■2014.10.30 night
管理人
昼休み前、以前反戦市民サロンでご一緒していたUさんがひょっこり顔を出した。
「**さん、長老の○○さんと昼ごはん一緒にしませんか」
「○○さんと昼ご飯?」
突然だから何故と尋ねると、
「○○さん、もう直ぐお仕事を完全引退するそうだから、慰労を兼ねて一緒にお昼でもと」
お昼はレストラン混むから、少し前にと早めに職場を出た。
話が弾むことしきり。
話題は私の同窓会の件になった、というより私の方が話したくて切り出した。
「あの共産党の姉さんは許せん、あんだけ色々頼んでくるくせに返事も寄こさん」
ちゅうて日頃の憂さを長老に訴えた。
話題が出欠の細々した内容に及ぶと、
長老が一言。
「貴方はただ一人出席すれば、後はどうでも良いのでしょう」
長老は何時も的確でグッサッと刺さることを言う。
「ウッ・・・・・・・・」
そりゃ〜言い過ぎだよと言いたかったが、本音はそうなので抗弁出来なかった。
この件は機微なる個人情報なのでここには書かないと以前に宣言している。
だから長老にも、その”たった一人”の出欠の有無は話さなかった。
今後もこの方針は断固貫徹する。
するぞ・・・・・、
する・・・
つもりだ。
■2014.10.30 morning
管理人
気がつけば20日から欠かさず日記を綴っている。
加齢により躁鬱傾向が更に進行しているよう。
この症状、周期的に鬱から躁に変わるから躁鬱と呼ぶのだが、私の場合今までは2〜3週間が周期。
でも、これは病気と言うよりたいていの人は多かれ少なかれこういう傾向をもっていると思う。
病気かどうかはこの振幅の強弱にもよるだろう。
すっかり私のデスクがお気に入り
役所の呼び出しに出掛けていた。 話は単ゲバレトロ親爺が思う程単純ではなかった。 私は町内会長を仰せつかっているが、自動的に地域の自主防災会の会長も兼任している、とてもとても偉いのだ(笑。 それでだが、会の内容は災害時に自力で避難できない方を行政が一定の条件でピックアップし、その方々の個別避難計画書を作りたいから、地域に福祉行政と防災行政の片棒を担いでくれとの話。 ワタシャ〜、向こう三軒両隣町内会がその昔国防挺身隊や国防婦人会の受け皿となり、 其の事の反省的見解を説く戦後民主主義(的)教育を授かった世代なもので。 そう云う意味では教育は”刷り込み”でもあり結構恐ろしいものだが。 行政が地域住民に色々要請を掛けてくる事をどうしても色眼鏡で見てしまう傾向がある。
まあ、やってる役所はそんな事はつゆと考えていないのだろうが、この国の旗振りしてる奴が奴だし・・・・、 防災はオスプレイといい何時でも”国防”にチェンジ出来るからなあ・・・・・。 それに”美しい話”には必ず裏があるからなあ・・・・。 なんて色々と雑念が頭を巡ったが。 町内会長を引き受けてから、幾つかの行事で町内の高齢者世帯にお伺いしている。 それで役所の言っている事の必要性も理解できる訳で、 ここはグッと”反日”的傾向は出さず話を承ってきたが、 それにしてもこの個別調査票、聴き取り項目が多くちょっとやそっとの物で無い。 民生委員さんと相談しながらボチボチやるしかない。 闘争勝利!
