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■2014.04.30  night  管理人

あの子に手紙した。

と言っても私信ではない。
校友会名簿には同期同窓生685人の名が記されている。
その内、住所不明者は200人程。
あの子も住所不明者の一人。

今現在の同窓会準備会の主たる作業は住所不明者の所在探し。
幹事のそれぞれが伝手を辿り所在情報を集めている。
それで、私はあの子の所在を知っている訳で、
自分で代表である自分に所在情報を報告した訳だ。

情報を提供してくれたそれぞれから了解を取って、同窓会準備会の活動を知らせている。
私も代表である自分に極めて事務的に了解を出した。
だから、あの子に出した手紙は事務通信であって私信ではない。
しかし、当然だが差出人の氏名住所それに連絡先は代表である私。

アカシアの花にクマンバチが

我ながら姑息な手を使うものだと思うが、
この魂胆が代表を引き受ける際に有った事は敢えて否定しない。
思い出すに1968年の8月、今回とは違い純粋な私信であの子に手紙を出した、
確かあの時は私もあの子も19歳だったはずだ。

あれからその返事を50年近く待っている。
それで私もあの子も65歳になった。
私信でない姑息な手紙を出して一週間程になる。
待つ時間をそれと比べれば、一週間なんてほんの一瞬だが。

何度も言うが私は65歳、
前回と同じ様に待てば115歳を過ぎても返事は来ない訳だ。
いくら私が辛抱強いと云っても、
それほどは待てないのだ。

それと・・・・・ここだけの話なのだが、
事務連絡文の後ろに”追伸”で一文添えた。
これは代表の当然の役得なのだ。




■2014.04.25  morning  管理人

「俺はここでもう失礼するから」
そういって何度も断ったが、
「いや、もう一軒付き合えよ」
半ば強引に拉致され二次会へ引っ張り込まれた。
そこで、下戸のくせについつい調子に乗ってハイボールとやらを四杯飲んだ。
それで、今日は調子が悪いったらありゃしない。

福島から同窓生が帰郷していた。
毎年、彼はこの時期に墓参りで帰ってくる。
月初めの同窓会準備会でふとその事を話したら、片道高速6時間の友がこういった。
「**が帰ってくるなら俺もその時帰るから連絡くれよ」
日にちが決まったので連絡すると、半月足らずなのに本当にまたまた高速6時間ぶっ飛ばしてきた。
いやはやなのだ。

福島の友の希望もあってエンクロージャーな飲み会をセット。
面子は四人、
造船・橋梁の設計会社の現役社長、
6時間高速ぶっ飛ばしの友はゼネコンをリタイアの一級建築士、
福島の友は港湾関係のゼネコン出身、
いや〜、揃いも揃って土木建築畑ばかり。
当然、話題は業界の話になる。

福島の友は東北の国立大学工学部出身だと知っているが、同席した後の二人は今まで聞いたことが無い。
色々話題が進むと、言っていいこと、言わないほうがいいことなど、履歴に複雑な事情を抱える私には相手の出身大学を知っている事が肝要な訳で。
「それで・・・、オタクら二人は何処の大学だったの」
「ああ、二人は同じ大学の同じ学科だったよ」
「それで、今でも仲がいいのさ」
「それで大学は?」
「法政の建築だよ」
「ホウセイというと・・・市ヶ谷の?」
「違う違う、小金井」

市ヶ谷はその大昔、夜中に一度遠征に出かけたことがあるが、
そうでない小金井だとしても、
これは話題に気をつけなければと思った(笑。


■2014.04.23  morning  管理人

私が今の職場にお世話になった頃、偶々、公益法人制度改革が進んでいた。
それで、私の職場は昨年4月に公益法人から一般法人に移行している。
移行の際に持っていた純資産はその時に公益資産としてお国にロックされた。
公益法人が蓄えた資産は公益資産と言うのがその理屈、理屈としては間違っていない、制度設計した官僚はさすがだと思う。
今後、一定期間で公益事業として全て使い尽くさねばいけない厳しい縛りを受けている。
つまり、昨年度から私の仕事は”お金を使う”事が大きな部分を占めている。

