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■2014.06.29  night  管理人

週の内四日ほど妻は義母が独り暮らす実家に出向く。
だから週の内四日は独りで夕食をとり床に着く。
することは夕食の後片付けぐらい、私も世のすねた老人の類でスポーツやテレビには一切興味が無い、だからいい加減人より早い就寝がますます早くなった。
目覚めは早朝というより未明の場合が多い。
そう書くと異常な生活をしているように聞こえるかもしれないが、睡眠時間は人並だから生活時間のスタートが人より三時間程早くシフトしているだけ。

金曜日は妻のいない曜日、だから飲み会は気兼ねなく最後まで付き合い終列車で深夜帰宅した。
終列車と云っても午後11時過ぎ、家には何とか其の日のうちに帰りついた。
ここで既に日頃の生活時間から四時間以上のズレが。
独り床に着くが其の日の事が頭の中をグルグル回り目がさえて眠れない。
シャワーを浴びてみたが、結局、朝まで眠れなかった。

土曜日は孫娘を遊園地に連れて行く約束をしていた。
朝早く彼女を引き受け、妻が帰宅するまで私一人で面倒をみる。
寝不足で注意力散漫になりそうなのだが、相手は一刻も目を離せない。
妻が帰宅する頃には既に疲労困憊。
半日程、走り回る彼女の後につき回り目を細めていたが、夕刻、父さんに彼女を無事引き渡すと午後七時過ぎにはベットに倒れ込んでいた。

日曜日、今日も妻は義母の実家へ。
そろそろ日没、独りだし特段したいことないから食事の後片付け済ませ普段通り寝る。
皆さんの”宵の口”は私の”深夜”だからよろしく。





■2014.06.29  morning  管理人

実は、市立J中同窓会前夜の飲み会には長い序章があった。
関東からJ中同窓会で2名帰って来る、前夜に一杯やらないかとの連絡は3ケ月程前のことだった。
携帯メールに2名の名が記してあった。
その内の野郎は高一で同じクラス、進学せず東京で大手家電メーカーに就職した仲良しだった。

確か大岡山の社員寮に入り、月給前に貧乏学生の私にしょっちゅう金を貸せと桜上水の下宿に訪れた奴。
寮費を払うと手元に殆ど金が残らないと聞いた、何故とまでは聞かなかったが、
高校時代に複雑な家庭環境だと聞いていたので多分親に仕送りしていたのだと思う。
進学をあきらめ就職を選んだ東京では数少ない同窓生だった。

問題は彼の事ではない、もう一人帰省してくる女子のほう。
私が何度も何度のここの日記に綴っている飲兵衛の女子、ワイングラス三個に地酒を並々とつぎ、
「好きだったけど、何も言えなかった。
デートしたこともないし、手を握った事もない。
勿論、キスなんて論外。
思い続けるだけだった」
と、切々と愚痴ってくださった彼女。

私はその後、その相手との「電話再会」を仲介しており、二人はこの秋の同窓会での再会を約束している。
これは或る意味今秋の同窓会の一つの「ネタ」になる。
再会はこの秋まで取っておきたいと云う政治的判断が私の頭をよぎった。
その高度な政治的判断と、折角、帰って来るのだから会わせてやりたいと云う優しい気持ちが交差したのは言うまでもない。



色々と差し障りの有るかもしれませんで、顔のマスキングは何時もより大きめに

一月ほど考えた(笑。
人の運命のチャンネルを握るのは苦しい事だとつくづく思った(笑。
気持ちは両方に交差したが、結論は「知らせない」に決めた。
同窓会幹事代表としては正しい判断だと思った訳だ(笑。

ところが6月3日の事、彼から携帯メールが届いた。
6月1日、私が東北旅行で欠席した同窓会準備会に彼は参加し、飲兵衛の彼女が帰省してくる事を聞き及んだと云う。
是非、そのJ中の飲み会に参加したいとのお願い。
私以外の所から情報が漏洩したのだ(笑。
盛り上がるネタが一つ潰れてしまうと思ったが、もう白を切れなくなった。

