■2013.04.30 morning
管理人
かなり困った情況。 休みの間は仕事を忘れ、リラックスする方が良いのに決まっている。 私は前職のときからそうするようにしている。 当然、今もそうしている。休みが終わり、出勤する朝。 さあ、これから一週間頑張るぞと気を張らす。 以前はこの時点で、あれもこれもと課題の一覧表が頭に出てきた。 今は、さあ・・・と奮い立っても頭の中は真白。 要は休日の間に、頭の中から仕事の情報が完全に抜け落ちている。 休日明け、再起動してもメモリーは真っ白。 出勤しデスクに座り、徐々に徐々に一つ二つと思い出しにかかる。 仕事以外の事はそれなりに早くデータ復旧するのだが、業務データの復旧まで半日ほど。 それでも抜け落ちている事多々、完全復旧には一週間ほどを要する。 そして週末、再度クリアーされる。 ならば手帳にメモしておけばよいのではと忠告されると思うが、私はそんなにマメではない。 これは単なる物忘れとは次元が違うと思う。 健全な進化で、 老人力がパワーアップしたのだと思う。 そう思う事にした。
■2013.04.29 morning
管理人
「う〜ん、こん位の株だと2〜3千円はするな・・・・」 引き抜こうとしようとした際、一瞬、園芸店の金額が浮かび躊躇した。込み混んできたクリスマスローズの花壇の間引きをした。 引っこ抜くといってもクリスマスローズは根が深く張る植生、余程柔らかい土壌でないと移植は難しい。 移植ゴテを根元に差し込み、根を切ってエイヤで引き抜く。 風通しを良くするため、根元に溜まった枯葉も取り除く。 梅雨、そしてこの花が最も弱い暑さに向けて風通しの良い環境づくり、これに殆ど一日を費やした。
 貰った時5cm程の山椒の苗が3年で1m程に成長 連休二日目は5時前に起床。 日の出と共に殺虫農薬の散布。 散布は2〜3日晴天が続きそうな風の弱い日が最適、陽が登り気温が上がって来ると風が入って来るから早朝。 長袖、帽子、首にタオル、厚めのマスクのいでたち。 2リットルタンクで3回、一時間程の作業。
 塀沿いの木に鬘(かつら)が巻きついていた。 取り除いたら数メートル。 輪に編んでみたら妻が飾りに。
■2013.04.25 morning
管理人
今日は昼の便で首都圏へ。 明日も昼過ぎの便で帰って来る。 職場に慣れるに従って、だんだんと出張が”緩く”なっている。 まあ、これも”慣れ”だから。明日は年に二回の”粗大ゴミ”の日だが、丁度首都圏。 早朝から納戸や裏庭を這いずりまわり、廃棄物を集め庭に積み上げた。 建て替え前から納戸にしまってあった電動カンナ、電動ノコギリ、電動ドリルなど。 それにスキーのキャリア、花壇の木製棚などなど、 未練の残るもの有るが、10年使っていなければ不要だと割り切った。 少々の力仕事になるが、明朝、妻に出してもらう。
押し入れには、亡き母が息子や娘、孫達の来訪の為に用意した木綿の布団が7客分ある。 それが一間幅の押し入れを占拠している。 建て替えの際に捨てようかと思ったが躊躇した、 それから10年、2客分残して後は捨てようか迷ったが、既製品でなく母の手作り布団、やっぱり躊躇。 この重要な案件に関しては、後年、息子達が判断を下すだろう。 もう直ぐ10時、 鉢植えに水やりしたら、ボチボチ空港へ。 空港までのBGMは”ビーチボーイズ”だな。
■2013.04.24 morning
管理人
