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■2012.12.27  morning  管理人

悔しいが、その通りだ(汗。

札幌から悪友が一時帰郷している。
一杯やろうと喫茶店で待ち合わせた。
テーブルに着くと、ニヤニヤ笑いながら新聞の切り抜きを私の前にポンと置いた。
「読んでみろ!、まさにお前さんの事だ」

ノーテンキなキャラも含めて、
私はここに書かれているような、極めて世代の平均的なキャラのようだ。
再度言う、
悔しいが、まさにこの新聞記事通りだ。




■2012.12.19  morningU  管理人

さて置いた雑感・・・・、

時代が大きくうねる度に、
そのうねりと時代について、それを紐解く論や史観が溢れるが、
特に、新から旧を問わず左翼と言われる陣営のそれは、
その陣営の中で納得し完了する能書きの範囲で、
そんなもの今までタダの一度として役立たず、
私にとってはクソ食らえだ。

その昔、「そういうお前はどうなんだ」と某大学の学館で怖い赤ヘルのお兄さんに詰められまわった。
単ゲバでは負けてる気はしなかったが、階級史観に及ぶ滑舌な口先に負けこいたトラウマが心深く残っている。
だがその後を見れば、滑舌な口先から出た事がどうなったか、それは誰もが分かる事だ。
だから私には、個人的経験も含め上手に話し論説くものに生理的な抵抗がある。

今でも「そういうテメエは何なのだ」とい言われれば、正直、あの時と同じように答えに窮するが、
自分の立ち位置も含めて
最近、冨に増幅するソレへの”違和感”はそんなところにもある。
そんなシニカルな事を思う昨日今日なのだ。





■2012.12.19  morning  管理人

まあ・・・・、選挙の結果はさて置いて。

昨日、帰路のJRで電話が掛って来た。
「おい、1月**日は空いてるか?」
スケジュール帳を取り出しチェック、
「大丈夫、出張さえなければ私は何時だって空いてるよ」
「何なの?」

電話の相手は、この夏に東北秘湯ツアーに一緒に行った地元国立大全共闘の仲間。
「俺達、年に一度皆で集まっていてな」
「今回は他大学も呼ぼうと云う事になった」
「一緒に酒を飲まないか、カミさんも連れて来ないかと思ってな」
「お前さんが知らない奴が殆んどだけどな」

「そうか、有難う、嬉しいよ!」
「知らなくたって大丈夫、あの時代の仲間なら誰だって仲良くできるから」
思えば、40数年前に帰郷して以来、地元の連中の寄合に出るのは初めてだし、
地元国立大全共闘は創設二人組の親分格しか知らないので、
私と同じ一兵卒クラスの面々と付き合いが出来るのが嬉しい。

ここにも何度か書いたが、地元の大学は日大が敗退戦に入った'69年以降から闘争が始まっている。
時折、帰郷した際に日大の乗りでやりたい放題させて頂いた記憶がある。
地元の連中にしたら、感謝二割、迷惑八割位だったと思う。
40年以上経過したが、あの時のお詫びをせねばと思っている。

それはそうと、
私(等)は、単ゲバだけは何処にも負けなかったとの絶対的自信が有る訳だが、
理論とかインテリジェンスの面で言われると、負勢は隠せないし、相手はさもありなん国立大出の面々なのだ。
しかし、私等は現在持って「本」を出している訳で、
「忘れざる日々」を持ちこみ各位に進呈しようかと思っている、
この強力なブツがあれば、私一人でもインテリ(だろう)相手と立ち会える。
そして、目一杯エラを張らせて頂こうと思っている、
そういう点では対抗意識丸出しなのだ(笑。

楽しみだ。





■2012.12.11  morning  管理人

同窓生との文通(メル通)が通づいている。
同窓生がメル通番号007番までいった、私が現在005番なので負けている(笑。
60と4歳のオヤジ同士がメル通して何が楽しいかと謗る御仁もいるだろうが、
それは、同じ釜の飯を食った者同士というか、謗る御仁には分からぬものが有るからだ。

006番と007番にはまだ返信が出来ていない。
それというのも、メル通005番の「1968年春の合ハイ」事件が私としてはすっきりしていないからだ。
合ハイに行ったのは後にも先にも一回きりの記憶しか無いので、同窓生のいう陣馬高原から相模湖コースだろうけで、
ハイキングにVANジャケットはいかにもチグハグだ。

思い悩んでいると、006番で同窓生が写真を送ってきた。
これには私は参加していないが、同窓生同士でキャンプに行った際のスナップらしい。
7名の内、今般の同窓生も含めて4名が識別できる・・・・・・・・が、
女子3名の中でマスキングを施してない写真中央の女子を見てオヤ!っと思った。
この女子、見覚えがあるどころではない。

2008年8月に、少しの”善意”と大なる”遊びゴコロ”で札幌の悪友とその元・彼女(同窓生)の再会をセッティングした、2008年8月8日の日記にその顛末を綴っている。
そして2010年11月、品川でその悪友と元彼女、私の三人で真夜中まで飲んで騒いだ、結果、その女子に私が予約していたホテルの部屋を横取りされた、2010年11月22日の日記に綴っている。
写真に写る女性はまさしくその彼女なのだ。
驚いた以上に、同窓生が書いていた写真の説明で更に頭がこんがらがってきた。

私(等)の青春は、一般的に云えば常軌を逸したものがあった。
はいそうでしたと、上手に整理し棚に仕舞込むことが出来ず、それがために未だに引きずりこだわっている。
そういう独りよがりの思い込みがあるのだが、
この女子の青春も、悪友との顛末、今般の同窓生の話など総合すると、実に複雑で入り込んでいる。

そういう意味では、
それぞれが置かれた状況に違いはあれど、
人間一人一人の青春のホロ苦さや、ややこしさに、
そうそう差はないのだと思うに至った。

純情な私には理解不能だが、
意味深で歯切れが悪いが、
そういう事だ、悪友!




