■2014.11.30 morning
管理人
 
出張、用務の前後に時間が有ったので散策した。 木々の彩が上の空の心に沁み込む。
■2014.11.27 night
管理人
同窓会が終わって5日過ぎた。 仕事は上の空、想定通り虚脱状態。 でも2008年の還暦同窓会の時のそれとはちと事情が違う。 どう違うと云えば、この状態からの出口が見えないのだ。私は、自分で云うのも何だが恵まれている。 今のままで十分幸せだ。 それは十分過ぎるほど分かっている。 今まではその幸せに未練というスパイスが効いていた。 これからどう人生メリハリ付けていけばいいのか、 未練が失せてしまうと夢から覚めたようで、こんなに味気ない気持ちになるものだとは思ってもいなかった。 どう立て直せばいいのだろうか。 俺って、ほんと勝手な奴だ。 上の空で明日から関東へまた出張。
■2014.11.26 morning
管理人 同窓会が明けて私の職場がサロンになっている。 市街地中心部と立地条件がいいうえに駐車場があるものだから次から次に同窓生が訪れる。
火曜日水曜日と立て続けに何組も。 皆、居心地かいいのか粘ってくれる、それで仕事は中断の連続。 「事務局長、この発文日付が平成2014年になってますけど」
「明日の会議、午後3時になってますけど確か午前10時じゃなかったですか?」 お陰で本業のミス連発。 事務局長が事務連絡ミスっていたら失格なのだ。 それでやっと嵐が通り過ぎた。
同窓会+かつての彼と彼女のドタバタも幾つか有りとにかく話題に事欠かなかった。 私の職場に押しかけそのネタでワイワイガヤガヤやるものだから、普通ならヒンシュクもの。
今朝、最後を送り出しやっとそのヒンシュク状態から脱した。
中庭で集合写真、後ろから二列目中央にあの子がいる 銀行に勤め27歳で結婚した、ご主人は銀行の同僚だそうだ。
結婚してから5年ほど大阪に転勤になったそう。 あの当時、銀行業界の職場結婚は寿退社が慣わしだったはず、彼女も専業主婦になったと思う。 それで息子さんが今35歳、お嬢さんは33歳でまだ独身だそうだ。 そんな話をしていると、傍にいた彼女の仲良しが、
「**君、この子の息子さん優秀なのよ」 「京大出て、今は東京の一流企業に勤めているのよ!」 そう言って説明してくれた。 「ふ〜ん、息子さん優秀なんだ」
「いい息子さん持って幸せだね」 そんな話をしていて思い出した。 彼女、話すときクスクスと小声で笑う、それと少し早口なこと。 15の時と同じ、
この笑顔に魅かれた事を今更に思い出した。 一瞬時間が止まったような気持ち。 何時までもそのまま時間が止まったままでいたかったのに、ここでまた中断。
司会が用事で呼びに来た。 もっともっと笑顔を見て話したかった。 国政のことなんか吹っ飛んでいるのだ。
■2014.11.25 morning
管理人 受付名簿見て来てるのは分かっていたけど、遠目には誰が誰か分からなかった。 多分あの子だろうなと目星をつけたが、
私が分からないようにあの子も多分私が分からないだろう思った。 だから開会挨拶が終わってから話そうと思った、挨拶で私は皆さんに自己紹介するわけだから。
開会挨拶終わって自席に戻る途中自然に目が合った、あの子だった。 一連の式辞が終わって乾杯済んだら向こうから来てくれた。 昔の面影が残る笑顔で、
「**君から手紙貰ったから出てきたの!」、話の切り出しはあの子の方からだった。 そういう意味では私の戦略・戦術は的を得て正しかったのだ(笑。
嬉しくて舞い上がりそうになった途端、 「予約してなかったけど参加したいと云う方が入口に来てますが・・・・」 そう云ってホテル係員が私を呼びに来た、
「この野郎〜」と思いながら話を中断した。 会場に戻りこちらから彼女の席まで行った。 「電話貰ってからもう四年も経ったね」
「元気だった?」 「よく来てくれたね」 そこまで話すのが精一杯、後は私の方から言葉が続かなかった。 彼女、にこっと笑って、
