■2015.02.20 night
管理人 「無茶苦茶な手紙出して、御免!」 1968年8月、暗いバリケードから出した支離滅裂な「あの手紙」、 多分、あの子は忘れているだろうが、私はケジメとして謝らなければならないと思っている。 「あの頃、楽しかったね!」 それと、1964年の3月、卒業式が終わり居残った教室でのことも話したかった。 15の春の「あの事」、きっと、あの子は憶えていると信じている。
今週二度目の出張からやっと帰着 だから、全く目標が無くなった訳ではない。 そういう意味では、未だし残した気持ちが残っているのも確か。 でも反面、 あの笑顔がも一度見れたからそれで十分じゃないか、もう止めようと言い聞かせるもう一人の私が居る。 もう直ぐ67歳にもなるのに、そんな気持ちの振幅がずっと続いている。
■2015.02.19 night
管理人 「何処かで停まって電話しろ」 出張先へ高速道路を飛ばしていると札幌の悪友から携帯にメールが入った。 SAから電話すると、
「おい、目標がなくなって呆けてるだろう」 開口一番がこれだ。 目標が無くなったというのは、 半世紀近く探していた”あの子”に会ってしまって、もう私には、これから先に目標が無いという意味。
コイツにゃ〜そんな事言われたくはないが、まぁ・・・半分は合っている。 それで、同じく半世紀ぶりに所在が分かり連絡取れた広島在住の同窓生に一緒に会いに行こうとの誘い。
彼はあの時代、毅然とヘルメット被った数少ない同窓生。 ちゅうより私の知る範囲だけだが、東京に進学した同窓生でヘルメット被ったのは唯一彼一人。
「アイツな、未だに引きずっていてな」 「同窓会に誘ったのだが、オイラ達以外には会いたくないと来ないし」 「それなら、二人してこちらから押しかけてやろうと思ってな」
「お前さん、退職すると言ってたから、何時でも行けるだろ?」 個別、私はこの十年近く、 あの時代にしつこく拘り、繰り返し繰り返し、天に向かって気持ちを吐き出してきた。
吐き出せば、必ずそれは又自分に帰ってくる。 そんな修練とも、自虐ともいえる行為を繰り返し、あの時代の自分を相対化してきた。 それで徐々に徐々に、頭の中に響き渡ったいたシュピレフコールが小さくなった。 彼はこの50年近くをどう生き、どう自分と向き合ってきたのだろう。
未だ、シュピレフコールが頭の中で鳴り響いているのだろうか。
■2015.02.18 morning
管理人 どっと疲れている。 先日、後任者人事が二転三転していると書いたが、 その後、三転が四転、ぐるっと一回り、
とどのつまり、全くの白紙に戻った。 なもんで、 今の状況では、どう考えても年度末の三月末は無理。 なもんで、 2〜3ケ月の範囲なら先延ばしも止むを得ないと妥協することにした。
2〜3ケ月ちゅう目安は、クソ暑い炎天下、汗を拭き拭き通勤するのはもう真っ平御免と思うから。 それに、 7月には恒例の東北秘湯ツアーを入れた、
今年も夫婦5組の10名、もう一組参加希望があっているがそちらはキャンセル待ち(笑。 この歳になると、自分や身辺の都合でのドタキャンリスクはかなり高い訳で、そういう意味ではリスク回避のスペアとしては貴重。
盛岡、一ノ関、福島と年々南下し、今年は白河から那須、塩原方面をぐるりと巡る。 それにそれに、 札幌の悪友とは、広島の同窓生を急襲・・・じゃない、訪ねようとの予定も入れた。 その昔、60歳を前にした時、”チラリ”と思った「革命」の取り組みは、
67才を前にした今、この7年の間の心境の変化もあって、 残念だが今のところ予定がない。
■2015.02.13 night 管理人
昔、テレビに出た時。 「もう一度、生まれ変わったら、又(日大闘争)やりますか?」 司会の方から、確かそんな様な質問を受けた憶えがある。
一緒に出演した930の仲間は口を揃えるように、 「もう一度やる!」 キッパリ、皆そう応えていた。 私は、 「いや〜二度と嫌です!」 別に皆と違う事を言って受けを狙った訳ではない。 一瞬の"花火”のようなバリケードの時間に続く暗く重たい敗退戦、出口が見えず行き場の無い情念。 後輩たちは「美味しいところ丸取り世代」と言うが、舞い上がるような一瞬が有ったからこそその”落差”は大きい。 ジェットコースターのうな情況の変化、あんなしんどい事は、正直、二度と嫌だと思った訳だ。 そう云えば、確かもう一人私と同じ返答をした仲間も居たっけ。 決して日大闘争に身を投じた事を後悔している訳で無い。 反対にその経験が、世の中を斜に見る事も無く、その後の私の生きる力になっているし、 だからこそ今まで、自分なりに筋を外さず生きて来られたと思っている。 だけども、も一度と問われると、やはり「勘弁して下さい」となる。
それで、 私は今年で67歳になる。 あの時代から50年近く、自分なりの筋を曲げず一直線に生きてきたが、この数年で私の中で何かが変わった。 あのシュピレフコールが頭の中に響かなくなって久しい。 思想とか主義とかそんな高尚なものではないが、私の中で何かが変わった。
胸に秘め想い続けてきた”あの子”に50年振りに会えたのも確かに一つのファクターではあるが、断固、それだけではない。 老いぼれてしまった、感性が経年劣化してしまった、と云えばそれまでだが。 もう十分、「私」を生きてきた。 残された人生は後僅かだし、これからは、少し筋を外して今までとは違う「私」を生きてみたいと思う。
朝も言ったが、春はもう直ぐそこまで来ている。
■2015.02.13 morning
管理人 14、15というのは思春期真っ只中、誰にでも微妙な年頃なのだが、 60歳というのも、第二か第三のそれかどうかは知らないが、微妙な年頃なんだろうな。
私にも思い当たる節がある(笑。
今期でのリタイア決め、事務引継ぎの準備を鋭意進めているのだが、 私の後任者人事が二転三転し、なかなか決まらない。
後はままよとバイバイするわけにも行かず、 そうかといって、ズルズル残留するのも嫌なわけで。 今日は13日の金曜日・・・・、 世の中、色々有るが、
春はもう直ぐそこまで来ている。 |