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■2017.02.28  night  管理人

1月17日の日記に綴った第一次調査に続き、牧師様の再度の要請を受け第二次文化財発掘調査に出向いていた。
今回調査には牧師様のお仲間のT牧師も同行、発掘する都度、二人が嬉々とした声を上げる。
沸騰したのは小津安二郎 DVD-BOX、一巻\25.380全三巻を発掘した時。
偶々、私はBSで連続放映していた「東京物語」をチラリ観したが、あんな淡々とした映画のどこがいいのか理解し難いのだが、
牧師のお二人に言わせればこの映画監督、”神様”のような存在らしい。
蛇足だが、牧師様達にとっての神様はイエスキリスト様と思うのだが・・・・(笑。

牧師様がDVDの束から何気に取り上げたパッケージを見て、私も思わず「オッッッッ・・・・!」
「あの頃、君を追いかけた」を発掘してしまったのだ。
長老が、私のしつこい”あの子”ネタにいささか食傷し、「貴方のようにおバカで切ないな青春映画がありますよ」と教えてくれた台湾映画。
レンタルショップを何軒も探し回りやっと見つけた映画。
発掘したのはブルーレイ盤。



前回借りた中の一枚「サンザシの樹の下で」、チャン・イーモウという監督だが、
「**さん、同じ監督の作品が有りますよと」と二作品選んでくれた。
何度も言うが、私はウルウルかホノボノ系しか観ないのだ。
そのような軟弱な私の性根をご承知の牧師様選定なもので、決して心切り刻まれないと信じ、ティッシュペーパー傍らにゆっくり観ようと思う。





■2017.02.28  morning  管理人

「貴方、お母さん(義母)がヘンな事言うのよ」
電話を降ろし、妻が怪訝そうな顔して言う。
「見ず知らずの人から、何でもお父さんの背広を譲ってほしいので明日伺うと電話が有ったというの」
聞いた瞬間ピンときた。
「それって高齢で一人住まいの老人を騙して、貴重品や宝飾品をタダ同然で強引に買い上げていく新手の詐欺だよ」

すぐさま、義母の所轄警察署に電話し事情を説明した。
警察署、
「そのような事例の報告は未だあっていませんが、仰る通り詐欺の手口のように思われます、直近の駐在所にも連絡し気を付けるように指示しておきます」
「それで何かあったら警察に相談している、そう言うだけで相手には十分効果ありますとお母さんに伝えてください」

続いて近くに住む叔母に電話、
叔母は90才を超える義母より20歳ほど年下、まだまだしっかりしていて頼りになる。
「私の近くに住む知人が、強引に家に上がられネックレスや指輪が被害にあったと聞いている、連絡してくれてありがとう、明日は付き添って追い返すようにするから」

ところで警察署へ通報の際、
「貴方は?」
「私は義理の息子です」
「住所は?」
「電話番号は?」
「お名前は?」
更に、
「生年月日は?」
おいおい、通報者の情報に生年月日まで要るのか、
「済みません、お手数ですが警視庁に問い合わせていただければわかりますが」と言おうかと思ったが。

そういうことで、やはり私の直感は正しかった、妻に、
「明日(今日)、私が義母さんに付き添えれば一番いいのだが、牧師様と前々からの約束があるので」
「でも、私が義母さんに付き添うと一つだけ懸念も」
「私の性分から、取っ付きから闘争モード全開になるはず、『テメエ年寄り騙すのもいい加減にしろ!』って啖呵切りかねない」
「別の意味で騒動起きかねないから・・・・・」



一足早いはなちゃんと妹分二人の合同ひな祭り、それが何故かケーキにロウソクのパーティーに。
はなちゃんのお雛様の唄で盛り上がりました。


ところで、そもそも我が人生の騒動の始まりは19歳の初夏だった。
一見、穏やかで温厚そうな見掛けの中に隠されていた野性というか性根が露になったのが日大闘争。
私の事例、世間で言う「あの温厚な人が・・・、信じられない?」という典型的なパターン。
病理学的に言えば私は二重人格かもしれないと思っており、時折、その切り替えのスイッチが入ってしまう。

最近の切り替えスイッチ、滅多なことで入らないが上述の案件はその切り替え条件を十分に満たしている。
分別有る成人なら、極端な切り替えせず感情をアンダーコントロールしなければいけないのだが、その成長が私にはないのが私たる所以。
このややこしい私の性分に最近も一つややこしい懸念材料が。
先日、亀親分がかつての穏やかでないヤバイ武勇伝をメールしてきた、
私がここに書いている私のエピソードは私の自己責任でいいのだが、亀親分のそれは既に時効とはいえ完全な犯罪履歴であり私が責任とれないのでここにご披露しかねるのだが、私の性分からしてその内容がまたまた楽しいので困りものなのだ・・・・。

長老ヤバイですよ、当地では闇に包まれた御身の昔も暴かれてますよ(笑。





■2017.02.27  morning  管理人

店の真ん中に薪ストーブ、ほんわかな温かさが気持ちいい。
椅子に座りゆったりと店の雰囲気に溶け込む。
流れる音楽が更に気持ちいい。
うっとりしながらも「ウッ、この音色は・・・・?」

「おい、一日10食限定のランチにカミさんと一緒に行かないか?」
昨年二月にUターン帰郷し百姓に精出している元学長先生からランチのお誘いがあり、はるばる出かけていた。
高速を走ること20分程、一般国道を少し走り更に県道に入り走ること10分程。
県道を小路に鋭角に進入し更に小路に。
目的意識を明確に持ち訪れないとまずは行き着くかないような小路の果てにそのレストランはあった。

店内を包む柔らかな温かさは薪ストーブだと理解するのだが、この温かい音色の元はなんなのだと。
「これは絶対玉(真空管)の音色だ」と確信を持った。
店内を見回すと店の奥にそれは鎮座していた。
その玉アンプのフェイスをチラ見して「アッッッ、ラックスのSQ38FDだ・・・・」



真空管の発熱は手あぶり暖房になるほど、上に載せるCDプレヤーとの間にはちゃんと空間を取っている、さすが!

