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■2015.11.30  morning  管理人




育ジイの忙しい合間をぬってその弐 蒜山を望む冬のハーブガーデン。







■2015.11.26  morning  管理人




育ジイの忙しい合間をぬって。








■2015.11.23  morning  管理人

前夜泊まり込み組のお蒲団が居間にうず高く積み上げられている。
幼児にとっては絶好の遊び場。
キャッキャ、キャッキャっと甲高い声を上げながら、歳の近い子とお蒲団から飛び降り部屋中をかけ回っている。
もうご飯だよと呼ぶがなかなか、やっと母さんに膝の上で食べ始めた。

食べ終わって少し経った頃、母さんの膝の上で何やら苦しそうな顔になった。
其のうちにオエッと嗚咽、母さんが慌てて手を添えた。
結局、5〜6回程もどしてしまった。
ジイさんは横でオロオロ、持ってたハンカチ、ティッシューを差し出した。

毎年恒例の柚子作業の応援に出かけていた。
いつもは姉と私の夫婦四人で行くのだが、今年は高齢の義兄がリタイア、代わり長男家族の三人が加わり大人五名+幼児一名の総勢六名、其のうちの一人が孫娘のはなちゃん。
長男がこの作業に最後に行ったのは小学生の頃だから30年振り、連れと娘を連れての再登場。
それで員数的には昨年より大人一名の増強だが、はなちゃんの世話で大人1.5名ほどの手を取るので実質的には昨年より0.5名の戦力ダウンとなる(笑。

2013年
2012年
2011年
2009年



はなちゃん、歳の近い子が居て楽しそう、休憩のコーヒータイム、剪定した枝を燃やす炎が山間をそめる

柚子、日頃は今年97歳になる叔母が独りで手入れをしているが、収穫・搾什となると親類一同が集まるのが我が親族の年中行事。
97歳の叔母、70歳を過ぎる従姉妹が世話に通っているが、基本的に畑仕事も身の周りも全て独りでやっている。
医療の進んだご時世、長生きは別段珍しい事ではないが、この歳にして元気に働きかつ自活している事は特段の事だと思う。
その秘訣だが従姉妹に言わすと「食」だそうだ。
従姉妹は古くから自然食品の店を営んでおり、叔母は娘の届ける食品と地域で作る野菜中心の食生活を永く続けている。
自然食品の店を営んでいる従姉妹の営業上のアピールとも受け取れるが、叔母を目の前にしているとあながちそうとも思えない。

話は回りくどくなったが、
昨日頂いた昼食も夕食もご飯は玄米。
それも中途半端な玄米食ではなく、褐色の餅のように粘る玄米ご飯。
柔らかな白米のご飯しか経験のない三歳児には初めてでかつハードな食だった訳。
これは全てに言える事だが”良い”と言われるものが誰にでも”良い”とは限らない、母さんもジイさんも幼児への配慮が欠けていたと大反省。

でも直ぐに元気に走り回っていたのでホット。






■2015.11.19  morning  管理人

雲混じりの南東の夜空、ひときわ明るく光る星がある。
レンズが1.8と明るく自動露光では夜空が昼間の様に映るので、露出を-0.7落として撮ったら星が生えて映った。
ネットで調べると、星は「あけの明星」金星だそうだ。

峠での日の出前、かかった雲が茜色に染まっている。
これは露出を+0.3上げて撮った。
茜色の空をゆっくり見るのは退職して以来、ベンチに腰かけしばし眺めていた。


二年ほど前、東大大学院学際情報学府在学の脹予思さんという方から、修士論文のためHP掲載のビラを資料に使わせてほしいとの依頼があっていた。
HP上に記載するビラは基本的に誰のものでもなく、勿論著作権も設定されていない訳で、自由に使って下さいと返事した。
修士論文のタイトルは「革命とパンダ――1960〜70年代の日本社会における中華人民共和国イメージの構築――」とも教えて頂いた。

そしたら、是非一度直接お会いしてお話を聞きたいとのメールが返ってきた。
それは無理、私はローカル在住だからと返事したが・・・・正直残念だった。
仮に退職した今の身だったら、多分というかきっと、えっちらこと飛んで会いに行っていたと思う。

Amazonにリンク

一昨日、論文を11月に刊行したので寄贈しますと本を送って下さった。
参考文献のページには私のサイト名がしっかりと載っていて、人並に嬉しかった。
今はテレビ朝日でニュース番組のディレクターをしているそう。
都会は嫌いだが、都会に住んでいたら友達になれたかもしれないのも残念。

本はこれからゆっくり読むが、フォントが革命的に細かいのだ(泣。






■2015.11.18  night  管理人

九月中旬、腰を痛め、続けて更に首の筋を痛め水泳を一時中断。
それがやっと治まった十月下旬、水泳を再開しようと思った矢先、季節の変わり目恒例の気管支炎。
喉が腫れ、咳で寝られず痰も止まらず、炎症止めと抗生物質他五点セットを服用する事半月程。
賞味期限の新しい薬で先週までに徐々に治まったが、さて、こう長く身体ダメージが続くと水泳を再開する気力が湧いてこない。

「貴方、最近ほとんど身体動かしてないですね」
「散歩でもしたらどうですか」
「止めてくれ、そんなジイさんじゃないから」、と云おうと思ったが、
我が身はまさしくジイさんで、そう言われても仕方ない実態。

この一週間、素直に妻の言葉に従って「散歩」を実行。
朝の早いのは得意だが余り早すぎると真っ暗な訳で、薄闇の六時ごろ家を出る。
近くに小山があり峠に公園墓地がある。
行き30分程の登り、帰り25分程の下り、峠で休憩5分を入れてジャスト一時間の行程。