出張とミニ同窓会明けの月曜日、火曜日に決算理事会を控えて議案と資料づくりに終始。 夕方、ミニ同窓会で5年振りに会った同窓生から「一杯やらないか」とのお誘い。 二日続けで一杯やる根性は有ったが、如何せん理事会を明日に控えている。 「仕事を切り上げたら遅れても行くから」そう返答したが、結局、終いが遅くなり飲み屋に出向けなくて残念。4月1日付で新法人に移行した、 法人登記と決算処理とが同時並行、それに議案審議と議案書の作成、総会準備と結構忙しい。 しかし、忙しいと云っても前職の時ほど切迫感がないし、ストレスもない。 再就職の気楽さと、何より、生活懸けていないと云う気楽さだろうと思う。 そうかといって、やる事は結構神経使う細かな事の連続。 このアンバランスな状態も悪くはないが、もう一年位、そこいらで区切りをつけようと思っている。 私の職場は某業界の協議会で社団法人。 協議会事務局という性格上、日頃接するのは業界のトップの方々。 正直、最初はかなりビビッたが、それも時間と共に慣れてきた。 昨年からはエリアブロックの事務局県も仰せつかった。 当然、エリア内各県のお偉方と接するようになったが、それも時間と共に慣れてきた。 今度はエリア代表で中央の協議会に頻繁に顔を出すようになった。 当然、中央のお偉方とも接するようになった。 それぞれのお偉方は何れもオールジャパンのトップの方々。 これも最初はビビッたが、これもセオリー通りに時間と共に慣れてきた。 つまり、もう誰にもビビらなくなった。 慣れというのは恐ろしいものだと思う。
先日訪れた日本最古の庶民の学校「閑谷学校」 私の勤める業界は、全国持ち回りで年に何回か会を行う。 その一回を、ブロック事務局県の当県で受ける事になった。 「この不景気な折、全国規模の会なら(経済効果があるから)、呼べるものは何でも呼べ」 トップの一言で開催県を(渋々)引き受けるになった。 私の本音はメッチャ忙しくなるから嫌なのだが。 中央の事務局たら電話が入った。 「会長、スケジュールをやりくりして、なんとか会に参加できそうな見込み」 「会長が行ったら、後はそちらで(会長を)好きに使ってもらっていい」 「好きに(会長を)使っていい?」 一瞬絶句した・・・・・・。 ここで一般的には勘違いする事態が起こる。 勘違いする事態とは、 そういう環境ややり取りの中にいると、己の立場を見失いそうになる事。 見失うという事は、自分が偉くなったと勘違いしてしまう事。 正直私も、一瞬、そう錯覚しそうになった。 くわばらくわばらだ。
■2013.04.22 morning
管理人
先週、木曜日から土曜日まで出張。 土曜日の夜帰着、日曜日の夜にミニ同窓会。 当然だが、月曜の朝は疲れている。 疲れているが未だ勤め人な訳で、真面目に出勤しなければいけない。ミニ同窓会、2008年6月1日に開かれた還暦同窓会以来5年振りの同窓生が数人来ていた。 その内の一人、 「昨年秋で完全リタイヤして、今は福祉施設の監査役をしている」 「監査役といっても月に1日位の仕事だから、好き勝手している」 「今日のこの会、妻とハイキングに行ってて、山頂で同窓生にバッタリ出会って誘われたんだ」 もう一人、 「この3月で仕事を止めた」 この同窓生の「やめた」は、「辞めた」ではなく「止めた」。 「もう十分働いたから」 彼は国家資格を持ち、働こうと思えば体が動く限り仕事には困らない業種。 それでも人生に区切りを付けたそうだ。 経済的にやっていけるだけの余裕が有るのだろう。 それに5年振りではないが、もう一人、 大手ゼネコンに勤めていて、再雇用は福島第一原発内の施設管理だった同窓生。 以前にここの日記に書いたのだが、3.11の時は3月末迄の再雇用期限で数日前から有給休暇消化に入っていた。 それで、原発施設内での事故には出くわしてない。 その後、再雇用延長を会社から要請されたらしいが、断ってリタイヤしている。 その後も、会社から再三の声掛けがあっているらしいが一貫して断っていると話してくれた。 「畑違いの除染の仕事だが、俺が監督業務の資格を持っているので、有資格者がどうしても要るらしくてな」 つい最近も東京電力と東北電力の両方から相次いでお声が掛ったと云う。 