桃井コンミューンで共同生活した1970年頃、共同生活者の誰の所有だったか忘れたが、アンプはLUXMAN-SQ707
これで夜中にジャニスジョップリンを目いっぱい鳴らし、二度、パトカーのお出ましを招いた。
それから数年後、帰郷し自分用に買ったアンプも同じもの。
その時、喉から手が出るほど欲しかったアンプが管球式アンプのSQ38FD、でも四万円程のサラリーで当時13万8千円したそいつはとても手が出ない高嶺の花だった。
因みに今の価格相場に直すと60万円程。

信じられないことにそいつが店の奥で朗々とスピーカーを鳴らしている。
思わず店主に、
「これってSQ38FDですよね、まさか現役で鳴らしているのがあるとは・・・・」
「そうですねえ、確か1970年代の物ですので、もうかれこれ50年選手です」
「真空管のスペア調達するのに今でも苦労してますが」

このアンプをしてそれなりのスピーカーを鳴らせば、その音色はかつての時代を演出する。
1950年代のブルーノートをこの音源にすれば、もういうことはない。
今度来るときは SONNY CLARK の COOL STRUTTIN 持って行き掛けてもらおうと思う。
50年前のアンプで久しぶりに懐かしい音色を体一杯に。

帰り際店主が、
「私は首都圏からUターンし、この店を開いて6年になりますが」
「SQ38FDの事が分かったのはお客さんが初めてです、嬉しいです」
「因みに、以前はタンノイで鳴らしてましたが、そいつはさすがに老朽化しまして」
そう言われ、またいいものを聴かせていただき、私も店主以上に嬉しかった。

Waltz for Debby もいいな、あの時代のピアノの音色聴かせてもらいにまた行こ〜っと!
できれば玉とタンノイで聴きたかったのだが。





■2017.02.26  morning  管理人

このサイトを訪れる方、
サイトに載せる当時の多数の写真のコアなイメージと当時を綴る諸事から、あたかも管理人が勇猛果敢な猛者のように受け止められがちたが、それははっきり言って間違い。
実像はスリムで穏やかな美男子(嘘)で、ゲバルトとはおよそ似つかぬ人間。
私の事を知る方なら疑いなく納得するはず。

数知れぬ実力闘争、バリケード死守闘争、追い出されての奪還闘争も欠かさず繰り返したが、私の”実力闘争”の基本は”逃げる”。
腕力のない私は身軽さと素早さで数々の修羅場を逃げ切った。
そんな中で真実のゲバルト(笑)ともいえる肉弾戦を経験したのは数えるほどしかない。
覚えているのは1968年11月8日の芸術学部バリケード攻防戦、日時は忘れたが東大安田講堂前の民青全国集会への突入、はたまたカルチェラタン闘争で機動隊のジュラルミン盾への突撃行動、この三つくらい。
この三件の案件はゲバ棒は折れ曲がり、腕は抜けるほどの運動量だった(笑。
もう一件、1968年9月30日の大衆団交で事前に右翼体育会に占拠された日大講堂に押しかけ奴らとにらみ合い結果追い払ったが、この際もゲバ棒打ち鳴らしにらみ合い威圧しただけ。

1968年9月、法学部バリケード奪還闘争で見事に捕まってしまったが、
この時機動隊とにらみ合っていたが、機動隊の指揮棒が触れた瞬間怒涛のようにアチラの方が突撃してきた。
慌てて後方へ退却(逃げたが)したが、あっけなくお縄に。
私の実力闘争の基本の”逃げる”に見事に失敗したわけ。
従って名誉の逮捕も、その実は”逃げ遅れ”、真実はそんなものである。

それでハタと気づいたのだが、
少なくとも実際にゲバ棒を打ち下ろし相手に当たったり当てられたりした上述のゲバルト三案件の指揮官は全て亀親分。
200日余に及ぶバリケード籠城、その間の右翼の襲撃や度重なる機動隊のガサ入れ、バリケードを追い出されて以後の波状的な奪還闘争でも機動隊と追いつ追われつしたが、投石を除いて肉弾戦の記憶は一度もない。
個別ワタシは脇に置いておいて、勇猛果敢な日大全共闘行動隊を自負してやまぬ私が、実際経験したゲバルト肉弾戦の全てが他大学の亀親分の指揮下だったとは。

そういう意味では何たることか、
”亀ショック”は続くのだ・・・・・・・・・・・・・・・。





■2017.02.25  morning  管理人

昔々の安田講堂前の民青全国集会しかり、御茶ノ水カルチェラタン闘争の時もしかり、
「突撃!!!」
と親分が指揮棒振ると、私は私の意志と関係なく自然と体が動いた習性がある。
これは親分、優秀かどうかは定かでないが医学生だったなもので、我がアパートに潜伏中に我が意志をコントロールする何らかの薬を私に盛ったのではないかとの疑念を持っている(大笑。

その親分が二日続けての夜討ち、
一回目は木曜日の夜九時過ぎ、我が身は日中のフルタイム保育で疲れ果てその時間は既に爆睡中。
枕元で鳴ったはずの着信音、普段であれば気付くのにその夜は気付かず。
金曜日朝、着信記録に気付き、噛みついたら離さないかつての亀親分の習性をして今夜も掛かってくるだろうと九時過ぎまで保育で疲れた目をこすり待機。
大昔、アパートに一週間ほど匿い、それ以後、兵隊と指揮官という序列を踏まえての関係性だが、ゲバルトを何度か一緒した。
たったそれだけだが、親分の分かり易いキャラは重々承知している、九時過ぎに予測通り着信が。



インフルで自宅幽閉4日目、はなちゃん退屈の頂点。熱も下がったので完全防寒で公園までサイクリングしました。

ヤバイのだ。
亀親分、春になると代替わりで時間に余裕ができるという、それにつけて当地に遠征を思いついたという。
今般の顛末、私の想定は上京した際に長年来の付け代わりに飯を奢ってもらうというもの。
その要求すんなり了承頂き半世紀程前の一件は落着、これでいつ逝ってもと思っていた矢先、向こうが押しかけてくると仰る。
亀親分と私はほんの一瞬の付き合いだったが、
当時、親分は医学連きっての跳ね上がり、強引に個別東大医学部紛争を東大闘争に押し上げた御仁。
それで世の中どれほど迷惑被ったか(笑。
対応間違えれば当地にどんな騒動が及ぶか、これはしかと長老と対応策を練らねばと思案中。

それでもって冗談はここまでとし、
池亀さんは確かに時代を扇動したお方だが、当時名を馳せた方々と決定的に違う点が一点だけある。
ゲバルト部隊と常に行動を一緒にし、突撃と指揮棒振りながら自らも先頭切って突撃する。
これは私が生き証人として証明する。
生死を共に兵隊と一緒に行動する指揮官に兵隊は迷わず従う。
そういうことだ。

68才の爺さんだが、今でも亀さんに「突撃!」ちゅうてゲキられると体動いてしまいそう。
”薬”の効き目は遠に切れてると思うが、ここは我が歳も考えしかと用心しなくては。





■2017.02.22  night  管理人

「来たぁぁぁ・・・・!!」

「エッ、池亀の親分、あん時に(1968年11月8日)居たんですか?」
「あたぼうよ、おいらはゲバ隊長、最前線で指揮取ってたんだ」
「エッ・・・、知らなかった」
「デェ、どうして慈恵医大生の池亀さんがあの場に居たんですか?」
「あの頃、おいらは中大に寝泊まりしていてな、これはまたとないゲバルトと参加した訳よ」
「そうだったんだ」
(セリフは劇画風に脚色してます)