ロックされた資産はこれまで先輩諸氏が営々と内部留保してきた流動資産、それと保有する会館等の固定資産がそれに当たる。
法人運営の基礎たる部分は会員からの会費で賄われており、それは比較的安定している。
財政的に安定した法人経営のうえに”使う”仕事が乗っかっている構図。
そういう構図な訳で、言い方によっては偉そうになるが、仕事で金に困ることはまず無い。
困るのは、予めお国に提出している事業計画をその通り進めること、つまり計画通り”純資産を減らす=お金を使う=資産を吐き出す”こと。

よく分からないが珍しい植物だそうだ、大山寺にて。

前の職場、役員を引き受けた頃から経営はジリ貧で金策に走り回った。
支払日が近づくと眠れない夜が続いたこともある。
銀行に融資を断られ、役員の個人担保で当座の借り越し枠を組んだこともある。
雇われ役員とはいえ役員、窮すれば仕事も、個人の資産も無くすリスクを持って仕事をしていた。
それが四年前の61歳を迎えた夏、どん詰まりに行く手前で、何とか円満退職まで漕ぎ着けることだ出来た。
仕事は最後まで必死だった。

そんなもんで、疲れ果てて続けて再雇用で働く意欲は失せていた。
わずかな年金でつつましく気ままに暮らそうと完全リタイヤした・・・・・が、
一月も経たない頃、今の職場からお声が掛かった。
決してリクルートしたわけではない、偶々、声が掛かっただけ。

それから足掛け5年、今の職場にお世話になっている。
声を掛けていただいたのも奇なる偶然だが、
前の職場と今の職場、お金を工面する苦労から使う苦労に180度変った。
おぼこい田舎出の世間知らずの19歳が全共闘に突入したのもそうだが、
人の運命とは奇なるものとつくづく思う。


■2014.04.22  morning  管理人

フッッッ・・・・・。
やっと決算理事会が終わった。

この新公益法人会計ちゅうのはややこしくて、
何度か県主催の研修会に出ているのだが。
税理事務所が決算括るのをイライラして待ってたが、
やっと出たその決算が予め概算していたものとかなり違う(涙。

勿論、大枠での法人トータルの決算数値は違っていないのだが、事業毎に配賦した数値にかなりの差異がでた。
ちゅうことは、予め概算で決めた2014年度の事業毎の収支計画案も修正しなくてはいけない羽目に。
決算理事会に諮る決算案と、3月に承認貰った2014年度収支計画修正案の両方の段取り作業が被さって来た。
出張から帰り、日曜の休日を潰し忙しかったのだ。

境港のみずきロード、楽しかったが帰ってからが地獄だった

何度も同じ事を言うが、
俺は一様”理数系”の出身な訳で会計は分野外。
その俺が会計に追い回されている。
辛いのだ。


■2014.04.19  morning  管理人

出張二日目、大山寺を散策した。

長男が小学校三年のとき、ここのスキー場に連れてきた。
やんちゃな小学生、怖いということを知らない。
子供の特性だが膝が柔らかく”こぶ”の凹凸を難なく吸収して、大人の間を縫って上級者コースを直滑降で降りてくる。
この頃からジュニアレーサー用のヘルメットを被せた。
そんな事を思い出した。

そういう意味では、長男のメットデビューは10歳前だった訳だ(笑。


■2014.04.18  morning  管理人

昨日から米子市に出張、車窓から見る大山にはまだ雪が被っている。
週末まで続く出張、この歳で結構堪える。
玉造温泉は米子から直ぐ、体力・気力それにお小遣いが残っていれば寄って行きたいと思うが、
有名温泉宿は高いからなあ・・・。

昨日の会議で2014年度、来年3月までの年間予定がほぼ決まった。
私などの予定はどうにでもなるのだが、上司の会長は繁忙を極める。
今から日程の先取りをしておかないと身柄の確保がままならない。
要は、先に日程を入れてしまえばこちらものという戦法。

日程調整は協議する当事者自身の日程を反映することができる。
日程案に微妙に自分の”個人的都合”を繰り入れるのだ。
これは具体案を組上げる事務方の特権。
話すレベルは違うが、多分、官僚も使う手口だろう。

