■2015.06.29 night
管理人
The Searchers -When You
Walk In The Room
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■2015.06.28 night
管理人
太腿の内側が痛い。 二日続けてプールに通っていた。 ブレスト(平泳ぎ)の推進力の殆どはキック、これが腰にくる。 腰が鉛のように重い。 来月から週休七日になるのだが、一足先にプルール通いを始めた。 この時期の土日の昼間、貴重なの50m長水路プールは高校のクラブがコースを借り上げ占有する。 なもんで、彼等が練習を始める前の朝一、プールが開くと同時に泳ぎだす。 広いプールに2〜3人、朝の光にプールの底がキラキラと光る。
  2010年の夏、泳ぐこと僅か1ケ月足らずで中断して5年程過ぎた。 この5年分を取り戻そうと気負いこんでいたが、 「まてよ、5年前とは体力が違う、気負い込むと体を壊しかねない」 そう思い、二日とも30分程で水から上がった。 それで、この5年は何だったのかと考え込んだ。 私の周辺はこの5年で随分と変わった。 返して、世の中の変わり様も随分なものだと思うが、よくよく考えると40数年前と何も変わってはいない。 何も考えず、 当分、プール通いを続ける。 プールの底で魂を取りかえそうと思っている。 人様のブログにいい事書いていたので勝手に拝借。 『人間には未来はない。手に持っているのは過去だけなんだよ。言いかえれば、過去だけが未来、なんだよ。』
■2015.06.23 morning
管理人 納戸に仕舞い込んでいたTシャツ類の”棚卸”していた。 既に忘却のかなたにいっていたものが幾つも出てきた。 記念にここに貼り付けておく。
 
2000年から2002年まで三年続けて国体セーリング競技に参加した、といっても選手ではなく競技役員。 前にも言ったが県セーリング連盟には仕事を4〜5日も続けて休める社会人が僅かしかいなく、私はその内の一人だった訳。
役目はレスキュー専門、最初は一部員で最後はレスキュー部の役員になった。 要は、三年も続け参加した者が他になく、他を押しのけて昇進した訳だ(笑。 写真は宮城県名取港で開催された2001年国体、高知県夜須で開催された2002年国体のスタッフポロシャツ、この年は刺繍のロゴマークが入ったラガーシャツも貰った。
2000年の富山新湊国体にも参加しポロシャツ貰っているはずだが、これは行方不明。 労を厭わず何処にでも遠征した当時は50歳ちょっと、まだまだ若かった。 名取で思うのは国体から10年後、競技会場だった名取市を津波が襲い何もかにもが押し流されている。
それと名取国体は9月8日から11日の開催、台風が襲来し10日以降は中止。 台風で足止めされ仙台駅前のビジネスホテルに滞留した晩、テレビから流れる9.11に遭遇した。
記念ポロシャツ、あれから我が家の納戸に15年ほど眠っていた訳だ。
■2015.06.21 night
管理人 「父さん、それって僕が中学生の頃のTシャツじゃないの」 上の孫娘とお風呂に入り、湯あがりにTシャツ着ていたら40歳の長男坊にそう云われた。
 
TシャツのロゴはYSA (YAMAHA
SAILING ASSOCIAITION) と燕のマークにSeamartin 来月から生活様変わりするので、出張から帰りついた週末、諸々の整理をしていた。 変わると云っても性根は硬直しているので精神構造ではない、着る物。 それで、カッターシャツはワイシャツ数枚を残して廃棄、スラックスも廃棄、ジャケットも全て廃棄・・・・と考えたが、これは春秋・冬物を数着残した。 つまり、忌々しい”勤め人”の着るものは基本全て廃棄。 それで、クローゼットやキャビーは仕舞っていたTシャツやカジュアルウエアーと入れ替った。 Tシャツは出てくるわ出てくるは、数えたら数十枚、そうか昔はこれでも俺は海の男だったんだと再確認。 基本はヘリーハンセンの物、これらは今時の物とは丸が一桁違う、貧乏しててもこれには拘っていたとあらためて感慨(笑。 中にはレア物も、ヨットレースに出た時景品で貰った物や国体の参加で頂いた物などなど、これらはお店では絶対手に入らないのだ。
隣県で催されたヤマハ主催のレースにカートップで遠征した。 この時は艇種別で一位、最初で最後の一位だが、混合レースでシーマーチン艇のエントリーは私一人だったと云う落ちが有る(泣。 そん時、賞品と一緒に参加賞で貰った「シーマーチン」のロゴ入りTシャツ、 もう30年位前だが有り難く仕舞っていた、これを湯あがりに羽織った訳だ。 こんだけ簡単に頭の中も入れ替えできればと思うのだが。
■2015.06.17 night
管理人
明日から最後の出張。
この職場に来て丁度80回目の出張となる。
北から南、西から東まで、よくもまああちこちとウロウロしたものだ、 近場の泊まり出張を入れると多分三桁の回数になると思う。 40年ほど勤めた前の職場を辞める時、 思い出してみるに、印象に残るものが何もなく落ち込んだ経験があるが、 この5年ほどの勤務も、特段に印象に残る事がない。 強いて言えば、よくまあこんだけ出張に行ったものだと思う位。 たった数年のあの時代の記憶だが、 少しずつ薄まりながらも、 今もなお私の人生の殆どを占領している事をあらためて実感している。
■2015.06.15 night
管理人
When You Walk In The Room
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■2015.06.15 morningU