今朝、日記に
>一宿一飯の恩義からして言えば、向こうから、かくかくしかじかの電話あってしかるべきと思う。
と綴った。
これに池亀さん瞬殺で反応した訳で、長老に私の電話番号の問い合わせが入ったらしい。
「**さん、池亀に貴方の電話番号教えてもいいですか?」
「いいですよ、私の方には嫌な思い出一つも無いですから」

長老に了解だしてものの10分程、携帯に着信が。
さすが亀さん、早い。
話の中に医学連の方の名前がポンポンでるが、殆ど分からない。
話しているうち11月8日芸術学部での右翼のスト破りの話の及んだ際、
「あたぼうよ、おいらはゲバ隊長、最前線で指揮取ってたんだ」
当然、話は沸騰して盛り上がった。

「それで、池亀さんよく医師免許取れましたね?」
「いや〜実刑食らってヤバかったんだけど、沖縄返還の特赦でな」
「それで、こちらに出てきたら連絡しろよ」
私の方は、
「日大の同窓会、他大学の方にも参加いただいてるにだけど、一度参加されませんか?」
11.8芸術学部、右翼は殆ど他大学生だったが、全共闘側に日大生以外が居たとは初めて知った。
そういう意味でも是非にと独断でお誘いしたら、「おう、出る出る!」

東大安田講堂前の民青全国集会に突っ込んだエピソードを何度か書いているが、
亀さんによると相手の民青は一万人余、こちらの手勢は100人足らず、勿論、指揮官は亀さん本人だった。
亡き廣澤先輩と同じリアクション、私は命辛々だったのに亀さん、「あん時きゃ、面白かったな!」
相変わらず、生粋の赤ヘルのDNAで乗りは軽快、。
そんなことをつらつら書いているとまたまた携帯に着信。
今度の主は情況出版の大下さん。
亀さんは私の指名手配を大下さんまで頼んでいたようだ。

それで亀さん、上京の際にはと誘ってくれたのだが言いそびれたことが一つあるからここに書いておく。
私は確か一週間ほど亀さんに食事を調達した、
地区ソヴィエト議長ポストの約束はもういいから、上京の際には池亀院長先生に一度でいいから飯を奢ってほしいのだ。
50年程掛ったが、ポストの付けはそれで帳消しとするから(笑。





■2017.02.22  morning  管理人

月曜、はなちゃんを保育園に迎えに行くと保母さん、
「お昼寝の時、咳き込んで早く目を覚ましました、咳してるようですのでお母さんにお伝えください」
帰路の途中も時々咳をしている。
「はなちゃん、お利口だから・・・」と体温計、計ると37.5度、幼児にしては微妙な体温。
お母さんに経過しっかり報告。

火曜、朝、電話が。
「インフルエンザでした、A型ですが予防接種してたので熱も軽かったようです」
ちゅぅ〜事は、はなちゃん今週いっぱい休園しなくては。
更に重ねて、妻が昨日から体がダルイと、これははなちゃんから頂いたのではとの懸念が。
そんなこんなの一日の夕暮れに。

夜、電話が。
今日はお母さんが仕事を休んだそうで、水曜日は父さんが・・・・、それについて木・金はと。
妻の方を振りむく、
「いいですよ、私は何とかしますので」
返事は、
「いいよ、もし母さんの具合悪くても私が面倒見るから連れておいで」
そう言うことで明日から連続闘争が予定されている(笑。



「**さん、これ!」
昨日、定例の飲茶の会で長老が私に差し出した(写真)。
名前と電話番号がメモしてある紙切れ。
何でもそのメモに書いてある主から電話が有ったそうで
「(
メモの主の関係者が)貴方のHPに行き当たり、お前(長老)が(私の存在を)教えたのかと?」というような内容の電話だったらしい。

メモに書かれている主、私が阿佐ヶ谷に住んでいた時代、ブンドの内紛から私のアパートに潜伏していた方。
メモの主の事はここの日記にも色々綴っている、最初の頃は組織名も属人名も匿名で記していたが、最近はもういいだろうと実名表記している。
だから、多分ネット検索で引っ掛かったのだろう。
既に書いてしまっているから詳しく書くと、ブント情況派キャップで当時慈恵医大生の通称「亀さん」こと池亀さん。
池亀さんは医学連の跳ね上がりで、東大安田講堂第一次占拠の暴挙(笑)をしでかした方、言い換えれば東大闘争の火付け役でとみに名をはせた方。

それで、匿ってやった時の約束、
「俺がソヴィエト議長になったら、お前を地区ソヴィエト議長にしてやるとの約束はどうなったと電話で聞いて頂けました?」
そう長老に聞いたが(大笑。
長老、
「彼は夜八時ごろなら自宅に居るようだから電話してやったら」
「そうは言っても、昔の事は余り蒸し返したくないようだけど」

私も昔の事はここで十分蒸し返しているので・・・・・・、
院長先生に収まっているカメさんに今更電話となると、余り気が進まない。
更に言い及ぶならば、
一宿一飯の恩義からして言えば、向こうから、かくかくしかじかの電話あってしかるべきと思う。
あの時代から言わしてもらえれば、相手がキャップであろうがはたまた院長先生であろうが日大全共闘のプライドは高いのだ。

カメさんとのおバカなゲバルトの思い出日記はプロフィールページに幾つかリンク





■2017.02.21  morning  管理人

役所玄関ホールで牧師様と二人、友人の管理栄養士を待った。
勤め人の頃、この役所には用務でちょくちょく訪れていたのだがあれから二年程、既に私には馴染み難い雰囲気が充満している。
友人と落ち合い事前にアポ取っていた主管課を訪問。
窓口で課長補佐の名を告げると、課長、課長補佐、担当者と三人が出迎えてくれた。

ほぼ一時間、補佐と担当者と五人で懇談。
それで役所を訪問するにあたっては妻から事前にレクチャー受けていた。
役所は上から下に仕事が降りていく、これは鉄則。
訪問する部署は仕事を企画立案し管理監督する部署、仕事を実際に回すのは末端の自治体や関係機関。
つまり懇談する相手は現場ではないこと、ここを踏まえて話を聞くことが肝要と。

現職の頃妻はこれで何度も痛い目にあったと言う。
有能な役人は高い理念と理想で企画立案する、調整という項目はさて置いてこれはこれで素晴らしい事だが、現場がそれに即応している訳ではない。
特に前例のない事では往々にして現場末端との齟齬が生じる。
役所間で丁々発止するのはいいのだが、時にはそれに巻き込まれたりもするそう。

今般のこども食堂の一件、そこら当たりを重々含んで役所の話を聞く事、云々(でんでんではない)。
そういえば私も同様の経験が、一つの事業が役所の監督部署二つに跨り、それぞれの監督部署の法解釈が別で、双方が譲らず間に挟まれ往生したことがある。
今回の案件、児童福祉と食品衛生の間で法の齟齬とまではいかないが、事業を捉える側面が違いこども食堂の社会的拡がりを阻害しかねない懸念がある。



