■2013.10.31 night
管理人
会議を終えお茶の水で電車に乗った。 神田で山手線に乗り換えようと思っていたが、同行の方が新幹線利用だと云うので神田で降りそびれた。 東京駅の長い階段を下りやっとこさ山手線に。 ほぼ最後尾の車両から品川駅に降りた、階段を上がると京急線の乗り場が分からない。 田舎者は出口を間違うと、自分が一体何処に居るのか分からなくなる。仕方ないから又ホームに降りて、中央口へ階段を上がった。 やっとこさ京急線の乗り替え。 ホット一息ついて時計を眺めると、フライト便まで余裕が無い。 焦って電車を降り、検査場へまで駆け足で、汗が噴き出した。 掲示板を見ると出発時刻変更(遅延)の表示、結局、十分間に合った。
 私は何時も通路側の座席を指定する、この方が楽。 通路を挟んだ隣に白髪の老婦人が座っていた。 離陸直前、隣席で異様な音がする、その老婦人が床面をドスンドスンと踏みしめている。 変わったご婦人だなと思ったが、離陸したとたん今度は経文を取りだしお経を唱え始めた。 前の座席の若い女性がいぶかって後ろを振り返る。 老婦人の顔は凄い形相。 お経を止めると、頭を抱えて唸り声を上げまた床を踏みしめる。 周り中にドスンドスンと音が響く。 まるで般若の面のような形相。 その時やっと理解できた、恐怖で我を失っているのだと。 お節介な私でも、こういう場合はどうしようもない。 客室乗務員も近くを通るが、こういう場合のマニュアルだろうか、見て見ぬふり。 結局、1時間半程のフライト中、お経を読む、頭を抱えて唸りドスンドスンと床を踏みしめる、その繰り返しだった。 かろうじて、お経を唱えることでパニックを自制しているのだとも思ったが、 笑い話ではなく、何時、正気を失うかと気が気でなかった。 しかし、考えてみればあれだけの金属の塊が空を飛ぶこと自体が、そもそもなのだから、 それに恐怖を持つ方が居るのも理解できるのだが。 そういう方は、そもそも飛行機に乗ってはいけないと思うのだが、何の因果か、飛行機に乗らざるを得ない事情が有ったのだろう。 しかし、凄い形相とうなり声、それと飛行機の中でお経を聞いたのは初めてだった。
■2013.10.30 morning
管理人
今日は午後からお茶の水で会議。 上部団体の役員選考委員会も兼ね開催される。 私は全国5ブロックから選出されている地域代表5名の選考委員の内の一人。 中央団体の役員を決めるのはあくまで総会だが、その前段の役員候補を選考する委員の一人。 慣例の当て職だが、そう云う意味ではとてもとても偉いのだ(大笑。昨日と同じように朝四時に目が醒めた。 フライトは10時過ぎだから、それまでまだ6時間もある。 折角だから台所や居間の片づけをした。 食器を洗い、シンクを磨き、ガスコンロやレンジフードを磨き、居間の片づけをしていたら6時になった。 妻は高齢の親の世話で忙しく週の内半分以上は不在、決して熟年別居ではない 私は主夫だから調理以外の家事は得意なのだ。
昨日の朝六時、漁船は出港して居なくなっていた 咳は薬で強引に抑え込んでいるようだ。 夜中に二度ほど、激しい咳で目が醒めたが直ぐに収まった。 声が元に戻ったかどうか確認したいのだが、生憎、独りなもので話す相手が居ない。 独りでブツブツ言ってみるが、声帯の手前で空気が詰まっているような感覚。 多分、ハスキーボイスまでは復活していると思う。
この症状には疑惑が有る。 私も変だと思っていたが、 内科の先生もこう言われた。 「何時も同じ時期に同じ症状ですね?」 「毎シーズン繰り返しているから、この時期の”何か”にアレルギーかもしれませんね?」
