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■2016.02.27  night  管理人


1969年2月18日

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■2016.02.26  night  管理人


Pink Floyd - Shine On You Crazy Diamond

ページ右上のプレヤーをストップして再生スタート  結構長いよ




■2016.02.26  morning  管理人

昨日は用心をとって妻が保育園のお迎え。
帰ってくるなり
「じっちゃん抱っこ!」
「じっちゃんお風邪だったけどもう大丈夫だからね」
「はなちゃんにうつされた風邪は、はなちゃんにはもううつらないからね」

「貴方、それって一概に免疫ではないかもよ・・・・」
「B型の場合、症状は軽いらしいから」
はなちゃんとスキンシップしていると妻から突っ込みが入った(汗。
しかし、いずれにしても一晩だけの発熱で済んだのだから、このジジイとしては大したものだ。

沈丁花が一輪咲きました

「いや〜続投と云う声もチラホラ出てますけど」
そろそろ町内会総会の段取りと次期役員の人選で副会長さんや会計さんと話をしたのだが、
「次期(会長)受持ち班は(八十を超える)超高齢者ばかりだから・・・」
「若い方にやって頂きたいのだが・・・」

役員さんの言わんとしているところは、
若い(大笑)私に引き続きやっと欲しいということをそれとなく言っている訳で。
この二年の評価をしてそう仰って頂くのは嬉しいのだが、
町内会規約に特段うたわれている訳ではないが、役員は一期二年で各班持ち回りが永年の慣例。
私の任期中にそれを簡単に崩す訳にはいかない。
私は地域ではガチガチの”保守派”なのだ。

事業報告、収支報告、会計監査、総会議案書の作成。
それと私の最後のお役目の町内街路灯(防犯灯)のLED化の事業計画を作っている。
久々のお仕事なのだ。



■2016.02.25  morning  管理人

何時もより早く早々に布団に潜り込んだ。
温もっていない布団、悪寒が走り体が震え歯がガチガチ鳴る。
「これはヤバイ・・・」
熱を計ると38度。

その日の午後、息子から電話。
「連れがインフルに罹った、保育のお迎えを頼めないか?」
その日は朝から体がだるく体調がすぐれなかったが迎えに行った。
はなちゃん、ジイちゃんのお迎えだとなかなか帰ると言ってくれない、園庭の遊具でキャッキャと遊ぶ事30分ほど、やっと帰路に付いた。
その間ずっと寒風吹き抜ける中で眺めていた。

帰ると更に猛烈に体がだるい。
「はなちゃん、ジっちゃんはお風邪の様だからバっちゃんと遊んでね」
そう言って布団に潜り込んだ、
結局12時間程、ひたすら寝ていた。



直ぐ近くを通る工事中のバイパス道路、昨年十月ともう直ぐ開通の今で白線はまだ引かれていない(朝の散歩途中で)。すぐ近くにインターが出来るので高速降りてから我が家までストレートになる。便利になるが周りが騒がしくもなる。町内会長で開通式に来賓でご招待頂いたが畏れ多く丁寧にご辞退した(笑。

それでもって今朝起きると、
体は軽く、熱も平常通り。
はなちゃんの母さんは熱で寝込んでいるらしいが、このジジイが一晩で回復。
よくよく思い出してみると、はなちゃんが先週罹った同型のインフルエンザ、私は四年前に罹患している。

ワクチンだとその免疫効果は約半年らしい、
それが、罹患するとその免疫効果は数十年もつと言われている、あくまで同型同タイプのインフルに限るらしいが。
私の場合、はなちゃんからの感染はブロック出来なかったが、非常に軽症で済んだのはそのお陰だろうとの素人見立てをしている。
2012年2月発症のインフル、無駄ではなかった、
人生、何事も無駄と云う事はないのだ(笑。




■2016.02.20  night  管理人

多分誤解されると思うが、誤解を恐れずフォローする。
その大昔、当地ローカルで後の事を考えずハチャメチャした私と我が友達。

私等は闘争初期の学内集会やその後のスト権確立までは形式的な自治会民主主義に則った、少なくとも理工学部はそうだった。
しかし、バリスト突入以降はその形式自体が無意味だった訳で、抵抗なくいわゆる全共闘方式に移っていった。
ここまでは他大学とも多分一緒だろう。
大きく違う点は、学内にはそもそも共産党の影響下にある民主青年同盟という全共闘に敵対する存在が無かったし、居ても無視できるほどの存在でしかなかった事。