「大手術したの」 「手術は何年前だったの?」 「七年前」 「そうか、前の同窓会の直前なんだ・・・・」 「お医者様が言うの」
「私、後遺症もほとんど残らず奇跡的回復だって」 そういって彼女、頭の方を指差し、 「(手術の)跡、分からないでしょう」 「でも無理は出来ないから」
「そうか、あなた二次会申し込んでないものな」 もし会えたら言おうとセリフ用意していた。 「ほんとは、この同窓会私は貴女の為だけに用意したんだ・・・」
そう言いたかったけどいざとなると言えなかった、ここだけは戦術的失敗で無念。 きざなセリフが無理な120%シャイな昔の私に戻ってしまうこと、これは想定外だった。 幹事でバタバタして二人だけでゆっくり話せなかったのが唯一心残りだが、
会えたこと、 元気だったこと そして、あの・・・笑顔がも一度見えたこと、 何故か、それだけで十分だった。 48年も経ってそんな歳になったんだとつくづく思ったのと、
あの子も、私も、今のままで十分幸せなのだとあらためて思った。 自虐史綴って丁度十年になった、もうそろそろ辞め時なのかも。
■2014.11.24 morning 管理人 連日のお酒と夜更かし。
体が重いだけでなく立ち上がるとめまいが。 座っていると体が沈みこみそう。 食欲は無く腹はギリギリシクシクと痛む。 前夜祭が本命・本番だな! ちゅうてうそぶいた悪友に無理やり前夜二次会まで付き合わさせられた。 準備が有るから帰ると云うのに、「もう帰るのか」と奴らは腕を放さない。 放さないので付き飛ばした、こちらとしては帰るにゲバルトも辞さない対応。 やっとこさ帰りついたのは11時過ぎ、それから名簿・名札を最終修正した。 寝床に入ったのは25時過ぎ、それで3時に目が醒めた。 完全に生活リズムがくるってしまい目が冴え寝られない、仕方ないから風呂に入った。 結局睡眠時間は二時間程。 この落とし前、何時か払ってもらうからな。
 開会挨拶「昨夜、悪い奴に拉致され悪い酒を飲んで、今日は最悪です」と切り出した。 それで挨拶は開き直って自虐ネタで始めた。 話したい事は山ほどあったが全部すっ飛んでしまってアドリブに終始・・・・、体調不良のせいにしておこう。。 まあ・・・・、終わったのだ。 帰り際、 「**君、スピーチ上手ね、とっても良かったよ!」 何人もの女子に声かけられた。 話したい事を何も話さず「良かったね」と言われると、私はどう受け止めて良いのか、 自虐、そしてボケとほのぼの系を足して三で割った様なまとまりのない支離滅裂な話なのに、 単に多くを語らない方がいいのだろうか。 昨日から体調最悪、死んでいる。
■2014.11.21 morning
管理人 「あーちゃん、おいちいね!」 妻がおやつにパンケーキを焼いてやったそう。 「ジージ、どうぞ!」 先に部屋に入りもみじのような手で招いてくれる。
あっちを向いて「これなーに?」、こっちを向いて「これなーに?」 いろんな事に興味を持つようになった。 一方で、 「これ”あな”の(もの)!」
「ダメッ・・・・」 「イヤッ・・・・」 しっかり自己主張するようになった。 普段は略して”はなちゃん”と呼んでいるが、
彼女が自分のことを「はな」と発音すると「あな」と聞こえる。 カタコトだった言葉が文節でつながりだし、 可愛いしぐさに可愛い言葉がついて、ダブルで可愛い。 ババ・ジジもうメロメロ。
こんな日々、 誰に感謝していいのか分からないから、 無神論者だが、取り敢えず神様に感謝。
■2014.11.19 morningU 管理人
10月28日の日記に、高校の文化祭でビートルズの Dizzy Miss Lizzie の曲をバックに、何かの芝居の場面でゴーゴーダンスを踊ったと書いた。
時系列ではなく飛び飛びに残る老人特有のまだら記憶。 それで文化祭と書いたが、よくよく思い出すと正しくは予餞会。 予餞会というのは卒業生を送る会、クラスで出し物を出す方だったから学年は二年のはず。
思うに受験地獄までまだ間のあるこの頃が一番楽しく、クラスの仲も良かった。 まだら記憶で特にまだらではっきり残っているのが、その時私は隣の女子高のセーラー服を着たこと。