昨年、はなちゃんのお誕生日にプレゼントした自転車、父さんが「うちでは乗る機会少ないからこちらに置いとく」と持ってきました。今日からはなちゃん公園に自転車デビューです。

穏やかに懇談しながらさりげなく、
「保健所からは催事の届け出と、対象を”特定の子供”に絞り込むように指導を受けたのですが・・・・?」
担当者、
「今のところ週一回程度の実施ですと、保健所は催事扱いでの対応となります、つまりバザーやお祭りの出店のようなものです」
「”特定の子供”との指導は、現在の実施団体数や規模ではそれほどの問題とならないと受け止めています」

私は結構しつこいので、更に続けて、
「教会、牧師様は毎日実施したいと思われているのですが・・・・・」と。
補佐、
「毎日という事例は未だないです、毎日となると今後関係機関との調整が出てくると思われます」
つまり行政は良いとも悪いとも言わない返答、この補佐は優秀なのだ(笑。

対象を”特定の子供”に絞り込むという事、これについて補佐は真っ向から直球返答。
「貧しく食事がとれない子供という絞り込みはしないで、孤食やいろんな問題を抱えている子供、またそうで無い子供にも広く門戸を開いてください」
「今後、行政が費用助成する際もそれが条件になります」

特定の子供に絞り込むという主旨は飲食提供を生業とする業者との利害調整からの対応であり、
このことに行政がこだわるのなら私は”人道”をコンセプトに熱く一戦を交えようと魂胆していた。
ところが補佐の返答は”人道”外れないどころか私等の思いから更に一歩先を行く返答、有り難いお言葉だったが戦闘意欲をそがれ少し残念(笑。
ここで私は妻のレクチャーをしかと思い出した訳だ。
『懇談する相手は現場ではないこと、ここを踏まえて話を聞くことが肝要』

もう直ぐ議会が開催されるらしい。
次年度予算は既に承認済みだから、こども食堂への助成は四月以降適用されるらしく、私等が意図するこども食堂も十分その対象になるらしい。
ただ牧師様が言われる「教会で毎日」という設定、これは先行事例のこども食堂と比べても極めて過激な展開となり、行政間の齟齬を露にしかねない。

私としてはハードルを下げる”ブレーキ役”が今後の課題となっている
イケイケがモットーの私、この役割は極めて不得意なのだ。





■2017.02.19  morning  管理人

嬉しいことが一つ。
髪が増えた・・・・・・と言いたいのだが、この歳では詮無い事だからそうではない。

早寝が常の私だが、妻が飲み会の日は帰宅を待って夜更かしする。
昨夜、夜更かしといっても十時前だが妻が少し興奮気味に帰ってきた。
「貴方、朗報ですよ!」
そういって私に名刺を差し出す。

昨日、こども食堂への行政対応について私信をつらつら書いた。
役所窓口の住民や事業者への対応は基本的に前例主義で固定化されており、柔軟な対応を窓口に強引に求めても摩擦を起こすだけけ、それが前例のないこども食堂なら尚更。
新しい事は市民が下からの大きな波を作ることと、それが現場を十分経験した行政の上から下への施策とマッチすることが肝要。
過日、地元紙に県がこども食堂の「指針と支援」を表明していることもあり、上から下への施策を期待している事などつらつら。
つまり言い方は適切ではないが、時代の要請を敏感に感じ取れかつ前例に拘束されず柔軟に発想できる有能な役人に期待するのも一策だと言える。

昨夜妻が差し出した名刺、児童福祉行政主管部署ナンバー2の肩書名刺。
行政主管部署でナンバー1は対外的な主役と総括責任者、そして一般的にはナンバー2が実務責任者に当たる。
つまり、妻は児童福祉行政実務トップの名刺を持ち帰ったという事。
それで県行政はこども食堂の「指針と支援」を公に打ち出しており、妻とその方とのこども食堂についてのやり取りはおのずとご理解いただけると思う。

妻はかつての仕事仲間と時折一緒に酒を飲んでおり、仕事柄その席に名刺の主が居合わせたらしい。
利害がふくそうする行政の方だがら、匿名の日記といえども回り回って迷惑を掛けるといけないので、言質を取られかねない具体は書かないが。
その方とのやり取りはまさしく「行政の上から下への施策との連携」を絵に描いたようなパターンだったらしい。
昨日未明、つらつら書いたことが夜も更けて具体に、タイムリーといえばタイムリー。
今朝、嬉しくて牧師様に報告。

週明け、牧師様と一緒に役所を訪問できればと思っている。





■2017.02.18  morning  管理人

ヘトヘトに、これでは先が・・・・・。

昨日、長男の部屋のクローゼットで探し物を、彼は着なくなったスーツや衣類を大量に我が家に置いて倉庫代わりにしている。
その昔、まだ長男と一緒にヨットしていた頃、海から上がるとハル(船体)は丁寧に水洗い、艤装品やロープ類、ウエアー、ライフベストは衣装缶に真水を張り一昼夜漬置きし塩抜きした。
海の用品の大敵は塩と紫外線。
彼にはそれをきちんと教えていたから、クローゼットの奥から探し出した13年前のウエットスーツ、新品そのもの。

方や私の13年の変化。
ざっくり言えば、脳みその退化、ハゲとメタボの進行だが、
正確には身長は加齢で2cm縮、体重は5Kg増、増量分は全て腹回りに。
そう言うことでウエットスーツを着てみたがそれだけでヘトヘトに、これでは海に出る前に顎が上がってしまう。

今日は長男のスーツとマリンブーツの試着に友の家に。
合えば冬の海に出る装備は完璧。
足らない腕力は友に分担してもらうが、問題はそもそもの私の体力。
これはこれからの日頃の心掛けで解決するしかないだろ。



話は変わるが、以前ここに書いた「こども食堂」
それ以後新聞に、県行政が次年度でこども食堂の指針と支援を検討すると報道されていた。
やっと世間も関心を持ち始めたことの反映だろうと思う・・・・・・が、
昨日、協力をお願いしていた東北旅行を一緒している管理栄養士資格を持つ仲間から連絡が。

彼女、何ができるか行政の方に当たってくれたらしい。
その報告に食品衛生に関する保健所の見解。
1、「こども食堂」を実施するに当たっては「催物開催届書」を提出すること。
2、「こども食堂」の対象者は「特定の子供」であること。
3、「こども食堂」に於いても最低、流水式洗浄設備が必要。

(1)と(3)については問題ないとしても(2)については引っかかる。
保健所は、このようなこども食堂が数多くできることは、一方では食事提供を生業とする人の生活を脅かすことも考えられる、其の為に「特定の子供」を明確に対象にすることが求められるとの事。
これには、そもそも食事に事欠く子供に食事をという善意の営為に対し、既存業者の営業妨害になる可能性をついている訳。
しかしながら、彼女が参考に調べた先行事例のこども食堂、カンパを募る呼び掛けチラシにははっきりと「誰でも」と明示してあるらしい。
既に行政と先行現場では齟齬が生じている。