事の大小は別として物事に”疑惑”はつきものなのだ。 私は既に特定の”抗生物質”と”世間様”にアレルギーを持って体も性格も歪んでいるが、も一つ病的なアレルギーが増えたのかもしれない。 これから生協の注文書を出して、空港に向かう。
■2013.10.29 night
管理人
昨日、朝一番に医者に行き、まともな薬を貰って飲んだ。 それから県内出張に出向いていた。 途中、昼飯を挟みたっぷり4時間のドライブだった。 咳は時折出るが、何とか薬が抑え込んでいる。「あら、**さん、声が・・・・・」 昨日、夕方から異変が。 私の美声がかすれて渋いダミ声に変わり、そしてヒューヒューハァーハァーというかすれ声に、 催しを終え、20時からの懇親会の頃には殆ど声が出ない状態に。 まともな会話が出来なくなった。 熱も無く食欲もあったが、抗生物質、咳止めを服用しているので昨夜はアルコールを控えた。 体もダルくない。 しかし・・・・、声が出ない。 話そうと思うのだが、空気が声帯を振動ささず空抜けしてまともな音にならない。 結果、この状態は周りに方に強烈なアピールを与えたらしい。
泊ったビジネスホテルの前の漁港、朝4時丁度、漁船が出港して行った 今日、昼ごろ職場に帰着した。 相変わらず声帯が振動せず、口から空気が空抜けしていく。 「**さん、明日も出張だし大変そうだから(仕事)休んで帰ったら」 同僚も上司も口をそろえてそう言う。 働き者(笑)の私は、やり掛けの仕事をこなそうと思っていたのだが、昼からの帰宅を強いられた。 私は素直なもので(笑)、周りの配慮に素直に応えた。 家に帰り気が緩むと猛烈な眠気が、それで先程起きた。 貰った薬の注意書きを初めて見た、「車は運転しないで」と書いてある。 出張の往復は昨日4時間、そして今日4時間のドライブだった。 同乗者二人の命を預かっていたもので、深く反省。 それでもって、眠気を撥ね退けるストレスが喉に来たのだろうという事にした。 一晩、ゆっくり寝れば声は戻るだろう、明日は東京への日帰り出張。
■2013.10.28 morning
管理人
この週末、台風一過で全国的に晴天だった訳で、 絶好の園芸日和の筈だったが、 金曜日夜から体がモーレツにだるい、 食欲はあるのだが、微熱が。土曜日の朝、起きると喉が痛くてツバが飲み込めない。 季節の変わり目の何時もの扁桃腺が腫れ。 今年の5月か6月も確か同じ症状。 更に昨年の5月か6月も同じ症状。 季節の変わり目、直近の2年で3回目の発症。 症状が同じな物で、対処策も手慣れているのだが、何せ行きつけの内科は休日休診。 この程度の症状で、救急外来もはばかれる。 薬は残ってないかと探すが見当たらない。 諦めずに薬ケースをひっくり返し探していると、薬袋を見つけた。 日付は平成16年、五十肩の際に整形外科で貰った薬。 薬の説明書を読むと、鎮痛・消炎剤と胃の粘膜を修復する胃薬、それに関節の痛みを和らげるビタミン剤まである。 更に探すと、妻が歯科医で貰った、抜歯した際の抗生物質(炎症止)と鎮痛剤もあった。 喉の炎症だから歯科医の炎症止めが”部位的”に近いが、抗生物質との説明。 私は特定の抗生物質にアレルギーがあるので、ここは安全策で他人の薬は避け自分の五十肩の薬の方をチョイス。 まあ、同じ炎症だからそれなりに効くだろうとの判断。 気になったのが薬袋の処方日付の平成16年、ちと躊躇したがのどの痛みには変えられない。 土曜日の朝一番に飲んだ。 これが劇的に効いた。 のどの痛みがとれて、ツバも飲み込めるようになった。 ぼんやりかすみが掛っていた頭も幾分スッキリした。 それでもこじらせたらヤバイと思い、土日の庭作業は軽い草引き程度に。 しかし、夜の咳が止まらない。 これも前回、前々回と同じ。 フトンに入り安静にして体が温まって来ると咳が出始める。 そう云う事で、今日は咳止めも含め私の症状に「由緒正しき」薬を処方してもらう。 50肩の鎮痛・消炎剤ではちと無理がある。 それに、それは約10年前の薬なもので(汗。