その中で9月から10月の日程。
仕事ではないが日大930同窓会は9.30に直近の日曜日に催すのがここのところの慣例。
その慣例通りだと9月28日の日曜日になると私は踏んでいる。
何とかこの前後に関東方面の出張が連動で入らないかなと密かに念じていた。

この仕事に就いて足掛け5年目。
決して前述の特権で個人的都合を組み込んだわけではなく、ただ念じただけ。
それが念じれば通じるものだ。
多分、最初で最後になると思うが、それが適った
930の会に出向き、そのまま出張用務に連動、体力的にも経費的にも非常に楽なのだ。

9.30まで生きていればの話だが、
この歳、先の保障など何処にも無いのだ。


■2014.04.14  morning  管理人



先日春休み、フルタイム保育を仰せつかった折。
陽気がいいので妻と三人で公園に出掛けた。
彼女、相変わらずペンギン歩きから進化していない。
一人で歩きたいのも相変わらず。





■2014.04.13  morning  管理人

「そんなに急がなくてもいいのじゃないの?」
「それに直ぐに駄目になる訳でもないから」
そういってなだめたが。
事務員さん、買い換えると云い張って聞かない。

「どうせなら、エイトじゃなくて使い勝手のいいセブン機に」
「それで、プロフェッショナルに」
「ついでにオフィスもプロ、メモリーは16Gに」
そんなに買い換えたいならばと云いたいように云っていたら其の通りに発注していた。

職場のPC、半分以上はプロフェッシュナル仕様になった。
そこで困ったのが職場内LANの再設定。
ホームエディションと違ってプロはセキュリティガードが高い、ああだこうだと試行錯誤で何とか設定完了。
そう云う訳で3月末には職場の十数台のPCは全てセブンに。
事務員さんと二人で十数台?
まあ、色々と事情が有るのだ。

上等かつ高性能のデスクトップとノートXPが二台残った。
「廃棄するなら私に頂戴ませ」
財産処分の合理的な方法として、かつコンプライアンスを遵守し、ノートPCを有り難く頂いた。
持ち帰り、それにFTPソフトをインストール。
勿論、ネットにも接続した。

このHPへの接続OS、4.13現在で19.61%がXP

サポート打ち切り後も使い続けられているXP機は世界に600〜700万台あるそうだ。
大見得を切るが、
セブンだろうがエイトだろうがナインだろうが買う金に事欠いてない。
それに、誰がどうのこうの言おうと知った事ではない。
私はメカが壊れるまでXPを使い続ける。
ビビッていて、PCが使えるかってんだ。

そういう問題じゃないだろうって云われるだろうが、
そういう問題なのだ。





■2014.04.10  night  管理人

13ホームのY君、片道6時間の高速道をすっ飛ばし毎回準備会に参加している。
「いや〜別にすることないし、毎日が日曜日なもので」
Y君、簡単にそう云うが、
私はたとえ毎日が日曜日でも、片道6時間も高速道をすっ飛ばしてなんてとても無理。
東京から高速を6時間すっ飛ばしたら何処に着くか、そう考えればどれほどの事か大凡分かるだろう。

彼は一級建築士、
郷里を遠く離れ仕事に就きそして65歳、そこでリタイヤしている。
十分以上働いたから、もう仕事はいいそうだ。
それで仕事を離れると、途端に付き合う友人が居なくなったそう。

古里に還りたいのだが、奥さんが当地に縁が無くそれもままならないそうだ。
それで片道6時間高速道をすっ飛ばし毎月同窓会準備会に顔を出している。
私とモチュベーションはかなり違うのだが、その気力は大したものだ思う。
当然だが、其の夜は彼も交えて居酒屋で大騒ぎした。



偉くなったので、私には助手の記録班が付いている(笑、
居酒屋はスマートフォンでカフェはデジイチで、
しかしデジイチ露出が合ってないところが憎めないが、補正の画像処理に苦労したのだ

仮に、私が東京で仕事に就き、65歳まで勤めあげたとしたら如何しただろう?
私には仕事を離れてもY君と違って東京に友は大勢居る。
付き合う友に事欠くことは無いのだが、
それでも本能的に古里を目指しただろうか?

