■2015.03.31 morning
管理人 誕生記念の鉢植桜の苗が三度目の春。 花芽が見当たらず若葉が開き始めた、今年もまだ無理かなと諦めていたら昨春と同じように小さな花が二輪。
三年目、そろそろ鉢植えでは少し窮屈そう、地に降ろしてやらねばと思っているが、 今春、またまた誕生記念の苗木を購入することに。 今度も桜の苗木にしようか、とりあえず空いた鉢に植えようか、いろいろ思案している。
 
クマさん人形と絵本がお気に入り、我が家に来ると何時も脇に抱えて放さない。
「お誕生日おめでとう♪」
「おじいちゃん、お誕生日おめでとう♪」 「はい、どうぞ!」 椅子に立ち上がり、おもちゃのマイクを持ってひとしきり歌った後、そこいら当りの適当なものを物を持ってくる。 「上手、上手!」
褒めてやると、今度は、 「「お誕生日おめでとう♪」 「おばあちゃん、お誕生日おめでとう♪」
「はい、どうぞ!」 これを延々と繰り返す。 保育園のお誕生会の再現なのだろう。 「はい、どうぞ」は、お誕生日プレゼントのつもりなのだろう。
可愛くて、 彼女が飽きるまでとことん付き合っている。
■2015.03.30 morning
管理人 私の職場は公益法人制度改革に伴い公益社団から一般社団に移行して丸2年になる。 しっかり貯め込んでいた保有資産をしっかり管理されていることはここに幾度となく書いているのだが、
厳しくなったのは財産管理だけでなく、法人運営についてもしかり。 事業年度が終了する前日までに、つまり明日までに次年度の事業計画案と収支計画案を理事会で審議・決定しなければいけない。
今までは決算を括ってその内容を吟味し来年度の計画を立てていた、私が40年近く勤めた前職場もそうだった。 それが決算を括る前に立案しなければいけない訳で、
それならば見込みで決算すればと言われるかもしれないが、どっこい、公益法人会計は複式簿記でも一筋縄でいかない代物。 独学だが二級簿記程度の実務経験がある私も、訳が分からなくなりそう。
そんなこんなでここ10日程忙殺され、やっとこさ理事会が終わった。 色々有るときは色々有るもので、 宮仕えでバタバタしている最中、町内会の会計さんが入院してしまった。
ご承知のように町内会の役員は基本的にリタイヤしたシルバー世代のお勤め。 会計さんは後期高齢者、退院の目途が付かないそう(泣。 そうすると町内会の決算と監査は誰がするの?・・・・ってことになった次第。 当然だが、そのお役目は町内会長が背負うことになった。
年度末、ちゅうたら明日だが、 会計さんのお宅にお伺いし、現金有り高を奥様に確認していただき、 その足で銀行に出向き、出納閉鎖ならぬ年度末記帳をし、
とって返し、行政からの振込と会費の納入状況、支払いと領収書、明細の突合せをし「会計報告書」を作り会計監査の準備を整えなければならない。 12月歳末は忙しくなく、のんびり過ごしているとうそぶいたが、
年度末はそういう事でてんやわんや。 管理人日記が滞っている言い訳は幾らでもあるのだ!