ここまで書いたが・・・・、
金曜の夜は、
展開が”それほど”だった訳で、
当人たちはさて置いて、”私の気持ち”の方が整理できない訳で、
かなり先の後日、気持ちが落ち着き納得してから備忘録で綴るつもり、
今朝はここまで。





■2014.06.27  morningU  管理人

Nさんの写真を探した。
USBメモリーにためたものには数点しか残っていない。
保管してあるSDカードを総浚えすれば他にも幾つかあると思うのだが。
一番古いものは2004年12月12日と写真のフロパティにあるが、残念だがこれは携帯電話の画像で極めて不鮮明。

Nさんとは2004年、イラク戦争開戦時に立ち上げた反戦平和のグループで初めて知り合った。
その時はNさんがかつての反戦労働者で'70年闘争の逮捕者第一号とは知らなかった、それを知るのは随分と後の事。
その後グループは姉御の強引な引き回しもあり年に一度から二度、結構な本数の講演会をNさんと一緒に取り組んだ。

Nさんと私の役割は何時も会場準備に整理、そして受付と決まっていた。
講演が始まっても受付は撤収せず、まともに講演者の講演を聴くことは少なかったと思う。
そんな縁の下の役割に徹し、決して表舞台で目立とうとしないところに何故か気が合っていた。
たまに講演を聴くことがあると、Nさん質問で直球一本、ストレートな問をぶつけるのが常だった。



パレスティナに詳しい京大大学院教授の岡真理さんと姉御とNさん、蓮池透さんとNさん

講演会の終了後に講演者との懇親会を何時もセットで用意した。
私もNさんもこれが楽しみだった。
懇親会では講演者が壇上でオフィシャルに発言できない本音の部分が聞ける、関係者でなければこんな機会には恵まれない。
酒が進む度にNさんのポテンシャルは上昇した。

先日、元毎日新聞記者の西山太吉さんの講演会があった。
この講演会は私等のグループ主催ではないがNさんも参加したらしい。
そしてお決まりの懇親会にも参加したらしい。
きっと熱心に講演者と話したと思う。

夜も更けてその帰路、交通事故にあってしまった。
何と言えばいいのか分からない、
ただただ残念、無念。


■2014.06.27  morning  管理人

小学六年だから多分1961年、卒業を間際に控えた2月1日に転校した。
父の転勤はいわゆる栄転で、郡部からお街の職場への昇進だった。
後一月ちょっとで卒業なのに、幼心に辛い出来事だった。
転校したお街の小学校にいたのは一月とちょっと、なじむ間もなく卒業した。

無茶苦茶な転校に輪をかける辛いことがあった。
郡部の小学校で私の通信簿は殆どが「5」だったのが、三学期の転校先の通信簿から「5」は消えていた。
母に「一月余りでは成績評価のしようがない」と改めて断りがあったと聞いた。
辛いのは通信簿から「5」が消えたことではない。

私立進学校の中学受験に失敗した。
姉も兄も通っている学校だった。
だから、当然、私も通えると信じて疑っていなかった。
受かれば、今後、父の転勤があっても姉兄と一緒に下宿し転校しなくてもよい、それを夢にまで見ていた。

一月ちょっと在籍した小学校を卒業し市立中学校に上がった。
当然だが、小学校からの友達は皆無、それでも少しずつ友達が出来た。
二年に上がるとき、またまた父の転勤があった。
その時の常識外れのたった一年での転勤は、部下の不祥事の責任をとっての郡部への左遷だった。

転校先で一年、やっと友達が出来た頃またまた常識外れの父の転勤。
一年の左遷期間が解けて、父が元の職場に復帰する転勤だった。
父の転勤で小学校は四回、中学校は一年区切りでズタズタ。
中三の転校は先日6月6日の日記にも書いた。