今日は県内への一泊出張。
■2013.10.25 morning
管理人
目当ての便が運休で、30分程待って次の便がホームに入ってきた。 当地はローカルなもので4〜5分置きで列車が入って来るような環境ではない。 昨日は早めの帰宅だったもので、無人駅のホームは下校時の高校生で溢れていた。 入ってきた次便は近距離のワンマン列車、当然、一両編成で乗車口は後部ドアのみ。列車は既に満員状態、開いた入口ドアの前で満員状態に恐れをなした高校生が固まっている。 再度云うが、当地はローカルなもので、列車が満員であることはまずもってない。 そういう経験がないうぶな高校生が、どうしたら良いのか分からなくて固まっている。 後ろから車両中央を覗くと、中央付近はそれなりに空いている、要は、詰めればまだまだ乗車できる。 ここで爺さんのお節介ボタンにスイッチが入った。 つかつかと乗車口に行き、ドアから首を突っ込み 「お〜い、中の人、詰めてくれませんか・・・・・・」 ・・・・・・、状況に全く変化なし。 ここで、爺さんのお節介ホタンの「強」の方にスイッチが入った。 「中の人、次の便がなくて乗れないと困る方が沢山いるんだ、詰めてくれよ!」 ・・・・・・、それでも状況に変化なし。 結局、爺さんのお節介ホタン最後の「最強」ボタンにスイッチが入った。 手短に言えば「切れた」。 「オイ!、そこのボク、もっと詰めろ」 「譲り合えば何とかなるから、もっと詰めろ!」 文字に書けばそれ程でもないが、声はドスを利かし”怒鳴”っていた。 合わせて入口ドア前、乗車に躊躇して固まっている高校生に、 「遠慮しないでいいから、どんどん押し込まないと」 後ろからはっぱを掛けホームのほとんどを押しこんだが、 この状況にビビッて後ずさりした若干名の高校生がホームに残った。 最後に、強引に私も乗り込み終わり。 「次に駅、もうこれ以上は無理だな」 列車が発車し、一緒に乗り込んだ横の高校生にこう言うと、彼はにこっと笑った。
ここであらためて断わりを入れておくが、 決して女子高校生と至近距離になる事をもくろみ取った行動で無い事だけは言っておく。 それと、 この行為は最後の「最強」ボタンさえ発動しなければ、妻に褒めてもらえるのだが、 結局、「最強」ボタン発動だったから妻には報告しない、切れる老人の話はここだけにしておくのだ。
■2013.10.24 night
管理人
今日は会える、それで早めに帰路についた。 こんな日に限って大雨で目当てのJR便が運休。 30分ほどホームで待たされ、次の便でやっとこさ帰りついた。居間に入ると、妻がソファーでうたた寝。 少し目を開けにこっとほほ笑む。 妻の胸の中で彼女もスヤスヤ寝ていた。
 起こさぬように二人でそっとその寝顔を眺めていた。 しばらくすると母さんが迎えに来た。 ほんの少しだが、心和む時間。
■2013.10.24 morning
管理人