セーラー服だから勿論下はスカート、髪は束ねてくくった。 そのセーラー服、同級生の姉妹からだろうが何処の誰から借りたか既に記憶がない。 この時の女装、これ以後決して「癖」になっていないのでこれははっきりしておく。 今回、この二年のクラス仲間で前夜祭をする。
札幌の悪友なんかは「前夜祭が本命・本番だな!」とのメールを寄こしてきている。 ちゅうても私は本番の責任者、 下戸だから前夜に大騒ぎすると本番は死んでしまう、これは何度も実証済み。
さてはて如何したものか。 国政も大変だが、私も大変なのだ。
■2014.11.19 morning
管理人 今から丁度6年前の11月17日、 還暦同窓会で知り得た情報+αで、かつて”あの子”が住んでいた同じ場所に同窓生女子が住んでる事が分かった。
注目したのは下の名が”あの子”と同じ。 同じ場所で下の名も同じ、それにクラスも同じ、これはと思い意を決し訪ねた。 悲しい事に、顔では判別出来なかった。 経年でこれほど変わるものなのかと自分に言い聞かせた(笑。
クラスを問うた、合っていた。 それでも経年変化に納得いかなかったので出身中学を尋ねた。 違っていた。 人違いで大恥をかいたが、 人違いで30%程安堵した、その顔にはかつての面影が微塵も無かったから(笑。 別人だったから当然だが。 人違いで70%悲嘆した、貴重な偶然を使い果たしこれでもう会える望みは無くなったと。 あれから6年、そして”あの子”を最後に見てから47年が過ぎた。 「”その子”、貴方の初恋の人でしょう」 其の時にそう云われた。 女性の勘は鋭い。 その別人女子、今回同窓会は欠席通知を頂いて安堵している。 同席するとどんな突っ込みが来るかわからない。 先日の同姓同名の人違い電話、よくよく振り返ってみると開口一番のセリフ、 「いやだぁ〜、私よ」、この後には「忘れるはずないじゃないの!」って言葉が言わなくても隠されている、振り込み詐欺でなければただならぬもの。 でも、とっさに突っ込みが出て来なかった。 きっと彼と彼女の間柄だったと思ったのは電話を終わってから。 こういう事に男は鈍いとつくづく思った。
国政もあわただしいが、私もあわただしいのだ。
■2014.11.18 morning
管理人 昨夜午後八時過ぎ、もう寝ようかと思っていたら携帯電話が鳴った、知らない番号。 私は同窓会案内で414名の同窓生に番号を公開している、開催間際の昨今、知らない番号から時折掛かってくる。
着信ボタンを押すと同時に、 「**君、お久しぶり、○○で〜す」 口調は明るく異様に馴れ馴れしい、 しかし○○と言われても名前に覚えがない、
「○○さんて、高校の同窓生ですか?」 「いやだ私よ!、****君(フルネーム)でしょう」 「中学校からずーっと一緒だった○○よ、忘れたの?」
私の名前をフルネームで正確に言うので同窓生には間違いないよう、振り込み詐欺ではないようだ。 「御免、もうろくして記憶にない」 中学校から一緒だというが、私には”あの子”以外は思い浮かばない。 それで用件は、
同窓会に出たく間際まで都合を調整したが残念だが出られないとの連絡。 皆、この歳になると色々とあるようだ。 最後に、 「済みませんね、貴女のこと忘れてしまって」
「それで、つい最近**中学の同窓会が有ってですね・・・・」 と、そこまで話すと。 彼女、 「**中学?」 「私は**中学ではなくて△△中学だけど・・・・」
「いやだごめんなさい、同姓同名の人違いみたい」 だって。 途中で少しおかしいとは思った。 私の下の名は19歳を境にして呼び方が違う。
高校時代以前の友人は正確な名を呼び、大学時代以降の友人は別の呼び方をする。 妻も、最後は名付けた親までもが別の呼び方で私を呼んだ(笑。 中学から高校まで一緒だったという彼女は大学時代以降の呼び方で私の姓名を言った。
彼女が私と高校まで仲良しだったとしたら、この呼び方は不自然。 異様に馴れ馴れしい口調、同姓同名の別人の”私”は、かつての”彼”だったのだろうか?
