■2016.12.22 morning
管理人
年末この時期、札幌の悪友が決まって帰省してくる。
其の悪友から、「葬式に出れなかったのでせめて墓参りに行きたい」とリクエストがあっていた。
先日、亡き友の家に立ち寄り奥さんと三人で墓所に。
南に面した丘陵、横には大きな桜の木、墓には温かい初冬の日差し。
周りは故人の所有地だそう、日当たり良く私なら野菜を植えるのだが
奥さん曰く、
「一月になったら皆さんに我が家に来て頂き、本の整理をして欲しいのですが」
立ち寄った故人の家、書庫代わりの二階の部屋を見せて頂いたが、半端な量でない。
地震で二階が潰れるのが怖いので、これでも半分は一階の居間に移してあると云う。
二階の蔵書見ただけでも溜息出たのだが、
アマゾンの配達の無い日が無く、時には一日数回の配達が有ったと云う。
更に奥さん曰く、
「彼は退職金の大半、それと月々の年金のほぼ全部を書籍購入に使ってました」
「生活は私が全部面倒見てましたので」
故人は夫婦そろって元公務員、退職金も年金もたっぷり二人分なのでそれが出来た訳だ。
これで私は二度目の溜息。
蔵書は高価な全集や装丁本が殆ど、どれも半端な価格でないのだが一つ問題が。
古書として換金するのには難がある本ばかり。
故人は国立大全共闘の創設メンバー、所謂、まっとうな左翼ではないがそれでも蔵書の傾向はかなり左に寄っている。
左と云ってもレーニンやマルエン全集のような正当な左翼本ではない、斜に構え難解でややこしい本ばかりなのだ。
ご時世がらこの手の本は一番”需要”のない本・・・・、これも溜息。
余談だが笑い話、
一緒に東北旅行に行っていたお仲間、「あの時代の友との温泉旅行」に綴っているキルケゴールの君。
彼の親爺さんは教師で地元日教組委員長、'70〜'80年代だと記憶しているが某市市長選に打って出てめでたく当選している。
まあ、当時のゴリで正統な社会党だった訳だ。
一昨年、そんな親爺さんが亡くなったのだが、その友も、一番困ったのが親爺さんが遺した大量の書籍類の処分、今回の故人の蔵書以上だったそう。
「おい、装丁本はちょっとそっとではなかなか燃えない、薪かわりにもならない」
実家で五右衛門風呂の薪かわりに燃やそうとしたが諦めたそう。
遺品の中で一番厄介なのが全集類。
重たい、固い、売れない、燃やせない、引き取り手が居ない。
でぇ〜、行きつく先は市の焼却場となるのだが、それは偲びないと後ろ髪引かれるから厄介。
因みにその全集物で一番「固く」かつ「重い」のが「金日成全集」だそうだ。
断っておくが、「固く重い」のはあくまで物理的な表現ですので。
■2016.12.15 night 管理人
正直、ボケ老人の領域に入りかけている。
信号が青に変わったのにボーッと交差点で停まったまま、これは人に迷惑掛ける範囲だからまあ許せるのだが、一旦停止を無視してそのまま通過することしばしば、こいつに至っては重大事故の元になりかねない。
その他、車の運転では注意散漫と云うか色々しでかしている。
注意が散漫てなのは注意が集中していないという意味だが、私の場合は注意力総量の絶対的不足といったほうが適切なのかも。
振込納付の所用があってATMから現金を引き出した。
引き出しは十万円程、機械が轟々と音を立てて受取口がバタンと開いた、一瞬、目を見張った。
札束の厚みが1cm程、手に取ると全て千円札。
年金支給日なものでATM、万札不足かなといぶかりながら、100枚近くの千円札束をそのまんま納付窓口へ。
「お客様、今度から*万*千円とボタン押して頂くといいですので」と、受領書を頂く際に優しく言われた。
思い出すに、私は**千円と押した訳だ、行員さんの老人をいたわる優しい対応に我を嘆くことしきり。
「アララ、はなちゃん何て恰好を!」父さんに報告するとバアバが証拠写真をパチリ。
180°開脚、はなちゃんには普段の何気ない動作です。
先日、車検に。
今後車を乗り続けるにはそんな訳で一抹の不安があるが、自動運転車普及までは命永らえないのでしばし考えた。
そう言う事で結論は飛躍するがハタと思いつきドライブレコーダーを付ける事にした。
マニアならカーショップで色々物色し機種を選ぶのだろうが私はマニアではない。
「車検の際に適当な純正品付けといて」、営業さんに全部丸投げでお願いしておいた。
何事もその筋のプロに丸投げ、これが一番間違いないと信じている。
ドライブレコーダーの主な用途、字の如くドライブの記録、その一番の効用は事故時の状況が記録される事。
そして誰もがそれを付ける目的は、事故の自己責任軽減の一定の証明となる事を期待している訳。
しかし私の様なモウロク運転の場合、事故の客観的状況の記録はえてして己が不利になる可能性が大な訳で、
そんなこんなを思っているとわざわざ大枚はたきレコーダー付ける意味が見えなくなったのだが。
