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■2013.02.25 morning  管理人

先日、私の仕事の話を書いたがもう一つ。
政府与党は直近の国会に生活保護の生活扶助費を削減する法案を提出することを決めている。
ナシュナルミニマム(国民の最低限の生活)を保障する生活保護費の削減は、受給者のみならず母子家庭の就学援助や最低賃金など生活保護制度を一定の基準として決められる諸制度の多方面に影響を及ぼすといわれている。

私の職場は、貧困問題に関わる諸団体に呼び掛け、この改悪に抗議する取組を始めた。
団体だけでなく個人にも取組の賛同者を募っているが、法制化までに時間がないもので、私の個人的なネットワークにも初めて呼び掛けを広げてみた。
コアな反戦平和のグループから議員、政党、生協、人権擁護団体まで思いつくところに無差別に連絡を入れた。
勿論、教会の過激な牧師様も。
私のネットワークなもので当然だが、唯一、一つの例外を除いて快く賛同して頂いた。

呼び掛けた団体・個人のなかで、昨年、湯浅誠さんを紹介したNPO団体がある。
誰もが承知の事だが、湯浅さんは貧困問題に取り組む人、生活保護はナシュナルミニマムのセーフティネットとの強い持論を持っている。
その湯浅さんに、当地で貧困問題に地道に取り組むNPOを紹介した。
紹介したと云っても私が湯浅誠さんに特段のコネクションを持っている訳ではない、私の勤める業界が太いコネクションを持っているだけ。
NPOの代表者はその著名な方の紹介を非常に喜んでくれた。

そのNPO代表者に、出張先の特急列車から、改悪に抗議する取組の賛同をお願いする電話を入れた。
お願いすると開口一番、
「私たちのNPOは生活保護切り下げには賛成しています」
「ウッ・・・・・・?」
若干、目が点になったが、途切れ途切れになりそうな携帯電話で続けて話を聞いた。

雪の無い雪国のカニなのだ

「私共(NPO)には色んな生活困窮者が助けを求めてやってきます」
「当然、その方達の生活保護申請事務も援助し、受給できるようにサポートもしています」
「でもね・・・・・・・・」
「そうやってサポートした方達のなかで、受給した保護費をギャンブルに注ぎ込んでしまう人がいます」
「結局、生活できなくなって、又々私たちの所に来るのです」
「一方で、受給できる要件を満たしているのに、受給せずに生活保護費以下の生活で頑張っている方もいます」
「私たちはそういう厳しい、現実の状況と面して活動しているのです」
「(保護費を)削減した分を、本当に困っている人に再配分してほしいのです」
その後も、延々と持論を聞かされた。

結局、敢えて反論はしなかった。
このNPO団体が献身的に困窮者と対している事を私は十分承知している。
そして、その実際の事例のジレンマでそういう結論に至っているのであり、その事例は当事者にとって全てに等しいのだろう。
ネトウヨの輩に向けるような反論・反撃は出来なかった。

私としては、
生活保護制度全般は多くの困窮者を支えるナショナルミニマム、
極一部の事例をもって制度全般を規定するのは暴論なのでは言いたかったし、
また、寛容で広い心を持って下さいとも言いたかったが言えなかった。
それと、実際現場で頑張っている方が、そういう発想(考え方)に行き着いている事自体がショックだった。



■2013.02.24 morning  管理人

「**君に写真送るから、ちょっとそこに並んで」
さあ、シャッターと云う所に、他のクラスが一名飛び込んできた。

昨夜はミニ同窓会。
関東の某私大で学長兼理事長を務める同窓生が帰省してくると云う事で集まった。
総勢15名、何時ものメンバーより4〜5名多い。
このミニ同窓会に合わせて他県からも2名参加、それに新顔も2名。
定刻10分前に会場に着いたが、もう大盛り上がり。
周りを見回すと昨年の12月11日に貼った写真に写る顔が2名。
そうだ**君に写真を送ってやろうとパチリと一枚。

 スキンヘッド率40%

この学長先生の帰省に合わせてミニ同窓会を開く事しばし。
同窓生が大出世をしたからといって、皆が義理で集まっている訳ではない。
何かに事付けての丁度いい”何か”に、この御仁を出汁に使っている訳。
遠方より友来たると云う訳だ。