■2014.10.29 morning
管理人
「災害時要配慮者避難支援計画作成に関わる説明会について」 時間午前十時より、 町内会長、民生委員、児童委員各位。 となっている。 午前十時といっても土日ではない、平日。 こりゃ〜仕事休めちゅうことか。 役所の想定、上記各委員については仕事(勤務)してない暇人がスタンダードだと思っているのだろう。 どっこいこちとら、棺桶片足突っ込んでもまだ仕事(勤務)している訳だし、 それに案内状には「お忙しい中まことに・・・・」ちゅう慣例の書き出し句も無い、 これはいくら役所でも礼に欠けるのではとシカトしようかと思ったが。 やっぱり今日は休んで出る事にした。 会長に選ばれた時、 「働いているけど、何とか頑張らせてもらいます」 ちゅうて、町内の方に約束したからな。 それに役所の担当、きっと今時の若造なのだろう。
覚悟しとけ、煩い町内会長が行くからな。
■2014.10.28 night
管理人
ツイストに甘酸っぱい”香り”が残ってるのは何故だろうと、ここのところずっと考えていた。 まあ、私等の青春総体がツイストとゴーゴーダンスの時代だったからといえばそれまでだが。 文化祭だったか隣の女子高のセーラー服着て講堂の舞台でゴーゴーダンスを踊った、曲はビートルズのDizzy
Miss Lizzie 、悪乗りする性格は昔から一貫している。 因みに女子高のセーラー服、どうやって入手したかこれは憶えていない。 体育祭のファイヤーストームではフォークダンス、下級生にダンスのペアを申し込まれたのが唯一浮いた話。 まあ、極めて平均的でおバカな高校生だった訳だが、極めて残念なのはその何処にも”あの子”が居た記憶がないこと。 朝、目覚まし際にふと一つの出来ごとの記憶が蘇った。 高校の修学旅行は九州方面組みと関東方面組みの二コースに分かれて行った。 私は迷うことなく関東コースを選び、この選択がその後の「とにかく何処でもいいから大学進学は東京」につながっている。 それで、あの子も関東コース組みだった。 東京オリンピックと新幹線開業の翌年、 宿泊は箱根、日光、そして東京は水道橋の三泊、当然ディズニーランドは未だ無い。 箱根は小涌園、 ホールかラウンジだったかそこにはジュークボックスが置かれていた。 田舎の高校生に当時ジュークボックスは珍しい、 音楽はお皿のレコードかラジオの時代、友達と一緒の時に時音楽が流れるなんてことはまず無かった。 夜、自然にジュークボックスの前に引き寄せられた。 其の場には学内では殆ど近くに来ることのない”あの子”もいた。 最初はビートルズ、皆がコインを出し合った。 その内、三拍目にビートが来るエイトビートの曲が流れ、自然に誰とはなしにツイストを踊りだした。 修学旅行という開放的な雰囲気、 ジュークボックから流れるエイトビートの曲、 楽しく踊る夜更けのラウンジ、そして私には”あの子”の顔。 そんな思い出がふわ〜と戻ってきた。 何故、ツイストにこだわるかその謎が解けた。 あの子との楽しい思い出が無かった高校三年間で、 間近で親しくした訳ではないが、同じ場所で時間を共にしたたった一つの思い出。 あの子が近くに居たたった一つの思い出・・・・・、この時刷り込まれた訳だ。 ツイストの曲は騒がしくも、私には甘酸っぱい”香り”が残っている。
因みにこのささやかなツイストダンスパーティー、 余り記憶は定かでないが、引率の先生の適切な”指導”で程なく解散させられと思う。
■2014.10.28 morning
管理人
絵本に積木、ブランコなど遊びに夢中になっていると母さんが迎えに来ても時々無視する。 それが父さんだと違う。 絵本、積木を放り出し父さんに駆け寄った。 膝に抱きつきしきりに抱っこをせがむ。 きっと母さんが叱り役で、父さんが何でも言う事を聞いてやるのだろう。 不思議なものだ、かつての私と妻の役割分担を息子達も引き継いでいる。 水疱瘡にかかり一週間余り登園禁止処分だった。 息子達はその間、ジジババが面倒みるとの提案を退け二人交代で仕事を休んだ。 その自宅軟禁が解けて一週間ぶりの保育園、引き続き我が家が居残り臨時保育園。 ギャング全開。 ジジババもメロメロ全開。
 最近は好奇心旺盛で、我が家をくまなく探検する。 父さんの部屋、残して行ったCDを取りだし部屋中にばら撒いている。 次男坊の部屋、本棚から本を取り出し部屋中に並べている、彼女流の本の整理なのだろうと目を細めて眺めている。 最後は、私のデスクに座わりふんぞり返っていた。 そうです、貴女がこの家のご主人様です。 我が家、とうとう彼女に不可侵な聖域は無くなってしまった。
■2014.10.27 night
管理人
Chubby CheckerのCDが届いた。 お目当ては LET'S TWIST AGAIN だったが、これも良い。
ツイスト、このテンポから入れば腰もぬくもり、ぎっくりの予防になるだろう(笑。 SLOW
TWISTIN' 仕上げは GO-KART TWIST で決める、だからこのCDも先程注文入れた。 若いのだ!