浄土平

明日28日、市立J中の同窓会があるそう。
私が変則的に一年と三年生で通ったのは市立A中学校。
だから原則関係ない。
が、その前夜祭に今夜お呼ばれしている。

私の出身中学でない市立J中の同窓会に、高校の関東同期会の二人が帰ってくるそう。
折角だから一杯やろうとのお誘い。
メンバーは基本的にJ中卒業生。
高校の同窓のよしみで参加するのだが、A中は私のみ。
根はシャイ、心細いのだがネットワークを拡げるいい機会と思って参加することに。

ズタズタの小中九年間の反動なのか、
もうどうでもいい性格になったようだ。



■2014.06.25  night  管理人

順番さえ違えなければ、それは人の摂理で避けられない事。
だからこの歳になると、葬儀で涙する事は滅多にないのですが、
焼香の時、こらえ切れずにこみあげてきました。

最後のお別れした顔は、事故のせいだろう・・・・、
隠すようにその頬にそっと花を添えました。
もっと生きて欲しかった。

あの時代、労働者と学生と立場は違えども、
世界を共有した仲間がまた一人遠くへ行ってしまいました。
寂しいです。




■2014.06.23  morningU  管理人

昨年の7月17日の日記に綴ったNさん、
何時もこの日記を見ていてくれて、長期間更新がないと心配してくれた。
ネットの世界は虚虚実実、更に匿名だと何を書いても責任を取らなくてよい。
私も原則匿名だから、虚虚実実の実々を省き虚虚の何を書こうがいいのだが。

しかしどっこい、リアルな世界で私の日記をチェックしている方が何人か居る。
Nさんはその内の一人、私のすぐ近くに住んでいる。
だから安易に面白おかしく虚虚を書いたら直ぐに厳しいチェックが入る。
そんな緊張関係を持って匿名で書いている。

そのNさんが日曜日未明、交通事故で帰らぬ人となった。
今更だが人の一生って分からぬことを思い知らされた。
明日、葬儀。
Nさんの履歴を一言で書く、
「'70年闘争、反戦労働者で当地の逮捕者第一号」
これ以上の説明は無用。

「おい、昨日の日記ホントの事か?」
「嘘だろう・・・」
そう云って、も一度職場を訪ねて欲しい。


■2014.06.23  morning  管理人

土曜日、出張先ホテルに妻からメール。
「日曜夕方、次男坊(夫婦)が来ると連絡ありましたよ」

当初の予定だと、日曜日は夜も更けての帰宅となる。
それだと次男坊に会えないから、日曜日、予定を切り上げ早めに出張を撤収した。
休日を潰してのボランティアだし、マイカーで馳せ参じていたのでいいのだ。
次男坊達とは久しく会っていない。



 オリジナルもいいが此方のカバーもしっとりといい

何とか夕食に間に合った。
用事は少し遅れての父の日のプレゼントを持ってきたとのこと。
いずこも同じだろうが、人生真っ盛りの子供達は安穏な私と違ってストレス多い環境にいる。
二人にさりげなく仕事の話など聞きだす。
お互い支え合い、それなりに順調にやっているようで安心。

休日二日も潰したので、今日は午後から社長出勤なのだ。




■2014.06.21  night  管理人

涙がポロポロ。

別に悲しいことがあった訳ではない、
カーコンポから何気に流れる「はなみずき」
聴いてて涙が落ちてきた、
きっと歳のせいだろう。

薄紅色の可愛い君のね
 果てない夢がちゃんと
 終わりますように
 君と好きな人が
 百年続きますように

 夏は暑過ぎて
 僕から気持ちは重すぎて
 一緒にわたるには
 きっと船が沈んじゃう
 どうぞゆきなさい
 お先にゆきなさい

 僕の我慢がいつか実を結び
 果てない波がちゃんと
 止まりますように
 君とすきな人が
 百年続きますように 

連れ合い五人

土曜日だというのに巡業のドサ回り、総会の来賓出席のためマイカーで出向いた。
その車中、同窓会の企画を思案した。
宴会一次会は13時スタートで16時までの3時間に。
でも経験上3時間では足りないので、その前の12時に開場しようと思っている。