これについて、これまでの私ならカチンと来るのだが、前例のない事例に対し行政がこういう対応を示すのはいつもの事。
反対に言えば、こういう対応をするから行政であるわけで、既得権益者の擁護とまでは言わないが、多くの方の利害を調整する行政とすれば致し方無いこと。
これを現実に即した対応に修正してゆくには世間様の声が必要。
その点、大筋で行政がこども食堂を認知し始めているということは、硬直した対応をせざるを得ない現場を行政の方も「上」から変えていくと信じている。
私等は「下」から変える努力を惜しまずしようと思っている。

それはそうと、「日常的に食事をとれない子供」という絞り込の一例は、行政の言う合理的な「明確な対象特定」になるのかな。
食事に来た子供達に「ご飯食べましたか?」と質問票に答えてもらえばいい。
行政といえども、これについての子供達の個人情報までは求められないはずだから。
既存業者から突き上げが合ったら、この質問票の束を提出すればいいし、それについて異議を挟むような業者が居れば、それこそそいつは「人道に反する者」として世間から言われるだろ。
要は行政が「公共の福祉に則している」との説明責任が果たせ、やり易いようにこちらが考えてやる事。

一度、保健所に聞いてみよう。
担当者、困るだろうな。





■2017.02.17  morning  管理人

午前二時半に目が覚めた、昨夜は午後八時過ぎに寝たからそれでも六時間半寝ていることになる。
さすがに起きようかどうか躊躇していたが三時には寝床を出た。
全国紙の配達は三時半頃、地元紙は四時過ぎだから新聞は未だ。
珈琲を点てようと思ったが挽豆を切らしていた、早朝というか未明なもので電動ミルはうるさい、手挽ミルでカリカリ。
そんなことをしていると新聞配達のバイクの音。

日記を書いている今が午前十一時前だから、起きてもう八時間経過、勤労者の労働時間とほぼ同じ時間が経過している訳。
一般的な生活者だとほぼ夕刻にあたる。
それで、何を言いたいのかだが、特段にない。
そんな分け分からぬことをつらつら書いていたら、珍しく固定電話に着信が。

電話の主はマリーナを管理するNPO事務局の兄ちゃん。
「先日、カーショップにディンギートレラーのタイヤ修理を出されましたでしょう」
「構わなければこちらで修理できますが、させていただいていいでしょうか?」
何でも修理を依頼したカーショップの大将、NPOの理事をしているそうで、これはNPOに回してやらねばという事らしい。
タイヤとチューブの新品交換で1本4000円程、それに作業量が1000円、2本合計で一万円程の見積もり。
「こちらこそ、是非お願いします」と。



「じいちゃん、どうぞ!」、はなちゃんからバレンタインチョコを頂きました。
翌日から「じいちゃん、食べていい?」と、結局、はなちゃん全部食べてしまいました(笑。


「NPOでパーツ類扱っていたら分けてほしいのですが」
「ネット注文で入手できるのだけと、数百円のパーツ注文して送料700円掛かるもので」
「暇な爺さん連れで平日に乗ろうと思っているのですが・・・・」
「平日だと海に出ているのが私等だけになりそうで、沈して沖に流されたらと心配で・・・・・」
電話のついでに厚かましく色々話をした。

「パーツ類は在庫が有るもの無いも色々ですので相談していただければ」
「平日でも事務所から私等が見てますので、海の出る前言っていただければ気を付けてますから」
NPOのお兄さん、昨年五月から勤めているそうで気安く応えてくれた。
それで早速「ショックコード」を注文した。

NPOは確かレスキーボートを持っている。
腕力を分担してくれる友、安心を担保してくれるNPO、海に出る条件は着々と進んでいる。
後は私の最低限の体力が必須条件なのだ。





■2017.02.16  night  管理人

「貴方、(ディンギー)もう10年くらい乗ってないのでは?」
「そんなことないよ」
そう答えたが、ここの日記で検証してみるとディンギーで海に出た綴りは2004年8月22日の日記を最後に途絶えている。
当該日記、私の備忘録としての役割もあるわけで、この事実は10年どころか13年というのが正しい。
妻の指摘は限りなく正しかった訳だ。

妻は更に続けた。
「貴方は引き籠り気味だからいいと思います」
「体力的に心配だけど、同年配の方が一緒なら少し安心です」
妻も、私がディンギーヨットに乗る体力には不安を感じているようだ。
同年配だと、お互い”無理”が分かり合えるから、これが若者相手だとそうはいかない、ついつい無理してしまう・。
年寄りペアだとそこの不安をしなくていいという事だ。



昨日、ネット注文したパーツが今日届いた、早やぁ〜ぃ。
ゴム製パーツとドレンコック計4点で四千円近く、高ぁぁ・・・ぃ!


しかし、わが身を冷静に考えてみると68才。
腕力を折半いただく友も68才。
クルーザーならいざ知らず、若者がスタンダードのディンギーヨットに爺さん二人が挑戦。
13年のブランク、我もビギナーに等しいと肝に銘じ、心を引き締めて海に臨もうと思う。





■2017.02.16  morning  管理人

ヨットで二つ

一つは、
ディンギーヨットをマリーナに置いているが、この年間保管料が三万円程。
年度更新がこの三月末、さて・・・乗らないのだから自宅に引き上げようか、それともマリーナ管理しているNPO団体に寄付し手放そうか悩んでいた。
乗らないのは正確に言うと「乗れない」、一旦海に出さえすれば下手ながら船を操ることは長年親しんでいる訳で乗らない理由ではない。
問題は船の艤装、マストにセールを差し込みエッチラコと立ち上げ、それをマストホールに差し込む作業、相当の腕力と背筋力を必要とする。
私の最近の体力、強いては筋力をするともうこれが無理だと思うから。
それだからスッパリ諦めればよいのだが、前にも書いたがこのディンギー、新艇で買えば今は60万円以上になっている、貧乏人の性で手放しきれなく悩んでいた。

それで、ふと思い付いたのだが、一緒に乗る仲間が居ればこの腕力の問題は解決する、誰か気安く一緒にヨットする仲間はいないだろうかと思案した。
この場合、条件は健康であること、時間に余裕があること、それに何にも増してヨットを楽しむ「心に余裕があること」
それで思い付いたのが東北温泉旅行に行っている仲間の一人。
私と同い年、健康でスリム、時間、心にも十分余裕があると感じ取れる
先日、この六月の東北旅行の旅程案がまとまったので彼の自宅を訪問し雑談がてらに打診してみた。



左)マリーナに行ってパーツ類をチェック、ティラーエクステンション(舵の操作棒)のジョイントゴムが劣化でポッキリ、早速、ネットで注文、トレラータイヤはペッタンコ、これは地元のカーディラーに。
右)東北旅行の経路図、後日合流者が居るのでかなり行ったり来たり