■2015.03.21 morning
管理人 15の春の高校受験シーズンも終わり、桜咲く四月ももうすぐ。 高校は春休みに入り、朝夕の通勤列車もぐっと空いてきた。
「父さん、僕は今でも父さんの高校に行きたかったと思っている」 この時期、長男と話していると時折そう云われる事がある。 長男は通っていた高校進学塾の勧めで私立進学校を受験した。
その高校は中高一貫校、高校の募集定員は少なくそれなりに難関だった。 それが、謙遜ではなくまったくのまぐれで受かってしまった。 受験は塾の実績づくりのチャレンジ、親子共々、それに中学の担任もまず受からないだろうと思っていた。 中学の親子面談でも第一志望は私の母校の公立高校だった。
親としては自分の通った高校に行って欲しいもの、これは理屈ではなく自然な思いで息子もそれを希望。 だから、私立進学校の受験はあくまで塾の実績づくりへのダメモトのお付き合いだった。
それがまぐれで受かってしまったので大変。 担任の所へ報告と相談に出向いた。 先生も意外な表情は隠さず、 「お父さん、合格した私立高は息子さんの第一志望の公立高より受験ランクが上です」
「私立高へ進学し、公立校の受験は辞退してください」 「それに息子さんが私立を辞退すると、(その高校は)来年からこの中学からはとってくれなくなります」
半ば強制的なアドバイスだった。 今から25年前の出来事。 結果、通って楽しい学校だったならば長男は冒頭のような事は言わないだろう。
「中学から上がってきた奴が内部生でのさばってるし」 「僕ら高校から入学組は、結局、最後まで何をするにしても外部生」 「それにやたら校則が厳しくて、自由な校風の父さんの高校が羨ましかった」
そう言われ、 あの時最後まで、親子の意思、特に長男坊の意思は通してやりたかったと、親の選択ミスを今更に反省。 それがあれから25年。
先日、今般の高校同窓会の手配を頼んだツーリストの係の方らか言われた。 「**さん、娘が**さんの後輩になれました」 「すべり止めの私立高(息子の通った私立高)受かってましたけど、第一志望の公立高(私の母校)受かったのでそちらに決めました」
「エッッ・・・それって?」 「普通はランク上の私立高の方に行くんじゃないの?」 「**さん、今はランク違いますよ、殆どが**さんの母校の方を選びますよ」
「・・・・・・・・・??」 息子の高校受験から四半世紀、 時の移ろいと共に世の中、様変わりしたが、 母校もそれ以上に様変わりしたようだ、
幾度となく春は積み重なり、時代は変わっていく。
■2015.03.17 morning
管理人 50年近く前、帰郷し一時期アルバイト、しばらくして前職に就いた。 こういう言い方はよくなく差別的と言われるかもしれないが、私が選んだ前職は決して大学出が入る職場ではなかった。
だから、働き始めると男性職員からは疎まれた。 私に言わせれば逆の学歴差別だった。 反対に年配の女性職員からはチヤホヤされ、興味の的になった。
興味を持たれたのは、大学出が来るような職場でないのに、何故来たのか? 昭和40年代後半、田中角栄が登場し日本列島改造論をぶち上げ時代はまさに高度成長期の真っ只中、
日大卒レベルとはいえ、仕事は幾らでも選べる時代、 そんな時代背景で、常識的に言って私の職業の選択は、おばさま連中には理解し難ったかったのだと思う。
我が家の白の沈丁花が香りはじめた 時は40年過ぎて、2008年の還暦同窓会。
「俺な、学生の頃ちょっとやり過ぎてな、人生逸れてしまってよ」 42年ぶりに会った同窓生にそうボツリと云われた。
「ええッ、それって俺の決めセリフなのに」 心の中でそう云って、苦笑いしながら 「そうか、大変だったんだな、まあ飲もうや」 友は校歌斉唱で、涙ぐんでいた。
(2008年6月2日の管理人日記より) 40年前の職場のおばさま連中に、この様な説明は決してしなかった。