■2014.10.26 night
管理人
「それでは御起立願います」 条件反射でスクッと立ち上がった 「国歌斉唱!」 エッ・・・と思い座り直した。 敬老会に参加していた。 と言っても賓客ではない、町内会長と民生委員はお手伝いするのが長年の習わしとなっているそうでハイカラに言えばスタッフ。 会に至る前は町内の該当世帯を一軒一軒案内状を持って回った。 出欠を確認し町内会連合会に報告した。 施設へ入所したり病院に入院している方は、逐一役所の福祉部門に報告した。 これで町内の高齢世帯の個人情報については役所よりも詳しくなった(笑。 国歌斉唱で起立しない、唱和しない、は今に始まった事ではない。 思い起こせば”あの時代”から一貫してそうしてきている。 子供達が公立学校へ通っている頃、節目節目の式典でもそれを通した。 「立ってなかったのは父さんだけだったよ」、と息子達に云われたが、 それで虐められはしないかと少しは心に引っかかったが、それはそれで、私の生き方の筋を外すわけにはいかないのだ。
 筋は通しているが、中に鉄筋が通る程の根性のものではない、 周りはどうだろうかと見回す軟弱なレベル。 賓客の高齢者も、お世話役も皆起立して唱和している。 「結局、俺一人か・・・・・」と少し落胆し最後に真横の議員席をチェックした。 保守系の議員さん言わずもが、いわゆる革新系の議員さん達も皆々起立して唱和している。 来賓席を首をねじるように見渡すと、末席に一人いた! 共産党の議員さん。 結局、広い会場で”反日分子”は、私と共産党の議員さんの二人だけだった。 そう云えばあの時代、「反日武装戦線」を名乗る集団が有った事を今更に思い出したが、 あの連中、今でもしっかり”反日”してるだろうか。
■2014.10.25 night
管理人
朝の珈琲タイム、何気にかけてみた。 新聞見ていた妻がふと顔を上げた。 新聞読むのを止めて聴きいっている。 気のせいか少しウルウルしているよう。 「貴方、これ何のCD?」 「オリジナルのマイCDだよ」 妻に分からぬようにパチンと指を鳴らし、 「やった!」
音楽は大切だと思う。 時代の空気は記憶の中にも有るが、 音楽には空気と共に甘酸っぱい香りも残る、 それに歌詞にはメッセージも有るから。 同窓会用BGMを作ってみた、これは法人の辛気臭い催しにはない仕事、楽しい。 ウエルカムドリンクタイムはBGM-1、少しメローなバラード、勿論「ハナミズキ」をフィチャーした。 開会挨拶オープニングBGM-2は誰でも耳にした事のあるピアノ曲、中でも私のお気に入りはシューマンの「トロイメライ」とメンデルズゾーンの「ヴェニスのゴンドラの舟歌」、 私の開会挨拶は10分から、丁度この舟歌が流れるよう仕込んだ。 開宴BGM-3は懐かしの洋楽'60オールディーズ、誰もが一度は耳にした事のある曲を選曲、 スタート曲はコニーフランシスの「ワンボーイ」明るいけどしっとり。 BGM-4は懐かしのJ-POP、スタート曲は吉田拓郎の「今日までそして明日から」
それでアマゾンをググってやっと見つけCD注文いれた。 Chubby Checkerの「Let's
Twist Again」 合議は出来ていないがダンスタイムの為に用意する。 チークダンスではない、勿論ツイスト! もし腰を痛める方が出ても自己責任でお願いする。 そう云う事で、 エンディングは「別れのワルツ変イ長調」にしようか、 それとも、 ビリーバンバンの「また君に恋してる」にしようか迷っている、 どちらにするかは今後の展開で決まるのだ。
■2014.10.24 night
管理人 私の今職は社団法人。 法人運営と会館管理が私の主な仕事。 その会館は労働組合に関わる諸団体がお金を出し合い建てている。
お金を出し合うといっても労働組合業界にそんな潤沢なお金はない、だから金融機関でお金を借りて建てている。 その借金、名目上は私の法人が借入したことになっており、各団体からお金を集め私の法人が金融機関に返済している。
その貸借管理も私の仕事。 この会館の建築費償還がもう直ぐ終わる。 ヒラバに言えば住宅ローンが完済する。 ところでこの会館の一部は賃貸物件として貸し出している。
それで賃貸収入が発生しているのだが、それは建築費償還に充当している。 だから賃貸収入はプラマイゼロ。 ところが事情が変ってきた。
近々建築費償還が完済すると、賃貸収入分の権利義務関係は議論のあるところだが、取り敢えずそっくりそのまま当法人の収益となる。 さて如何したものかと色々調べたが、当法人にはこの件に関して議論したり取り決めたりした記録が何も残っていない。
「エッ・・・嘘だろう!」 「こんだけの収入が予め予見されているのに、それへの対応の記録が全く無い」 「そんな事は竣工したときから分かっているはずなのに」 私の職場の苦労は、計画通り如何にお金を使うか、