少し気にはなるが・・・・、 でもこのお陰で仲良しになれそうなガールフレンドがまた一人増えた。 めでたしめでたしなのだ。
■2014.11.16 morning 管理人 この一週間程で3名キャンセル、4名参加で微増1名。
同窓会が悩ましいのは事前徴収でないからドタキャン者から会費が頂けないこと。 ドタキャンの場合、事後請求するとの約束をお願いする手もあるが私はその方式を取るのは止めた。
たかが同窓会ごときで払え払わないのややこしいしやり取りは嫌だし、結果収支は合っても、もし事後にそんな事が有れば同窓会幹事なんて二度とやる気にならないだろうと云うのが私の考え方。
会場ホテルへの員数・費用の通告は2日前でコンクリート、だから前日・当日のキャンセル分には費用が発生する。 この急な冷え込みでの風邪や親の介護など都合が急変する者は必ず出てくる、このリスクを何人とするかこれも悩ましいところ。 リスク率はドタキャン・飛び込みを入れ約5%と見込み、ここんところの塩梅が事務屋の腕の見せ所。 もし収支に欠損が出れば事務局幹事で被る、それ位の覚悟は腹に決めている。 ところで凝りに凝っているBGM。 凝りに凝ってスタートの曲を「また君に恋してる」に決めたと書いたが、一連の曲の流れを聴いてみてどうもしっくりこない。 要は、スタート曲にしてはメッセージ性が”コア”過ぎると感じるのだ。 もっとさりげなく、皆がすーっと入っていける曲に妥協したらと考え始めた。 色々悩んだ挙句に決めたのがユーミンの「守ってあげたい」
 曲の冒頭がふわっとしていてコーラスも耳になじみやすい、 歌詞も適当にメローでかつ適当に優しい、 これはいけると作りなおしてみた。 ウ〜ン・・・これはいける、女子に受けること間違いなし(笑。 そんなこんなで、他人様にはどうでもいい大同窓会が間近に迫ってきた。
■2014.11.15 night
管理人
「**さん、何で行きます?」 研修会が有り、参加を頼んでいた**さんに旅費計算するため何便で行くか尋ねた。 会場は隣県なもので足は、自家用車、高速バス、又はJR利用の三つの選択肢がある。 「高速バスで行きます」「エッ・・・、バスですか?」 「JRじゃないんですか?」 確か**さんは国労のOB、国鉄分割民営化闘争を闘い抜いたバリバリの元闘士。 つい最近まで当地の新社会党代表を務めていた80歳になる女傑。 私は国鉄、国労出身だとJRだろうと普通に考えていた 私の問いへの答えは、 「JRは私等の会社じゃないから!」 私も事務局で参加、行足は自家用車の方が断然便利なわけでそちらと思っていたが急遽変更、私も高速バスで同伴させて頂く事にした、80歳といえども女子、私の得意分野だ(笑。 ちゅう冗談はさて置いて、道中、国鉄分割民営化闘争の話を聞かせて貰いたかった為。 行き帰りの道中、闘争の話はほんのわずかで肩透かしだった。 生まれ育った山里の自然や家族との思い出やSLで通学の思い出。 それにこの闘士からは意外な履歴を聞いた、当地のお嬢様学校の私立女子高出身。 伝え聞く国鉄分割民営化闘争のイメージとは縁遠い”お嬢”の女子校出身。 くだんの女子高は中高一貫だから、よわい80歳ということは敗戦翌年の入学、あの時代私立女子中高へ行ける身は相当恵まれた境遇だったはず。 それが何処でどう間違ってあの熾烈な分割民営化闘争を最後の最後まで闘い抜く闘士になったのか。 今度はゆっくりその話を聞かせてもらいたいと思っている。 な〜んか、他人事と思えないのだ。
■2014.11.13 morning
管理人 昨日の日記に間違いを見つけた。 開宴最初にかけるBGMを「まだ君に恋してる」と書いたが、 正しい曲名は「また君に恋している」
「まだ」が「また」。 無意識に間違ったのだろうと思う。 これは私の本音からだから。 「まだ」と「また」では随分と状況が違ってくる。