涙が乾くと思いついた。
ウエルカムドリンクサービスは必要、それとBGMで「はなみずき」を流そう。
高校の三年間だけでなく、
青春全部を振り返るつもりで。



■2014.06.16  morning  管理人

「腰がぁぁ・・・・・・」
朝、起きると腰が曲がらない、
無理に曲げようとすると痛みが伴う。
日頃でも起き立ちは難儀しているが、昨日からのレベルはそれの数倍。

松江へは在来線特急を二本乗り継ぎ片道所要時間6時間余り。
ローカル在来線特急なもので列車は”振り子”車両。
カーブを曲がるたびに車体は大きく傾き、体はバランスをとるため無意識に反応している。
一泊二日のトンボ返り、行って帰るまでの所要時間36時間のうち12時間余りこの振り子列車のシートに座り続けていたことになる。
写真は松江駅と行き違いの特急。
はるばる出雲の国まで行って写真はこの二点、ドサ回りの巡業はもうそろそろ体力の限界に近い。

土曜日は同窓会の代表幹事と事務局二名での臨時幹事会。
月初めの準備会を東北旅行ですっぽかしていたので、事務局幹事さんから幾つか報告を受ける。
懸案事項は同窓会の会費を幾らにするか。
大方の同窓生は勤めを終え年金生活に入っている訳で、前回の準備会ではそれも考量が必要という意見も出されているらしい。
5年前の還暦同窓会は会費8千円で賄っている。

高校の門を出た時、スタートラインは一部の例外を除いて皆一緒だったはず。
それから50年余り、この半世紀の間にそれぞれには経済的な格差は少なからずある。
そして年金生活。
それらを考慮して平均的で妥当な会費というのを定めるのは容易なことでない。

三名の幹事会はシンプルに結論した。
「同窓会ちゅうのは別に公共的な事業である訳でなく」
「出れない者、参加したくない者に強制するものでもなく」
「会費が安いから来る、高いから来ないものではない」
「出たい者、参加したい者が来るから、会費は前回並と同じでよい」
有体に言えば前回を踏襲したということだ。

会費に関して、同窓会ってものはややこしい事がも一つある。
会費は当日会場で徴収する。
日頃繋がりがある者はいいが、同窓会ってものは繋がりがない者が集まるからその値打ちがある訳で、来ると云っていて来ない者、ドタキャンする者から後日の会費徴収は出来ないと考えたほうがよい。
準備費用と会費回収リスクを経費とし、宴会費用と加算し参加員数で割ったものが最終の会費額になる。

これを決めるに幾つかのパターンがあるそうだ。
予め会費額の中で費用の一定額を確保する方法。
会費を8千円、宴会費用を7千円にし一人当たり千円を確保、100名参加予定だと宴会費用は70万円。
5名(5%)のドタキャンだと会費収入は76万円、宴会費用100名分70万円支払っても6万円の費用が確保できる。
が、これが10名(10%)のドタキャンだと費用の確保が2万円で運営が厳しくなる。

も一つの方法は、
宴会費用を料理と飲料に分別し、料理は参加者予定数の7〜8割程度の発注、飲料は実参加者数で清算し、料理差分を費用に当てる。
この方法だと、
この収支計算は少し複雑なるが、こちらの方法が一般的に用いられているらしい。

それと公式の二次会。
これは会場会館の最上階ラウンジを予定。
これがワンパッケージ方式で10万円。
50名参加で一名当り2千円程。
話し足りない者同士が集まるのだから料理はつまみ程度。
これも参加が少ないと一人当り額が大きくなる。

ちゅうて、長々と御託書いたのはこの日記を備忘録代わりにしている訳で。
それはそうと、今日から隣のビルのアスベスト撤去工事が始まるのだ。



■2014.06.12  morning  管理人


朝一便で松江へ。







■2014.06.11  morning  管理人

「右の方が空いてるけど、見えないの?」
「ウ〜ン、見えません」
「困ったな・・・・」

昨日は午前中健診、昼から小型船舶免許の更新講習に行っていた。
講習の前に視力検査と簡単な身体検査がある。
視力は0.5以上、身体検査は四肢が動けばよい。
その視力検査、私の前の男性に検査官が往生している。