今の私と、
仮に、東京に住み続けた私。
Y君を見ていて、どちらの私が良かっただろうか?
ふと、そんな事を考えたが、
それは、どちらもそれなりに良かっただろうと思う。

喧騒と憂鬱、ペーソスがごった煮になった65歳。





■2014.04.08  night  管理人

出張、広島市を歩いていて思った。
入社時期だから余計に思うのだが、黒いスーツ着た若い方が闊歩している。
広島市は中国地方の中核都市、それなりの企業の本社や支社があるのだろう。
返して我が街、そういう人種を見る事が少ない。
我が街から、多くの企業が経営の合理化で支社や支店、いわんや出張所まで引き払って久しい。
新入社員はきっと本社やそれなりの支社・支店で新人教育を受けるのだろう。
だから、我が街にはフレッシュな黒スーツ姿が少ないのだろう。



郊外のギャラリー&カフェ、
同窓生の好意だがコーヒー付き菓子類持ち込み自由で2時間500円、
駐車場ゆったりで絶好の場所に恵まれ感謝

私には肝心なものが一つ抜けているのだが、取り敢えず還暦青春グラフティーなのだ(大笑。

昨日、私の同窓会”組織論”を綴った。
それは、還暦同窓会からこの5年ほど、19歳を境に区切っていた人生の方針を一大転換し実践的に体現したものだ。
今や企業でも女性管理職を登用したところほど成長が著しいとテレビで云っていたが、私はそれは正しいと思う。
6日の日曜日の準備会を終え僅か2日程、この間に新人女子二人から、次から次と新しい消息情報が寄せられ、出張の道程、携帯メールが鳴りっ放しだった(笑。

返して野郎ども、
準備会で、「あいつは確か何処何処で・・・・」
ちゅう消息情報の引っかかりはアレコレ言うのだが、
一部の者を除いて、殆どの野郎、後の詰めが有ったためしがない。
要は酒を飲んで騒ぐだけ、それを別にうとみ憎んでいる訳ではない、当てにしてないだけなのだ。

相変わらず、一泊出張で疲れ果てている。
独りの夕食を済まし、もう寝る。





■2014.04.07  morning  管理人

同窓会準備会、10人位集まるかなと思っていたが18人になった。
そのうち女子の新顔が2人、前回参加した女子が声かけしてくれている。
女子を引っ張り込み、そのネットワーク力を発揮してもらう、
これが私の同窓会”組織論”の戦略なのだ(笑。

自己紹介してもらった。
「私、卒業後は同窓生とのお付き合いは全くありませんでした」
名簿に目をやると、前回2008年の還暦同窓会にも参加していない。
「こんな会に出るのは初めてで、なにも出来ませんが・・・」

自己紹介で少し警戒する気持ちが伝わってきたのでフォローした。
「大丈夫です、ここに出てきたからって何か役を押し付けたりはしませんから、ご心配なく」
「お茶して、懐かしい顔に会って、出来れば誰かに声かけして頂くだけで十分ですから」
何か勧誘されるか、はたまた役を押し付けられないか警戒していたのだろうと思う。

準備会に私から今後の幾つかの方針を提案した。
11月の同窓会まで、毎月一回準備会を持つこと。
準備会は定時・定点で開催すること。
場所は同窓生が郊外で営むギャラリー&カフェ、駐車場がたっぷりで車での参加が可能。
参加費はコーヒー代+αで500円、菓子類持ち込み歓迎、但し後始末は自分達で。
時間は13時より最大で15時まで、一杯やりたい者はその後に勝手にどうぞ。

それでご法度は、
役の押し付け、
飲酒、営業行為、それに政治的行為。
要するに同窓会まで毎月定点・定時でミニ同窓会を開き楽しもうと云う事だ。
事務局さえしっかりしていれば、後は皆に楽しんでもらえれば、おのずと”動員”につながると信じている。