正確に言い換えれば、公益資産として認定された資産を公益事業で如何に減らすか、 この日記で不遜にも苦労はお金を使うことだとうそぶいた経過がある。
今般露見したこの事実は、これに被さって賃貸収入が当方人に収益として転がり込んでくる事。 この収益は法人移行後の事業収入なので新法人へ移行前のようにお国にロックされることは無いが、
それでも社団法人なので高いコンプライアンスで、定款にそった事業でしたか支出できなく使い具合の悪いお金。 無い知恵を絞り色々思案をしているが、いっそ法人税を払ってでも基金としてコンクリートしたらと思っている。
勿論、基金の規約・規定は会計士なり税理士の助言を受けて整備しなければいけないが。
この法人に招かれた直後、公益法人制度改革期に丁度ぶつかりえらい目にあった、 制度対応への消耗要員として招かれたのは名誉なのかそれとも違うのか色々と考えたが、この歳にして仕事が出来るだけでも幸運と思いなさいと妻にたしなまれている。
そんな心の整理をした矢先、またまた今度は、法人のそんな端境期に遭遇してしまった。
■2014.10.24 morning
管理人 母校の校友会を訪問した後、会場のホテルに赴いた。 次回の準備会に諮ろうと料理・飲料のメニューを出してもらうようお願いした。
会場のホテルには年明け早々に予約を入れていたが、我が街では有数の宴会ホールのためつい最近までブライダルロックが掛っていた。 ブライダルはしょぼい会費の同窓会より一定売り上げが見込める訳で、同窓会で先に予約を入れても後から入ってくる結婚式を優先するという極めて経営優先の業界ルール。
私らが押さえにかかった日程は”仏滅”だったが、それでも例外なしのこのルールが適用されていた。 その県内有数の宴会ホールを使用できることがやっと確定したのがつい最近、会場一つでこれだけ厄介な訳で幹事代表がいかに大変か同情して欲しい。 さすがに県内一二を争う宴会ホール、でかい!。
「これだけ広かったら、周りに談話スペースを取ったらいいね」 一緒に行った女子の幹事さんがホテルの宴会係に注文を付けた。 「談話スペース?」
「それって会場も広いし宴席やロビーで十分じゃないの?」 私がそう応酬すると。 「久しぶりに会うのですもの」 「二人でゆっくり話したい人も居るんじゃない?」
多分女子は、仲良しの女同士でゆっくり話すスペースを念頭にリクエストしたのだろうと思う。 その意図を聞いて私は応えた。 「それはいい!、それは絶対にいい!」
「ホールの壁面か片隅に是非そのスペースを設けよう!」 この時、私は瞬時に違うシュティエーションを頭に描いていた。 幹事代表の特権で私は今回の同窓会参加者の詳細な個人情報を把握している。
その中に、かつての「彼と彼女」の組み合わせを幾つか散見している。 この極めて個人的な情報は還暦同窓会以降まめに作ってきた女子連との付き合いの賜物。
ロビーは如何にも人目を避けているマイナスイメージがある、その点スペースが会場内というのはさりげなく実に良い。 かつての「彼と彼女」がホール片隅で周りに邪魔されずかつさりげなく談話する、
私にはその光景が”ハナミズキ”のBGMと共に頭に浮かんできた(笑。 薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように 夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて 一緒にわたるには きっと船が沈んじゃう どうぞゆきなさい お先にゆきなさい 僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと 止まりますように 君とすきな人が 百年続きますように ♪
相変わらず、私はここでもやはりかつての「彼と彼女」のつなぎに尽力しようとしているわけ。 格調高くフロイドかユングの心理学で分析するとだ(笑、極私的には己の夢を代償としてそこに投影している訳と理由付けしとこう。、
そのピエロ役に正真正銘の”主役”が回ってくるかどうかは、はかない夢と厳しい現実とが交差する極めて機微な個人情報だから、ここには書かない。 何か・・・・my
favorite songs 聴きながら訳のわからないことを書いていると涙が出てきた。 ”悪のり”と”悲哀”は同席しているのだ。
青春の「彼と彼女」はそんだけピュアであった訳で、 そして人生66年の極みが、 そう云う事・・・・・なのだ。
■2014.10.23 night
管理人 時計台の内部に案内された。 この高校にかつて三年間通ったが、時計台の中に入った事は一度も無かった。 桜咲く春、無邪気に希望に胸ふくらませこの高校の正門をくぐってから丁度50年目。