あとで聞いたが、東大を筆頭に殆どの大学はこの民青との対抗に大半の精力を費やしているらしい。
その代り私等は何時いかなる時も大学が雇う学生と一部社会人からなる右翼集団、それとセットの警察機動隊と対峙していた事。
だから、守る、攻めるは言葉のお遊びではなかった。
突入といえば言葉通り突っ込んでいく、だから無責任と表現した友は決してお遊びでハチャメチャした訳ではない。
地元の彼等が日大全共闘のキャラを知らなかっただけ。

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それともう一つ、
日大には各地大学全共闘に多分いなかっただろうキャラクターが存在した。
世間では「イヤ〜私は右翼でね」と受けを狙って詐称するチンピラ左翼は幾らでも居るが、日大の場合はそれまでの大学の評価(右寄り大学)からしても根っからの右翼的体質を持つ学生が全共闘に居た、これは決してデフォルメした表現ではない。
何を間違い混入したのか最前列で角材持つ全共闘武闘派に少なからず存在した。
闘争自体が勧善懲悪の側面が強く一揆のようなものとすれば何とか理解に到達するが、今考えても彼等は最強で恐ろしかった。

何を隠そう、いまだに同窓会組織930の会にも少なからず居る。
930同窓会で「お前らアカが陰謀したのだろう」ってな意味の発言で、先輩を突き上げている後輩を見た時、昔の強烈な記憶が今更に蘇ってきた。
我が学科では、先に書いた通称ヤー公はそんなキャラの代表的存在だった。
他大学の全共闘を探してみても、彼らのようなキャラはまず居ないだろうと思っている。
ドブチュー、そうだよな。



■2016.02.20  morning  管理人

「捨てるの?」
「そりゃ〜勿体ないですよ!」
お茶飲み会、牧師様が点てて下さった美味しい珈琲すすりながら四方山話をしていると、元大手産別組合書記長にそう言われた。

私、
「ネットオ−クションに出したらと言われても・・・・」
「そんなのやった事無いし・・・・」
「今更、僅かな金で売れても、めんどくさいし・・・・」



 自称又は他称「トロ学生」定番御用立の月刊誌、'68〜'74年頃までのもので今のところ行先はゴミ焼却場

元書記長、
「なら私が預かって、懇意な大学の先生に役立ててもらう手もありますが」
私、
「役立つって言っても高々50年ほど前のマイナーな月刊誌、アカデミックのお役に立つかどうか」
折角のアドバイスだが、こちらは膝を叩くほどの興が乗らなかった。

身辺整理は着々と進んでいるのに、
さて、どうしたものか?



■2016.02.18  night  管理人

「人生最後の大同窓会、全国動員でやる!

「貴方も日大全共闘として連帯のあいさつを頼む」

朝、洗濯に勤しんでいたら電話が入った。
主は毎年一緒に東北の温泉へ旅行している地元国立大全共闘の元親分格。
「地元公立女子大はもとより、高校反戦、労働者反戦、支援してくれた安保世代の先輩達、誰も彼も根こそぎ全国動員で人生最後の大同窓会をやる!」
主は昨今持病で弱り気味だが、電話の声は弾んでいる。
「それで貴方の友達で、昔、当地で(無責任に)跳ね上がってくれた友達も連絡付けば是非呼びかけてくれないか」

(無責任に)跳ね上がった友人とは、私の帰省時に当地に遊びに来た日大全共闘の仲間達。
運動に責任が無いのでそれを無責任と云うのだが、当地で私も含め友人達は後の事は知らぬとハチャメチャしている。
この逸話は「あの時代の友との旅行記」に幾つかエピソードを綴っている。

民青が占拠する生協食堂に突入し、乱暴狼藉したい放題。
トロ学生は来るなと参加拒否された社共統一集会、総評青年部のピケットに突っ込み、ついでに殴る蹴る。
何れもデモの冒頭「突入」とのお決まりのアジテーションが有った、それで、言葉通りの実力行使をしたまで。
しかし、この日大全共闘のスタンダードは、当地ではそうでなかった。
地元の彼等にとって民青は勝てない最強の敵だったが、私等日大全共闘の意識は「ミンコロなんてちょろいもんよ」
この決定的な”認識”の違いをして、後から反撃を受ける彼らからは無責任でハチャメチャと謗りを受けた。

そんな大昔のエピソードをしても、彼らの人生最後の大同窓会にお招きを受ける栄に浴したのだが、
無責任な友人達といえば・・・、かすれる頭を振りしぼると、それぞれが同一時期ではなかったと思うが、
クメちん、ヤー公、タッペ、それに宮澤君も居たっけ。
亡くなった宮澤君は端から参加が叶わないが、クメちん、タッペはもう何十年も音信不通だし。