打ち合わも終わりワイワイガヤガヤやっていると、
一人が私に耳打ち。
「**は如何しよう?」
「あいつは人脈広いけどな・・・・・」
「でもな、あいつは直ぐに引っ張り込もうとするから」
「本番は勿論呼ぶけど、準備会の声かけ止めとこうぜ」
結論は同じだった。

くだんの人物(同窓生)は上記のご法度の一つに確実に抵触するするとの判断、
それに私は同窓会内で”ゲバルト”したくないし、そちらの方の血は騒がなくていいのだ。
さぁ〜今日明日は広島に出張、もう直ぐ出掛ける。





■2014.04.06  night  管理人

同窓会準備会から帰って来た。
フッッッ・・・・・。
校友名簿には昭和42年卒685名とある。
私の記憶の範囲だが、確か入学者は750人だったと憶えている。

戦後の教育改革で学校群制度と云うのが導入されている。
エリアの学校を一群として、受験生は入試を受ける。
受験生は特定の学校を受験するのではなく、学校群の受験となる。
合格すると・・・・ちゅうか、基本的には全入(全員合格で入学)だが。

入学する学校がどうやって決まるのか、
学校群の高校に受験生を配分していく方法は、成績順にグループを作り抽選し、各校の平均学力が理論的には全く同じになるように配分。
絶対平等という戦後民主教育の一角をなした教育制度。
その制度が昭和37年入学組まで続き、その間、公立普通高校間の学力格差は無くなったが、総体的には公立校の学力が低下したらしい。
それが昭和38年から志望校選択受験へと制度が変わっている、
多分、絶対平等原則から競争原理を取りいれる方へシフトしたのだろう、この経過で全入も見直されている。

私等の受験入学は昭和39年、
志望校選択受験の二期生で、私はかつて進学校で時計台の有る高校を受験した。
この間の逸話を聞いたことがある。
初めて志望校を選択できるようになった一つ上の学年、人気が高かった我が母校に志望が集中したらしい。
結果、多くの不合格者を出した。

この結果に慌てたのが中学校の受験指導。
私等の受験の際には、事前に志望校選択を徹底的に指導され受験生が絞られたという。
その結果、受験生が前年度より大幅に減り、合格者が入学定員に届かなかったらしい。
慌てた高校が二次の追加募集を行い、大量の二次募集生が入学したと云う。

冒頭で書いた入学者750名で卒業者685名。
当時で1クラス分が三年間で減っている。
慌てて募集した二次募集生の多くが授業についていけなく退学したのだとの一説もある。
それでも一学年685名の卒業生、その内、住所判明者が400名強。

闘争勝利なのだ!




■2014.04.06  morning  管理人

同窓会の発起人代表ちゅうか、代表幹事でもいいや。
色々と準備に取り掛かってみたが、やることはそれほどでもない。
校友会名簿には卒業生685名と記されているが、その内住所が記載されている者が約400名弱。
その名簿のデータ化を取り敢えずやってみた。

名簿をデータ化しておけば宛名シールの打ち出しも容易だし、何より、今後”動員”する際のプラットホームデータになる。
住所判明者をデータ化すれば、当然だが其の他は住所不明者又は物故者。
それらもデータ化しクラス毎、出席番号順にソートした名簿を作成し、合わせて住所でソートした名簿も作った。
校友会発行の名簿よりはるかに詳細なデータ化された名簿が出来た訳だ。

ついでに、分厚い百科事典程の卒業アルバムをスキャンし、B/5サイズに縮小しハンドブックサイズに軽量で容易に持ち歩けるように製本した。
準備会で誰がどうのこうのと云ってもアルバムが無ければさっぱり分からない。
更に、前回2008年に行った同窓会参加者を名簿に落し、欠席通知を貰った者も名簿に落した。
以上で、何時でも同窓会開催案内が印刷発送できる準備が整った。
取り敢えず、思い入れを一旦棚に上げておいて、仕事と割り切ればそれほどの事ではない。

