■2012.04.08 night
管理人
週末を挟んで一旦帰宅。 昨日は、出張のついでに午後から珍しく観光。 西日本は春爛漫です。
 
出張慣れと云うか、横着になっており出掛けるのに準備も何もなし。 新幹線でウオークマンを取りだすとバッテリー上がり、 春爛漫の景色を撮ろうと思うと、こちらもバッテリー上がり寸前、 やっとこさ撮れた二枚。 やっぱ、日頃のチェックは必要と反省。 メカも体も充電して、明日から又出張。
■2012.04.05 night
管理人
リンクページに一つリンクを追加。 九条関連だから、普通は○共関係者だと思うだろうが、さにあらん。
過激な牧師様より更に過激な方、 ○共なんぞは吹っ飛ぶし、 ラッパの大将もタジタジだったし、 私なんぞは一言で一蹴された。 あの御方のホームページ。尚、本人の名誉のために言及しておきますが。 ご本人は○共を”差別”も”区別も”しておりません。 私がこだわり区別しているのです。 そう云う事ですので、よろしく。
明日から、週末を挟んでまたまた出張です。
■2012.04.04 morning
管理人 「貴方、車で送って行きましょうか?」 昨日朝、ネットでチェックすると、春嵐襲来の天気予報。 これはと、納戸でガサガサと雨合羽を探していたら、後ろから声が掛った。
この四十年近く、職場に「送りましょうか?」と声掛けられたのは初めてだから。 少々戸惑った。 考えてみれば、 妻と知り合った時、彼女は既に働いていた。
お互い仕事を持つ身、雨が降ろうが槍が降ろうが、雨合羽に身を固め職場へ急いだ。 特に妻は、災害が起これば人より早く出勤し、人より遅く帰ってきた。
職場に張り付いて、帰ってこない日も多々あった。 そんな妻に「送りましょうか?」と云わるとは、想定していなかった。 早々、環境の変化を味わう事になった。
明けて、 余りにも青空が気持ちいいので、職場に向かう途中ちょっと回り道、道草をしてきた。 3月29日の日記に綴った遥か昔の記憶。
自転車の荷台に乗せてもらい、兄ちゃんの体をしっかり掴んだ感触がかすかな記憶で残っている。 勢いよく写真の坂を降りた。 急ブレーキを掛けた瞬間、私の四歳の体が荷台からフワリと宙に回った。
「悪い悪い、お前、あの時はふっ飛んだよな」 自転車から放り出された話は何度も兄から聞かされた。 そんな、聞いた話の記憶なのか、それとも脳裏に実際残った私の記憶なのか、そこは定かでないが。
私の一番遠い記憶、これ以前、私にとって私は存在しない。 あの時も、今朝のように桜が咲いていたのだろうか。
■2012.04.01 morning
管理人 妻は昨日が人生の一区切り、今日から新しい暮らしがはじまった。 ちゅう・・・たって、決して熟年離婚ではない(笑。
「貴女は今日から毎日が日曜日だね!」 「私の場合は、それがたった25日で終わったけどね」 (退職して25日後、今の職場からお声が掛った)
「これから人生、ゆっくり、ノンビリ過ごせばいいよ」 妻の暮らし方の変化で、一つだけ困ったことある。 有り余る時間、当然、今まで私の分担だった家事に手を出してくるだろう。 しかし、掃除、洗濯は今や私の生き甲斐の一つになっている(笑。 これに手を出されると大事な生き甲斐を失う事になる、 さて、どう言って私のテリトリーを守ろうか、 如何した事か。
 去年の丁度今頃、 私の職場と、会員団体、労働団体の三者の懇親会があった。 図体が大きいイカツイ方が隣に座った。 会員団体の役員で、某県の前連合会長だったそうだ。 前歴が前歴だけにそれなりにかしこまってビールを注ぎ、注がれしていた。 歳を聞かれたので「昭和23年生まれ」と答えた。 大学は何処ですかと聞かれたから、素直に「日大で1967年入学です」と答えた。 相手の方は「そうですか、私は24年生まれ、1968年立正大入学ですよ」と。 その自己紹介から、嗅覚と云うかお互いに”匂い”を感じ始めた。 その昔、佐藤訪米阻止闘争、 火炎瓶片手に出撃しようとしたらしいが、立正大キャンパスは機動隊に完全に囲まれ一歩も外に出れなかったそうだ。 一つの関を越せば後は一気、履歴は・・・・ちゅうことだ。 立正大青ヘル → 某県水道局 → 水道労組 → 某県連合会長 → 今は某団体役員。 勿論、日大全共闘と私には最大の敬意を表して下さった。 「私はこの歌が大好きでね、泣きそうになるのですよ」 マイ・フェヴァレイト・ソングスは、二次会でその御方がカラオケでリクエストした曲。 マイクを持って熱唱していた。 図体、それに青ヘル、曲とキャラが合っていないと思うのだが。
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