まあ、客観的事実は大切だから、有利、不利は置いといて付けた。
■2016.12.11 morning
管理人
「生協のプチ・ホームパーティー開こうかと思っているのですが・・・」
牧師様から電話が有り、その旨の相談が。
最初は何を云っているのかよく分からなかったが、詳しく聞くと。
牧師様の加入している生協が、生協の食材を持参しかつ調理してくれ、それを囲むプチパーティーを催すという。
そいつに申し込んで、次回の飲茶の会で昼食会をという狙い。
 
「面白い!」、速攻で賛同。
平均年齢が七十歳近いグループにあって最若手の五十歳台の牧師様ならではの柔軟な発想。
詳しくは上の写真を見て頂くと分かると思うが、生協の主旨はあくまで「組合員拡大」を狙ったもの。
それで、開催要項見てみた。
1、組合員さんのご自宅:牧師様は組合員で、その教会キッチンを使用。
2、定員は組合員と組合員さんでないお友達2名から:牧師様と私、それにYさんと飲茶の会には組合員が三名。
いずれの要件もクリアーしてる訳だ。
余談だが、私は当該生協の第1回設立総会議長を務めており、Yさんは並居る女性総代のなかで貴重な男性の現役総代、云わば私とYさんは二人して特定組合員で有る訳だ(笑。
しかし・・・・・、
牧師様が電話で申し込んだ際に聞くところによると、男性グループの申し込みは初めてだそう。
加えて平均年齢七十歳近いグループとの補足説明したかどうか聞いてないが、
生協にとっては完璧”想定外”対象である事は間違いないはず(笑。
因みに、
私は生協理事長以下の役員は上述の事もあり旧知の間柄、更にこの生協が加盟する連合会理事長は”元青ヘル”のおっさんでお友達。
そういう関係性と、催しの主旨との”ミスマッチ”は楽しい限りで、生協の組合員拡大取組に便乗し飲茶の会結集軸の柔軟な拡大を目指しているとでも言っておこう。
更に云えば、押し寄せる高齢化社会を先取りした我等の先験的な取組を評価いただき、かつ柔軟な対応を生協に期待している。
飲茶の会の爺々連、20日予定のホームパーティーが今から待ち遠しいのだ。
■2016.12.10 night 管理人
「オイ、アイツの事、聞いてるか?」
昨日、草木の手入れしてて居間に電話を置きっ放しに。
どれ昼飯と家に入ると固定と携帯の双方に着信記録が、それにメールも。
慌てて電話。
札幌の悪友、開口一番かなりイライラ口調で問われた。
悪友は年末帰省の予定、酒席の段取りを疎がる私を外し飲み仲間と酒席の段取りしてたらしい。
何度連絡しても出てこない飲み仲間の友をいぶかり、伝手でその友の近況を知る事になったと言う。
友はここ数カ月病に侵され闘病、今は自宅に戻っていると言う。
悪友から聞き及ぶ病状は、医学の専門知識の無い私でも余命いくばくもないと受け止めた。
持病で「俺はもう直ぐ死ぬ死ぬ!」とはばかりなく周りに云い続け9月10日に亡くなった友人、そんな故人の死も結局は病気でなく事故だった訳で。
死ぬ死ぬと云っている奴に限って、大概、そういう奴はしぶとく生きるもの。
反対に、見た目死にそうにもない奴、しぶとく生き永らえそうな奴がポックリ逝ってしまう、
現実とは皮肉、そういう事例に何度か出会うようになった。
最後に会った四月の酒席で豪快に酒を飲んでた、こいつはしぶとく生き永らえると思っていた友。
今日は、はなちゃんの発表会。
先日、母さんから「成長した娘を是非見てやって下さい」と特段の案内が。
妻は断れない先約で私一人で。
昨年の発表会から一年、”芸”は格段の進歩。
舞台のはなちゃん、視線は昨年と同じように父さん母さんの方向でしたが、しっかり動き歌い一年の成長を見せてくれました。
命枯れ果つる友、
命満ちる幼子、
どちらにも目頭熱くなるジジイです。
■2016.12.08 morning
管理人
8月以降、殆ど年の半分近く、亡くなった故人に関することで忙しくしていた。
その間、二人の孫娘の世話に結構な時間も費やしている。
そんなあれこれ+αで、何もしない悠々自適の生活から程遠い日々が続いているが、それでも孫に関しては妻がこう言う、
「孫の世話、見させて貰うだけでも幸せと思わなければ」
そんなこんなの最中、テレビが壊れた。
ただ壊れただけなら特段ここに備忘しないのだが、
買って半年ほどで壊れ一度新品交換、それが又してもそれから八カ月目に壊れた。
最初に購入してから一年と二カ月で二度壊れた事になる。

左)11/19、半年に一度のミニ同窓会、代表幹事の「生きてたら半年後又お会いしましょう」の恒例の挨拶、色々あって禁句に。
右)11/20、97歳の叔母宅での柚子絞り、従兄弟が剪定、焚き火、街中だと速攻で消防車が駆け付けてくるはず。
ネット購入だからメーカー保証一年しか付いてない。
しかし壊れた現品は新品交換して八カ月、それでもルールは購入から一年だから保証外だろうと思ったがダメ元でメーカーサービスに電話してみた。