「いや〜家内は働いたらっていうけど、もうそのモチュベーションはないから」 彼はゼネコンでボロ雑巾になるまで働いている、その上、会社は更にボロ雑巾のように使おうとしている訳だ 放射能どうこうというより、働くこと自体にもうその気はないと云う。 てな訳で、 現在、継続して就労しているのは、 逃げようのない企業の社長さんや定年のない重役さんと、パシリの私ぐらい。 この4〜5年で圧倒的少数派になった。 そろそろ潮時かも。
■2013.04.21 night
管理人
関東から二人帰って来たので、今夜、高校のミニ同窓会を開いていた。 何時ものミニ同窓会は10人前後の規模だが、今夜の結集は女性3名を含む25名。 関東の二人に加え、近畿圏からも馳せ参じる同窓生が居て、 最近では最大規模の同窓会となり、大いに盛り上がった。女性3名の内で一人が奇しくも中三でクラスも一緒の女子だった。 中三のクラスが一緒と云う事は、その女子は当然”あの子”と一緒のクラスたったと云う事になる。 お酒も入っていたので勢いでその女子に正直に話した。 「**さんに会いたくてね、中学の同窓会しようと思ったの」
「実は、**さんに想いを寄せてたので・・・・、40数年振りに会いたくなって」 「御免ね、動機は不純だけど」 「それでやっと**さんの所在を突き止め電話をしたんだ」 「会って別にどうこうって訳じゃないけどね、どうしても会いたかったんだ」

「へぇ〜そうなの、**君は**さんの事好きだったんだ!」 「知らなかった」 「でも、(会いたいと云う)その気持ち分かる!」 その女子に呆れられる覚悟で話したのだが、予想外に相槌をうってくれた。 嬉しくなって、出張の疲れも忘れ続けた、 「**さん、同窓会やるの手伝ってよ」 そんな話をしていると瞬く間に時間が過ぎた。 それで、今度、所在が分かっている同窓生だけでも一度集まろうと約束して別れた。 当然、”あの子”の所在を私は知っている訳で、 今日会った女子に一肌脱いで貰う事にした。 自力での一点突破が無理なら他力本願で事を処する、これは高度な”政治闘争”なのだ。 闘争勝利!
■2013.04.20 morning
管理人 出張に車で来ているところがあって、合間に見学に連れて行ってもらった。 写真は日本最古の庶民の学校(藩校)の「閑谷学校」。
この学校名、私は教えて貰うまで正確な読みが出来なかった。 備前焼の窯元「興楽園」、ご主人の木村さんに工房と釜を見せて頂いた。   
焼き物好きの妻に一点と思ったが、とてもとても私に手の出る物ではなかった。
■2013.04.19 morning
管理人 昨日、出張先の駅に降りた。 確か右手の方に向かえばホテルが見えるはず、そう思ってトコトコ歩き出した。 10分ほど歩いたが目的のホテルらしき建物が見えない。
事前に地理は調べていたが地図は頭の中にプリントしただけ。 「駅のどちら側に出られました?」 心配になってホテルに電話を入れた。 「それは私どものホテルとは反対側の出口です」、と言われて納得した。
頭の中の地図は完璧だったが、一点、駅の出口だけが間違っていた訳だ。 再度駅まで戻り、其処からホテルまで結局6000歩程のウオーキングとなった、 それで、会議の席に着いたのは定刻の10分前。
これがお客様の会議なら10分前でも十分なのだが、今般は私が幹事を務める会議。 私が居なければ会議は成立しない訳で、 焦って資料は配らなければいけないは、40分程になったウオーキングで汗は噴出すは散々。
やっぱ、スマホが要るかなとちらっと思ったりもした。
■2013.04.18 morning 管理人 更に昨日、ヨット仲間から電話が。