出張を中止にした。 事更に言い訳をしておくが、台風に恐れをなして取り止めた訳ではない。 私は帰路、足止めを食らう事を覚悟していたし、反対にそれを楽しみにもしていた。 どうも、かつて”あの時代”に性格が歪んだらしく、火事場とか非日常に抵抗がない。 何時もの繰り返しの日常より、予測のつかない非日常も偶には良いものだと楽しみにしていた。まず、22日(火)午前の時点で、出張受入先から通知が。 「警報が発令されれば、当方はその体制に入ります(ので貴団体への対応は致しかねます)」 今般の出張用務のメインは沖縄で先進的な事業展開を行っている団体の視察研修。 その団体から、状況によっては対応しかねるとの事前通知を頂いた。 その時点で、27号台風は沖縄の手前で大きく右カーブを切ると報じられていた。 確かに、現地沖縄の方の「この時期の台風は沖縄に近づきませんから」の言辞は一部合っているが、 沖縄が暴風圏内に引っ掛かれば、当然、強風ないし波浪の警報が100%発令される。 そういうことで、かりにフライト便に影響が出ないとしても、当初の出張の目的が果たせない可能性が大となった。 も一つ、 中止の判断を後押ししたのが、チケットの払い戻し。 旅行会社から22日(火)の13時に電話が入った。 「**さん、全日空とJALの両社、手数料無しの変更・キャンセルの窓口が今開きました」 出張受け入れ先の事情と、チケットキャンセルの条件。 これで中止の条件が揃った。
 幹事役を仰せつかっている訳で、 「ハイ中止、それで終わりです!」 ちゅう訳にはいかない。 各県に中止の「指令」を飛ばすのだが、この伝達はe-mailだけではおぼつかない。 各県フライトを明日に控えている、相手先が確実、かつ即時にe-mailを開封・確認してくれる保証はないので、電話で相手の肉声を確認し中止を徹底した。 それでもって昨日23日(水)は、中止した出張の代替案調整に忙殺された。 直ぐ年末なもので、重なる用務の間を縫って各県の日程調整をしなければいけない。
此処だけの話なのだが・・・・、 台風襲来、警報発令を承知の上、確信犯で出張を強行。 ホテル待機、フライト待機で日程延長、のんびりと沖縄滞在、これもまたよしと思っていた。 そうすれば、今頃は那覇の空の下、そして夜は牧志の市場のはずだったのに。 ”順当”な判断を下さなければならない我が「常識的」な立ち位置、 今、想えば、日大闘争は非常識な対応(戦略・戦術)の連続だったと私は想っている訳で、 そこで養われた火事場性格の私は、「ぐやしぃ〜」のだ。
■2013.10.21 morning
管理人
しかし、まあ・・・・・。 またまた台風とランデブーになるとは。 沖縄の方の、「10月の台風は沖縄に近づきませんから」って云うのが正しいとしても、 帰路の25日は沖縄の東方、本州・四国の南方に近づいている訳で。 23日の往路は大丈夫としても、25日の復路はかなりヤバイと思うのだが。

週末、御誕生会に呼ばれていた。 お店に頼んだ特注のバースデーケーキだという。 可愛い金魚さんが乗ってるねと言うと、違うと言われた。 トッピングの三つのイチゴ、真中が彼女で、両脇は父さんと母さんだと云う。 真ん中の苺、父さん母さんに囲まれて幸せそうだ。
■2013.10.18 morning
管理人
出張と出張の合間のこの一週間、一息つけるかと思ったが・・・・。 今週に予定していた理事会の準備が出張で滞っていた。 9月末の半期決算、今年から新公益法人会計に変わっている。 前職で、少しは複式簿記でバランスシートを理解していたが、この新会計は複雑怪奇。 理事会報告するのに事務員さんと勉強会を数回。 やっと理事会を乗り越え、遅れていた機関紙も発送。 一息ついたところで、来週からは怒涛の月末が。23日からの水・木・金は沖縄、明けて月曜は近場だが泊りの出張。 この近場が曲者な訳で、「時間距離」は東京よりはるかに遠い。 火曜日29日に帰着するも翌日30日の水曜日は今月二度目の東京。 本来なら泊りなのだが、連日の出張、多分そこいら辺りで体力・気力切れを想定。 強引に日程を日帰りに。 さらに加えてその二日後の土曜日は親睦事業のハイキングが、 それはプライベートは所用も重なり、許して頂戴ませませと許して頂いた。
