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■2013.07.29  morning  管理人

何気にアクセス解析を見ていてふと気付いた。
私のHPでアクセスが多いのはこの管理人日記なのだが、ここのところそれを凌ぐ回数でアクセスがあっているページがある。
本文の「エピソード民青」のページ。
今までにない傾向なので考えてみた。
思い立った節は。

先の参議院選挙。
7月8日、東京はお茶の水駅前でバッタリと共産党の選挙カーに出くわした。
小柄な若い女性が身振り手振りで全身を使って選挙演説をしていた。
若い女性候補なので聞いていたら運動員から法定ビラを手渡された。
演説を聞きながらビラに目を通した。

ビラ裏面、満面の笑顔で右手を高々と上げる候補者、そのプロフィールを読むと少なからずご縁のある方だった。
如何なるご縁か詳細を書くと私の特定情報につながるのでここでは書かない。
汗が滴り落ちるのもいとわず、訴えかけるその姿。
若い女性だったと云う事もあるが、何か違う、引っかかるものを感じた。
自宅に戻り更にYouTubeで検索した。
その始終は、9日から17日までの日記に書いた通り。

そこで、アクセス解析の話に戻るが。
ご承知の通り、民青(民主青年同盟)は日本共産党の青年組織。
その民青の”御本家”の共産党の参議院候補者を推す日記を何度かつらつらと綴っている。
この日記からHPの本文の「エピソード民青」のページを見に行って下さったのではないかと推測している。

そのHP本文で私は「民青が嫌い」だと書いている。
これは今までもそうだし、今も変わらないし、多分、今後も変わらないだろう。
しかし、それではHP本文の内容と、共産党の候補を推す内容で、齟齬が生じる。
その齟齬は本人が一番承知しているのだが、それでも候補を持ち上げた。

決して日大全共闘一般がいい加減なので無く、私個人がいい加減なのだが、
齟齬は承知で、大嫌いな政党のこの若い女性候補を持ち上げた。
ある意味、好き嫌いをさて置き、支持した。
これはどういう事かと言えば、それなりに歳をとったと云う事なのか・・・・・?、
それとも・・・・どういう事なのか?

私にも不可解。
不可解だから世の中面白いのだ。





■2013.07.23  morning  管理人

地元選挙区は・・・・?
まあ、こんなものだろう。
あんだけ期待裏切ったら。
東京は\(^o^)/

栗駒高原

投票日を挟んだが、恒例の東北秘湯ツアーから帰着。
皆、もういい年寄りなもので、色々とハプニング続き。
盗難には会うし、
列車に乗り遅れるものは出るし、
私は露天風呂で足は切るし。

 川原毛大滝湯、先の大雨の増水で滝壺はぬるま湯、寒かった

しかし、それも含めて楽しい旅だった。






■2013.07.17  morningU  管理人

「みどりちゃんの喫茶店って、何処?」
昼過ぎ、所用で事務所前を歩いていたら、以前、一緒に活動していたNさんにバッタリ出会った。
やあ〜暑いですね、と挨拶交そうと思ったら、開口一番に冒頭の質問が飛んできた。
「エ〜ト、ほら、ここから直ぐ近くの**の前の三つ角、その南側二件目の喫茶店」
「そうだ、何なら今から一緒にそこへお茶しに行こうか」と、私の方から誘った。
「ちょっと待ってて、事務所に断り入れるから」

Nさんとは以前市民運動を一緒にやっていた。
それが、少し内部でゴタゴがあり、Nさん今は別の団体で活動している。
とはいっても、個人的に私と諍いが有った訳ではなくそれ以後もNさんとは良好な付き合いが続いており、
時折会うと、必ず此処の日記について突っ込みがある。
余り長く更新が無い時など、心配して声も掛けてくれる。

一時離席(簡単に云えばサボリ)の交渉が成立し、勤務時間中だが喫茶店に出向くことにした。
相手と余程親しかったとか、メロディ・フェアのような幼馴染なら、それはそれで盛り上がるのだろうが、
私の場合、お手々つないで学校に通った程度の仲。
それに57年の時空を超えての一方的再会。

「はぁ・・・そうですか・・・・?」、先週のみどりちゃんのリアクション。
要は盛り上がらなかった(泣、
そんな情けない思いが下地に有った訳で、
Nさんに突っ込まれて際、瞬時に以下の計算が走った。
「第三者を交えて行けば、それなりに場が持ち盛り上がるかも」

 映画「メロディ・フェア」

でぇ・・・・・・、結果は。
やっぱり、
「はぁ・・・そうですか・・・・?」
かだった。





■2013.07.17  morning  管理人



名前も政党も云わなかったそう・・・・、

色々、思惑は当然有っての事だろうけど、
単純な年寄りは、こういうのに弱いのだ。






■2013.07.11  night  管理人

ここだけの話だが・・・・、
ちゅうってネットで云っても意味ないのだが。
取り敢えず、
気持ち的にはここだけの話。

キラキラ星さんの法定ビラを職場に持参した。
それでもって、古参の労組の方に見せた。
ワタシ的に言えばオールドボリシェビキのような方、半世紀以上の労働運動のキャリアを持つ方で尊敬している。
「ウ〜ン・・・」とうなった。
「**さん、これ何処で手に入れたの?」