「サービスマンから再度連絡があってな」 「シリンダーヘッドの腐食が激しく、冷却回路の清掃だけでは長く持たないそうだ」 「ヘッドを替えるかどうかで見積もりが大きく変わると云われてな」
私、 「持たなきゃ替えるしかないけど、幾らなの?」 「ヘッドパーツで11万円!、それって工賃は別だよな」 「そうか、それならほぼ20万円仕事だな・・・」 「仕方ないか・・・」 「まめに防食用の亜鉛ボルト取り替えてなかったものな」
ヤンマー2GM
マリーンエンジン 思えば、完全リタイアして、まめに船の手入れをしようと思った時もあった。 でも思わぬ再就職で、クルーザーは殆ど放置状態。 ディンギーに至ってはこの二年間触っていないし、 健康なうちにそろそろリタイアも考えなくては。 今朝から週末まで出張へ。 来週は首都圏への出張も。
■2013.04.16 night
管理人
夕方、ヨット仲間から電話が。 「先程ヤンマディーゼルのサービスが来てな、原因が分かったよ」 「エンジンの冷却回路に空気を送って調べたが、通じてないそうだ」 私、 「でも冷却水はスターン(船尾)から放出されてるよ?」 仲間、 「回路が詰まると冷却水を逃がす回路があるらしい」 「つまり、水はエンジンを冷却せずに排水口から放出されていたらしい」 道理でオーバーヒートする訳だ。
エンジンを冷却するのはインペラで吸い上げた海水、つまり塩水。 我がクルーザーは滅多に乗らない、つまり滅多にエンジンを回さない。 冷却で吸い上げた海水がエンジン回路内に長時間滞留する。 この海水による酸化(サビ)を防止するために鉄よりイオン電荷の高い亜鉛ボルトをエンジン内に差し込んでいる。 イオン電荷の高い亜鉛は先に酸化し鉄の酸化を遅らせる、私等はこの亜鉛ボルトのメンテ(交換)をまめにしていない。 もう一つの方法は真水を通水して塩分を洗い出したらいいのだが、それはマリーナ陸置保管で可能な事で貧乏な海上放置では無理。 つまり、エンジン冷却回路内はサビで詰まっていたという訳だ。
前回、何年か前にこの亜鉛ボルトを交換した時、ボルト穴から見えるエンジン内部は真っ赤なサビだらけだった。 だから、この原因は薄々感じていた。 しかし通水しないほど詰まっているとは、如何にメンテを怠っているか。 エンジンが焼きつく前で良かった、焼きついていたら半端な修理代では済まなかった。 速攻、修理を依頼した。
船は車と違って、機関が止まればいわゆる”遭難”、命に直結している。 海でスポーツする者として、反省しきり。
■2013.04.16 morning
管理人
週末、クルーザーを上架し船底メンテを行った。 当日当刻は潮の干きが激しい時期、作業を終えクレーンで船を降ろすとキールが海底につかえる。 吊り上げた時より1m以上海面が下がっていた。 「こんな潮目の時、うちは(キールの有る)クルーザーの上げ降ろしはしてないから・・・・」 マリーナの係員は、私等が潮がこんでくる夕方まで作業すると思っていたらしい。潮が満ちてくる夕方まで待つ訳にいかないから、可能な限りクレーンを沖出ししてもらって、エイヤで突き出した。 キールが海底をこすりながら何とか降ろす事が出来たが、船の突き出し役に回った相棒は桟橋に。 彼を乗船させるには再度桟橋に近づかなければ、しかし・・・近づくとキールが海底に、つまり座礁する。 「お〜い、泳いで来いよ」、と言いたい気分だったが。 恐る恐る桟橋に超スローで近づき、バウ(船首)から飛び乗ってもらった。 やっと一難去った。