台風一過、虹 ところで・・・・、 23日水曜日、沖縄に飛ぶのだが。 天気予報では27号さんが22日頃に沖縄本島に接近と言っている。 これは!と沖縄の担当者に電話した。 「ハハハ、大丈夫、10月の台風は沖縄に近づきませんから」 ちゅうて一蹴された。 この場合、現地の方の云う事を信用して良いものなのか、それとも科学的根拠の有る予報を信じるか。
それでもって、「近づきません」ちゅうて云われても、 奴が沖縄ではなくこちらに近づいてきたら、飛行機は飛ばない訳で。 それで、沖縄出張は私が幹事をしている手前、エリア各県に早速メールをいれた。 「もし、欠航となったら、何方か無事飛んだ県の方に幹事の交代をお願いします」 飛ばないものは、これだけは仕方ないのだ。
■2013.10.10 night
管理人
今日、帰宅すると年金決定通知書が届いていた。60歳から丸5年働いた、それで、未だ働いている。 5年前、65歳時の老齢年金受給見込額の通知を貰っていた。 その見込額より年額で僅かに増えていた。 これがこの5年間のご褒美なのだろうか。 誕生月から払い始めた介護保険料の年額がこれで賄えそうだ。 60歳を迎えた時、新たなステージでちょっとした感慨だったが、 65歳も一つのライフステージだ。
■2013.10.10 morning
管理人
八重洲口の大丸デパートへ。 会議を終え大塚から羽田に向かう途中、昼飯を食おうと東京駅で途中下車。 田舎者は躊躇なく定番のデパート屋上の食堂を目指した。 「何、ちょっと高いな」 最上階、13階まで上がり店頭のメニューを眺めるも・・・、階も13階と高いが値段も・・・・。 結局、12階に降りてリーズナブルな店に、眼下に東京駅と丸の内側の景色が展望出来た。
 
日暮里辺りの電車の中、 「帰ってきているの、貴方の事務所の近くに来ているからお昼でも一緒にどう?」 ミヨちゃんからお昼のお誘いの電話が入る。 「あら**くん東京なの、お互い、行き違いね」 普段は東京に居るミヨちゃんが田舎に、田舎に居る私が東京、 きっとヨモヤマ話に花が咲くだろうミヨちゃんとのランチデートを逃してしまった。
火曜から東京に。 台風予想進路、火曜は九州西部、水曜日は北陸の日本海に。
ANAは月曜日夜から早々と手数料無しの予約変更と払い戻し受付けのアナウンスが。 「これは帰れなくなるかも、出張をキャンセルしようかしまいか」 迷ったが、台風で日和見かと言われるのもしゃくなので、わざわざ台風を追いかけて上京。 結果は、全く影響なしで拍子抜け。 当初の予定では、引き続き木・金と大阪への出張が入っていた。 研修会へ会員引率の役割。 大阪の現地集合で段取りを組んだが、この歳だとさすがに連チャンはヘタれる。 根性で乗り切る歳ではないので、これは計画的に日和見させて頂き他の方に代わって頂いた。 そういう訳で週後半は事務所で淡々と事務を執るのだ(喜。
■2013.10.05 morning
管理人
今日は運動会への招待を受けている。 運動会と云っても、彼女の出場競技は一種目だそうだ。 出場と云っても、どうするのだろう? きっと、父さんと一緒なのだろう。朝、窓を開けると柔らかい雨が。 雨なら体育館だそうだ。 もう30年以上前の景色が頭に浮かんだ。 人生は巡るものだ。
■2013.10.04 morning
管理人