思うに、
集まるメンバーの顔触れは何時もほぼ同じ、皆元気で陽気。
この歳になって同窓会に集まれる条件で、欠かせない条件が二つあると私は思う。
まず第一には、健康である事。
そして第二は、経済的に余裕が有る事、
それにしいて付け加えれば、家庭が、家族が円満である事、この条件は女子の場合はかなり重要になる。

私の場合、
条件第一、メタボを除けば体は申し分ないが気分にムラがあり精神的に不安定、
条件第二、かなり引っかかるが・・・・、
まあ・・・・・家庭を含め、取り敢えず大雑把には上記条件をクリアーしていると思っている。

今後、条件第二、第三は致し方ないとしても、条件第一への抵触は誰もが等しく飛躍的に増えてくるはず。
この懸念もあってか、そろそろ全国根こそぎ動員の学年同窓会を開かないければ人生の幕引きに間に合わない者も出てくるはずで、個人的にはその要望が私にも多々寄せられたいるが、如何せん、率先して幹事に手を挙げる奴が今のところいない。
ゲバルト仲間のそれなら絶対の自信があるのだが、母校の学年同窓会となると私の履歴にはかなり問題が有る。
さて万人に通用する誰を担ぎ出すかだ。

「おい、もう充分働いただろう、もうそろそろリタイヤして、此方に戻ってこいよ」
宴の終わり、主賓の学長先生にそっと耳打ちした。
勿論、その魂胆があっての事だが。





■2013.02.23  morning  管理人

雪のない雪国の出張から帰ってホット一息と書いたが、
かねてから懸案だった新法人への移行作業の最終章に突然に突入してしまった。

まあ、仕事の話だから人さまには何の興味も無いだろうが。
公益法人制度改革で、我が職場は以前の公益社団法人から移行期間中の現在は”特例民法法人”扱いとなっている。
今年11月までにその特例扱いから公益社団法人か一般社団法人に移行しなければならない。
それまでに移行できなければ法人はお取り潰し、解散となる。

我が職場の前身は公益法人なので同じく公益法人に移行したいのはやまやまなのだが、その為には今後事業の半分以上を公益のために執行しなければならない。
取って返して我が法人はメンバーシップの会員制、公益事業も執行しているがメインは会員の福祉向上を図る法人。
だから、公益法人ではない一般社団法人への移行作業を進めてきた。

ところで、この制度改革では移行作業を断念した法人が多く出てきている、
某県の市民交響楽団とか戦後間もなく出来た引揚げ者の団体とか、移行期限リミットのこの秋に解散を予定している法人は、法人継続を断念した法人。
この制度改革の要は、現在持っている”純資産”は全て、今後、公益事業で使い果たしなさいという一点に尽きる。
その為、資産状況や今後の公益事業計画が厳しくチェックされる、これにどの法人も難渋している訳だ。
我が職場も難渋しながら何とか移行作業を進め、昨年12月、公益認定委員会の事前審査をパスし、すわ移行完了かと喜んだ直後に県から「待った!」が掛った。

審査に出した財務会計で、会館補修を目的として使途を限定した修繕積立金を計上していた。
勿論、継続的に出費が予定されているもので”費用”科目での計上。
移行を審査する公益認定委員会座長の公認会計士は「問題なし」との判断を下してくれた、この事前審査をパスすると移行申請は認められたも同然。
ところがその直後、県の法務担当から「待った!」が掛った訳だ。

国(内閣府)から「引当金は退職給与引当金以外は原則認めるな」との通達が届いているとのこと。
要は修繕の為の積立金(引当金)も”資産”になるとの県法務担当の見解。
いろんな”隠し資産”を引当金として偽装申請してくる事例が多々あった為だろうと思われる。
最上級官庁からの通達で、我が法人の申請作業が12月に完全にストップしてしまった。
その後、一緒に申請作業を進めていた県の主管課が、あらためての問い合わせを内閣府に出してくれていた。

白洲の御裁きを待つ事2ケ月。
出張から帰るとやっとそのお達しが届いていた。
Faxには「上」とは書かれていなかったが(笑)、「積立金を引当金として科目変更したうえで認める」との内容が。
こちらとしては当たり前で当然なのだが、この手の引当金が認められるのは全国でも初めてで希有な事例ではないかとの担当者の弁。