(鋳鉄製のキールの重量は1500Kg、つまり普通車一台が船底にぶら下がっていると思えばいい) 船底のメンテをしたのでさすがに滑らかに走る、機関の音も軽やか。 調子よく20分程走っていたら、水温計のオーバーヒート警告音がピーっと鳴り響きだした。 機関室を除くと、エンジンから煙のような湯気が立っている。 明らかなオーバーヒート、湾内航路だから帆を揚げセーリングするわけにはいかない。 エンジンスローで何とか停泊地に帰り着いた。 相棒と機関室に潜り込む事一時間余り。 冷却水を送り込むインペラーはアッセンブリー交換しているので異常なし、 冷却水も”それなり”に巡回している、 サーモスタットの配線も異常無し、 結局、私等素人には手に負えないと原因究明をギブアップした。 月曜日、ヤンマーディーゼルのサービスに修理を依頼したが、 とにかく、車と違って数をこなさないマリーンエンジの修理はバカ高い、 また出費がかさみそう。
2010年10月に綴ったオーバーヒート
・ドタバタ劇回顧
■2013.04.13 night
管理人
「エッ・・、もう終わりなの?」 「これから底塗りするかと思った」 隣でボート洗っていた兄さんからそう言われた そんな事云っても塗料用意してないし・・・・、それに二人だけだし・・・ブツブツブツ。

10時前にマリーナに着いた。 上架すると、船底はひどいものだった。 早速ヘラで貝をそぎ落とし、高圧洗浄機で藻や汚れを落した。 二時間程で作業終了、「お先に!」と隣に声を掛けたら、「もう終わりなの?」と云われた訳だ。
この高圧洗浄機、業務用だから威力は半端でない。 水圧の反動を受け止め作業をするには結構体力が居る。 ポートタック(左舷)の半分ぐらいで若い相棒に代ってもらった。 動画録ってたら、ペンキが混ざった跳ね返りで、全身がブルーに。 この船底塗料、決して健康に良くない、帰って速攻シャワー。 鏡を見たら久し振りに鼻先が赤く焼けている。
■2013.04.13 morning
管理人
早朝、つる薔薇のつぼみを摘みテーブルに生けた。 肌寒いので久し振りに暖房のスイッチを。 鉢に水やりを済ませ居間に戻ると、僅か一時間程の間につぼみが開いている。 人工的な暖気に開花を促されたのだろう。

今日は随分と久し振りにクルーザーを上架する。 船底に貝や藻が付き放題になっているし、プロペラも磨かなければまともに走らない。 プロペラシャフトの防食亜鉛も溶けて無くなっているはず、 腰や首を痛めないよう、作業に気をつけなければ。
■2013.04.11 morning
管理人
困った。 WindowsXPのサポートが後一年で終了するという。 私にはサポートが終了されると困る訳がある。 XPでないとホ−ムページ更新を続けていけないのだ。 二年ほど前だったか、DELL社から「XP搭載機最後のご案内です」との案内を貰った。 既にWindows7が発売されていたが、目もくれずXP最後の搭載機を購入した。為しに妻のWindows7機に現在使っているソフトをインストールしてみた。 インストールは順調に終了した。 それで、ソフトを起動してみた。 何回やってもセブン機は「このアプリケーションは問題が生じ開けません」とメッセージが出る。 予想した通りだった。 問題のソフトはマクロメディア社のDreamweaver4、ホームページ作成ソフト。 2002年購入、当時はWebデザイナーがこぞって使う最先端多機能のホームページ作成ソフトだった。 Windows2000搭載機にインストールした。 その後、買い替えたWindowsXP-SP1に再インストールし、再々度買い替えた現在のXP機SP3に至っている。 私の直感、「このソフトは多分セブンでは動かないだろうな」だった。 直感通りだった。 このDreamweaver4を使い始めたのは2002年の11年前、私が53歳の時。 あれから、マクロメディア社はアドビに買収され、今はAdobe