ヤー公にしては「テメエ、まだそんな事してやんの、オイラはいまだに天皇陛下万歳、退職した今は神社総代で忙しいでやんの!」、って4〜5年前に電話で話した時突き放すように言われた。
バリスト突入前は当局御用のクラス幹事、バリスト以降は愛すべき最強ゲバリスタで学科の逮捕第一号、
もともと当局のクラス”番人”を受けるほど性根は右翼なのだが、更にその体質に磨きがかかっている。

有難いお声掛けだが、無責任な私の友の参加はかなり無理なよう。






■2016.02.18  morning  管理人

ついに最難関の寝具類の整理に。
40歳前後に両親を続けて亡くし、もう27年程になる。
両親が使っていた寝具は既に廃棄しているが、孫子が集まった時の為に両親が誂えた寝具は捨てるに忍びなく、一間間口の押し入れ一杯に収まっている。
これには心の整理も必要だから、まずは毛布類から。

アクリル化繊の厚手毛布が8枚、ウールマークの付いた毛布が4枚。合計12枚出てきた。
化繊毛布は半分捨てウール毛布は残す事に、これで押し入れ容積は半分になる。
残すものは洗濯することにしたがこれが大変、化繊の毛布は分厚く一度に一枚しか洗濯機に入らない。
「毛布」コースを選ぶと洗濯時間70分、朝未明から洗濯機回してもお日様が上がるまでに2枚しか。
乾かすに晴天が必要条件、時間が掛る事この上ない。



その昔、周りが私等の事「トロ学生」というものだから、乗せられて読んだ本だが決して”トロ”ではない。

ところでウールマークの付いている毛布、家庭では洗濯できないと書かれている。
デッドストックで残すものにドライクリーニング代は勿体ない。
温水を使わず冷水、ウール用洗剤、毛布コースで試しに一枚洗ってみた。
しわは少々付くが縮みもせず、風合いも損なわず○。

退職し更に一層専業主夫に努めているが、やりだすとこれがストレスと無縁で軟弱と謗られようが実に楽しい(笑。
世相とは一切関係ないそんな主夫生活が続いている。
日記このまま続けていくと”主夫日記”になりそう。

毛布干したら今日はこれから教会へ、信心ではなくお茶飲み会。






■2016.02.17  night  管理人

過日、身辺の片付けを進めていると書いた。
納戸の整理もほぼ終わり、ついに伏魔殿の押入れに。
その押し入れには二種類ある、家を出て行った息子たちの部屋の押し入れと、その他の部屋の押し入れ。
何故、伏魔殿かといえば息子たちは何でもかんでも押し入れに詰め込んで家を出ていった。
その他の押し入れも、家を建て替えた時に取り敢えず何でもかんでも詰め込んでいる。

長男の押し入れ、1/3は衣類、1/3はコミック本、1/3はゲーム機やそのソフト、それにwin98デスクトップとノートPC、プリンター、スキー用品やブーツ二足も出てきた。
次男の押し入れは1/4が衣類、1/4が書籍(コミックではない、次男坊の名誉の為)、1/4がギターのアンプや訳のわからぬ付属の機械類、1/4がゲーム機やそのソフト、それにMacPC一式、そして私には訳のわからぬ音楽CD多数、
工学部の長男、文学部の次男、文理の違いもあるのか兄弟で押し入れ埋蔵品に微妙な違いがある(笑。

コミックや文庫本はダンボール20箱程になった、最寄りの資源ごみに出す予定。
ゲーム機やゲームソフト、音楽CDは箱に詰め直し再び押し入れに。
衣類は後日息子達と協議し選別。
同じくPCの処分も後日息子達と協議する。

ここまでにほぼ1ケ月ほどを要したが、先日からその他の押し入れの片付けに。
手始めに本。
文庫本は基本廃棄で事を進めていたが、
「直ぐに捨てないで、私に選ばせて」と、妻から待ったが掛った。
それで、ゆっくり選別作業が出来るようダンボールに詰めなおし空き部屋に積み上げた。

正直、一部を除きほとんど読んでません

 それと確かこの中に、その昔、中大学館で赤ヘルさんから「読め!」と貰った歴史的遺物も有るはず(笑

「貴方、これホントに捨てるの?」
妻がそう言う。
言われて見てみると、大月書店の”その”シリーズ一式、”趣味”で集めたもの。
「ここまで揃っていると捨てるの惜しくない?」
妻がそう言う。

私は毅然と躊躇なく捨てるつもりだったが、そう言われると迷いが生じたのだ。
困った。






■2016.02.17  morning  管理人

朝、寝床から恐る恐る起き上がる。
喉は腫れてないか、咳は無いか、熱は無いか確かめた。

月曜日の夜、長男から電話が。
「父さん、悪いが明日一日だけ娘を預かってくれないか?」
「僕は明日から出張、連れも明日だけはどうしても仕事休めなくて」
私達夫婦、孫娘の保育救援を一度も断った事が無い、今更に悪いがと断ってくるのは何故かなといぶかった。