思うに、
検査官は「右が空いている」と遠まわしに回答を言っている訳で、
「見えます」と一言いえば、検査はそれで終わりなのだが、
年配の男性、その配慮に気づかず「見えません」
いやはや、律儀といえばそれまでだが。

ところでウインドウズXP、
今朝、セキリティーソフトに警告が出た。
「オペレーションシステムが最新ではありません」
そりゃ〜最新は無理な話だっぺ、更新サービスは4月8日で終了しているのだから、
そう思ったが、ひょっとしたらと思いヘルプとサポートでwindows updateをかけてみた。

これがその証拠画像。
真面目に買い換えた方々には不誠実だと思うのだが、
使い続けている私らには有り難い。
これで4月9日以降三度目のupdate

世界のインターネット人口は昨年2013年で27億4千万人だそうで、毎年2億人増えているそうだ。
今年で30億人を越すと言われている。
その内スマホが半分としても15億人ほどがPCを利用。
PC利用の一割がまだXPを使い続けているとすれば1億5千万台。
私のミクロの統計をそのままマクロに引用は出来ないだろうが、それでも使い続けられているXP機は半端な数ではないはずだ。

ネットで調べてみたら
「OS自体の更新は無いが、悪意あるソフトウエアー駆除ツール更新は2015年7月14日まで続く」と。
今回はXPオフィスソフトのワード・エクセル2007の更新も入っていた、
一概にそれだけではないようだが。
マイクロソフトが約定を違えて、こっそりアップデートを続けるのはこの”数の力”のようだ。






■2014.06.10  night  管理人

「お薬・・・・、飲んでないんですか?」
「悪玉も善玉も結構高いですよ!」

健診最後の問診、結果の数値をしげしげと見ていた医師に云われた。
「そんなこと言っても、今まで服薬しなさいと云われた事は無いし」
心の中でブツブツそう云いながら・・・、
「そうですか、中性脂肪の数値そんなに高いのですか?」
医師はそれ以上は返答してくれなかった。

年一度の健診に行っていた。
健診は一貫して優等生・・・・と数年前までは云い切っていたが、
この中性脂肪の数値のみが年々上昇を続けている。
医師ははっきりとは云わなかったが、服薬を勧めるようなニアンス。

 浦上天主堂、これも寂しくセルフタイマーで

ところで、
妻は長年保健福祉畑に関わる仕事に就いていた。
いわゆる業界や行政の裏に詳しく、常日頃憚らずに云っている事が有る。
「一定の年齢を越すと健診なんて必要ない」
「無駄な医療は止めて、人の寿命として受け入れたらいい」
「そうしなければ、社会は近々そのコストで押しつぶされてしまう」

その妻に早速報告したら手厳しい返答が。
「貴方はね、食事も正しいし、酒煙草、夜更かしもしないし、ストレスもないですよね」
「はっきり云って健康な生活をしています」
「足りないのは運動」
「必要なのはお薬でなく、体を動かす運動です!」

殊更に、ビシット云われた。
云われなくても本人が一番分かっている、
リタイしたらヤルゾヤルゾと念じて早5年も経ってしまった。
この一年で仕事を整理し区切りを付け、中性脂肪との長年の決着を付けるのだ、
私も殊更にそう思ったのだ。

明後日から出雲の国、松江へ。
中性脂肪の減らない・・・出張と会議。







■2014.06.09  morningU  管理人

会津若松から右手に会津磐梯山を、両脇にスキー場を見ながら桧原湖畔に。
高原の湖でリゾート地、初夏の爽やかな風が吹き抜けてゆく。
車はハイエースグランドキャビン10人乗り。
ドライバーは三名で交代だが、私はこの日後半の姥湯温泉の路を任されているので戦力温存。

