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■2014.07.17  night  管理人

職場を一歩出た、熱気で立ち眩みそうになった。

夏に生まれ、一歳の誕生日を迎えた夏が二度目の夏だった。
この夏、66歳の誕生日を迎える。
だから、人生で67回目の夏。

夏に生まれ、
来年、68回目の夏を迎える。
立ち眩んでもいいから、それまで生きていたい。






■2014.07.15  morning  管理人

眠い、猛烈に眠い。
生活時間に変調をきたす出来事があり、此処のところ就寝時間が少し後ろにずれている。
なのに、習慣とは恐ろしいもので起床時間は何時もと同じ。
それで必要な睡眠時間が確保できず、故に昼間睡魔が襲ってくる。

もったいぶって、変調をきたす出来事と書いたが、
もったいぶるほどの事ではない。
今週、妻の実家の義母が手術、深刻な病気でないのでそれほど心配していないが、
ケアする妻は準備とその対応に忙しく、その余波を食らっている訳。

これでも一様、現在進行形の勤め人なもので、真昼間に昼寝という訳にはいかず、
ぼおーっとした頭で座し机に向かっている。
そんな状態では仕事にならないのだが、今の職場はそれでも通用するから、
いやはや、私が云うのもなんだが困ったものだ(笑。

夕涼み会

それでだ、
今、日大全共闘の内々のメーリングリストが面白い。
「忘れざる日々」第5号発刊に向けて作業が進んでおり、
そのやり取り+αが色々とある。
今まで明かされなかった歴史も幾つか出てきそう。

面白いから一部でもここで紹介したいのだが、
決してもったいぶっているわけではなく、
メーリングリストはそういう主旨で無いので残念。
第5号、今のところ発刊予定は未定だが、御期待召され。





■2014.07.11  morning  管理人

台風の最中、出張。
隣県への出張なもので高速バスを予約していた。
被害を未然に防いでいるのだろうが、余りにもセンセーショナルな予報なもので、
台風一個でこれほどの情報流すなら、なら、同じように流さなければいけない報道が他にもあるだろうにと思うのは私だけか。

これだけ騒ぎ立てたら高速バスもきっと運休するだろうと自家用車に切り替えた。

出来たら余分な運転はしたくない歳なので渋々。
インターを入ると高速は50Km規制。
霧というか雨雲というか、周りに垂れ込めて視界をさえぎっている、真面目に50Kmちょいまでスピードを抑えて走る。

それが峠のトンネルを抜けると景色が一変した。
ピーカンとまでは云わないが青い空にまぶしい陽光。
規制は続いていたが誰も50Kmで走っていなく、その倍のスピードで次々と私を追い越していく。
追い抜かれ我慢できない方にはそうでないだろうが、
少しスピードを抑えて流して走ると、これが心地よい。

これから復路、
人生八掛け、スピード八掛け、これがいいのだ。






■2014.07.09  night  管理人

もう一生見えないと思っていた。

それに出会ったのは2004年の10月だった。
今は死語の”ネットサーフィン”をしてた時、
ふと出会った奇妙なページに吸い込まれた。
”アレ”を感じた。

きっと”あの時代”を共にした同類だと。
メールをしたら直ぐに返事が返ってきた。
明大黒ヘル、aaghさん。
一発で友達になった。

管制塔カンパの祝勝会で一緒した。
930の会で肩組んでインターナショナル唄った。
涙ながして唄っていた。
そしてよい人の常、早々と逝ってしまった。

aaghさんのそのホームページ、
aaghさんの生前から見えなくなっていた。
ブロバイダーのサーバー移行のせいとかなんとかでサーバーから飛んでしまい復活できないと嘆いていた。
残念だったが、aaghさん生きていたから私はそれでも良かった。

aaghさん死んでしまって、そのホームページがも一度、無性に見たいと思った。
でも死んでしまったから・・・・、それはせんない事と諦めていた。
それが昨日、BBSを辿っていくとWebの星の中にポツンとあった。
きっとaaghさんの友達が再び灯を燈したのだろう。

丁度、私がaaghさんと出会った頃の2004年頃までの時限だが、
明大仏文卒のエッセンスと明大黒ヘルのペーソスがぎゅっと詰まった、まぎれもない「我孫子亜細亜旅社
これに何かを感じる方々は、
aaghさんや私、そして皆と同じ”アレ”だ。

何方か知らないが、復活に尽力いただいたaaghさんの友人に感謝。






■2014.07.06  morning  管理人

先月半ば、出張中にマイクロソフト社から事務所に電話が掛って来たそうだ。
マイクロソフトジャパンからこんな田舎の零細法人事務所に電話が掛ってくるなんぞ初めてのこと。
多分、業務下請けのコールセンターからだと思うが、
ウインドウズXPを未だ使っていないかとの質問の後、クラウドを利用しないかとの勧誘だったそうだ。