即答で、
「いいですね、私は以前から乗りたいと思っていたんですよ」
「費用は折半で持ちますから、是非!」
彼なら船に乗る条件揃っているのでいい返事が聞けるかもと思っていたが予想以上の反応。
「それじゃ一度ディンギー見に行きましょう」
「一度チェックして整備しないと、相当へったっているはずですから」
「水がぬるみウエットもドライスーツも要らない時期から始めましょうか」
費用折半も有り難いが、それよりも腕力の折半が何にも増して有り難い。

二つは、
ディンギーの事であれこれしていて「そういえば今年は確かクルーザーの定期検査の年のはずだが」と思い出した。
船舶検査機構に電話を入れると、
「そちらの船検期限は今月の27日、昨年末に案内を出していますが・・・・」
焦って封書類を探すと確かに受け取っているが、未開封のまま放置していた。
も一度検査機構に電話し、「船検切れても検査受けれますか?」と問い合わせた。
返答は「車検と一緒で検査受けるまで乗れないだけです」

当面乗る予定は無いので胸をなでおろし、船舶検査を受ける準備を始めたのだが・・・・、
バッテリーが完全に上がっている。
も一度検査機構に電話、「バッテリー上がっていますけど検査受けれますか?」
返答、「エンジン始動、航海灯の点灯確認が検査項目にありますので、検査は合格しません」
ガックリ・・・・・。

クルーザーには85D26Rのデカいバッテリーが二つ、4〜5年前カーディーラーで取り寄せたら二つで4〜5万程した。
試しにネットで探したら安いもので7千〜1万程である。
バッテリー交換、それに紅煙信号の交換、検査に関わる証紙代、結構な費用になる。
こちら腕力は必要ないが懐が痛む、痛みを分かち合う仲間と相談しなくては。






■2017.02.09  morning  管理人

世間は頭の痛い確定申告時期らしいが、私は痛まない。
何故なら、収入が僅かな年金+αでシンプル、+αは事業所統計調査で役所で頂いた報酬だけ。
控除も至ってシンプル、年金から天引きされている社会保険料(主に介護保険料)、生命保険料、それに私の場合は退職後任意継続し一括払いしている健康保険料、これだけ。
医療費控除は残念だが健康が邪魔して皆無。

お国から頂いた案内ハガキ、年金等で収入が400万円未満の者は確定申告不要とアピールされている。
私は前職で生活相談員していたとここに何度も書いている。
生活相談には税に関すること、確定申告に関することも多かった。
年金生活者でも不動産や事業収入がある場合、株式の損得、住宅ローン控除、年度中に死亡した方に代っての遺族の申告など複雑なものは顧問の税理士に繋ぐが、年金収入+αの相談には私が当たっていた。
今回は相談受ける方と相談する方が同一人物、つまり私。

前職の時、年金生活者の確定申告についてはこう答えていた。
400万未満の年金収入でも相当の医療費控除がある場合も含めて、一度、国税庁申告ページに入力してみて、結果、還付がある場合は申告した方がいいですよ。
追徴がある場合は申告を控えた方が。
それと確定申告(所得税)を控えた場合、別途住民税申告が自治体に必要ですから、それは忘れずに。

それで「私が私に相談」して確定申告ページに入力してみた。
結果は、些少な年金に掛かっていた僅かな所得税全額が還付。
早々にネットから入力済み申告書をプリントアウト、必要帳票を貼り付け申告書作成完了、この間30分ほど。
これで別途必要な住民税申告は必要ない、国税と自治体は後ろの闇で繋がっているのだ。

これを税務署窓口に出せばいいのだが、混雑した窓口は煩わしいので私は夜間ポストに投入することにしている。
結果の多少は別にして、還付万歳!





■2017.02.07  morning  管理人

掃除洗濯他の家事は手を抜かず勤しんでいるが、この時期、庭仕事は閑期。
空いた時間・・・といっても何時でも空いているのだが、納戸や押し入れの整理をしている。
これは何時ポックリ(理想だが)逝っても、妻や息子たちに迷惑かけないようにとの心掛け。
エンディングノートではないが、様様なデータの整理はほぼ終わっている、要は”ブツ”の整理、取捨選択し”捨”は字のごとく廃棄。

可笑しいものであれ程拘り大事にしてきたものが、加齢とともに未練が無くなる。
昨年、捨てるには惜しいと思ったものが、今はそうではない。
断捨離とは一気に捨てるようなものだと思っていたが、凡人はそうそう出来るものだはない。
私の場合、半年に一度くらいの取捨選択で、徐々に徐々に身軽になっている。



納戸から国体レスキューの時の写真が何点か、これはレスキューに協力してくれた海自掃海艇の隊員さんが撮影、後日カレンダーに加工し送ってくれたもの。これは長男も映っているので捨てないだろうと思う。
写真右端、頭に巻いているもの、海自隊員に貰った”日章旗”のタオルです、すんません!


それでも、捨てるに未練が残るものが未だに多くある。
これが息子たちに迷惑かける要因なのだが。
それで、誰が見ても分かるようにそれらの物にラベルを施している。
要は、一目で息子たちが心置きなく捨てれるようにとの配慮。

もう春はそこまで来ている。





■2017.02.06  morning  管理人

一年ぶりに復活する6月の温泉旅行、航空チケットと宿の手配が出来たと旅行会社から連絡があった。
新幹線は羽田東京間乗継に時間を要しそれに割安料金設定が無いので青森までは羽田経由の飛行機便に。
ワイワイガヤガヤ、鉄道車中で地方訛り丸出しでお喋りしながら行くのも楽しいが、それは誰はばかることなく道中で出来るから、青森までの往復は早くて便利、かつ割安な航空便に。

一泊は亡き隊長の遺志を引き継ぎ秘湯の宿の青荷温泉、調べると照明はランプ、トイレ、洗面は共同、八幡平の藤七温泉や浅間山の高湯温泉並みの宿。
隊長の遺志である「秘湯温泉旅行」を継ぐものとして、このレベルの宿は外せない一泊。
しかしこの宿をコンクリートするとマダム連たっての「星野リゾート奥入瀬渓流ホテル」と青荷温泉は一時間ほどの時間距離。

更にもう一泊は日本海側西海岸の黄金崎不老不死温泉、青荷温泉からだと100kオーバー二時間半ほどの時間距離、離れすぎている。
立ち寄り湯は外せない一湯で酸ヶ湯温泉、その他ラムネ温泉で有名な八甲田温泉、青森県唯一の日本秘湯の会の猿倉温泉蔦温泉、岩木山麓の百沢温泉獄温泉などが素案、昼食との兼ね合いで適宜選択。
この三泊を「点」に四日間の「線」の行程、非常に組みにくい。



