦オーバーのポンコツ親爺、日記の更新が疎かになったのは決してヘタっていた訳ではない、 この半月程、インフル病上りで咳きこみ息切れしながらもそれなりに気ぜわしく真面目に働いていたのだ。
ラッパさんが当地へ来た時、サロンの仲間と”政治集会”をしたあの店なのだ 知事は間合いが悪い事に議会開催中。 分刻みのスケジュールで間際まで秘書室と時間調整に追いまくられ、 たった5分程の祝辞を頂くのにどんだけ調整した事か、親爺は正直疲れたのだ。 まあ、私の業界では会議の格付けちゅうもんが有るようで、知事の引っ張り出しは幹事県への至上命令にも等しいもので、業界の慣習に引き回されたというところなのだ。
ほんでもって懇親会の後、台本通り二次会に湯浅さんを連れ出した。 この台本は私も決して嫌うところではない(笑。 私がセットした二次会は綺麗なお姉さんがいるような高価なところでは決してない、庶民的で割安と云うよりチープとも云える大衆居酒屋。 更に更にチープな三次会まで席を移し、解放して差し上げたのは日付が変わる頃(笑。 翌日の金曜日、湯浅さんが寝坊した殆どの責任はセットした事務方の私に有る(汗。
NPO訪問、取材の終了後、高台の植物園内にあるレストランで湯浅さんと昼食。 豪華な1050円のランチメニューを奮発して差し上げた(笑。 「いいですね、ここが東京じゃないと云う実感が湧き、こういうところは心が和みます」 そう云って喜んで下さった。 帰りの便は夕刻だったが、それまでの待ち時間を空港で仕事をしたいというので、送って差し上げた。 後始末は残っているが、やっと終わって今日明日は一息付けそうだ。
■2012.02.15 night
管理人
病気で休む。 一日程度なら何の事は無い。 二日、三日・・・・・、 このへんになると会社に、「もうお前は要らない」と言われるのではないか、或いは職場に入り難くなりそうで、病気そっちのけで腰が浮いて来る。 四日以上になると、もう会社・組織、そして仕事から完全に脱落した気分になる。 これが、日本のサラリーマンの極めて標準的な習性だと私は思う。 だから焦っている、と書きたいのだが、 現状は・・・・・、休むほど神経が解けてリラックスしている(笑。 「当分出勤には及ばす」、言った方は冗談も込めてだろうが、 言われた方は「ヤッタ!」と素直に喜び、昨日と今日休んでいる。 学校の対応は、症状が出てから7日間は登校停止とするところ、 或いは、解熱後3日目以降から登校を認めるところ、とまちまちらしい。 私の場合は、有難い診断を頂いて今日で土日を挟んで5日目、解熱後3日目になる。 教育現場も鑑み、お言葉に甘えるのもここら辺りが潮時かなと思っている(笑。 ところで正直な現状は、 解熱しているので、A型ウイルスは多分除菌出来ているはず。 タミフルは解熱時点の2.5日目で服用を中止、期待した副作用もなくウイルスには十分効めを発揮してくれたよう。 咳を鎮める薬と扁桃腺の炎症を収める抗生物質(これは肺炎も抑制するとのこと)は服用中。 にも拘らず咳は時折激しく出る。 職場の環境を考えると、咳は当分収まらないだろうな。
■2012.02.14 morning
管理人
「2.19脱原発杉並デモ」 ↓ >なんだか面白そうですよ!準備会議の中で「日大全共闘が大挙してやってくる」とのウワサ(誰が撒いたんじゃ!)も出ているらしい。(JUNさん、BBSより)
■2012.02.13 morning 管理人
何時ものように、JUNさんの告知から
(何時ものように右上音楽プレヤーをOFFして再生スタートください、でぇないと・・両方鳴って収拾つかなくなります))
レディー・ガガへの手紙 2.19 脱原発杉並デモへの参加呼びかけ 作成者
ムービー貼り付け、薬のせいで危うく訳が分からぬようになりかけていました。
やっとこさ、貼り付けました。
『薬のせいじゃない、歳だよ!』
そう云われそうですが。
「これが”新型”だったら、自宅軟禁か強制収容になりますよ」
その筋に詳しい妻に言われた。
「当分、出勤にはおよばず」
職場に連絡を入れると、配慮と云うよりは出勤を拒否された(笑。
本日もひたすら自主的蟄居・除菌中。
■2012.02.11 morning
管理人
おめでとうございます!(とは云わなかったが、笑) 「A型インフルエンザです」火曜日、マスクをしてやたら咳をする方と仕事で同席した。 身に憶えがあるのはそれだけ。 水曜日の夜、喉がいがらっぽく咳が出始めた。 木曜日の朝、咳以外は何の変調もないので出勤した。 木曜日の夜、その晩は一晩中咳で朝まで寝られなかった。 これは少しヤバイなと思い、休みを取って病院に出掛けた。 問診票には、 咳が止まらない、 熱は測っていないが多分無いと思う。 薬アレルギーの欄は、 私の場合、薬の処方を間違われると命取りになる可能性があるから、 それだけは力を込めてしっかり記入した。 体温を測ると38℃、しっかり発熱していた。 発熱しているのにそれほど自覚症状がないのは歳をとったせいなのか。 喉の粘膜を取り検査へ、 レントゲンを撮り結果を待つ。 全所要時間30分足らず、短時間で極めて明快に結果が出た。 薬の処方箋を持って薬局へ。 薬剤師から薬についてしっかりと説明を受ける。 何でも、このインフルエンザの特効薬はかなりヤバイ副作用が有ると云う。