お断りしたとの報告を受けた。
クラウドのメリットは理解しているが、僅か数名の事務所ではメリットよりもコスト負担の方が大きい、
「うん、それは正解!」と私も事後同意した。
気になったのは事務員さんの一言。
「マイクロソフト社が言うには、XPのサポートは今月半ばでホントに終わるそうで危険なので使わないで下さいとの事」
マイクロソフト社は確かに電話でそう云ったそうだ。

XPのサポートは4月8日で終了しているはず?
期限を切り、鳴り物入りでしつこくしつこく告知していた。
それから2ケ月経過した6月半ばにホントに終了って?
ちゅうことは、サポートは6月半ばまで非公然に続けていたと云う事なのか?

もの事には公式と非公式があるのは理解しておりそれはそれでいいのだが、
急遽買い換えた方がゴマンといるのに、いくら電話で証拠が残らないからと云って、営業でそれを堂々と言っていいものなのか?
まぁ・・・・色々あるが私はXPをPCが壊れるまで使い続ける、
勿論、ネットに接続して。

SAAB340B、座席36に乗客は6人だった

昨日、出張から帰着した空港で待ち合わせ。
同窓生が親の命日に帰って来るとの連絡が有り、それが丁度私の直後の便だったので到着ホールで待つこと30分程。
ホテルまで送りとどけその後ちょっと一杯、勿論彼のおごりでご馳走さま。
とは云っても私は車、ノンアルコールビールで。

今日、同窓会準備会が終わったら”本格的”にやるそうでトホホなのだ、
折角だから、女子連もお誘いしようと思う。





■2014.07.05  morning  管理人

1969年の春だったから、もう45年も前。
警察の手を借りてストライキが解除され、強引に再開された授業に学科闘争委員会で押し入った。
他学部のような体育会系の妨害もなく、意外とスンナリと教室に入れた事を覚えている。
「まだ何も解決していない、強引な授業再開は”粉砕”する」とのビラを配り教壇を占拠した。

其の時、教壇で喋る(アジる)役回りが回ってきた。
それなりの事を喋ったと思うがよくは憶えていない、しかし最後の部分だけはまだらに覚えている。
「日本はベトナム戦争に加担している、この先、日本はふたたび戦争をする国になり、私等の子供が戦場に送られるかもしれない」

インターネットもスマホ、フェイスブックもツイッターもない時代だったが、
戦争は遠い世界の事でなく、生々しいベトナムがあり、沖縄から、そして日本から米軍が連日連夜出撃していた時代、
まだ昭和の大戦の記憶が多くの世代に残り、若者にはベトナム戦争、社会が戦争を他人事でなく身近に感じていた時代。
授業再開阻止闘争でどういう文脈からそんなことを喋ったのか憶えていないが、個別学園の諍いが反戦と何の違和感もなく結び付いていた45年前のこと。

あれから、事が有っても無かっても運動はことごとく分断され、全てに「連戦連敗」している訳で、
思うにあの時代から45年、今更に悪くなったとは思わないし、良くなったとも私は思わない。
あの時代から何にも変わっちゃいない。
大多数の、否、殆ど全ての方が痛い目に会わないとこの国は変わらないと今更に思う。

 往路、復路

出張からやっと帰着。
豪雨に見舞われた当日、厚い雨雲を切り裂くように福岡空港に降りた。
飛行機は35人乗りのサーブ何とかというプロペラ機。
「離陸後、悪天候が予測されていますのでトイレは先にお済まし下さい」
飛び立つ前にアナウンスがあった。

機体が軽く小さいプロペラ機、上下左右に揺れ続け、急降下・上昇も半端ではなかったが、
焦ったのが斜め方向への急なスライド、車で云えばアイスバーンで後輪が滑る感覚。
それに着陸もスムーズな降下ではない、階段をドンと落ちるような降下。
ジェット機では味わえないアクロバットな飛行、久し振りにスリルを堪能した。

明日は同窓会準備会。
今月中に案内状作成を済ますため、事の詳細を詰めなければ。
名簿の整理、案内状のプリント準備、宛名剥離紙シールのプリント準備、事務的準備は全て整っている。
エラ張って上から目線で云えば、私は法人の現役事務局長、数百人の大会なんぞ仕事と思ってかかれば大したことは無いのだが、
団塊のオジサン・オバサン、兎に角にも身勝手で煩いのだ。




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