決め手になったのは、この職場で私が初めて作った向こう15年間の修繕計画書と修繕予算案、現在までの修繕実績書、それに会館を区分所有している団体との修繕積立金に関する契約書。
役所は何事も根拠となるペーパーが無ければ始まらない、今回は積立金の根拠となるペーパーがキチンと揃っていた事が幸いだった。
そう云う意味では、私はこの職場にお世話になって2年が過ぎるが、今まで頂いた報酬の何十倍以上の億近い財を外に流失させずお役に立てた事になる。
それだけ我が法人は真面目で正直な会計を行ってきているという事だ(自画自賛)。
ヤレヤレなのだ。

今後は4月1日の新法人登記を目指し、
現法人の解散結了の総会と登記抹消、新法人の設立総会と法人登記等々。
そして、その間に理事会を数回。
私の一番苦手とする法務局相手の書類の仕事も山積している。
あらためて元気を出さなければいけないのだが、
トホホなのだ。






■2013.02.22  night  管理人

・・・・・でもって、無い。
何処にも無かった。

列車が山並みの中に入りだすと、そこ此処の山肌が薄らと白くなっている。
少しずつ雪国に向かっている実感が出始める。
しかしそこまでだった。
その山並みを抜けると、景色は灰色。
何処を探しても無い。

タクシーの運転手さんに聞いてみた。
「そうだね、スキー場は問題なく有るけど」
「ここ数年、街中には無いですね」
「以前は随分積もったけど」

だそうだ。
だから期待していた雪景色の写真は無い。
灰色の街は撮る気がしなかった。
帰り、カメラをいじっていてついシャッターした特急列車内の一枚のみ。
写真を撮らなかった出張も初めてだ。

取り敢えず、連続闘争は無難に終了。



■2013.02.20  night  管理人

相変わらずカメラのお遊び。




明日から出張、
今回は雪国。
折角の雪国なのだが事務局調達(私だが)の泊まりは味気ないビジネスホテル、せめて外湯の温泉と蟹にありつこうと画策している、勿論、自腹でだ。
年度総会を済ませ、明後日、帰るとそのまま夕刻から理事会。
だから懐は寒くなり、かつ、かなり疲れるのだ。
色んな意味で、厳寒如月最後の連続闘争なのだ。


 my favorite songs Ima Que sera sera




■2013.02.18  night  管理人

「**さん、喋り方、あん時の、桃井の時とおんなじだよ」
「**さん、ちっとも変っていないよ」
「**さん、昔のまんまだよ」
電話でそういわれ、少し胸が熱くなった。

昨夜、眠りについてウトウト仕掛けた矢先だった。
携帯電話が耳元で鳴った。
と云っても午後九時半過ぎなのだが。
着信表示を見ると、桃井コンミューンの義兄弟の「会長」さんだ。

眠気まなこをこすりこすり携帯電話をとった。
「どうしたの?」
続けて「こんな夜更けに」と云いたかったが、世間はまだ宵の口だから、如何にも起きていたというトーンで話した。
「実はな、石川くんの具合が悪くてな、今一緒にいるんだ」
石川君と云うのは、桃井コンミューンに何故か居候をしていた浪人生
私等と同じ様に歳をとり、現在62歳になっている。

会長さんに彼の病気の状況を詳しく聞かせて貰った。
それから石川君に電話を代わってもらった。
病気のせいだろう、泣きそうな声の冒頭のセリフだった。
懐かしい私の声を聞いて、彼は1971年の桃井コンミューンにタイムスリップしたのだろう。
私の喋り方があん時と同じだと言われ、私も少し切なくなった。

「そうか、今度上京した時連絡するから会おうな」
「病気、めげないでな」
電話を終わって、フトンを被り目を閉じたら、
泥酔し、ゲロ吐いた石川君を何時も介抱してやった桃井のアポートの景色が浮かんできた。
宮澤君や義一ちゃんの顔も浮かんできた。




■2013.02.18  morning  管理人

サロンを無精してもう半年ほどになる。
去年の夏から仲良しの牧師様は所用で当地を離れておりご不在だった。
私も丁度その頃から仕事が繁忙を極め出した。
そんなこんながあり半年が過ぎていた。

先日、牧師様からメールが届いた。
所用を終え、当地に戻り教会に復帰したとの報。
お昼を一緒しようと云う事になり、牧師様が私の職場に訪ねてこられた。
近くの食堂でこの間のよもやま話に花が咲いた。