私の中では「また」でなく「まだ」、これは全共闘でも一貫している。 ビリー・バンバンの曲に「ずっとあなたが好きでした」という題の歌がある。
曲名は「また」よりずっとストレートで好ましく選曲で少し迷ったが、 私は歌詞とメロディー、「また・・・・」のほうが好き。 BGMの選曲、題をとるか歌詞とメロディーのほうを選ぶか、
これは実に悩ましい選択だった(笑。 ちゅうてどうでもいいことに想いを巡らしていてはっと我に返った。 このBGM、自分のための選曲でないこと、
我が同窓生のかつての「彼と彼女」達への選曲、 そしたら・・・・、 「また」悲しくなってしまった。 今日明日、出張。
これから出掛ける。
■2014.11.12 morningU 管理人 アップした後で「てにをは」を何度か訂正する。
流れが悪いと感じた文節を入れ替えることもある。 5W1Hについてもチェックをいれ、修正することもある。 アップ直後、この日記はかなりの部分が上の理由で加除訂正される。
此処に綴る日記はダイレクトにHTMLで書いているわけではない、 メモ帳やワードッパットなど軽いアプリで一度テキスト起こしておいてそれをHTMLに記述する。
そうやって書いたものをWEBにアップする、そうすると不思議なもので第三者の視点で文章が見れる。 メモ帳で書いてたときは気が付かなかった「てにをは」や文節の流れの不自然さが見えるようになる。
公開アップ後、そうやって何度か文章を訂正している。 これが印刷物だとそうはいかない。 一旦印刷したものは字句の訂正、差し替えは基本的に出来ない。
正誤表を入れるか印刷し直すしかない。 その点、WEBは世間様に公開した後もそれが容易に出来る。 しかし、言いたいことを言っておいて都合が悪ければ加除訂正する、そして究極には削除する、でもこれって見ようによっては非常に無責任な事。 だからこんなマイナーな日記でも心掛けていることがる。
アップ直後、「てにをは」や文節の「いじり」はするが、それ以後は原則文章の加除訂正・削除はしないと決めているし、今までそれは一切やっていない。 だからこの10年余り続けてきた日記、私が、私にとって嘘偽りのないものと思っている。 でも、たったこれだけの日記でも
周りのHPが消え、ブログがFBに移ったり、そのままフリーズ状態になっていたりする中で、 孤軍奮闘、続けていくのは結構大変なのだよ、 ワッカルカナァァ〜!!
■2014.11.12 morning
管理人 体が重い。 額に手を当ててみたが熱はない。 職場の親睦旅行に行っていた。 一日中ぼっ〜とバスに乗り、ぼっ〜と歩いた。
二人きりの職場だとここに書いたが、親睦旅行は会員傘下の皆さんで大型バス一台分。 親睦や研修も含めこの手の行事は年間数本有り、これも私の仕事の一つ。
中身はこれも傘下の旅行会社に丸投げだからそれ程の仕事ではないのだが、一様、事務局責任者の一人として同行(添乗)する。 この体の重さ、ダルさは何だろうと考えた。 思い当たるのは前夜の某団体の総会懇親会。 酒は極力控えビールは乾杯の一杯だけ、日本酒は注がれれば飲まざるを得ない範囲。 つくづく思う、酒が体に合わない。 でも宴席は嫌いではない。 誘われればまず断らないが余程の事が無い限り二次会までは付き合わない。 付き合えばこの歳になると翌日、翌々日、そして三日後まで体に堪える。 飲兵衛には「何で?」と思われるだろうがそうだから仕方ない。 同窓会は二次会まで公式企画した。 三次会以降は銘々で勝手にやってくれにしたが幹事なもので当然二次会までは参加するが、還暦時のような三次会、四次会までの元気は既にない。 会場は12時にオープンしウエルカムドリンクを提供、語らい寛いでもらいBGMは「ハナミズキ」を流す。 開会は13時、開会挨拶は勿論代表幹事の私が断固やる。 開宴は13時半頃、BGM最初は「まだ君に恋してる」、この間に知り合ったかつての「彼と彼女」に捧げる選曲、憎いだろう! しかし、決して自分の為ではない(涙。 それで挨拶、真面目にやろうか、オチャラケでやろうか、それとも自虐趣味でやろうかまだ決めてないが、アジ調の「ワ・レ・ワ・レ・は〜〜〜」だけは候補に無い。 どのパターンも現在原稿をしたためているがエンドレスになり困っている。
