■2012.05.30 night
管理人
定期総会を終え、少し余裕が出来たので昼から休みを貰っていた。 帰路、久し振りに喫茶店に入った。 偶に行く店、カップソーサーにカラメルまぶしたアーモンドが付いて来る。 私の一方的な記憶だが、懐かしい青春の香りが漂っているようで、この店、大枚500円出してもいいと思う数少ない喫茶店。
 今日、サロンの長老に教えて頂きネット注文していた本が届いた。 昼から休みを頂いたのは、喫茶店で少し読みたいと思ったから。 '69年、私等がバリケードを追い出され、先が見えなくなった頃、他では色んな闘いが始まっている。 その頃、私は自分の事で精一杯で、他で何が起きているか知らなかったし、それに興味をはらう事もなかった。 良くも悪くも、私は日大闘争が全てで、それ以上ではなかった。 '72年、故郷に帰って来た頃、ふとしたことで高校の後輩と知り合った。 彼は'69年に母校でストライキを打ち、立て籠もり、処分を食らっている。 知り合った頃は、反戦グループで部落解放運動に関わり頑張っていた。 数年後、所属していたセクトの内部抗争である日忽然と姿を消し、それ以後現在に至るまで音信は無くなった。 もう40年も前の事。 当時その後輩から聞いていた話と、本に書かれている事と比べ合わせてみた。 その後輩が含まれるかどうかは定かでないが、'69年の高校生の検挙者は2名。 巻末の年表には、母校が'69年12月に「封鎖・占拠」と記されいる。 当時、彼が話してくれた内容とほぼ整合している。 40年前、ある日忽然と失踪した高校の後輩、 それは高校の「闘争」ではなく、その後のセクト抗争の為だと思うが、 今、何処でどうしているのだろう。
■2012.05.29 morning
管理人 先の休日の早朝六時前、上下線が二本の橋に分かれている道路に差し掛かった。 上下何れの橋も専用二車線、当然それぞれの橋は一方通行。
橋の入口手前、信号は赤で停車、信号の向こうは90度にカーブしているから橋は見えない。 早朝で行き交う車は殆ど無いが、隣に一台車が止まった。
信号が青に変わり、二台同時に発車し、カーブを曲がり橋に入った。 昨年末、妻はハイブリッドカー、私は軽四自動車に買い替えた。
「私はこちらの方が乗り易いわ!」 いざ納車されると、妻は私の軽四自動車しか乗らない。 私はJR通勤だから、日常、車には全く乗らない。
結果、妻の車は殆ど車庫に眠っている。 機械は使わないと余計に痛むらしい。 そういうことで、お天気の良い休日の早朝、珠に妻の車を転がすようにしている、勿論、独りで。
二台並んで信号をスタート、二車線のカーブを曲がり橋に入った。 橋に入った途端、信じられない光景が目に入ってきた。 私の車線、大型長距離トラックがこちらに向かって走って来る。
橋の上で専用二車線、隣は並走している車が居る、何処にも逃げ場はない。 ヤバイ・・・と思った瞬間、並走している車が後ろへスーっと下がった。
間一髪で隣の車線に逃げた。 何事も無いように長距離トラックの運ちゃんの顔が横を通り過ぎて行った。 運ちゃん、携帯電話で話すのに夢中のようだった。 家に着いて思った。
信号が変わるがもう5秒早かったら。 橋はカーブの先で見えない。 橋へ入る出会いがしら、逃げ場はなく逆走してきた長距離トラックと正面衝突していた事になる。
相手は10トンを越す大型トラックだった、どう見ても勝ち目はない、車体の下に潜りこんで一巻の終わりである。 このシュミレーションは限りなく正しいと思う。 人生ってこんなものです。
今回は約5秒が運命を分けたと思いますが、 どんだけ安全運転していようが、 どんだけ”人生”を安全運転していようが。 終わる時は簡単に・・・・・、終・わ・る・の・で・す。
■2012.05.21 morning
管理人 「勤務中済みませんが、ちょっと病院に行かせて下さい」 職場の事務員さんが言う。 多分、毛虫だろうと思う、首から顔にかけて至る所が腫れあがっている。
この休み、茶摘みに行っていたそうだ。 私も先週、生垣を選定していて、露出していた手首と首筋をしこたまやられている。 若葉が芽吹くこの頃、虫に気をつけないと。
通勤途中の公園で もうひとつの全共闘・芝工大全学闘Blogに、こうのみよこさんという女性のコメントがある。
聞き覚えのある名前なので気になった。 彼女のブログへ行くとやっぱりそうだった。 広島で医師をしている方。 別に面識が有るわけではない。
随分以前、ネット検索でいろいろ見ていたら彼女のホームページに行き当った。 国政選挙に出た折に、倉橋島の秋田さんところを訪れたらしい、 秋田さんに会って感激した模様をHPに綴っていた。