電話受付嬢、一応原則対応だったが、
「お客様の場合は・・・・・、一度サービスマンをお伺いさせます」と、受付嬢は結論を濁した言葉で括った。
早速、翌日サービスマンが。
「修理はパネルと基盤交換で20数万円掛かりますが、お客様の場合、事情が事情ですので上司と相談して返事させてください」
待つ事一週間ほど、
「買い取りで上司の決裁を貰いました、買い取り価格は購入金額の95%でお願いしたいのですが」
20数万円の有償修理 → 無償修理を期待 → 購入金額95%での買い上げ。
▲5%は14ケ月使用分としての減算だろうが、それでも十分納得できる条件、何事も予断をもって諦めない事だ(笑。
それで今回は街中の家電ショップで極めて保守的かつ防衛的買い物を。
今までのは普通のテレビ、見た目感覚は畳一畳程サイズだが実際の寸法はそれより小さい、それで買換えも同じサイズをと探したがそのサイズでは不可解な4Kとやらしかなく、かつバカ高い。
結局、95%の原資+少なからず追い金、それでも予算の制約上ワンサイズダウン(泣。
まあ・・、新たな20数万円の修理代負担を思えば儲けものだが。
備忘事項
1、仰々しく説明された4Kとやら、今までのと何ら変わらない、値段の差からしてどうなっているか。
2、電気店、参考にネット通販の最安値を言ったら、同額でそれに更に5年保証付けてくれた、ネット通販が最安との私の内なる神話がもろくも崩壊、それ程に業界は熾烈な競争に晒されてるのだろうと痛感。
3、今般の一連のメーカーサービス、それなりの対応で幾ばくかの義理はあるが、二度連続の故障をして新しいテレビが同じメーカーかどうか、それは秘密。
PS.
テレビを観ない私だが、ネット接続+YouTubeアプリ装備のテレビ、はなちゃんのために必需品なのだ。
■2016.12.03 morning 管理人
語る会のスピーカーの一人、故人が「先生・・!」と呼んだという当地の自主上映運動の主とも言える方がいる。
その方から観賞を勧められていた映画があった。
昨日の教会の茶会、牧師様から「その映画私は妻と二人で一度、一人で一度と二度観ましたよ」と勧められたのもあり観賞を決心。
決心と大袈裟に言い及ぶには私なりの理由がある。
私は心打たれる名作を観ると読んで字のごとく心が打たれてしまい、あたかも鬱の様な後遺症を長く引っ張ってしまう。
随分前に、珍しく「火垂るの墓」を観た事がある、観賞後、心が裂けてしまい長い間後遺症に悩まされてしまった。
酒豪に対しコップ一杯で酩酊し時には死に至る重症な下戸の様なものといったら分かり易いかもしれない。
牧師様も「私の妻も火垂るの墓を一緒に観に行った時、なんで私にこんな(心が痛む)映画を観せたのだ」と奥様に嘆かれたそう。
ノンアルでコーラの如きハリウッド娯楽映画は大丈夫だが、世の中には私と同じような名作下戸がいるようだ(笑
YouTubeにリンク
今日、その勧めてもらった映画を私としては決死の覚悟で観に行った。
当地のシネマ会館は生まれて二度目の利用、前に観た映画の記憶は既に無い。
勧めて頂いた方、その方のHPの映画批評にはこう書かれていた。
>だが、そのすずにしてさえ、敗戦時には「玉砕する覚悟じゃなかったのか」と降伏を憤り、先に死んで行った者たちへの想いからくる呵責に苛まれるくらいに「いがんどる…」のが普通だったわけだ。
市井の普通の人の心にも、先に死んでいった人への想いがあれ程のものであり、「玉砕する覚悟じゃなかったのか」と降伏を憤る主人公のその普通さからのギャップも相持ち強烈なメッセージ、私は彼の批評した引用部分のシーンに激しく心が揺らいだ。
だが、よく考えてみると彼の映画批評とは全く反対の受け止め方をしている自分に気付いた。
彼は、『敗戦時には「玉砕する覚悟じゃなかったのか」と降伏を憤り、先に死んで行った者たちへの想いからくる呵責に苛まれる』情況を、『いがんどる(ねじ曲がっている)』と評している。
返して私は、「いがんどる」とは受け止めていない、たとえ評されている通り「いがんでいた」としても、ほとばしる憤怒は私等のあの時代と通じるものがあると・・・。
これは多分に、標準的リベラルの枠からはみ出した私の昨今の反米民族左派思想への傾斜への影響だろう。
映画の印象もう一点、
エンドロールが流れる中で主人公家族が原爆孤児を優しく包むその後がラフスケッチで流れていた、
ハリウッド映画の様にブチ切りエンドでなく、その後に一条の希望を示し痛んだ私の心を優しく癒すもので、観賞後の長期の鬱から救われたような気がする
場内が明るくなるまで誰も席を立たなかったのも印象的だった。
以上、お粗末な私の映画批評・・・ではなく感想。
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