「ところで、サロンは出ていますか?」
牧師様に問われた。
「「いや〜、色々有って足が遠のいています」
「私は久し振りに今夜行ってみようかと思っています、メンバーも変わっているでしょうね」
私もこの半年ほどの間のメンバーの出入りは承知してない。
牧師様、一人では気まずそうな素振りだったので、私もサロンに付き合う事にした。

半年振り、
「アンタ、どうしてたの?」ちゅう無言のガン(視線)を飛ばしてきた姉御、
話はせずいつも黙々と本を読んでいる若者、
牧師様とは別のもう一人の過激な牧師様、
しばらくして見知らぬ若者が1名、
そして大学の憲法の先生、
遅れて長老、
それに牧師様と私の計8名。

結局、初めての方は1名のみ。
大学の先生が言うに、今日は久々に盛況だったらしい。



■2013.02.15  morning  管理人

カメラってのは綺麗に撮るのが基本だろうが、
設定をマニュアルに替えて、シャッタースピードをどんどん落としてみた。
当然ブレるは、ピントは外れるはで、どんでもない写真になる。
これが面白い。

写真は時間を切り取る道具だと聞いたことがある。
流れる時間の何百分の一秒を切り取り記録する。
これを二分の一秒とか一秒まで延ばすと、何百倍の光の情報を留め置くことができる。
瞬時をデジタルで切り取る行為への反抗といえば恰好がよいが、
まるで、タガが外れた私の脳みその様だ。


■2013.02.14  morning  管理人

時折、スケジュールが訳が分からなくなる。
前職の頃、手帳にメモる出張は年数回。
それが再就職の今の職場では、多い時は月に数回に及ぶ。
このボケた頭では、僅か月数回の出張でも予約した便がこんがらがって訳が分からなくなる。

首都圏へ、今月二回目の日帰り出張。
さすがに疲れた。


■2013.02.13  night  管理人





 my favorite songs Janet Seidel Windmills of your mind





■2013.02.12  night  管理人





 my favorite songs Ima Cucurrucucu paloma





■2013.02.11  night  管理人





 my favorite songs  Petula Clark PetiteFleur




■2013.02.10  night  管理人









■2013.02.09  night  管理人





 my favorite songs  Ima Petite fleur



■2013.02.03  morning  管理人

最終便に乗るため京急電車に乗った。
座席に空きが無く、ドア前で
車窓から流れる景色を眺めていた。
ふと隣を見ると見覚えの顔。
全水道(労組)の地本の委員長。

「私、(労組で)最後の解放派です」
何かの会議で知り合い懇意になった。
その時の事だが、話をしていると隔月誌「情況」誌を定期購読していると聞いた。
なら、その筋だろうと安心して話を進めたら、「最後の解放派」とのカミングアウトになった訳だ。

「以前話した私の後輩にこの前会いましたよ」
「そうですか、会ったんですね」
実は、面倒に巻き込まれかねないから(会うのは)止めといたほうがいいと忠告受けたのはこの御仁だった。
「彼(後輩)、困ってましたよ」

「困ってた?」
「職場を追われ家族と離散、長くセクトの監視下に置かれていたそうで、それは知ってますよね」
監視と云うのは世間一般でいえば保護観察処分のようなものらしい。
「ところが、ある時期から監視が無くなった云うのです」
「後輩は時折ネットなどで調べているらしいですが、彼を監視していた組織の実態が掴めずどうも雲散霧消しているのではと」
「俺はどうしたらよいのかと困ってました」

 昔、この(学士会館)前まで逃げてきた

パッケージチケットだと割安で日帰りはかえって割高なのだが、味けないホテル泊まりは気が滅入てしょうがない。
会議は如水会館、午後5時ジャストで終わった。
この時間帯なら規程で宿泊可能だが、最終便にも楽々間に合う。
神保町駅から三田線に飛び乗った。
途中で乗り換えた電車、委員長も同じ羽田空港行きだった、出発間際まで話しこんだ。

あの時代を簡単に終わらせ整理した大部分の者には分からぬだろうが、
それと、私等とはチト違うとは思うが、
後輩、終わらぬ”付け”をどう払えばいいのだろう。

 my favorite songs Jody Miller - Be My Baby






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