  で、話題は元に戻るが、 酒は心と体を酔わすものだが、 私の場合、この歳になると体は酔って堪えても心が酔える事はまずない、 酔えない酒を飲んでキツイおもいするだけなら、断酒までは思っていないが、出来る限りの範囲で酒は止そうと思うようになった。 私には酒が無くても心が酔えるものが幾つかある、 勿論、それは小さなグラス一杯程の酒を排除するもではないが。 それで、今回の同窓会では乾杯の杯以外は飲まないとつい先程心に決めた。 下戸の私には一杯のビールでもう充分なのだ。 同窓会には酒が無くても心が酔えるものが沢山あるし、きっとあると・・・・信じている。
■2014.11.08 morning
管理人 「お〜い、出たぞ」 妻がバスタオルを持ち待ち構え彼女を包み込む。 フワフワのパジャマにお着換え。 ちっちゃな頬がピンクに染まっている。
妻も私もまだ二十代だった頃、毎夜こんなことを繰り返していた。 でもあの頃は分刻みで忙しく余裕がなかった。 あれから40年余り、
ゆったりとした時間の中で妻と二人楽しんでいる。 無神論者だが、 神様・・・・・有難う。
■2014.11.07 morning
管理人 「父さん、ついでにお風呂も入れといてよ」 連夜のギャング登場、何でも母さんが宴会で遅いらしい、 「シャンプー嫌がらないから、大丈夫」
「それで、俺の晩飯も母さんに頼んどいて」 臨時保育園を開業して久しくなるが、お風呂は未だ入れた事が無い。 無いと云うより入れないようにしていた。 仕事に疲れて帰って、幼い娘と入る風呂は心が和むし何より貴重なスキンシップの時間。 それをジジババが取っては悪いだろうとの配慮もあった。 厳しい協議の末、私が一緒にはいる権利を獲得した。 「さあ、お尻を洗ってからね」 お尻に洗い湯を掛けてると、何やら前で音がする。 「良かったですね、浴槽の中で無くて」 妻はそう云ったが、 「何、可愛い彼女のそれなら浴槽の中でも私は別に平気だよ」
昨夜加筆されて更に内容が濃くなった、違いが分っかるかな(笑。 職場と協議して・・・と言っても専従は事務員さんと私の二人だけだが。 実費で職場のコピー複合機を使わせて頂く事にした。 最近の複合機、付属ソフトの使い勝手がよくエクセルだろうがワードだろうが、それにPDF、Jpegでも何でもかんでもページ割り付けして帳合プリント出来る。 それにA3両面印刷も。 これでA3用紙二つ折りのA4サイズ20ページの当日パンフを作った。 同窓会費は相場よりも高めを頂く事にしている、宴会以外に何がお返しできるか考えた。 準備会では同窓生の消息情報を集め整理している、この情報をまとめて名簿でお渡しすればと考えた。 元となった校友名簿を精査し、住所不明者を洗い出し、住所情報を更新した。 新たに12名の逝去も確認している。 この元となった校友名簿は確か5千円、安くはない。 私等同窓会の名簿は、これよりも更に消息情報が正確で最新。 宴会の料理や物でお返しするのは限界がある、準備会に集まった同窓生の時間と労力が詰まった”情報”を出席者の皆にお返ししようと考えた。 だから当日パンプの20ページの内、14ページはクラス名簿、この名簿は5千円以上の値打ちと思っている。 これをえっちらこっちら、時間外に職場の複合機でプリントしている、 何度も言うが、職場とは実費清算で話は付いている、 いい職場だろう!