管理人 土日、特段にすることが無いので洗濯に勤しんでいた。 勤しむといっても日々の洗濯物は溜まっていない。 押入れをごぞごぞとかき回していたら使っていないバスタオル類が出てきた。
最近家族が増えて、タオル類は幾ら有っても困らないので古ぼけたものも含め洗濯機に放り込んだ。 梅雨の合間、何とか乾いて取り込みたたんでいたが、
長男と次男の名前を書いた、すっかり色あせたもうボロボロなスヌーピー柄のタオルがあった。 「そうか・・・・、もう40年近く前のものだ」 日大闘争の記憶も含め、私は異常に物持ちが良いようだ。
職場に着くと、先日、受診した健康診断のレポートが届いていた。 ウエスト、体重は昨年より若干減。 血糖、脂質は相変わらずイエローカードだが昨年より若干なりに改善。
全体的に「食生活に気をつけて運動に心掛けましょ」うとの総合所見だったが、食生活は気をつけているので足らないのは運動。 取り敢えず退職後の課題がはっきりしたようだ。
■2015.06.15 morning
管理人 朝、居間に降りるとふわ〜っと甘い香りが。 香りを楽しみたいので一輪差しにクチナシ一輪を差した。 花の香り、何処からともなくふわ〜っとが好いのだが、一輪だけではさすがに香らない。
昨夜、蕾を三輪追加していた。  今日は年度第一回の理事会。 仕切りは後任者だから私は傍聴席、意見を求められたら答えるだけだから気楽。 後は、オフィシャルとプライベートが一ずつ送別会と、引継用務の山口出張が一つだけ。 一般的ならここで有給消化に入るのだが、 前にも述べたように私には就業規則がなく、休暇の規定もない。 幾ら休んでも休まなくてもどうでもいい処遇。 さて、こうなると反対に休みづらいものだ。 まあ、直ぐに”週休7日”になる、
休み急ぐ必要もない訳で、ボチボチ適当に。
■2015.06.12 morning
管理人 水曜日、送別してくれるというのでそれだけで2時間半かけ車で出かけていた。 夕刻から数時間の宴席、さすがに当日の帰宅は無理で宿泊。
主賓の立場なもので、次から次に注がれる酒、断るわけにはいかない。 二次会は許してもらったが、もつれる千鳥足でホテルに戻りそのままベッドにバタン。 ホテルで朝食。
ゆっくり、のんびり、トロトロ、車を走らせ昼過ぎ直帰。 そのまま夕方まで眠りこけていた。 下戸が適量を越すと、次の日は死んだも同様。 ところで、ホテルの朝、モバイルPCでメールチェックした。
断っておくがあくまでPCでスマホやタブレットではない。 しかしスマホの普及で、どこのホテルもWiFiでPCがつながる、これはあり難い。 メールを開くと表題が「小林哲夫:ジャーナリスト」という一通が受信ボックスに座っている。 また新手のスパムかと思ったが、一様中身を検めてみた。
が・・・・・・、 どうもスパムではないよう。 添付ファイルもウイルスチェックに引っかかっていない。
その添付ファイルで紹介されているご本人の著作を見て、 「ウム・・・・この本、確か読んだことがあるぞ・・・・・」 結局、取材の要請でローカルな私では何の役にも立たない、速攻JUNさんに転送した。
興味を持って読んだ本の著作者からメールを頂いてなんだか嬉しくなった、こういう点では私は実に単純な男なのだ。 JUNさん、後はよろしく頼みます。
■2015.06.09 morning
管理人 困った、準備万端だったと自負しているがもう引き継ぐ事が無い。 後任者との約束で引継期間を一ケ月と決めたのだが、殆ど済んでしまいもう私のすべきことがない。
仕事上の判断は後任者に譲ったので、横から口を挟むのは止めた。 退職まで残された後わずかな時間だが、さてはてどうしたものか。 今更に思うがこの仕事に就いて5年程、採用は口約束で私には就業規則が無かった。
勿論、就業規則は定められており、事務員さんはそれに則り就業しているのだが、その殆どの項目が私には適用除外。 給与は年俸制で時間外、休日手当もなし、肝心な勤務時間、休暇休日もママ。
これって一般的には役員の身分だが、雇用形態はあくまで職員身分。 いわゆる”労働者”としての扱いがコンプライアンス上では実にいい加減で粗雑、あえて言えば処遇に無頓着で本人もそれでいい”活動家”としての扱い。
そうは云っても労働三法に一番厳しい本家本元、これが労働組合の業界だから笑ってしまったのだが、 そこん所を細かく詰める輩を、この業界は伝統的にメンバーシップには入れないのだろう。
そういう意味では、私も自らの処遇には目くじら立てずやって来たので、結果、その手だった訳。 幾ばくかな手当を頂くより、勤務に拘束されず自由気ままでその方が良かったとの利己的都合もある。
明け方、梅雨本番に咲く でも思うに。 それでいいのは私等までの世代。
何でも有りの時代を経験した根性世代までに通用する事で今の世には通用しない。 それで私の最後の仕事はこの業界で前代未聞らしいが、後任事務局長と法人との「雇用契約書」を作成。
雇用条件を就業規則、労働三法に照らし具体的に明文化、契約書として採用時に交わした。 その時、後任者にはこう告げている。 「私は(何でもありの世代だから)それで良かったが、貴方は(まじめだから)そういう訳にはいかない」
「口約束は良くない、手の平返されたらそれまでだから契約書を作った」 「たかが契約書、されど契約書」 「何かあれば、この紙きれがきっと役に立つから」
■2015.06.08 morning
管理人 愛知への出張が終わり、残すは山口と県内出張の二件。 山口は湯田温泉へ。 後任者と一緒に引き継ぎを兼ねて行く。
温泉と言っても湯治ではないが、用務が主役でないので気楽といえば気楽。
相変わらず、行く先々で辞めたらどうするのかと聞かれるが、 聞かれるだけでも有難いと思っている。 鉢植えのクチナシが一輪開いた。
鼻を寄せると、ほのかな甘い香りが。 |