会津若松を10時半過ぎに出発、順調なドライブが続く。
桧原湖畔でしばし休憩を取っていると、
「昼食は白布温泉の蕎麦屋の吾妻軒」
「その日に打った蕎麦を完売すると暖簾を仕舞ってしまう」
「何とかそれまでに店に着かなければ」
おいおいそんな事は手前に言えよ、だったが仕方ない。

ドライバーが俄然その気になりコーナーを攻めだした。
隣のナビゲーター役が一言。
「俺は車には強く酔わないが、このナビ画面は見てるだけで酔いそうになる」
東西南北が瞬時に変わるくねくね路、ナビ画面は動物の腸のよう。
それほどまでにして急いだ蕎麦屋、着いてみたら「本日休業」
よくある事だ。
「こりゃしゃない、米沢市まで行くしかないんべ」
ドライバーは一気に落胆、女性陣も車酔い、優しい運転の私に交代。

ところがどっこい、神は見捨てていなかった。
それから5分も走らない交差点、蕎麦屋の旗がなびいていた。
旗に導かれて走ること2〜3分、昼間は蕎麦屋を営む民宿政坊に行き着いた。
店前は行列で閉店は午後2時、30分待ちで閉店間際にやっとこさ店内に。

これが・・・、
決して空腹だったわけではなく、10名全員が「旨い」と絶賛。
外れもあれば当たりもある、これだから旅は楽しい。






■2014.06.09  morning  管理人

東北福島秘湯ツアー、一日目は高湯温泉玉子湯、二日目は会津若松泊、三日目は姥湯温泉枡形屋。
高湯温泉と姥湯温泉は峰を挟んで直線距離で7〜8km程しか離れていないが、姥湯温泉は山形県になる。
三泊四日の行程は、高湯温泉から磐梯吾妻スカイラインを通り新野地温泉に立ち寄り、磐梯山東側を猪苗代湖に抜け会津若松市へ。
会津若松からは磐梯山西側を県道2号線を北上し白布峠を抜け米沢市へ、米沢市から国道13号線を経て山形新幹線の峠駅へ。
峠駅からの行程は3日の日記に綴った。

姥湯温泉の露天風呂は混浴。
混浴といっても夕方6時から8時の間は女性専用になり男性は入れない。
反対に女性は何時でも入浴可。
つまり夕方6時から8時の間だけ男性を排除している。

夕食時に宿の方に尋ねた。
「朝は何時から入浴できますか?」
「一様、午前六時からですが、皆さんそれよりも早く入られているようです」
宿は早朝の入浴を黙認していると受け止めた。

勿論、女性は入っていません

翌朝、午前四時半に起床し四時五十分に露天風呂に向かった。
早朝なら誰も居なくて記念写真が撮れるだろうとカメラも持参。
露天風呂の周りは岩が覆い中が見えない造りになっているが、既になにやら人の気配がする。
近づくとスッポンポンのご婦人二人の姿が眼に入った。
脱衣場から今まさに露天に向かおうとしているところだった。

「ウム・・ヤバ!」
如何しようか迷った・・・が、
バリケード篭城を決意した'68.9.4の未明と同じ。
''68年と多勢に無勢の状況は全く同じだったが、直ぐに正反対の結論を出した。
「退散!」

部屋に帰り妻に事の仔細を報告した(笑。
部屋に待機すること30分ほど、
「もう出ているだろう」と再び露天風呂に向かうと、脱衣場から着衣のご婦人が三人。
「今なら、誰も入ってませんよ」
余裕で声を掛けられてしまった。

東北の温泉に通って三年になる、当方がスッポンポンは何度かあるが”敵”がスッポンポンは初めて。
人生、何が起こるか分からないのだ(大笑。







■2014.06.08  night  管理人

「この週末、お父さんに買って欲しいものがあるそうですよ」
長崎出張から帰ると、妻が息子達からの言付けを預かっていた。
買ってあげるのはやぶさかではないが、東北からキックターンで長崎出張、帰って直ぐはいささか疲れていた。
それでも可愛い”彼女”の為ならと、休みなく買い物に。