そう云う意味では私は曲がらずおぼこい高校生だった。 中に机がポツンと置かれていた。 「皆さんが通ってた時代の机ですよ」 机と椅子が一体式になった懐かしい形。 「天辺まで登りますか?」 「下から見ると手すりが有りますが、実際は膝ぐらいまでの高さで結構危ないのですが」
 同窓会の打ち合わせで母校の校友会担当の先生を尋ねた。 登りますかと誘われこれは御辞退したが、私は決して高所恐怖症ではない、それどころか高いところは滅法好きなのだが。 それより時計台、天辺と言われ不意にあの話を吹聴したくなったが、そういう主旨の関係性ではないので寸止めで止めた。 1969年1月19日、二日間に及ぶ攻防戦で安田講堂は陥落した。 陥落した安田講堂が1969年1月20日未明から数時間だが全く空っぽになったのは御存じないだろう。 前夜から一睡もしなかった私(等)は、まだ催涙ガスと朝もやの区別がつかない早朝に安田講堂の前に辿り着いた、これが組織的行動だったか興味からの少人数での偵察だったか、その行動の理由の記憶は遠の昔に失せて無い。 何の考えも何の打ち合わせも無かったと思う、がらんどうになった大講堂を走り抜け最上階の時計台まで一気に駆け上がった。 陥落後多分一番乗りだった、つい半日前まで今井さんがマイクでがなっていた天辺。 時計台の天辺で学科闘争委員会の黒旗を差し出し何かにくくりつけた。 ふと隣を見ると小柄な女子が二番手、赤旗を同じ様に差し出しくくり付けている。 このエピソードはここの日記に何年か前も綴った。 其の時はその女子が何処のセクトで何処の大学生か明瞭な記憶で綴ったはずだが、今はもう忘れてしまった。 確か東大生でMLの女子だったと思うが、記憶に自信が無い。 時計台の天辺に黒と赤の二本の旗がなびき、 その下で佐藤栄作が催涙ガスで涙を拭き、隣に加藤総長代行が写る写真についてを随分以前の日記に綴ったが、 それが何時の日記に書いたか、それも忘れてしまった。 時計台、天辺、この二つのキーワードで私の想いは、50年近い時空をすっ飛んだ。 遠い遠い昔の出来事、もう歳とってしまった・・・・。
藪さんにご指摘いただいて追記する(笑。 自分のHPをgoogle検索して写真をやっと見つけた(笑 左側が私の黒旗、時計台の針は八時前を差しているのでこれは私等が撤収して随分後の写真、 佐藤栄作の写る写真は12時過ぎ、この間に旗は撤去されたのだろう。
■2014.10.22 night
管理人
 
■2014.10.21 night
管理人
菓子作りが趣味の妻、小麦粉の在庫を大量に抱えている。 その一部に賞味期限切れが迫っており、急遽パンを焼いたと云う。 「美味しいでしょう!」 こう問われれば、当然、私は判断の余地なく何時でも「美味しい」と答える。 まあ、不味くは無いが何せ味が無い。 材料は小麦粉とヨーグルト、それにサラダ油だけだそうだ、何処かの国の”ナン”と思えばいい。 膨らまし粉を使ってなく、正味小麦粉だけなのでカロリーは相当高いはず。 しかし主食で味が無いのは正解、タバスコ塗ったりはちみつ付けたり。 当分、在庫処分のこのパンが我が家の朝飯らしい。
  忙しい訳ではない、 そこそこ元気は有るのだが、文章を書くことが億劫になってきた。 というより、何で書いているのか考えると、書く意欲が失せてくる。 兎に角書くのだと云う意欲が段々と薄れてきた。 歳相応に枯れてきたのだろう。
■2014.10.20 night
管理人
 
■2014.10.15 night
管理人
社民党の政治資金パーティー、受付で会費の大枚一枚出し渋った訳ではないが開始間際に飛び込んだ。 既に席は殆ど埋まっている。 仲良しの地区労の元委員長の顔も見えたが其のテーブルも既に満席。 サロンの姉御の横が空いていたが、そこには座りたくない(笑。 ウロウロ空席を探していたが、残り物には福が有ると云うか御婦人の横の席が空いていた。 座り、さて御婦人の横顔をマジマジと見たが、何処かにかすかに記憶が有る顔つき。 でもサッパリ思い出せないのでビールをぐいと飲み干し酒の力を借りて話しかけた。 「済みません、間違っていたら申し訳ないですが、ひょっとして**高校のご出身ではないですか」 「いえ、違いますけどその隣の女子高ですが」 「そうでしたか、それで何となく見かけた記憶が有るのかな・・・・」 話はそこで止まりそうになったが、昨今の私はシャイな昔の私と違う(笑。 「御婦人にお歳を尋ねるのはまことに失礼なんでけど・・・・」 ともったいぶっりながら、けどちゃっかり尋ねた。 「昭和23年生まれです」 嫌がらずに答えてくれた。 「ワオッ・・・、私と同い年だ」 再度、話はそこで止まりそうになったが、何度も言うが近頃の私は昔と違う(笑。 「女子高は、中学からですか?」 「イイエ、高校から入学です、中学は**です」 ここで再度、 「ワオッ・・・、私と同じ中学だ」 ここまでしつこく、かつ粘り強く続けて、やっと繋がった。 