奮発してシュレッダーを購入した。 シュレッダーと云ってもペーパー用ではない、枝葉の裁断用。 「父さん、エンジン付きの奴だと何十万もするけど?」 長男に頼んで買いに行って貰ったら、確認の電話が掛ってきた。 山林業を営むわけではない、園芸用の数万円の電動で十分だと指示した。元来、うっそうとした庭が好みなもので、我が大豪邸(笑)を囲む生垣は伸び放題。 その生垣を年に数度刈り込むのだが、その都度、軽四トラックに積みきれないほどの枝葉が出る。 それを放置する裏山でもあればよいのだが、何分我が家は住宅地にある。 生ゴミで「少量の草木」は可とある、少量かどうかはあくまで主観的判断だが、ゴミに出す以外に処理の方法がない。 指定ゴミ袋に入るように細断しなければならない、これがまたやっかいで時間の掛る作業。 直径が1cm程までのものは剪定バサミで細かく裁断する。 それ以上大きな枝はノコギリで裁断。 生垣の剪定作業のほとんどはこの細断作業に時間が費やされる。 棺桶に片足突っ込んでいる年代なもので、そんな時間が惜しくなった。 そこで、奮発して電動シュレッダーを購入した、威力を試したいがうらめしや未だ出番が来ない。
 私が勝手にそう呼んでいるのだが、激動の秋が始まる。 激動と言っても「闘争」ではない。 この10〜11月の二ケ月、間断なく出張が入ってくる。 首都圏や東西の遠くの地へ出向く出張が嬉しい年代はもう遠に過ぎた、事務所に座り淡々と事務を執るのが一番いいと思う歳になった。 スケジュール表を見てこれから始まる”騒動”を想い浮かべると、朝から何度もタメ息をついている。
■2013.10.01 morning
管理人
東京まで護送するのにお銀をホテルまで迎えに行った。 ホテルに入るとロビーに立っている。 「荷物は?」と尋ねると、 「これだけよ」 小さな手提げ袋が一つ。 「宅急便で送ったの?」 「これだけ!」
930同窓会二次会、”犯罪的”なマリアがTさんとヒソヒソ話
「お銀さんて誰なの?」 930の同窓会会場で何人かに尋ねられた。 私はお銀に関して一切”属性”を書いていない。 「誰なの?」って問いは多分、 「マルチュウなの、それとも黒ヘルなの?」 等々、その人物が分かり易い”属性”を尋ねているのだと思う。 「誰なのって云われてもなあ・・・・・」 「お銀はお銀だから、何処にも属していないし」 「誰って云われても・・・・」 返答に窮した。 多分、先日のこの日記に「最強の女史」と綴ったから属性に興味が湧いたのだろと思う。 属性でなくその行動履歴を書く。 私の電話連絡一本で、うら若い乙女が当地から東京の混沌極まる桃井コンミューンへ流れる。 男所帯の桃井に女身一人で居候。 毎晩毎晩の大酒盛りにも動ぜず、そこに居続ける。 後で聞いたが、その頃は既にマルチュウのアジトとして桃井コンミューンはお上にマークされている。 それも十分承知していたと云う。 それから、僅かな伝手を頼って札幌に流れる。 その当時の北大全共闘の主力は□○だったらしい、 お銀が頼りにしたのはそちらでなく弱小勢力の黒ヘルグループ。 それで、北海道に身をうずめると思いきや、またまた東京に舞い戻る。 北海道で何が有ったのか、お銀は語らない。 ''70年代、中東に飛んだ女史にも決して引けを取らない”すっ飛び”。 冒頭の節に戻るが、 公立女子大国文科で当時でいえばお嬢様、その40数年振りの同窓会に手提げ袋一つで帰還。 他の同窓生はさぞかし着飾っていたと思うのだが。 「これだけなの?」って問いは、 「お前さん、このファッションンで同窓会に?」って問いのつもり。 相変わらずというか、 あの頃同様に今も飛んでいるのだ。
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