1月15日、故人の書籍整理の際に旅行雑誌を山ほど頂き、その中に東北の旅行雑誌も沢山ある、DVDは三巻で一万円程が二セットも。
それを見ながら行程案を思案しているのだが、よくよく見ると雑誌は2003年発行版、一番新しいもので2006年版。
地理的なものは大地変動がない限り変わらないが、道路、店、諸施設は10年もあれば様変わりする。
止む無く、二冊ほど最新の旅行雑誌を買い求めた。

苦節一週間、十和田・八甲田周辺の地図は頭の中に思い浮かべられるようになった。
グーグルマップで経路や時間距離もほぼ正確に掴める。
名所旧跡観光はさておき、課題は散策、トレッキング。
私は幼稚園から大学まで一貫して帰宅部出身、大学時代には一時期「お泊りクラブ」に所属したことはあるが、
これだけは山岳部出身でヤマヤの故人には及ばない、そこのところは皆にご理解していただくしかないのだ。





■2017.02.05  morning  管理人

今日は北海道を除いて珍しく全国的に雨、そのため朝の冷え込みも程々。
珍しい天気のせいで今朝は珍しく周りが明るくなって起床。

ややこしくなっているAmazonの荷物が一昨日届いた。
ボロボロの梱包、見るからに回り回って届いたという風情。
妻はこのボロボロの箱がショックだったのか「私はもう要りません、返品したい」と。
ところが受領の目安になる納品書も添付されておらず、ただ商品が入っているだけ。
それに送り主は出品者でなく全く別の業者、因みにこの業者責任者名も中国名と思われる。



私の以前のプロとしての経験から言うと、これは商取引として成立していない。
増してや、Amazonのマーケット上では納品が確定しておらず未だ配送中、だからマイページに「返品ボタン」の表示されていない。
という事はAmazonの仕組みの上での「返品」行為が出来ないという事。
そう言うことで一昨日、発送業者でなくあくまで出品業者に、納品が完了した手続きを早急に願うとメールしたが二日後の今現在なしのつぶて。

考えるに、出品業者は最初の他人への誤配送の処理を誤り、対応が後手後手になっている。
私のクレームに慌てて同業者の助けを借りたのだろう。
しかしAmazonのシステム上の私への正式な納品手順をとることが出来ていない訳で。
システム上の納品完了までもっていくことが出来なくなっていると推察される。

これではAmazonの仕組み外で商品を受け取った私も、返品行程に入ることが出来ず困るわけだ。
ヘタにAmazonでもなく、かつ出品業でもない第三者の業者に一方的に返品すると、この行為はAmazonの仕組み外、
最悪の場合、商品は手元になく代金はAmazonの仕組みで払う羽目になる。
それで再度、納品完了の手続きを取るよう出品業者に要請したわけだ。

ここは持久戦となっている。
持久戦は結構得意分野なのだ。





■2017.02.04  morning  管理人

妻に頼まれた買い物が有る時、保育園の帰り道にスーパーに立ち寄ることがある。
「いいかいはなちゃん、お菓子は一つだけだよ」
「うん、分かった!」
店のドアが開くとお菓子コーナーに一目散、迷いに迷って選ぶ。

「はなちゃん、それ駄目だよ」
「前に買ったとき、開けて少し食べただけでそれそのままにしてだんだよね」
はなちゃん困って悲しいそうな顔をするが、ここはジジも毅然と。
また、迷いに迷って選んでいる。

土日、はなちゃんから解放された日、時折息子夫婦から電話がかかってくる。
「買い物に行くのだけど、その間預かってくれない?」
私ら夫婦は用が無い限り二つ返事で預かる。
その間二時間ほど、家で本読みしたり公園に出かけたり。

私がはなちゃんと赴くスーパーマーケットは近所の小さな店。
目当てのお菓子を買うと、後は自由気ままに店内をあちこちと探検している。
はたと気が付くと試食コーナーの前、楊枝に刺さった食品を美味しそうに食べている、販促員さんも笑顔。
時には知らないお婆さんとお喋りしたりもしている。
ローカルなスーパー、まだまだほんのりした地域のコミュニケーションが残っている。

それが息子夫婦が向かうスーパーは郊外の大規模店、そこは娘を一度見失うと探すのは容易でない。
この活発なはなちゃん連れての買い物、容易でないのは分かっている。
今日か明日、また「預かって」と言ってきそうな気がしている。
ババが頼んでいたが届いたので読んでやるのもいいかも。





■2017.02.03  morning  管理人

『こども食堂であって、こどもの食堂ではない』

牧師様から「こども食堂」で話がしたいと電話があった。
その言葉は聞いたことがあるし大凡のイメージもあったが、少し詳細情報が欲しいのでネット検索してみた。
検索の何番目か、冒頭のタイトルの記事を見つけた。
前職で少しだが面識のある湯浅誠さんの記事。

「なるほど!」と思って読み進み、「そうだ!」と納得した。
湯浅さんが言いたいことは牧師様が言われていることと殆ど同じだった。
貧しい子供だけでなく孤食に甘んじてる子供や老人、社会とのつながりが切れそうになっている、切れてしまっている方が少しでも寄れる場所になればとの牧師の思い。
牧師様によるとその思いはキリスト教の原点で、キリスト教会とはそういう「場」だとも言われた。

博愛と救済には様々な形態がある、
専門的な知識、一定の財力、確固たる組織と規約を条件とするものもあれば、そうで無いものもある、それぞれ色々な条件下でできる事、出来ない事がある。
決して貧しいという条件だけでなく厳しい環境下に置かれている子供に食事をという思い、これは比較的ハードルの低い取り組みだと思う。
でも食というカテゴリー、安全と安心という欠かさざるべき要件もあるし、不特定多数を対象とする場合、不慮の事故の想定も必要、そんな事を牧師様と話し合った。

調理と食品衛生については栄養士さんが居ることが望ましい。
思い当たる節にリタイアしている管理栄養士さんが居る、彼女は地元では一番大きな公立病院栄養士の元トップ、私に言わせれば県内の現場栄養士の頂点に序列される管理栄養士、今は地元大学の講師をしている。
早速、電話でお願いすると二つ返事で快諾してくれ、更に要約するとこういう内容で応えてくれた。
「私はリタイアして時たま教鞭を執っていますが地域に戻っています、栄養士として食事がまともに取れない子供の事では心を痛めていました、声を掛けていただいて嬉しいです、是非、協力させて下さい」
涙が出てくる返答だった。

以前、公益社団法人事務長をしていた私の経験則は、任意で、かつ個人的レベルで社会事業をする場合、社会や行政の認知度は極めて低い。
だから色んな人脈ネットワークを生かして有資格者の協力を求めようと牧師様にアドバイスさせていただいた。
元教職にあった方、出来れば元校長先生とかだと更にいい。
元保育士も居れば尚更にいい。
東北温泉旅行組には現役の臨床心理士がいる、彼女は当県業界の会長、ボランティアでスクールカウンセリングもしていると聞いている、是非「顧問」になってもらおうと思う。
更に教会の地元には懇意な市会議員さんもいる、議員は児童保育の放課後クラブも熱心に取り組んでいる、打って付けだ。