二人が通った市立中学はクラスが12組。 一度も同じクラスになった事は無かったが、共通の友人は何人か確認できた。 ”あの子”抜きの中学の思い出話に花が咲き、政治資金パーティーは政治抜きパーティーになった。 いや〜楽しかった。 それでだ、何日か経ってハタと気がついた。 旧姓は卒業アルバム見ると分かるのだが、今の名前を聞く事を忘れた。 それに連絡先も聞いていない。 しつこく、しぶとく、諦めず、粘る割には肝心な事が抜けている。 やっぱり性根は単ゲバだ。 それでだ、社民党県連合に電話を掛けた。 代表に、政治資金パーティー参加者名簿から個人情報の開示を求めた。 反戦・平和運動の連帯をするためと要求した。 ・・・・ちゅうのは嘘で、 中学校の同級生だから、コンプライアンスのそこを何とか教えてちょうだいませませと懇願した。 代表、「ハーイ分かりました」との返事だったが、返事の割には今のところ情報開示は未だ無い(泣。 大枚一枚もはたいたのに・・・意味が違うか。
■2014.10.15 morning
管理人 此処のところ就寝時間が何時もより遅くなっている。 ちゅうても、午後十時までには布団に入るが。 急な夜間延長保育で自然と就寝時間がズレたことと、もう一つ原因が。
同窓会の準備。 「おい、サプライズは有るのだろうな?」 先月、関東同期会の会長が帰省したおり居酒屋で一杯やった。
彼は還暦同窓会の時に実行委員長を務めている。 彼としては気楽に言った一言だろうが、真面目(笑)な私として相当なプレッシャー。 さてはて如何したものかと思案に暮れている。
  
我が家の秋の花三点、ツワブキ、ホトトギス、秋明菊 私は堅物(笑)で、”サプライズ”企画と言われても困る。
それに前回還暦同窓会で実行委員長だったこの彼に、前夜祭でサプライズの「告白タイム」をやろうと提案し本番で無視された経過もある。
あれから六年、自虐的「告白」をやる馬力はもう残っていない。 それに今回私は代表幹事、それをやると大スベリしてしまうことは必定。 さてはて如何したものかと思案に暮れていた。 色々と真面目に考えたが、
還暦同窓会の折、昔の顔ならおぼろげに憶えているが、この60年の”進化”で最後まで誰が誰か分からなかった。 それで・・・、ハタと思いついたのが名札。
名刺のように顔写真を入れたら面白いし受けること必定。 それで卒業アルバムを思い切ってバラしスキャン、顔写真のデータベースを作っている。 住所録データベースだけでなく顔写真のそれまで、後、指紋までやれば”公安”レベルまでいきそうだが、
とにかく夜な夜なシコシコとやっている訳だ。
■2014.10.14 night
管理人 午後、寄り添いホットラインの事務局長の訪問があった。
日頃、仕事を通じて付き合っている。 この事務局長とは前職の時からの付き合い、一年間の事業報告書が出来たらしくそれを届けてくれた。 私の法人でも相談事業をしており、私も相談員の末席にいる。 此方は法人資産持ち出しの社会貢献で自己満足の範囲の事業だが、あちらは丸ごと国直轄の委託事業、 それと、向こうはバリバリの○共で、こちらはヘタレの元トロとお互い住む業界が違う、 それで仕事での具体な連携は殆どないが、お互い同じような事をしているので自然と話がはずむ。 そのバリバリの○共の事務局長が言う、 「私は貧乏をよく知っている、と言うより私の家は貧乏だった」 「貧乏だったから進学も出来なかったし、小さい頃から色んな事で苦労した」 「でも家族で助け合い、地域が支え合い、自分も頑張り何とかここまで来れた」 「でも今の貧乏は違う、家族が壊れ、地域が壊れ、人間が壊れ・・・何もかにもが壊れている」 一言でいえば”救いようが無い”、 でもそれを言っちゃ話はそこでお終いだが、それを言わなくても二人の話はそこで止まった。 でも、やっぱり”救いようが無い”のが真実。 貧乏はそれほどたちが悪くなっている。
 帰り道、西の空に太陽が溢れるように輝いていた。 私の好きな茜色の空を仰いで帰る季節ももう直ぐ。 同窓会はお気に入りのウールのジャケットを羽織って行こう。 もしかしたら、この50年の「もう一つのおとしまえ」をやっと付けられるかも、 人生、いろいろ有るのだ。
■2014.10.09 morning
管理人
「きをつけ、よ〜い、ドン」 「上手上手!」 と、手を叩きほめちぎると 嫌がらずジジババに”芸”を披露してくれると昨日書いた。 夜遅く、といっても八時過ぎだが母さんがお迎えに。 「きをつけ〜」の話をすると、 「別バージュンが有りますから、見てて下さい」 「きをつけ!」、と号令を出し、 続けて「休め!」 両手を腰に添えたまま足を片方、かかとをちょこんと前に出した。 「よくできました」と母さん、 褒められ、嬉しそうに母さんの膝に抱きついている。 ジジババ、ニューバージョンの”芸”にやんやの喝さい。 お陰で、長男は週末退院できると云う。 一番大好きな父さんに抱っこしてもらうのももう直ぐ、 それで、夜間延長保育闘争も明日まで。 でも・・・・、 ジジババ、この「闘争」ならもう少し続けてもいいのだが・・・。