「この年頃ですと三ケ月程でサイズが合わなくなりますから」
一丁前にサイズ合わせ。
店員さんの説明は一概にセールストークとは言えないようで、今の13cmの靴はもう可愛いつま先が当たっているらしい。
それでもって13.5cmの靴とサンダルを。

それからデパート。
妻が云うには、何時もは安い服を買っているので、今日は”ブランド”品を買って欲しいそうだ。
可愛いドレス数着、
それに可愛いゆかた着、
ここまでが息子達の事前の要望だった。

「私の方でも買ってやりたいものが有るのだが・・・」
ついでではなく、私には前々から”彼女”に買ってやりたいものがあった。
水玉模様の雨靴、
水玉模様のポンチョ、
それに水玉模様の雨傘。

息子達が選んだのは赤い花柄だったのが残念だったが、
”彼女”との雨のお散歩が楽しみだ。






■2014.06.07  morning  管理人

会議は昼まで、博多行き「かもめ」は午後三時頃の便を予定していた。
駅から西へ電車で10分程で平和公園、東へ10分程でグラバー亭。
さてどちらへ行こうかと迷ったが、修学旅行で絶対外さないのは平和公園だと西行きの電車に乗った。
平和公園は小学生で溢れていた。

歩いて浦上天主堂、そして原爆資料館へ。
資料館も小学生で溢れていた。
熱心にガイドの話を聞く子。
座り込んで一生懸命何やらメモしている子。

ふと、直後の生々しい映像を流しているディスプレイの前に立ち止まった。
見ていて、この老いぼれの目から涙がポタリと落ちた、
中三の私だったらどう受け止めただろうか、
行きそびれた修学旅行から半世紀が過ぎた。

人生まだまだ、
闘争勝利!
なのだ。





■2014.06.06  night  管理人

中学校は一年から二年に上がる時、そして二年から三年に上がる時、二回転校した。
毎年転校した事になる。
その二回目の転校、二年から三年に上がる時、小学一年から通算すると7回目の転校になる。
「もうこれ以上転校するのは嫌だ、代わるんだったら一年の時居た学校に戻してくれ」
私は初めて親に反抗した。

頑として譲らない私に父親も困り果て、
それで、色々無理して元の学校に戻してくれた。
無理したと云うのは、赴任地の官舎とは別に私の通う中学校区に借家をもう一軒構えた。
公務員の安月給では経済的には大変だったろうにと今更に思う。

元居た中学校に戻ると、予期せぬ事が分かった。
私が二年生で通った中学校は修学旅行が三年の春の予定だった。
そして、出戻った中学校は二年生の秋だった。
つまり、もう修学旅行は終わっていた。

今の中学生がどうだか知らないが、
私等の時代は娯楽も少なく、中学校で一番楽しいのは修学旅行。
どんなに楽しみにしていたか、今の子供には分からないだろうけど。
痛恨の極みだった。

中三というと15(イチゴ)、
それら50年後のリベンジ・・・・ちゅうのは嘘で、出張で長崎に行っていた、
イチゴの春にここで撮れなかった記念写真を独り寂しくセルフタイマーで。
福島からのキック・ステップの出張だったもので、65歳はヨ・レ・ヨ・レ。






■2014.06.04  morning  管理人

私が管理者をしているビルは築後16年になる。
耐震設計が施され外観のヘタリもなく今のところ問題は生じていない。
半年ほど前、隣のビルの法人オーナーが訪れ、老朽化に伴い近々にビルを建て直すという申し入れを受けていた。
ビルの解体・建築は近隣に大きな影響を及ぼす、つい最近は地質のボーリング調査の騒音で悩まされた。

東北の旅行から帰ると事務員さんの報告、
「解体業者が訪れ、今月から作業に入ると挨拶に来ていました」
「それで、タオル一本置いて行きました」
「これが工程表です」

工程を見ると、1ケ月間ほどの「吹付石綿除去」の欄、
「区間養生」とあり、その工程欄だけバックに色が付いている。
「この工程について何か説明が有りましたか?」
事務員さんは特段何も無かったとの返事。
「区間養生」の意味とその工程欄だけのマーキングにどうしても引っかかった。