 余りに脅かされたから、説明書をしっかり読む、 服用後に異常行動などの精神・神経症状を起こし・・・・、 更に説明書には<異常行動とは>との詳細な記述があり、 普段と違う突飛な行動をとる、うわごとを言ったり興奮したりする・・・等々。 説明書に記載されているこの症状等、 これらは、かつて十分掛ったのでしっかりと免疫があるはず、だから心配はしない。 しかし、 新聞にインフルエンザの患者数が211万人に達したと書いてある。 211万人と聞けば多いようだが、 残りの9800万人は掛っていないので、100人のうちの2人に入った訳だ、 運が良いと云うか悪いと云うか。 咳のせいで腹筋、背筋が痛み、腰痛まで出てきた。
■2012.02.06
night 管理人 ピイチクパアチク、雀の学校。
日曜の朝、それはそれは賑やか。 昨年から、庭隅の木に雀が集まりだした。
窓を開けて撮ろうとするとパット飛び立つ。 そのくせ、間近を車が通っても逃げない。 そろりそろりと慎重に、気付かれないように窓を開けてパチリ。
連写で20枚程撮った中の一枚。 子供達が幼かった頃、軒先から雀のヒナが落ちてきた。 次男坊が胸の中に入れ、大事に冷えたヒナを温めていた。
雛鳥も子供達も可愛かった。
一日代休を貰った先週、週前半は少しのんびりしたのだが後半は近場の催し事でまたまた連日出張っていた。 催し事と云っても、採算やノルマといった脅迫的要素は無い。
スケジュールをこなせばよいのだが、ついつい昔の癖が出てしまう。 仕事が楽しいとまでは云わないが、苦でない事も確か。 還暦再就職のハンディを考えれば、有り難い事だと思っている。 四月以降の2012年度のスケジュールが入ってきた。
今年度と違う所は役回りが増えせいで大幅に出張が増えた事。 中近のローカルも入れればかなりの頻度になる、還暦オーバーの初老にはかなりきついスケジュールだ。 しかし、関東方面への出張も倍増しているのでそれはそれでよしとする。
これをちゃっかり利用して、ちょくちょく930の会に顔を出せれば最高なのだが、そうはうまく日程が合わないのが悩ましく悔しい。
■2012.02.01 管理人 近眼用、私の場合は近眼と云っても極度の乱視入りだが、これは映画やテレビ観賞用。 遠近両用、これはドライブなど主に日常生活全般。
老眼、これは主にパソコン作業等の仕事用。 と、いう訳で、メガネ三本を適宜使い分けている。 仮に、近眼用をドライブに使うと、スピードメーターなど手元の車の計器が全く見えない。 仮に、遠近両用を仕事に使うと、遠くを見て、近くを見ての頻繁な切り替わりで疲れ果ててしまう。 老眼では当然テレビも見えずドライブも出来ない。 ちゅうことで、普段は三本のうち遠近両用と老眼鏡の二つを常時持ち歩いている。
手前が老眼、真ん中が遠近両用、奥が近眼用 ところが加齢に準じて老眼が役に立たなくなった。 老眼が進むと云う事は遠近両用も役に立たないと云う事。 そう云う訳で老眼と遠近両用のメガネ二つを作り直した。 私は、いわゆるメガネのスーパーを利用しない。 我が街にある昔からの眼鏡店。 そう、店の奥でロイドメガネを掛けた店主が居るあのお店、貴方の住む街にも居ただろう。 何時までも街にメガネ屋さんが居て欲しいから だからイチキュウパーとかニイキュウパーとかの値段ではない。 それなりに高い(泣。
 週末は催事で出勤していた。 だから今日はお休み。 お昼は即席ラーメン。 最近ハマっているのがキャベツを入れたキャベッジ・ラーメン。
キャベツは生協で購入した有機栽培物。 日本の生活協同組合は殆ど(全てと云ってよいと思う)は○共の勢力下にあるが、 私の利用する生協は、上部団体の生協連合会理事長が元・青ヘルだから当然○共勢力ではない、生協の業界では極々の希少種。 この元・青ヘル理事長、かつてその昔日比谷の夜音で、日大930の会の仲間にブン殴られたというエピソードがある御仁。 だから、キャベツも青いし、やたらめったら固い(笑。
話は大きく逸れたが、 このキャベツを10〜20秒ほど茹でる。 それ以上茹でるとさすがの青ヘルも・・・違った、有機栽培キャベツでもしなるから茹で時間は慎重にやる。 これに出来た即席ラーメンを放り込む。 柔らかい麺とキャベツのバリバリという歯応えのコラボが実によく美味い。 芯の歯応えなんぞは最高なのだ。
物事は硬軟併せ持つことが肝要というが、食い物も同じ。 突っ張るだけが能ではないのだ。
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