■2014.10.08 morning
管理人 「きをつけ〜」 体が少し傾いているが腰に両手を添え直立不動の姿勢。 「よ〜い」 で、かけっこの姿勢にはいる。
「ドン」 で、狭い広間を掛け抜ける。 「今、一番可愛いしぐさだね」 幼子の団体行動に律したしぐさ、幼子に制服を着せた際のアンバランスな可愛さと通じるものがある。
そんな彼女が引き上げた後の静かな夕餉、妻と二人でしみじみ話す。 そんな話をしていると何故か目が潤んでくる。
う〜ん、よく見ると大枚一枚ではないか! 目の前に差し出されたパー券をマジマジと眺めた。 我が職場は県から事業助成を受けている社団法人、だから使う金の一部には税金である公金も含まれている。
その助成金、年度予算から比ぶらべほんの小額なのだが、その為に使途には大幅な制約がかかる。 何が言いたいのかといえば、ご案内を受けたパー券は経費でなく自腹で大枚はたかなければならないと言うこと。 パー券の出所は社民党、いわゆる政治資金パーティー。
私はもともと旧社会党のヘタレ党員、溜まりに溜まった未納党費に困ってた矢先に党がバラチョン。 これ幸いとバラチョンした何処の党にも行かず現在に至っている。
その元不良党員に社民党県連合代表がパー券をもってきた。 社民党は旧社会党の正統な後継政党。 負債を抱えている(もう時効だと思うが)そのヤバイ党の代表が何故私のところにパー券を持ってくるのかというと、
私は代表のパソコンの師匠。 e-mailにてをやいている代表を時折指南している、いわば師匠と弟子の関係。 この関係をよくよく考えてみると、
その昔、内ゲバでやばくなったブンド情況派の亀キャップを下宿にかまい、その後、そのキャップからゲバルトに駆り出された状況とよく似ている。 時効だろう負債は棚に上げてだが、世話しているのにその代償に負担を強いられる、要は主客の立場が逆転している。
まあ、それでもパー券は快く引き受けた。 かの党に世間は色々と異論は有ると思うが、私にとっては大枚はたいても損したと思わない唯一の政党だと思っているから。
■2014.10.07 night
管理人 「一緒に夕食してからそちらに(迎えに)行きますので」 夜間延長保育開始の昨日、長男の嫁からメールが入った。 長男、入院加療中だが食べることには何の支障もなく、病院食のまずさにへきへきしているらしい。
それで熱の下がった昨日から食事を持ち込み、病室で夫婦二人一緒に夕食をとっていると云う。  夫婦仲良くそれはそれでいいのだが、 こちらでは五時頃には夕食を与えている。 普段、夕刻には夕食の済んだ彼女を引き渡し、私等はそれから少し遅めの夕食となるのだが、 迎えが大幅に遅れるという事は、私等の夕食も大幅に遅くなるという事。 ジジとババ二人、昨日から空かした腹で夜間延長保育に悪戦苦闘している。 トホホで闘争勝利!、 空きっぱらで、色々と腹の立つ事が多くなった(笑。
■2014.10.07 morning
管理人 「こいつ」からはまず間違いなく返事が来るだろうと思った奴から返事が来ない。 「そいつ」がゴリの共産党員(だと思う)だから余計に腹が立つ。
同窓生で市民運動のサロンで知り合った(再会した)のは5〜6年前だろうか、 まあ立場は違うが”反戦・平和”の一点で色々一緒にやってきた。 ところで、そいつは選挙のたびに電話をかけてくる。
反戦平和でめぼしい候補者が居ないこともあり、電話ではつれない態度は取らずそれなりの対応してきた。 決して”ミンコロ”などと馬鹿にした対応などしてないつもりだ、
だから、同窓会に出る出ないは別として返事ぐらいは寄こすだろうと思っていた。 同窓会などというプチブル趣味を馬鹿にするのは、それはそれでいい。
私も還暦まで一貫して同窓会を無視してきた。 返事も一度も出さなかった。 だから今回もそういう付き合いが途絶えた、そして敢えて付き合いを閉ざしている方から返事が来ないのを謗るつもりはない。 だが、しかしだ。
此処のところの付き合いがあり、何度も何度も選挙のお願いをしている相手が差出人の案内に、出る出ないは別として返事ぐらい寄こすのが筋だろう。 例えば、前衛的な上から目線でプチブル趣味を皮肉るコメントぐらい添えてだ。
そう思ったら段々腹が立ってきた、 偏見も含めそいつがゴリの共産党員(だと思う)だから余計にだ。 あぁ・・・・・そうそう、 腹が立って「こいつ」や「そいつ」と呼び捨てにしたのでまるで男のようだが、