仮に職業選択の理由として説明しても分からないだろうし、 その頃、日大闘争を第三者に語れるほどの心の余裕は未だなかった。 それが喋れ出したのは50歳を過ぎた頃からの事。 以上、前置きが長々となったが、
私の場合、過去の経験や前歴を語るのに「学生運動」という言葉には抵抗がある。 運動とは、主義や思想が裏づけにないとおかしいのと思うのと、 その主義や思想の具体として、集団や組織、そし個人があり、それがゼンガクレンやサンパ、ミンセイであり、そして当時新しく登場した黒ヘルであった訳で。
私のやったことはその定義から言っても決して「学生運動」ではないと思っている。 だから、自分の過去の履歴を語る際、 「昔、学生運動をやってまして」とは決して言わない。
おばさま連中にも 「いや〜色々ありましてね」としか言わなかったし、それしか言えなかった。 それは今でも同じ。 語れば長いのだが、半世紀前、色々有ったのだ。
■2015.03.16 night 管理人 仕事から帰宅し、ほっと一息ついていると固定電話が鳴る。
「ゴミが・・・・」 ご町内から苦情の電話。 収集所に出されたゴミ袋、指定通りの分別がされてなくレッドカードが貼られそのままになっていると。
「何とかせよ、問題の解決に当たれ」とのプレッシャーなのだ。 着換えた服をまた着直し、町内のごみ収集所へ出向く。 レッドカードを貼られ回収されずそのままになっているゴミ袋が2個。 宵闇迫るなか、ゴミ袋の中身を見ると宛名が付いた郵便物。 犯人が特定できたわけで、その宛名をみて苦情をいってきた方と期せずして顔を見合わせた。 プライバシーに関わるから詳しくは掛けないが、ここは基本匿名でやっているから詳しく書く(笑。 町内の病院の院長先生の名前が宛名にある。 「困ったなあ、院長先生のお宅だ」 そう云って顔を見合わせた訳だ。 でも重責を担う町内会長の立場(笑、そのままゴミを放置しておくわけにはいかない訳で、 早速、その足で院長先生宅にお伺いした。 六時過ぎ、未だ帰宅していない。 食事を取って出直し七時過ぎ、未だ帰宅していない、 もう帰っているだろうと八時過ぎ、未だ帰宅していない。 この時間帯を越すと、私は就寝時間帯に入るもので、でこれが限界・最後と八時半に訪問した。 玄関の灯りが付いている。 チャイムをピンポーンと押す。 パジャマ姿の院長先生が出てきた。 実はこの訪問の前に妻に忠告されていた。 「貴方は上から目線でものを言われると直ぐにキレるから、喧嘩しないで下さいよ」 相手が病院の院長先生だから、物言いが上から来た場合を心配している訳。 長年連れ添った彼女、実に的確に私の行動パターンを見抜いている。 それで事情を説明すると、 院長先生、「それは申し訳ない、ご迷惑をかけました」と。 そうなると私も、「何分、よろしく願います」 お互いが平身低頭、頭をペコペコ下げて一件落丁。 無報酬の深夜労働からやっと解放され帰宅すると既に九時過ぎ。 ”現役”町内会長、普段ならもう寝てる時間帯なのだ(笑。
■2015.03.14 morning
管理人 時計は午前四時を指している。 家族は熟睡している、といっても妻だけだが。 そっとベッドを抜け出す。 モコモコに厚着し居間に降りる。
ブレッド&バターのCD、少しボリュームを絞る。 ノスタルジー&センチメンタルな曲調が気に入り何時も掛けている。 そうしているとガサッと新聞がポストに入る音。
珈琲を点て全国紙と地方紙、二つの新聞にさっと目を通す。 たまに二時や三時、目がくっきり醒め困ることもあるが。 六時ごろになると周りがほんのり明るくなる。
庭に出て鉢花に水遣り、 世間様の出来ごとに興味が失せたというか失望しきりのこの頃、休みの朝はいつもこんな調子。
公益法人、途中から一般法人に移行したが、その事務局長に就いて丸5年ほど。 程なく勤め上げるが、5年という歳月には少しばかりの感慨がある。