経緯を説明するついでに、
「**さん、これも観て」
YouTubeの街頭演説の動画をついでに見せてやった、
じ〜っと見入って、そしてら更に
「ウ〜〜〜ン・・・・」


私が尊敬するオールドボリシェビッキさん、両手両足ではとても足らないほどの選挙を経験している。
国政選挙の責任者も何度も務めている。
「**さん、このチラシ、欲しいのだが」
そう云われたので両面カラーでコピーを取り、現物の方を差し上げた。
両面カラーだとコピー代60円程するのだが、私の高度な政治判断でその費用は請求しなかった(笑。

最後に一言、
「我が陣営にこんな子がいたらなあ」
チラシを片手に、ため息ついて出て行った。





■2013.07.10  night  管理人

三段跳び、ポップ・ステップ・ジャンプ。
最初は7歳、次は15歳、そして65歳にジャンプ。
最後のジャンプの幅は50年間、
これはチトきつかった。

消息を聞いたのは先週の金曜日。
土日を間に入れて、月火は東京に出張。
そして今日、水曜日に決行。
教えてもらった喫茶店へ”みどり”ちゃんを訪ねた。

厳密に言うと、15歳の時には”存在”に気付いていないので、ジャンプの幅は58年となる。
一昔前なら、人間の寿命はとうに尽きている歳月。
それをお構いなく訪ねたのだから、
かつて、女子とは口きくのも憚るシャイな私にすれば、随分な進歩。

 背景が緑ですが決して”みどり”ちゃんじゃありません、東京の皆さん、この子をよろしく。

 何分初めてで、選挙がらみで色々と気を使ってますが、他サイトではばんばんと書きたい事を書きまくってるようで。

「よく憶えていましてね」
「貴女は可愛いかったもの」
「男はね、可愛い子の事なら忘れません」
臆面もなくそう応えた。
ハイ、臆面もなく。

でぇ・・・・、
感想はと云うと。
店に入ると、みどりちゃんはカウンターの中で従業員にテキパキ作業を指示していた。
目元かすかに7歳の頃の面影が残っていた。
しかし、事前のストーリーが無ければ100%分からなかっただろう。
厳密に言えば限りなく”初対面”な訳で長居は失礼と思い、
「また珈琲飲みに来ますね」、
そう云って次に機会を残し店を出た。

それで・・・、
クラス写真を持参していてそれを眺めてもらったが、
お手々つないで小学校に通ったみどりちゃん、最後まで私の事は思い出してくれなかった(泣。
そう云う意味では、女子はシビアなのだ。






■2013.07.09  night  管理人

8日昼前、お茶の水駅前に降り立つと、余りの熱気に目が眩みそう。
丁度、駅前で某党の参議院選挙候補が街頭演説をしていた。
候補は若い女性、選挙カーの候補者名を見ると・・・・・、
ご本人に面識はないが、色々とご縁のある方だった。

 7月8日のお茶ノ水、45年前のこの日バリケードを構築した

貰ったビラ、東京都選管の証紙が貼ってある法定びら、選挙違反をビビッて消しまわっています(笑。

今度の選挙、
論点は色々と多いが、私は欲張らずシンプルに臨もうと思っている。
「原発」と「TPP」。
私の一票が死票になろうがなるまいが、
転ばない方に投票しようと思っている。





■2013.07.07  morning  管理人

「その子なら知ってるぞ」
「以前、同窓会に何度か来た」
「確か**の前で喫茶店やってる」
「俺に聞いたって、行ってみな」
同席した同窓生に所在を尋ねたら、意外にも簡単に分かった。

卒業して50年、昨夜、中学の同窓生の小さな集まりに顔をだした。
2008年6月の高校の還暦同窓会で、中学が一緒だった奴に会った。
奴が云うに、時折少人数で中学の同窓生で飲み会をしていると聞いた、そのうち機会が有ったら俺も呼んでよと頼んでいた。
昨夜、やっとそのお呼びが掛った訳。
この歳になると時間の流れがゆったりになるのだろう、そのうちがそれから5年も経っている。

集まりは男子が9名に女子が1名。
出掛ける前に、電話で聞いていた名前を中学の卒業アルバムで探してみた。
団塊世代だから中三のクラスは12クラス、1クラス平均55名だから一学年で660名程になる。
毎年クラスの総替えしたとしても三年間で同じクラスになるのは160人ほど、クラブに入っていないと残り500名は殆ど付き合いが無い事になる。
チェックの結果、憶えが有るのは3名のみ。

他のクラス写真を眺めていると、ある女子に目が止まった。
「この顔、なんとなく憶えがあるぞ」
可愛い子だ、名前を見る。
断っておるが自虐的に綴っている”あの子”ではない。
目にとまったその子とは中学校での記憶は全くない。
必死になって思い出そうとした、私の場合、女子の事になると必死さが違うのだ(笑。