「今朝、熱が有るから病院に連れて行ったらA型インフルエンゼだった」
「保育園は一週間お休みしなければいけないが、明日だけはどうしても面倒看れなくて」
さて、月曜日にインフル発症した孫娘を翌日一日預かるなると、此方もかなりヤバイ・・・・、
でも即答で、
「いいよ連れておいで、面倒看るから」

昨日、当方はマスクをし最低限の防感対策はしたが、幼児は病気に罹ると日頃に増して甘えん坊になる。
「ジイちゃん、抱っこ!」
「ジイちゃん、ジュース飲みたい!」
「ジイちゃん、ここに座って!」
頬を擦りよせ、一日中くっついて片時も傍を離れない。

何とか今のところうつされてないよう。
インフルエンザの潜伏期間は二日ほどと云うから、もう一日しのがなくてはならないが、
孫娘の風邪なら、うつされてもいいかなとも思っている。






■2016.02.05  morning  管理人

あんまり騒ぐものでムカつく。

そもそもミサイルから衛星ロケットは派生したもの。
ミサイルが先か、衛星ロケットのどちらが先かといえばその国の軍事的環境による。
ソ連はボストークで米国を恫喝、米国はアポロ計画のサターンロケットで応酬、何れもICBM開発と切り離せない。
インターネットにナビ、気象衛星すら本来は軍事目的で開発されている。

落ちる落ちると大騒ぎしているが、ロケット発射して他国の上を通らないのは米ソ、中国他限られた国だろう。
落ちてくる可能性はほぼゼロなのに、発射してもらって一番喜んでいるのが”自衛隊”と軍需会社。
それでそもそも、我が国に”原爆”二発も落としたのはどこの国?
お前ら日本人は忘れたのか!





■2016.02.05  morning  管理人

「**さん(私)の話しはもう色艶無いからなぁ・・・」
以前、”あの子”の所在を突き止めてくれたサロンの長老から茶飲み会でその様な事を言われた。

「私のは・・・」、と言うのは比較対照する”事案”が有る訳で。
先日のお茶飲み会、話が佳境に入った頃に一人がポツリと一言。
「いや〜、最近”彼女”が出来てね、22歳年下だけど」
この御仁、ここのところ茶飲み会をたて続けて欠席していた。
「ウヌ・・・、そういう訳か!」

幸せなる御仁の当該事案は”大なる”個人情報な訳で、ここで詳しくは書かないが、この艶事決して道ならぬ事ではない。
御仁はバツイチの独身、彼女も独身と云うから決して人の道を外してない。
「そういう訳か!」という私等の突っ込みには、
「否、付き合いはもう一年程前から」
「彼女は40歳ちょっと」

ここから茶飲み会の怒涛の”査問”が始まった。
「馴れ初めは?」
「どういう女性?」
「それで結婚するの?」
茶飲み会、何時もは話題が少々ずれても紆余曲折して最後は反戦平和の枠に自然と収まるのだが。
ところが先日は違った(笑。

私の色褪せてしまった「黄昏流星群」の話題とはチト違った。
金曜日のサロンを始めたのがイラク戦争開戦の2004年だったから、この茶飲み会で13年余になるが、男女のそれが話題になる事はまず無かったと思う。
当然、茶飲み会はこの現在進行形の事案への”嫉妬”と”羨望”で、最後までこの話題で盛り上がった(大笑。

沈黙は金なり

それでこの話題面白いのでホントはもっと詳しく書きたいのだが、
最大の配慮と、見守る親心をもって、ぐっと我慢し止める。





■2016.02.02  morning  管理人

私はへそ曲りだから。

妻が朝ドラを欠かさず観ている、
「そんなの明治の新興ブルジョア、財閥係類の強欲女の物語だろう」
「そいつらが究極の商い、戦争に加担し推し進めたのだろうが」
ちゅうて横やりを入れたいところだが、ぐっと堪えている。

へそが曲がったのは何も加齢によるからではない。
四十数年前、腹を据えたら何故かへそが曲った。
実しやかに垂れ流される話は信じなくなった。
世の中下から見るようになり、
そして、美しい話は何時も作為的に作られていると思っている。



■2016.02.01  morning  管理人

「ばっちゃんに見つからないように隠れてよう」
はなちゃんと二人で布団に潜り込んだ。

保育園から帰りそれから公園へ。
キャッキャと走り回り帰ってきた。
布団の中、いつもの癖ではなちゃん指をくわえて息をひそめていた。
ふと気が付くとスヤスヤと寝顔。

買い物から帰ってきた妻に指を立て、「シィーーッ」
二人して何時までも天使を眺めていた。




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