Dreamweaverバージョン”CS6” になっている。 為しに妻のセブン機に最新バージョンの”CS6”、30日間無料お試し版をダウンロードしてみた。 Webサーバーへのアクセス(FTP接続設定)までは何とかできた。 しかし、肝心のページ作成更新がチンプンカンプン。 困り果てて、11年前にWeb作成講習を受けた先生に電話した。 「そりゃ〜大変でしょう、11年間のブランクで最新版に挑むのは!」 「アドバイスって事ですけどね・・・・・」 「私は今はクラウドを利用しており、もうソフトは随分以前から使っていないのですよ」 私、 「クラウド・・・????」 要は、自前のソフトウエアーをいじることなく、サーバー上のサービスで全部済んでしまうのだそうだ。 自分の機械に自前のソフトを入れシコシコやる時代ではないそうだ。 分かったようで分かんないのだが、納得した。 しかし、私に”クラウド”は、最新バージョンのマスター以上に敷居が高い。 XP、サポートが切れるから即使えないという訳ではないが、セキュリティはボロボロになると思う。 それを覚悟で今後使い続づけるかどうかだが。 因みに、私のホームページへのアクセス解析では、アクセスする人の使用OSがXPで38%を占めてる。 つまりワールドワイドで、現在1/3以上の人がXPのOSを使っていると言い換える事が出来る。 ワールドワイドでは何億人、何億台では済まない規模。
いくらクラウドが普及し、時代はスマートフォンに移行していると云っても、私のような守旧派の”WEB化石”も少なからず居るのだ。 マイクロソフトは本当に”そんな事”できるのか。 出来るのであれば、マイクロソフトに巨万の売り上げが上がる仕組みになる。 やっぱ、マイクロソフトは帝国だ。
■2013.04.08 morningU 管理人
温泉ツアーの打合せをしていたが、当然、話題はかつての事になる。 この話題、既に本人に全く記憶の無い話が時々出てくる。 '69年か'70年か定かでない、もしかすると'71年の事かもしれないが・・・、 でも'71年だと、親から厳しい経済封鎖を受けていたので帰省している訳無い、それ以前だと思う。地元の市役所前広場で社共の統一集会が開催されたそうだ。 複数の地元大学の全共闘連合体が、その集会に参加すべくデモで向かった。 何故かその隊列に私と日大全共闘の数人が居たと云う。 多分、学科闘争委員会の仲間が帰省中の私の実家に遊びに来ていたのだろう。 集会は暴力学生排除で総評の若手と日共の組合員がピケを組んでいたそうだ。 集会に参加させろさせないで総評とデモ隊でモメたらしい。 結局、ピケで排除された”暴力学生”達はデモ隊列を立て直し、再度、集会突入を図ったと云う。 他人事のような記述だが、本人に記憶がないのでこうしか書きようがない。 デモ隊は一様”形式的”にピケに突入したらしい。 形式的というのは、ローカルな当地だから総評の若手組合員と、学生のリーダー格とは日頃面識があり付き合いもあったらしい。 だからそうそう激しい事は出来ない。 そこに登場したのが'68年日大闘争を闘った生粋の日大全共闘。 ピケにぶつかると一部(私等)が乱闘になり、足で蹴るわ、履いていたゲタで殴り掛るわ(私はゲタ履だったそうだ)相当ハチャメチャしたらしい。 私等はそれが常識だったのだろう。 「お前らは他人事だと思い、やりたい放題してくれた」 そこまでは飲みながら謗られ回った。 「でもな・・・・、感謝している事もある」 「警備のおまわりに捕まり、持って行かれそうになったおかあちゃん(当時の女子大生で今はカミサン)を日大の皆が奪い返してくれた」 「今でもおかあちゃんは、私は**さん(私のこと)に助けられたって感謝している」 謗られ、そして40数年経っても感謝されたのだが・・・・、 如何せん、その記憶が一切無いのだ。 多分、遊びに来ていたのは学科のクメちんかヤー公だと思うが、記憶が無い。 地元大学の生協食堂で、民青相手に机は投げるは物は壊すわ大暴れした事はおぼろげに憶えているが、こちらの社共統一集会突入は初耳で記憶が無い。 向こうが憶えているからガセネタではないが、やっぱり記憶が無い。