仕事は、一言でいえば出しゃばらず”調整役”に徹してきた。 まとめることには腐心したが、何かを仕掛ける事は一切しなかった。 まあ、地味な法人だからそれで十分だった。 このご時世、こんな事を云うと顰蹙ものだが、法人の財政は潤沢でお金には困らなかった。
困らないというより、使うに苦労した。 ただパット散財すれば簡単なのだが、制度に縛られその使途と額は役所の厳しい監視下にある。 役所は半期毎の監査に決算監査、会計、帳票の細目まで全て目を通してゆく、
それでも、前職が貧乏所帯だった私の感覚からいえば惜しみなく使わせていただいた。 勿論、公益目的の”たてり”はきちんと立ててだが。 私の法人財政が潤沢なのは業界では周知の事。
そのため、同業同種や異業種まで後援依頼や協賛・共催、助成の要請が多々あった。 明らかに公益性が高く、法人定款に齟齬が無いものにはそれが可能だが、一つ関門があった。
いわゆる”党派”性。 これが一番の難関。 余り詳しくは書かないが、 公益性が高い事業ほど、ある特定の党派が関わる事例が多かった。
ハイそうですかと財政援助すると、あとで機関会議で詰め上げられる。 そこで開き直れば簡単なのだが、そもそも私もその党派には偏見だけは十分あったもので(笑。
注:偏見とは「かたよった見方」
それで、お付き合いは建前で、ほどほどにさせていただいた。 まあ、そんなこんなで5年が過ぎた。 未明、そんな感慨にしばし耽っている。
■2015.03.13 morning 管理人 「も少し髪が伸びたら女の子らしくなるのに」
そういって父さんため息つくが、そういう本人も幼いころはふわふわの綿毛のような髪だった。 遺伝子はきちんと娘に引き継がれている。 彼女の頭、かつてのマッシュルームカットのよう、これでは男の子と間違われるわけだ。
先日、三度目のひな祭りに招かれていた。
彼女、言葉が片言ではなくそれなりの会話が成立するようになった。 保育園では紙おむつではなくトレーニングパンツになっているそう。 中国の爆買ではないが、今の紙オムツは余りに良く出来過ぎていて(しても)子供に違和感がないそうだ。
それで、オムツがとれるのが遅れるそうで、わざわざ濡れて違和感のある布製でトレーニングするとのこと。 少しずつではなく急激に成長してゆく昨日今日。
そんな成長を楽しみながら、こちらは着実に退化していく。 それもまたいいものだ。
■2015.03.12 morning
管理人 事務引継準備のため、5年前に前任者から頂いた事務引継文書をはじめてみている。 引継いだ際は、「ハイハイ、まあ何とかなるだろう」とタカをくくり口頭のそれのみ、文書には全く目を通していなかった。
今更に精読すると、なるほどと思われる内容が多々有る(汗。 5年前、しっかり目を通しておけば難儀しなくて済んだ事例も多々ある(涙。 やっぱり、私は根っからの「日大全共闘」だったんだなとあらためて思った。
からすま線京都駅にて 私(等)は・・・・、少なくとも私は、
「ゼンガクレン」も「サンパ」も、ひいては「ミンセイ」も全く分からず、突然、バリケードストライキの真っ只中に立った。 動機は義憤のみ、思想も主義もあったもんじゃない。
そんな高尚で紛らわしいものは身にまとってなかったもので、やることは単純でストレート。 それで一気に頂点の極みまで達し、その後は垂直のような下り坂。
思想・主義とは言わないが、少しばかりの事前学習が出来ておれば、日大闘争も、も少し違った結果になったのではと今更の反省。 そんな日大全共闘の公式キャラをして、引継ぎ文書に全く目を通さず今の職に就いたのだが、
それでも我ながらこの5年を難なく勤め上げたミソは、 かつてのキャラなら立ち塞がるものには玉砕主義的な正面突破を試みたのだが、 それが、年の功ちゅうか、
立ち塞がるものは避けて、 追いかけてくるものからは逃げて、 難題は棚上げ、先送りに徹してきた。 随分な成長なのだ。 それでして、