記憶の鍵は顔以上に名前に有った。
「みどり?、みどり?・・・・、え〜と、そうだ、みどりちゃんだ」
「小学校1年の時、お手々つないで一緒に学校に通ったみどりちゃんだ」
「そうか、みどりちゃんと中学校一緒だったんだ」
折角気付いたのだし、それに”あの子”ほどのへんなこだわり無いから、昨夜の集まりでみどりちゃんの事を同窓生に訪ねてみた。
「お前、みどりちゃん、初恋の相手か」
当然、ちゅうて突っ込みがあったが、キッパリ「そうでない」と切り返した。
何故なら、可愛い子だけど、そうでないからそうでないのだ。


 

 1955年(昭和30年)春、市立K小学校二年クラス写真、私の三人隣がみどりちゃん。


私は小学校を四回、中学は三回転校している、小中合わせて七回転校の記録を持っている。
中三の新学期を前に、父の転勤で七回目の転校が決まった。
父と一緒に赴任先に行けば、中学は三回目の転校、学年毎に学校が違う事になる。
自分で云うのもなんだが私は素直で聞きわけの良い子供だった、しかしこの時だけは父に頑として反抗した。
「僕はもう、こうこれ以上学校は変わりたくない」
「変わるんだったら、一年の時居た元の中学校に戻してくれ」
普段、反抗した事のない子供だったから、父も堪えたのだろう。

だから中学は三回転校したが、一年と三年は同じ学校。
「そうか、だからみどりちゃんと一緒の中学だと今まで全く気が付かなかったんだ」
それに学年で12クラスもあれば、こういう事もあるのだ。
週初め、首都圏に出張だが、
帰ってきたら、”あの子”ではない女子、みどりちゃんに会いに行こう。
その喫茶店、私の職場の直ぐそばなのだ。






■2013.07.05  morning  管理人

所用で外出していた。
出張を除けば私の仕事はもっぱら事務所内、外出する事は滅多にない。
冷房の効いた快適な建物から出ると、湿気を含んだ猛烈な熱気が一気に襲ってくる。
7月初め、梅雨の合間の空を見上げると立ち眩みしそうになった。

1968年7月8日午後1時、9号館空き地で理工学部・学部集会。
ストライキ承認2881票、否認395票、圧倒的多数でストライキを決議し午後3時半、集会からそのままストライキに突入。
9号館空き地より隊列を組み1号館になだれこんだ。
教室から机を運び出し一階から三階へ至る階段を机を組合せ、人一人通れる空間を残して埋め尽くした。
ここで集会参加者は大きく二つに別れた。

一方は、前に出て机を運ぶ者、運ばれた机を階段に組み上げ針金で縛りあげていく者、
作業を指揮する者が居なかったわけではないが、皆が自然発生的に作業分担し、自主的にテキパキと作業をこなした。
もう一方は、それを距離を置き、眺めている者。
学生は大きく分けてその二つに分かれた。
前者がその後日大全共闘の中核となり、実力行使を辞さず、そしてその結果の肉体的損傷及び履歴損傷のリスクを覚悟した行動隊になっていく。
そして後者が全共闘を取り巻くシンパ層と、それ以後、バリケードに近寄らなかった無関心層。

この二つを分けたものは決して思想性でも無ければ主義でもない。
私が思うに人の”性格”だったと思う。
言い換えれば”乗り”の良さ、
物事にまず”行動”から入る性分。
特に行動隊まで至った連中にはその傾向が特に強いと思う。

勿論、確信的に行動を起こした者も少なからず居たのだろうし、
1968年以降に入学してきた後輩たちも、私等とはチト違うと思うし、
日大全共闘のパターンを一つで括るつもりはないが、
少なくとも学部集会からバリケードストライキになだれこみ、そのまま全共闘の中核部隊になった連中は、
取り敢えず、思想とか主義は二の次だった者が多いと私は思う。

丁度今の時期7月初め、エアコンも無い1号館の中は蒸し暑く、バリケード構築はきっと汗だらけだった筈だが、
そんな記憶は遠に消え失せている。
残っている心象風景、
ものすごい熱気と、
お祭りの様な高揚感。
老いさらばえてもあの時の熱気と高揚感は体の中にしっかり残っている。






■2013.07.02  morning  管理人

我が家の大庭園(笑)のグランドデザインは”うっそう”と”こんもり”がキーワード。
基本的に庭木は伸ばし放題、隣近所から見ると我が家は”緑”の塊。。
私は剪定を施し整形された庭木は好きでないのだ。
時折、そんな庭木に殺虫消毒を施すのだが、
家庭用の薬液は農薬程さほど強く無いのか、昆虫類にはほとんど影響が無い。



毎年、この時期になると、庭木の間をハグロトンボが飛び出す。
毎年、殺虫消毒剤を散布する際、このトンボには気を使うのだが、毎年現れると云う事はさほど影響が無いと云う事だろう。
木にとまり、羽根を上下にゆっくり開いて閉じて、
そしてヒラヒラと木から木を渡って行く。
朝夕の冷たい空気の中、まるで我が家の庭の妖精を見ているよう。






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