東北ツアーでは、時系列をはっきりして、私の名誉も含め聞き取り調査を行う事にする(笑。
■2013.04.08 morning
管理人 先週金曜日、今年の温泉ツアーの打合せをした、 打合せと言っても実態は飲み会なのだが。 今年の春、目出度く男二人がリタイヤして、この集まりで働く男は私一人となっている。
男連はそうなのだが、カミさん連の一人は臨床心理士でバリバリの現役、もう一人は退職後もキャリアを生かして大学の講師に就いている。 てな訳で、日程はこのカミさん連二人の都合にどう合わせるかで思案した。
ちょっと待て、私の都合は?・・・・・・、 これは全く無視されてしまった、私の現況はその程度の評価なのかと落ち込むことしきり(笑。 旅の目的の秘湯と言われるところは全国に点在しているのだが、
今年もJRのセールスプロモーション--「東北を旅する」という支え方がある--に素直に従った。
一ノ関駅をスタートに三泊四日の旅程。 一日数カ所の立ち寄り湯をこなし、トレッキングも入れているので、それなりにそれなりに体力を要する。 今後、更にウオーキングに精を出すのだ。
ところで、ネットの後ろ側では日大ML(毛派の事ではない、念の為)のやり取りが頻繁になっている。
頻繁になっていると云っても決して”蜂起”の謀議ではない。 出版の作業を進めていた「忘れざる日々・日大闘争の記録Vol.4」の登場がそろそろ間際に迫ってきている。
Vol.1は、「やっと出せた!」、と思った。 Vol.2は、「おう、2号もでるのか、やったもんだ」と思った。 Vol.3は、「おいおい、冗談じゃなかったのか、日大全共闘も単ゲバだけじゃなかったんだ!」
Vol.4は、「Coming Soon・・・・・・・涙、涙」 なのだ。
■2013.04.07 night 管理人 昨夜、電話で一時間程話した。 基本的に私は長電話をしないが、固定電話だった事も有りついつい話し込んだ。
相手は日共のお兄さん。 サロンで知り合った若者だが、お互いの”属性”の違いにも関わらず何故か気が合い、彼は時折私の自宅に電話してくる。
何でもTPPと憲法改悪に抗する市民組織を立ち上げると云う。 是非、それに参加して欲しいとの電話だった。 私は、この話は既に耳には入っていると答えた。
彼は私の事を、前に出ない裏方に徹した貴重な事務屋、運動には欠かせない人物だと評してくれた。 日大全共闘だった時代のそれ(単ゲバ)とは大きく評価が異なるが、それもこれも年の功と受け止めた。
私も人の子だから、評価は有難く、持ち上げられ是非にと云われれば悪い気がしないが、 しかし、依頼の主が”日共のお兄さん”と云う事ではなく、 別のところで「詳しくは言えないが、色々と思うところがあり距離を置いている」と、丁寧にお断りした。
日共のお兄さんが教えてくれた
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植え込みに自生しているクリスマスローズの古葉を刈り取っていたら、古葉の裏に毛虫の死骸が沢山ついていた。 先週、イラガに刺されひどい目にあっている、だから今回はしっかりゴム手袋していたので助かった。 もしやと思い植え込みの周辺の木を丹念に調べた。 トサミズキの葉の裏にビッシリ付いていた。

毛虫の親ではないがクロアゲハ蝶♂も
毎年、五月の連休にしていた殺虫剤散布を今年は急がねば。
■2013.04.07 morning
管理人