ああ、この人も多分そうなんだな、と思った次第。 私の知り合いに広島大学出身の方が何人かいる。 後日、彼女について少し聞いてみた。
「彼女はね、マルチュウじゃないと思うけど、確か広大全共闘だったはずだよ」 ほぼ想定範囲の答えが返ってきた 社会的立場は違えども、
色んなところで、 あの時代の思いを捨てず、 頑張っている仲間は居るのだ。
■2012.05.15 night
管理人 ここで姉御の悪口書いていると、何となくスッキリする。 私にとっては丁度虐めがいのある対象なのだろう。 こう書くと、私が一方的に姉御を虐めているような物言いだが。
実際は・・・・・・、 「所詮、男なんて、軟弱極まりない存在よ!」 と、内心は馬鹿にされているはずだし、 此方は面と向かってかなりボロ糞に言ってやるのだが、蛙の面に何とかだし、
顎で使われているのが実態なのだ。
先日乗ったJAL、日大の宣伝が流れていた、金掛けていやがる 日曜日、家族で買い物に行っていた。
先日、次男坊の靴が余りにもヨレているのを見て妻がこう言った。 「いい機会だから、私が皆に靴を買ってあげるわ」 息子らが喜んだのは言うまでも無い、定刻、約束の場所に家族六人が集合した。
36才と32才の息子、それにこの二人の連れ合い、 普通ならこの年代、家族全員での買い物などあり得ないと思うのだが、妻のもくろみは見事に当った。 「お母さんが買ってくれると云ってるから、今日は普段買わないような高いのを選ぶといいよ!」
靴屋で、息子達の連れ合いにそっと耳打ちした。 彼女等、にっこっと笑って反応したが、 選んだものは殊勝にもそれなりの値段の物。 買い物の後、皆で食事、楽しい一日だった。 ところで、昼食のレストランで妻がこう言った。
「生協のカードを利用すると割引があるので、そのカードで買い物しましたので」 私、 「それって確か、私の口座引きじゃなかったかな?」
妻、 「あら、そうだったかしら・・・」 トホホなのだ。
■2012.05.13 night
管理人 講演会余話 会場のアンプからラインコードを引いてくる。 Wi-fiでネット接続をセット。
三脚にビデオカメラをセット。 音声ラインコードをミキサーに入れ、ミキサーからビデオの音声入力に。 「ビデオカメラで音声拾うより、会場のアンプからのライン入力がクリアーですので」
ビデオからPCには、何やら分からぬコードで接続。 私は232CかUSBコードしか知らないのだ。 私、 「おい若いの、ustream
配信ってのは、どういう仕組みだ?」 若いの、 「なに、簡単ですよ」 「ライブでYouTubeにアップすると思って頂いたら、**さん、YouTubeって分かるでしょう」 「アイフォンがあればそれだけでも出来るのですがね」 私、 「YouTubeってのは分かるが、ライブ配信ちゅうのやらアイフォンやら、私にはよく分からんのだ」 マニアックな若い兄さんと二人でustream
配信の準備に小一時間かかった。 今回、姉御は何を思ったのか、講演会をustream 配信したいと若いのに云って来たそうだ。 私にはプロジェクターとハイビジョンのビデオカメラを調達せよとの指示が出た。 ustream
配信は私にではなく若い奴に頼んだ、悔しいがそれは正解だ。 会場にはネット環境がないもので、わざわざ東京からWi-fiをレンタルした。 準備万端済んだ、講演者も会場入りした。 すると若いのが焦って飛んできた。 「**さん、姉御は講演者にustream
配信 の了解取ってないらしいですよ」 「そりゃ〜まずい、姉御に了解取るように云え」 結局、講演者からは了解が取れなかった。 全ての準備はパァーだったのだ・・・・、 「配信するかしないかで、講演者は話す内容は当然変わるはず、ドタバタで急に頼んだって駄目だろうが」 「何故、事前に話をして配信の是非を聞かなかったのか?」 「この落とし前はどう付けてくれる!」 当然だが、私と若いの、収まりがつかないので厳しく姉御を締め上げた。
講演会余話そのU
しかし・・・、 終了間際の質問時間、質問者にマイクを持っていった折に気付いた。 前の方の男性、アイフォンらしきものに喋り、その後会場を撮影している。 あれって無断でライブ配信していたのでは? ヤバァァ・・・・。 時代はとっくに先に進んでいるようだ。
■2012.05.13 morning
管理人
まあ、何時もの事だが。 どうしてもやると云うので。 「本当に今回は・・・・・」 やはり何時ものように、直前になると暗い顔して職場に訪ねてくる。 「何時ものサロンに毛が生えた程度かもしれない」 「10数人だったらどうしよう・・・」 如何しようたって、