■2014.11.06 morning
管理人 一貫して”全共闘方式”でやってきた。 それぞれが「主役」。 事務局で掴んだ情報は徹底して「公開」する、やりすぎるほど。
経験の多少にかかわらず「提案は必ず取り上げる」。 決めるときは「皆で決める」、 それを徹底してやりすぎるほどやってきた。 同窓会準備会を3月から初めて丸八カ月、会は八回に及んだ。
その最後になって僅かだが弊害が出てきた。 先の方式の”きも”、やりすぎるを徹底したため、 皆が主役となるための手法によって、反対に私一人が”突出”してしまっている。
皮肉なものだ。
昨晩の作品、う〜ん、評論を超えた作品だ(笑 日大全共闘のつね、いつものとおり走った後でよくよく考えた。
私は組織論に欠かせないそして最も重要な要素をひとつ忘れていた。 それは戦略でも何でもなくまさに個の「決意と主体性」。 格調高く言えば”思想性”とも”主義”とも言え、
ヒラバに言えば「根性」。 たかだか同窓会と言えばそれまでだが、 皆々、根性が足らんのだ!(笑 かつて、プチブルの私(等)が周りを見失ったのと同じだろか。
■2014.11.04 morning 管理人 「それで・・・、高校何処だったの?」
「俺、高校行ってない」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・、」 一瞬、会話が凍りついた。 小じんまりした中学の同窓会、どうしても思い出せない同じクラスだった方に出身高校を尋ねた。
当然だが、 大学の同窓会、普通周りは皆大学出ばかり、 私らの場合はチト事情が特殊で、確かに大学の門はくぐっているのだが大学出となると極めて少数派。
私はドサクサにまぎれ大学出となったが、そのことは私等の同窓会では極めて肩身が狭いこと。 私の場合、ドジな逮捕歴があることで恥ずかしい卒業歴を何とか補っている、
冗談半分、本音半分だが。 これが高校の同窓会となると”常識的”にはかなり事情が違ってくる。 当時の大学進学率は全国平均で15%前後、都市部ではこれよりも高く、私らのローカルは多分これ以下だったろう。
私の場合高校は公立だが一様進学校だった、それでライバルの私立進学校を追い越せ追い抜けと年から年中猛烈に追いたてられた。 それだけ煽られても大学進学率は5〜6割というところだろう。
進学高校に入って大学進学を断念したという事は、それなりにいろんな事情があったのだろう。 だから、同窓会の会話の中では学歴のことはまず話さない、お互いそういう配慮が自然と備わっている。 先日の中学の同窓会。
今では高校進学は当たり前、極わずかな事情をのぞいてほぼ100%といってもいいだろう。 だから、ついつい懐かしさに浮かれ高校進学は当たり前という慢心があった。
でも団塊世代は違う、集団就職の夜行列車が走っていた「三丁目の夕日」の時代だ。 これと同じように凍りついた経験がある。 共産党の方と話していた時、昔の話になった。
「私の家は父が永く病んでいて、それで生活保護受けて育った」 「だから就職で上京し、印刷工場で夜中まで働いた」 「貧乏は骨の髄まで知っている」
「だから歯くいしばって頑張った・・・・・」 そして最後にこう言われた。 「オタクらのことは羨ましく眺めていた」 つくづく思った。
色んな評価はあると思うけど、 結局、私は”プチブル”だったんだなと。 一様、”自己否定”という「つっかい棒」は立てたけど、 そのことも”プチブル”の特権だったんだって事。
■2014.11.03 night 管理人 「先生、私等の中に普通に座ってれば分かりませんよ」
先生、今年80歳になると云うが私等と混ざっていても年齢差を感じさせない。 先生とは15の春に別れた、それ以来だから正確に言うと51年振り。