それでもって、皆でワイワイガヤガヤやる部分も必要。
案内文の文案、
当座に必要な費用の分担、
会場設定と運営進行の役割分担とシナリオ、
二次会の段取り等々。

でぇ・・・・、
その一旦棚の上に上げた厄介な思い入れなのだが。
こちらはそう簡単ではない。
前回2008年開催の時と違って、私は”あの子”の消息を知っている訳で、
そちらに如何対応するか・・・、せざるか・・・。
発起人代表ちゅうか代表幹事なんぞよりは、そちらの方が百倍大変なのだ。

これから準備会に出掛ける。





■2014.04.04  morning  管理人

今日は近場だが隣県への出張。
マイカーだと片道2時間半、我が家から目的地まで殆どが高速道。
他人様はどうかは知らないが、私には高速道路の走行は目や肩の神経に堪える。
若い方なら車で片道2時間半ぐらいちょいだろうし、マイカーならあちこちと寄り道も出来るだろうが、
私には体力もそんな意欲はもう無いので使うのは高速バス。

この日曜日、二回目の同窓会準備会。
この会の名称が曲者で、
私は「同窓会準備会」と呼び、
或る方は、「同窓会幹事会」と呼び、
また或る方は、「同窓会発起人会」と呼び、
またまた或る方は「同窓会実行委員会」と呼び、まるでてんでバラバラ。

まあ、そんなもんだから発起人代表だろうが代表幹事だろうが、どうでもよいのだ。
昨日、発起人代表はたまた代表幹事の仕事ついての認識を記したが、
記した通り、今、私が仕事としてしていることと殆ど同じようなものと考えている。

開催の文書発文、
参加者名簿の整理、
レジメを作成、
活動報告書の台本まとめ、
会議進行シナリオ、
事前打ち合わせ、
会場の手配、
宿泊の手配、
会費の算出、
請求徴収、
費用の清算、
懇親会の手配、
その他諸事万端、
肝要なのは決して目立たない、出しゃばらないこと。
事務局、事務方なんてのはそんなもの、同窓会だろうが仕事だろうがたいして変わりはしない。
違うのは”報酬”が無いだけ。

但し、一つだけ譲れない事がある。
事務方ちゅうのは決して”主役”ではない事。
幾ら都合良くノリの軽い私を担ごうたって、主役だけは絶対ならないから、
私の人生は事務方、裏方、一兵卒がモットーだから。

ボチボチ、出張に出る。





■2014.04.03  morning  管理人

妻は疲労困憊。
春休み、我が家が一時フルタイム保育園に。
年金生活専業主婦の妻は付きっ切り。
見かねて私も助っ人に、それで私も疲労困憊。

4月に入った。
収支計画を審議する理事会をこなし、今は決算。
決算の目途がつくと決算理事会と総会議案書作成。
5月の通常総会の段取り、役員改選と一部定款改正。
昨年は新法人への移行とブロック幹事の業務が合わさり繁忙を極めたが、
今春は粛々と法人業務が進んでいる・・・・・と言いたいのだが。

短期間だが初めてのフルタイム保育、
大同窓会のお役目、
それに持ち回りの町内会長のお役目、
この2月でブロック幹事のお役目御免となったのに、如何や気ぜわしい事このうえない。



サロンの長老が「平和団体に寄贈して下さい」と戦時中の鉄カブトを職場に、
ペラペラで難なく玉は貫通すると思う、これでは私等のメットと大して変わらないと思ったのだ。

ところで大同窓会、
前発起人代表逝去という状況で浪花節的に代表を引き受けたのだが、昨日、関東同期会からハガキが届いた。
文面は、「今年は郷里で同期会(同窓会)が開かれるから関東同期会は開催しません」と。
その後に郷里の同期会(同窓会)の日程と会場が記され、
その後に「代表幹事****」と記してある。
****は私の氏名。
?・・・・・・。

発起人代表は確かに引き受けたのだが、代表幹事という認識は私には無い。
何処でどう拡大解釈が進んだのか、
本人の認識とは違う状況が着々と進んでいるようだ。
担いでしまえば後は何でもいいのだろう、多分、私ははめられたのだ。

やってやろうじゃないか、
今の法人事務局長の仕事も代表幹事も似たようなもの、
ちゅうか、ほとんどやるこたぁ同じ、
仕事と思えばちょろいもんよ、にゃろう!




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