「貴方、だらだら歩いても身体の鍛錬にはならないそうよ」
「坂道が心拍数を上げるのには一番いいって聞いた事あるわ」
妻の指導には厳しい付帯事項が付いていた、平地のてくてく散歩でなくあくまで鍛錬の散歩なのだ。
雨の日は休み、この一週間で五日間。


 峠からの日の出、山陰で平地より30分程遅い、  カードレールにカメラ置き自撮り(笑。

意外なもので、
若干、息は上がり気味になるが泳ぎ込んできた成果だろうと思う、
登り坂、行こうと思えばいくらでも行けそう、脚力はまだまだ余裕十分。
思うに、私は体重が軽いから足への負担が少ないのもあるのだろうが、かつても身の軽さと逃げ足だけには自信があった。

それで、
心配なのは車、早朝だから車が偶にブンブン飛ばし直ぐ横を通り過ぎて行く。
路肩に歩道が無く薄闇で車にはねられそう。
先日からはLEDライトを背中にぶら下げて歩いている。

一週間ほど歩いたが、今後水泳再開してもこの散歩は「朝の活用」に続けてもいいのかもと思いだしている。






■2015.11.09  morning  管理人

白いバスタオルがふわりと空を舞った。
ドタッ・・・・・と鈍い音。
階段をかけ降り抱き上げた。
一瞬、間を置いてワァァ・・っと泣きだした。

七五三の夜、家族全員ではなちゃんのお祝いをした。
「もう遅いから、父さんとお風呂入って帰ろうか」
大好きな父さんとお風呂に。
湯気を出しながらピッカピッカのはなちゃんがお風呂から出てきた。
はなちゃんは湯あがりに身体にバスタオルを巻くのが大好き。

湯気を上げながら皆の居る居間に階段を降りて行った。
私はドライヤーを持ち少し後ろをついて行く、
下から3〜4段目からだったろうか、彼女の身体がふわりと空を舞い、”落ちた”。
大きいバスタオルに足を取られたのだ。
私は後ろではなちゃんが顔から床に着地するのをスローモーションのように見ていた。

これが大人なら、首の骨折で半身不随になると思う。
抱き上げると泣きだしたが、なだめると後はケロッとしている。
皆が胸をなでおろしたが、でも、私はそれから何度かその光景の逆戻しを夢に見る。
思い出すたびに心が痛くトラウマに、これから益々「過保護」になりそう。

風邪のさなか所用で出掛けた高速で事故に遭遇、2時間程足止め

トラウマといえば、日大闘争全てがトラウマだが、鮮明に記憶に残っているシーンが多くある。
なかでも鮮烈なものの一つにバリケード奪還闘争の1シーンがある。
これは10年以上前の2004年10月14日に一度綴った事があるが、トラウマのように記憶が蘇ってくる
あらためて詳しくは書かないが、私等のバリケード奪還とか授業再開阻止闘争ってのは、言葉の上の意味だけでなく具体な実力行使が伴っていた事を理解していただけると嬉しい。

でぇ〜、今更に思うのは。
校則無視どころか、お上にも反抗、
当人には自覚が無いが法律にも背き、言い換えれば犯罪を犯し、
更には学園内外の物をあれだけ派手にぶっ壊し、
スンナリとは言えないが、一部を除き、少なくとも私の周りでは大半の学友がまた元の鞘に納まれたのは、一体何だったのだろうと。

決して”あの時代”だったからというのでなく。
私は、(学生)大衆の”総叛乱”がキーワードだろうと考えている。
それで、そのキーワードは今でも通用するとも思っている。






■2015.11.08  morning  管理人

ソファーの陰に隠れて何やらもぞもぞしている。
「はなちゃん、何してるの?」
妻が優しく問いかける。
「はなちゃんはね、隠れたいの!」
妻も私もピンときた。
「そうだ、はなちゃん、トレーニングパンツに換えようか」
「エッッ・・・、換えてもいいの?」
ソファーの陰から出てきて嬉しそうに言う。

トレーニングパンツ(薄手の紙オムツ)に換えると、またそそくさとソファーの陰に隠れた。
耳を澄ましていると、「ウ〜ン・・・・・」
微かに頑張っている声が聞こえてくる。
知らんぷりをしていると、機嫌の好い顔をして出てきた。
妻がパンツを覗く、
「アララッ、固くて大きいの出てますよ!」
「頑張ったね、はなちゃん!」

妻は頭をなでながらトイレに直行、
私はお風呂に連行、
連携プレー、日頃の経験値のお陰でバッチリ。

七五三のお参りに行くそうです

季節の変わり目、お決まりの気管支炎。
咳が止まらず夜寝れない日が続いている。
年の初めに内科で貰った薬が残っていた、ほぼ一年前の薬だが気にせず飲んだ。
炎症止め、抗生剤、胃の保護薬、ぜん息用の吸入剤、それに胸に貼る気管支拡張シール、計5点の薬を約一週間。
夜中の咳は緩和したが、今度は胃の保護薬のせいか「それ」がぴったり止まりしばしになる。
週明けには賞味期限の大丈夫な”新鮮”な薬と、「それ」に効く薬も貰い行こうと思っている。

はなちゃん、羨ましかった(笑。






■2015.11.00    管理人


まだ・・・、月は開けていませんが、取り敢えず出来るときにページだけでも月次更新(笑。

はなちゃんが初めて撮ったバアバの写真、勿論手を添えてあげましたが

秋の夜長、
昔の曲はいいですね。
そんな歳になりました。
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