「そいつ」は一様”女子”だと断っておく。 極めて些細な一件だが、かの党の”唯我独尊”ぶりを改めて思い知ったのと、 この女子、プチブル的にもそして前衛党活動者としても失格の烙印を押す。
■2014.10.06 morning
管理人 土日、事情はフルタイム保育だったが昼間の一時だけ同窓会準備会に抜け出した。 台風も近づいているから手短にやろうということに成った。
既に会場・会費も確定、動員・・・じゃなくて出席者数もほぼ固まった。 大枠が固まったので一定安堵というか気抜け気味。 細々したことは今後残り二ヶ月程で決めていこうということで早々と会を終いした。
「それは分かっている、俺が言いたいのはそういう事ではなくて・・・・・」 私等の年に成ると、話がそんな風に食い違うと決着の目途はまず無理。
相手はそれなりに筋の通っている「それ」を言いたいわけで、こちらは「それ」は当然分かりきったこととし、 話の「肝」は「それ」を踏まえてうえで別の論点だと幾ら云っても、相手は「それ」にこだわりかつそれに「固守」する。
こういう話の”ステージ”を違えた論争というか揉め事を私も何度か経験してきた。 対面でこういうやり取りをした場合、 相手の表情や言葉の抑揚、立場の配慮も含め「食い違い」を棚に上げ現実的な「決着点・妥協点」を見出すのだが、
これがことネット上であれば、活字のみの応酬に終わり、終いは遺恨を残した中断しかない。 でも、それはある意味でお互いの相違点というか考え方、価値観や生き様の相違を鮮明に表している訳で、
ネット上のやり取りが必ずしも良くないとは私は思わない。 世の中、色々あるのだ。
■2014.10.05 night 管理人
「あーちゃん、あーちゃん」 そう云って泣きじゃくる。 「あーちゃん!(彼女はババをそう呼ぶ)」の泣き声がその内・・・・、
「マーマ、マーマ」の泣き声に変わる。  「ちょっと買い物に行ってきますからお昼寝、寝かしつけておいて下さいね」、そう云って妻は少しの間出掛けた。
「ねんね、ねんね」とあやしていたら、泣き出してしまった。 こうなると私ではもうどうにもならない、オロオロしながらあやしていると妻が戻ってきた。
悔しいが、すぐにババの腕の中でスヤスヤと寝付いた。 母性のパワーに完敗。
■2014.10.04 night
管理人
私が東北を回っている間に長男が入院していた、心配するからと知らせなかったそうだ。 過労とかストレスからくるらしく、誰でも掛る病気だそうだが治療が遅くなると深刻な症状になるという。 症状が出始めて72時間以内に治療すると治りも早く症状も深刻化しないそうだが、息子の場合忙しさにかまけ病院に行ったのが五日目だったらしい。 「熱も下がり何とか峠は越しました」 入院二日目の昨日、見舞うと担当医にそう言われ妻と二人胸をなでおろした。 それでも日に三回の点滴で10日間、入院加療を要するとの診断だそうだ。 災害復旧などで繁忙を極めていたようなので、この際疲れ果てた体にはいい休養になると思う。 幾つになっても子供の病気は心が痛む。 世の親と一緒で、この老いぼれで代われるものなら代わってやりたい。 そんなんで、息子の連れ合いは看病。 その間の孫娘の面倒は「ジジ・ババ」が分担、昨日から終日フルタイム保育+妻は親の介護のダブルフェッダー体制に入っている。 この土日は朝八時に届けられ、午後七時の回収。 その一日目がやっと終りヘトヘト。 間が悪い事に明日日曜日は同窓会幹事会、責任者が私なものでお昼時の一時は悪いが妻一人で頑張ってもらう事に。 月曜日からは保育所、お迎えから何時もより少し時間延長の夜間保育だけでいいのだが、 さてはて台風が間近に迫っているようで、 場合によっては休園、さてはてどうしたものかと悩むが、 その場合は”徹底抗戦”・・・・・じゃなくて、”育児休業貫徹”。 残り一週間程、ジジ・ババは断固共闘、闘争勝利なのだ!
■2014.10.03 morning
管理人 東北を歩き回り、ちょっと寄り道もして昨夜やっと帰着。 何で東北回りなのか、 私の仕事は他人様には理解しにくいもので、
説明するのが・・・・・・、面倒なのでそれは省略。 久しぶりに出勤すると、知人が訪ねてきた。 知人の友人の「生活困窮」の相談。
僅かな国民年金だけで蓄えもなく、生活が行き詰んだとの事、 詳しく聞くと生活保護水準以下の状態、資産状況他も詳しく聞き及び公的扶助を受けるアドバイスをさせていただいた。
東北の大災害から災害が度重なっているが、 普通の暮らしで生活に行き詰る事例が増えている。 普通に働き、リタイアした途端に生活に行き詰る。
これは昔からなのか、それとも昨今急に増えたのか、 あくまで私の周りだけで他は知らないが、立て続けに相談が入ってくる。
目立たず真面目に働いていた普通の方、 子供達、 高齢者、 それに若者、 この国は豊かなはずなのに、
幅広い層に貧困が忍び寄っている。 |