気になったので、市の建築指導の部署に電話した。
幾つか部署をタライ回しされた後、環境保護の部署に行き着いた。
「その解体工事、アスベストを含む石綿除去工事の届出を受けています」
「区間密閉し、負圧を掛け、粉塵はフィルターで除去しますので、法令の安全基準を守っている限り安全です」
私、
「それって近隣への通告義務は無いのですか?」
「それと、工事の安全基準が法令どおり守られているかどうか行政として管理監督はするのですか?」
役所、
「法令の安全基準を守る義務はありますが、近隣への通告義務はありません」
「法令の安全基準が守られるという前提で、工事の管理監督はしていません」
私、
「・・・・・・・・・・・!?」

姥湯温泉

私がイマイチ納得しかねていると思ったのだろう、
「労働局健康安全課にアスベスト工事に関わる専門の担当官が居るので、そちらにも問い合わせたらどうでしょうか」
市から国へのタライ回し、
労働局はアスベストに関わる労働者の労働安全衛生にかかわる労働行政であり、近隣の一般市民には関知していないとの事、
反対に近隣の市民に関する事でしたら市の環境行政の方に相談してくださいと云われた。
結局、私の懸念は市と国のエンドレスのタライ回しとなった次第。

行政は法令違反で被害が出れば出動し、
それまでの経過に関しての責任は生じない訳で、
一方、ビルの管理者は入居者の健康に責任がある訳で、
仮に被害が出れば、それまでの経過と結果の両方に管理責任を問われる訳で、
如何すればいいんべ。






■2014.06.03  morning  管理人

その昔、30歳を過ぎてスキーを憶えた。
教えてくれたのはヨット仲間。
初めて板をつけた日、北壁の上級ゲレンデにリフトで無理やり連れて上げられた。
ファミリーゲレンデでボーゲンから入るスキー入門なんて生易しいものでなく、北壁の上で恐怖で身体が強張り身動き出来なかった思い出がある。
しかしその無茶苦茶な指導で憶えたのが根性スキー、お陰で少々の北壁ではビビらなくなった。

ゲレンデで傾斜が30度を越すと、上から見下ろす感覚はほとんど絶壁。
机上、分度器で測る30度ってのは感覚的にたいしたことはないが、
それが人間が感じる実際の環境では、分度器での30度とは全く世界が違う。
私のレベルでこの角度のゲレンデ、恐怖で前を向けない。
横向いて滑るのがせいぜいでゲレンデの端っこでキックターンして折り返す。



左:高湯温泉玉子湯、 右:浄土平の雪渓

滑川温泉から姥湯温泉に分岐する道路の口に表示があった。
「これから先道路幅員が狭いため対向車に注意」
それまでも道路は狭く、行き違いには難渋していたのでこの表示はそれほど気にせず姥湯温泉に通じる道に入った。
問題は幅員ではなかった。
途中の道路標識「勾配22%」

絶壁のような傾斜の上り坂ヘアピン手前に「切り返し」が必要な表示。
レンタカーはハイエースグランドキャビン10人乗り、ロングボディなものでトホホ・・・・。
切り返す際ハンドブレーキを引かないと車が断崖の方にずり下がる。
オートマでサイド合わせをしたのはそう何度もない、
やっとこさヘアピンを抜けホット気を許した眼前にまたまた切り返しが必要な絶壁ペアピンカーブ。
ご親切にダブルペアピンだった。

正直ビビった。
スキーゲレンデで30度オーバーは殆ど絶壁だと感想を書いたが、道路の勾配22%も感覚的にはそれに匹敵。
因みに今評判のベタ踏み坂で勾配6.1%。
後ろは断崖での切り返し、
行く前は舐めてかかっていたが、
何度も云うが、ビビった。



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