今創っている引継書は、前任者から頂いたものよりはるかに分厚い。 日大闘争では不器用にも棚上げ先送りは一切せずに玉砕したのだが、こちらは器用にそれをしてきたから引継ぎ課題が山積。
卑怯にも、その言い訳が長々とあるのだ(笑。
■2015.03.04 morning
管理人 通勤路沿いに小学校がある。 職場に向かっているといい匂いがしてくる。 塀の中に赤と白の沈丁花が咲いていた。
我が家のはまだなのに、陽当りのいい学校の花壇はもう春の香りで一杯。 
クリスマスローズの交配していない原種 今年の秘湯ツアーも三泊四日の旅程。
私の役割は旅館とチケット、それにレンタカーの手配。 手配といっても馴染みのJTB系列のツーリストへ丸投げなのだが、秘湯旅館の多くは直接予約しないとツーリスト経由では出来ないところが多い。
今年も三泊のうちツリーストでOKは二泊目だけ。 一泊目は直接電話で予約。 三泊目は結局インターネット予約サイトで。 何せ半年先を予約するのだから大変。
一泊目の旅館、HPを見ると半年先は未だ受け付けていなかったが、普通、商売していて注文受けるのに「出来ません」とは言わないだろうと電話を入れると、予想通り「いいですよ」との返答。
三泊目も普通に電話予約を入れてみた。 「夫婦5組10人で5部屋お願いします」と告げると、 「申し訳ありません、5部屋はご用意できません」ちゅうつれない返答。 ハタと困り、会員登録している某インターネット予約サイトを見に行った。
予約サイトにくだんの旅館があり、予約希望の前の月まで予約ページが開いている。 最安値プランを見に行くと、ちょうど都合の良いことに5部屋まで予約可能。
それで月が明けた3月1日、サイトを見に行くと予約ページが開いている、速攻で5部屋確保。 ところでこの三泊目の旅館、数あるプランの中の最安値で予約したのだが、
プランには一泊一人14000円〜と表示されていた。 それで予約ページを開けると、曜日よって料金が異なる。 需要と供給で値段が異なるのはいいのだが、私等が予約したい週から料金が跳ね上がっている(泣。 一番安いプランで18,360円!、
旅館はワタシがチョイスしたのではないので、躊躇はあったが「え〜ままよ」と予約確定ボタンを押した。 「〜」が曲者だったのだ。 それで受け取った確認メールには当然だが「予約金額計183,600円」と表示されていた。
それ見てあらためて”震え”が来た(笑。 おいおいツアーのコンダクターさん、 ワタシ等皆が皆、全共闘残党ちゅうか・・・敗残兵だよ。
落ちぶれたとまでは言わないが、 なんちゅう身分不相応で贅沢な旅館チョイスするのだ。
■2015.03.03 morning
管理人 月が替わって弥生三月の今日は三日。 三度目の桃の節句、今日は園できっとお雛様祭りをしているだろう。 この歳になると語彙の吸収力が凄い。
我が家に設けている彼女専用のマイルーム、境を指差し「ここから入っちゃダメ!」 からかって妻が背中をツンツン押すと「止めて下さい!」
二歳児の幼顔と、言う事のアンバランスがまたまた可愛い。
男の子とよく間違えられますが立派なレディです 先月、私の後任者人事が白紙に戻ったと綴った。
さてはて・・・・、と長いため息をついていた。 それが先日、思いもかけぬ急展開、人事ほどあやふやなものは無い。 何とか後任者が決まった。 決まったとはいえ、後任者の都合で着任は5月末の定例総会明け。
いい加減な仕事とはいえ、それでも引き継ぎにはそれから少しの時間が要る。 当初の希望の夏が来る前、67歳が目と鼻の先に迫る頃に後任者へバトンタッチが出来そうだ。
2010年夏から足掛け6年、ほぼ丸5年。 40年近くだった前職の時ほどではないがやれやれと思った途端、えも云えぬ”脱力感”
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