昨夜同窓会に出ていた、と言ってもここにくどくどネチネチ書いている高校同窓会ではなく、小じんまりとした中学校の同窓会。 高校の同窓会であくせくやっていると不思議なもので色んなところにコネクションできお声が掛る。 今回は先生もお招きしているという、それが何と私のクラス担任だった先生。 早速、中学も一緒だった高校の同窓生女子にも連絡入れた・・・・が、この女子は”あの子”ではない。 この場合、”あの子”はさて置き何としても先生にお会いしたくて出掛けた。 呼びかけた女子も51年振りだと云う、待ち合わせて会場に乗り込んだ。 先生、女子を見て「やあ・・・**さんお久しぶり」、 近くにいた同級生にも「やあ・・・○○くん」、 お久し振りちゅうたって半世紀ぶりだよ! 先生には事前に参加者の情報は無いはず、何と80歳にして驚異的な記憶力。 ところがだ・・・・・、 私を見ても何の反応も示さない。 「先生お久しぶりで、級長していた××です」、とわざわざ形容詞も付けてこちらから自己紹介し挨拶した。 一瞬、間を置いて、 「ああ、××くんか」・・・だ(涙。 先生も野郎、女子の事を覚えている事は我が身を考えても十分過ぎるほど理解できる。 でも、一緒にいた野郎の事も憶えていたし、 それなのに私の事は思い出してくれなかった。 少し・・・、いやぁ〜かなりヘコんだ。
 ヘコんでいると隣の野郎が、 「オイラは劣等生、何時も先生に叱られ迷惑掛けた問題児」 「先生はそう云う生徒の事はよく覚えているものなのさ」 「それで、お前さんは級長していい子だったろ、えてしてそういうインパクトの無い生徒は記憶に残らないものさ」、そんなホローを頂いた。 そう思えば、私の青春の歴史は「中学・良い子」「高校・普通の子」「大学・悪い子」と変遷して行くことなるのだが。
気を取り直し先生に尋ねた。 「先生、二学期に**さん(注:あの子)が転校してきた時、先生は私の横に座らせましたよね、憶えてますか?」 「ああ、憶えているよ」 「級長してた貴方の横なら面倒見てくれると思ってな」 「先生、その判断が私の人生に大きく影響を及ぼしてですね」 「今でも引きずってるんですよ」 杯を交わしながら、ドサクサにまぎれてそう先生に云わせていただいた。 80歳から51年を引くと当時先生は29歳、経験不足で多感な15歳の指導を誤り、結果火を付けてしまったのだと遠回しに言ったつもりだったが、 先生、何事か全く気に留めた様子は無く普通に聞き流されてしまった。 私の自虐史の全ての始まりはこの先生の一つの判断ミスから始まったのだ。 歴史とはこんなひょんなことから始まるのだ(大笑。
■2014.11.02 morning
管理人 この三連休、相変わらずだが未明に目が覚める。 別に早起きではない、それだけ早く床に就いているという事。
父がこの街に家を建ててくれたのは私が高二の春、それまでは官舎を転々としていた根無し草だった。 だからそれまで小学校4回、中学校3回の転校、十数回の転居の憂き目にあっていた。
私が高二という事は17歳、この街に住み始めて丁度50年、半世紀になる。 それだけ永く住み続けているが、結局私の生まれ育ったところでない。
それまでの環境から私に幼馴染は皆無だし、近くに親戚が住んでいるわけでなく、 かつこの40数年、昼間は勤めているので近所付き合いはない。、 だからこの街では何時まで経っても私は”よそ者”
でも不思議なものだ。 不本意ながら4月から”町内会長”を引き受けた。 不本意というのは役を押し付けられたからではない、まだ私はフルタイムの現役な訳でお役目を全うできるかどうか分からなかった為。
それから約半年。 朝、足早に駅に向かっていると幾度となく挨拶される、それも名前を呼ばれて。 夕刻、ぶらりぶらりと家に向かっていると、街角のそここで挨拶されたりお声が掛る。
こんなことはついぞこの50年無かったこと。 お役目で各戸を訪問することも度々ある。 これが「町内会長ですが・・」と玄関口で告げると全く警戒されないし丁寧に迎えてくれる、それでこちらも臆せず話しかける事ができる。
こうなると前職の営業職時代の経験が役立つ、初対面の方ともつい話題がはずむ。 こんなことを繰り返しているうちに町内で顔見知りが増えて、懇意な方も出来てきた。
可愛い御案内、町内の方もきっと和むはず 会長のお役目の一つには月一で役所の広報や議会だより、諸行事や保健・福祉のお知らせなどを回覧するお仕事がある。
可愛いい小学校や中学校の行事案内も回ってくる。 昨日も午前三時半に目が覚め、広報やお知らせを仕訳し表紙を作り回覧に綴り班毎にまとめ、雨だからビニール袋で包むケアも忘れない、
この作業に三時間ほど、夜明け前には各班長さんのポストに届けた。 これも前職の広報担当時代の経験が役立ち苦にならない。 それで妻にこう言われる。
「あなたは”筋”を通すことにこだわらなければ、ホントいい町内会長さんなのにね」 ・・・・・・・(汗。
■2014.11.01 morning
管理人 楽しい・・・・ |