講演者にちょっとした”事情”があって、頼みに行った労組や平和団体からは想定範囲内だが、協力について難色を示された。 反原発の集会でビラを配ったら、女性に真顔で食って掛られた。 「貴女らは、マスコミの云う事信用して、この集会に来てるの?」 「原発でマスコミがどう言ったのか考えて!」 負けずに言い返してやったが。
それでも姉御がやると云うから、負け戦覚悟で協力した。 かつての辛い経験を考えれば、少々の負け戦なんぞ、どうってことはない。
  結果は、 何時もの半分ぐらいの動員だったが、何とか格好はついた。 講演者もそれなりに満足してくれた。 講演はと云うと・・・・・、 講演者に言わせると3.3事件だと云うらしいが、前半の”国策裁判”の下りは面白かった。
■2012.05.11 night
管理人 おかしい、私の記憶ではそんなものは無かった。 4月25日の東京、 お茶の水駅を降りて、駿河台下まで歩いた。
そこで再度マップを確認したら、聖橋口で降りなければいけない事に気が付いた。 会議場へ着くまで駿河台をぐるりと半周、くたびれ果てた。 当時、ここにこんな建物があればきっと逃げ込むか、ここに居候を決め込んだろうと思う。
闘争前半は、圧倒的労働者大衆の支持を得ていた(確信が有る) お茶の水駅前のカンパは直ぐに袋が一杯になった(記憶が有る) 日大バリケードが学生の異議申し立ての砦だったとすると、ここは労働者の砦だったはずだ。
母校が直ぐ目の前だと話すと、 「そうか、おまえさんは日大の学生だったのか」 「俺はな当時電電公社の労組員、旗持って走り回っていた、お前さん達学生には決して負けていなかったぞ」
前職だか前々職だか、それよりまだ前だか定かでないが、連合東京のE元会長は私の肩を揺さぶった。 会議を済ませ会館一階ロビーの食堂で皆で一杯ひっかけていたら、成り行き上そういう話になった。 「ここなは、全国へ飛び回るオルグの拠点」
「24時間、365日、一度も灯が消えない不夜城だったんだわい」 元連合東京会長のEさん、ベランメエ調で口から泡をふき飛ばしながら喋る。 労働運動についぞ縁の無かった私にはそんな事は知る由もない話。 お互い棺桶に片足突っ込んだ者同士、今頃、肩組んで酒飲んでも遅いのだが、
私等が圧倒的に支持された時代も、 ボロボロに負け、ボロボロに謗られた時代も、 結局、(私は)労働者と肩組む事は一度も無かった。 調べたら、
総評会館がこの地に移ってきたのは1980年代だから、 知らないはずだ。
■2012.05.10 night
管理人 4月の終わり、 昼時は、行列のできる老舗だそうだ。 並ぶことなく11時の開店と同時に入った。 5分もしないうちに店内は満席。
外を見るともう行列が出来ていた。 御当地名物、あなご飯にありついた。 5月2日、 午前中、顧問の先生と打ち合わせ、 東西線から浅草線へ、羽田に向かう途中に昼飯をという事に相なった。 先生に連れられビアホールへ。
  三人で生ビール。 枝豆、パスタにピザ、それにもう2〜3品。 「先生、ここは私が・・・・・」 カッコつけて伝票を持ってレジへ。 10800円・・・・・、 カッコつけた手前、何気ない顔で支払いを。 田舎者、ここは銀座だと痛感させられた。
■2012.05.09 night
管理人
ショートケーキは苺でなければ。 遅くまで仕事をしていたら、どうぞと事務員さんが差し入れてくれた。 苺のショートケーキ、もう直ぐ64歳なのだが歳に関係なく嬉しい。
 4月、西へ東へと出張で飛び回っていたら、やるべき仕事が山のように溜まってしまった。 定期総会が間近に迫り、 ブロック9県のお世話は次から次に、 公益法人制度改革に伴い私の職場も公益社団法人から一般社団法人へ移行する、その最大山場、移行申請事務作業が刻々と迫る、 それに加え、抱える会員団体の法人移行作業の助っ人役まで加わり、先週、先々週と続けて東京へ。
「事務局長が来るまでは、こんなに忙しい職場ではなかったのですがね」、事務員さんは同情してそう云ってくれる。 「貴方はね、運が良かったのよ!」、方や妻はそう云う。 運が悪いか良いかは別として、 このドツボの間合いにジャストピントで、奇しくも、私は今の職場にご縁が有った訳だ
   そう云う訳で、生活は掛っていないのだがしゃにむに働いている。 この連休も皆勤。 殆ど云うか、全くと云ってもよいほど余裕が無い。 一体全体、これはどういう事だ・・・・
■2012.05.01 morning
管理人
とりあえず、月の更新。
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