■2012.12.10  morning  管理人

私のHP、「67年入学桜上水」のページ。
記憶違いで虚偽な内容ではないかという疑念が生じている。

そのページに貼った写真は「1967年奥多摩湖」とキャプションを入れている。
しかし、この「1967年、奥多摩湖」、時間と場所が40年振りに連絡を取り合っている同窓生の認識と異なるのだ。
同窓生曰く、
「お前さんとは一度、陣馬高原から相模湖へのハイキングに行ったよな」
同窓生の云う通りで、東京に居る間に一度だけ合ハイに行った記憶が残っている。
合ハイは在京の同窓生5〜6人と、同窓生の一人の妹とその友達。
同窓生の妹さんはその年に東京家政大へ入学しており、そのクラスメート4〜5名。
要するに、後にも先にもこれ一回きりだった女子大生との合ハイだった。

同窓生は続ける、
「俺が上智に入学して直ぐ」
「女子大生の一人と一緒に相模湖でボートに乗った」
「その時金がなくてな、同窓生の一人に2000円借りたままになっている」
「40年の複利で返すと幾らになるか」

上にも書いたように合ハイに行ったのは一度きり、
上智の同窓生は一浪入学だし、
同窓生の妹は当然年下だから、その子が女子大生という事は少なくとも1968年以降と云う事、
合ハイは1967年でない事は明らか。
写真は湖畔だし、身づくろいもジャケット一枚だけだから春か秋。
その年の秋には、伸びた長髪、上はジャンパーのゲバファッションに変わっていた、だから1968年の秋ではない。
だとすると、写真の日付は1968年の4月〜6月の間だと思われる。
しかし写るジャケット姿は、陣馬高原から相模湖までハイキングしてくるようなスタイルでないところが一点引っかかる。

年末、山奥の温泉に行く事にしているが四駆でないスノードライブは何十年振り

まあ、同窓生と、他人様にはどうでもいいそんなこんな記憶の摺り合わせをしているが、
私にとってこのHPは人生の”備忘録”だから、極私的にこだわるのだ。
この合ハイで一緒した同窓生の妹さんは可愛かった記憶が残っている。
私の性格上、この記憶だけはいい加減なものではない(笑。
帰郷して15〜6年程経ったある日、ヨットハーバーのあるマリンレジャー施設のロビーでその妹さんを見かけた。

小さなお子さんを連れていた。
家政大で良妻賢母を身につけ、都会に残らず故郷に帰り家庭を持ったのだろう。
同窓生の記憶通りだと、1968年の春、相模湖となるが、その時の可愛いイメージそのままのお母さんだった。
今だったら躊躇なく声を掛けただろうが、
その頃は、まだ全共闘の縛りが残り、結局声を掛けることが出来なかった。

ところで、同窓生がカミングアウトした44年前の2,000円の借金、
エクセルで単純計算すると、年利5%の複利で17,114円になる。

PS.
因みに、
かつてと云っても二年前だが、ヤミ金のグレイゾーン金利だと、
44年目で元利合計で1億429万6242円になる。
これは現在違法だが、かつて2010年まではこれを取り締まる法律(罰則規定)が無かった。
更に因みに、
ジミントーはこの規制(法律)を再度緩和せよと主張している。
ウンチク終わり。




■2012.12.06  nightU 管理人

 (上のミュージックプレヤーをSTOPしてスタート)

 
 久米小百合  久保田早紀  注意!、左右で音量が違います

牧師様、お元気ですか、
これ、バプテスト教会ですよ。

是非、久米さん を牧師様の教会に呼んで下さい。
掃除でも、下足番でも、寄付集めでも、何でもしますから・・・、
それに、その日だけはバプテストの信者になりますから。








■2012.12.06  night  管理人

(上のミュージックプレヤーをSTOPしてスタート)

 久米小百合(久保田早紀)  百万本のバラ







■2012.12.05  morning  管理人

11月27日の日記で、あれから10日程経つが返事か来ないと綴った同窓生。
11月29日にやっと返信が届いた。
それから文通(メル通)が始まった。
返信を繰り返すこと今まで4回ほど。

普通、久しく会わなかった知人には「今までどうしていた?、そして今はどうしている?」と尋ねる。
しかし、40年ほど付き合いが絶えていたこの同窓生とのやり取り、それに一切触れていない。
交わす内容は”あの頃”の事。
ワタシ的に言えば1968年を軸としてその前後の事。

お互いの話を付き合わせていると、結構、記憶違いが有る事に気づく。
そもそも記憶自体が間違っている事もある。
あの時代のやり取りは尽きないが、
「今までどうしていた?、そして今はどうしている?」
これに触れないやり取り。

言い換えればお互いの人生の履歴を嗅ぎ合い、
そしてその結果(今)に納得するか、はたまた安堵するか、それとも悲嘆するか、
その儀式を経ない今回のやり取りは、かなりの緊張感を伴う。



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