事業には「人」「物」が必要。
その内、これからだが人は目途が付きそうだから後は物。
物の内、場所は教会を使うからクリアー、調理場も完備し地域に開かれた教会は場所としては最強。
後はお金、これは行政は当てにせず、個人寄付で賄おうとの思い。
教会の博愛主義を基本にそれをサポートするボランティア、善意のボランティアの骨格に有資格者を置き社会の認知度を確保。
余計な物言いだが、決して左翼の主義からではない。
これで善意の募金を募ろうという事だ、まずアクション、形は後から。

色々思いを巡らせたが、今回事案のサポートには飲茶の会の取り組みがベースの一つになっていると思う、これは牧師様の思いが次に繋がったのだと思う。
爺さん連と子供のジョイント、いいと思う、バックアップと現場では見守るだけが精一杯だが。
事業が動き出してからだが、色んな団体に支援を求めようと思う。
ワタシゴトだが、私には前職で培った人脈・ネットワークがあるが、これはそれまで温めておこう。

昨夜、牧師様へのメールの最後にこう綴った。
日大全共闘は考える前に行動し、
セクトは考えてから行動したようですが、
日大方式で行きましょう(笑。





■2017.02.02  morning U 管理人

主義やイデオロギーはひとまず棚に上げておいて、米国大統領は実に面白い。
何が面白いかというと日本との関係性。
左翼がこの大統領にどう反応するかはもはやどうでもいいが、安倍首相や日本の保守派、経済界、そしてマスコミがどう反応し、どう対応するか興味津々。
他人事として実に面白いのだ。
米国大統領のおかげで、マスコミも加担して今まで隠されていた米国と日本の真の関係が徐々に露になっている。

当事者のリベラル派米国民やヘイトに晒される中東諸国の人々には災難だが、
日本のアジア諸国への加害者としての戦争責任はさておいて、結果として、日本は米国の一般市民を標的にした無差別絨毯爆撃、大量破壊兵器の原子爆弾に晒された。
そして敗戦後、今の今まで一貫して米国の統治のもとにおかれているオキャバイド・ジャパン。
今までの常識的な米国政権は一貫してそれに触れず、それを巧妙に覆い隠して来たのだが、今度の大統領のやり方は、結果としてそれを露にしている。
負けた大統領候補ではこうはならなかっただろう。

妻などは新聞やテレビを見るたびに眉をしかめているが、
私はちと違う反応を示している。
やはり私は常識的なリベラルからは少しずれてしまっているようだ。





■2017.02.02  morning  管理人

はなちゃんの父さん、昨年、現場部門から管理部署に異動になっている。
以前の部署だと父さん残業多く、かあさんもしかりで、はなちゃん迎えに来るのがかなり遅かった。
それもあり、夕食は基本、妻が作りはなちゃんに食べさせていた。
妻はそれが嬉しくもあり、やりがいもあり勤しんでいた。

それが、父さんが管理部署に移ると定刻退社になり早いときは五時台に迎えに来る。
それで急かされるようにはなちゃんの夕食は五時早々の時間帯に。
ここで問題が起きた、
はなちゃん、お腹が空いていない、
「食べたくないよう ! 」の連発。

保育園のおやつ時間は午後三時、それで夕食が五時だと当然と言えば当然。
連れて帰って児童公園に連れ出しはなちゃんの運動量を増やす対策も講じてみたが、あまり効果はない。
返ってお菓子やジュースを欲しがるようになり、逆効果。
「食べたくない」と嫌がるはなちゃんを前にして、この老夫婦、40年程前の「育児」の悩みを味わう羽目に。

この育児に関する課題、ジジババはシンプルに結論した。
遅くなっても、子供は父さん母さんと一緒に食事するほうがいいに決まっている。
この結論をはなちゃんに問う。
「はなちゃん、お家でご飯食べる?」
「うん!」

これでジジババの育児方針は決まった。
迎えに来るまで預かっている間、テレビ見たり退屈するとお菓子を欲しがりせがむので、出来るだけ公園などで体を動かせ遊ぶ。
お菓子やジュース欲しがっても補水はお茶が基本、お菓子は妻の手作りを 、この方針で年明けから、
それで妻は実家の母の世話の合間を縫い昼間はせっせとお菓子作り、夕刻は遅くなる母さんの一助にと、せっせとはなちゃんお持ち帰りのおかずを作っている。

ジジババ保育、今年からそういう仕組みに変わっている、これは半端ではできない結構”プロフェッショナル”な仕事なのだ(笑。





■2017.02.01  morning  管理人

「**さん、これ払い戻しです」
差し出された現金封筒を改める、万札がやけに多い。
「これ、多過ぎるのだけど・・・・?」

昨日、6月予定の東北温泉旅行の航空チケットと宿の手配に旅行会社に出向いていた。
今回から行程立案も任されているのだが、何せ私は青森県は一度も行ったことのない県、行程を組もうにも皆目分からない。
ついでに行程や観光についても提案してもらおうと事前に仲良しの担当さんに電話していた。
観光やトレッキングは十和田・八甲田、白神山地を希望、宿の中で一泊はマダム連のたっての希望で「星野リゾートの宿」をお願いした。

それで帰ろうとすると前回旅行のキャンセル料免責分の払い戻しだと現金封筒が。
キャンセル料は50%で、キャンセル時に一旦全員分支払っていたのだが、亡くなった当人と配偶者の二人分は航空会社の審査後に免責で還付されると聞いていた。
「手続きに随分長く掛かりましたが、航空会社からやっと払い戻しがありましたので」
それで封筒の中身を改めたのだが、支払った全額分が入っている。

「これ、間違っているよ」
そう担当に言うと、
「当初は亡くなった方とその配偶者分が免責と説明しましたが、航空会社からはツアー全員分が返ってきましたので」
「ツアーがメンバーの止む負えない理由(死亡等)で中止になった場合、全員が該当するという事なのでしょう」

私が推測するに旅行会社を通し「ツアー」として一括手配していたので、一部メンバーの理由でツアーが中止になったとしてもその理由がツアー全体に適用になるのだろう。
個人手配が盛んなご時世だが、ツアー会社を通すメリットが今回は生きた訳だ。
異議申し立ては私の得意分野だが、この見解と対応に異議を挟む必要は全くない。

私は、亡くなった友と奥さんの二名分立替+自分を払っていたので、三名分が私の懐に入ることになる。
旅行は10月予定でキャンセル料を支払ったのは8月中旬、だからほぼ半年前の出来事。
当該事案、ボケ気味老人にとっては既に忘却の彼方だったから、思わぬボーナスを貰った気分。
単純に嬉しいのだ



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