ヨット仲間のお袋さんが亡くなり、土曜日、告別式に参列していた。 クルーザー仲間で私は最高齢、私以外の仲間は会社の規模の大小はあれそれぞれが経営者、彼等は今が人生で一番忙しいはず。 それでも皆、忙しい中でも声掛け合って義理欠かさず参列する。 こういうところは、底板一枚下は地獄の海でスポーツする仲間の絆だろうと思う。葬儀が終わり、皆で飯でも食おうと云う事になった。 賑わうレストランの一角、黒服の塊はかなり目立ったが、皆で入れば怖くない。 テーブルに着くと、開口一番、 「**さん、随分お久しぶりですが、今、何されてます?」 久し振りに会ったヨット仲間には必ず聞かれる言葉だ。
「エッッ・・・と」 「何してると言ったら・・・・」 聞かれると、必ず返答に窮するのが常。 「そうだな、法人事務と、会館の維持管理、それに此処のところは新法人への移行作業に忙殺されていた」 多分、”法人移行”なんて意味不明と思い、少し補足説明を加えようとしたら・・・・。
 クルーザー仲間の中で一番の若手。 若手と云っても私より一回りほど年下だが、一級建築士で建築設計会社を経営している。 「エッッ・・・、**さんも法人移行を!」 「私もですよ、そりゃ〜大変だったでしょう!」 聞けば、彼も所属する建築業界団体の法人移行作業を担っていてやっと移行を済ませたところだと云う。 「そうだよな」 「お互い、これまでの貸借とか損益とかバランスシートは理解できるけど」 「公益法人会計ってのは、それに20年度基準の新会計、あれは訳が分からないよな!」 「「配賦率」「一般正味財産」「指定正味財産」「実施事業」「その他事業」等々・・・、 周りの者には意味不明の話題でも、やっと見つけた”同志”、二人で盛り上がった。 弔問外交ならぬ弔問交流、一時過ぎに入ったレストラン、忙中閑有りで気が付けば四時が近づいていた。
■2013.04.05 morning
管理人 先週末、妻が花の苗を幾つか買い求めてきた、 植えて世話するのは私。 春は曙、既に六時前から周りは明るい。
水やりの後、庭に椅子を出し気持ちいい空気を味わう。 寒くもなく暑くもない春先、一年で一番いい季節だと思う。   
今年はブルーベリーに沢山花がついた。
■2013.04.04 morning 管理人 連帯を求めて孤立を恐れず、
力及ばずして倒れることを辞さないが、 力を尽くさずして挫けることを拒否する。
かつて安田講堂の壁に書かれていた泣きそうになるメッセージだが、
連帯を求めて孤立した結果がどうなったのか? 力尽くし倒れた結果がどうなったのか? 個人の生き様としては美しいものだが、厭味や皮肉でなく、その後はどうだったのか真面目に考えている。
「一歩も下がらず、非妥協的な闘いを」 ある時期から、実際は後退に後退を続けた闘いだったが、掲げるスローガンだけは一歩も譲らなかった。
スローガンは勢いがあったが、私(等)の気は萎えて、荒んでいくだけ。 表現は適切でないが、非妥協の闘いの辛さを嫌というほど味わったのが、私の日大闘争。 非妥協な闘いで、めげずに最後まで貫徹する人は鉄人のようなもの。
鉄人だから、半端でない人。 だからそんな人は万に一人もいない。 闘争から一人去り、二人去り、そして最後は一人孤立。 だから、今の私は”非妥協的闘い”ってのは好きでないし、出来ない。
やるだけやったら、後は、妥協してもいいと思っている。 戦術的に妥協したら、全てを失うと考えるのは止めにしたらと思っている。 人間の生物としての組成と命は、自然との壮大な妥協の上に成り立っているのだから。
だから・・・・、”非妥協”ってのはもう止めにしましょうよ。 
桜の季節が終わり、目に沁むような若葉の季節がきました。
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