■2020.02.08 管理人
日大で騒動勃発する直前1968年春。下高井戸の文理学部で教養終えお茶の水キャンパスに。
その二年前か、修学旅行で訪れたお茶の水に憧れ、大学何処でも良いから兎に角お茶の水と、中大と日大の理工合格、中大は水道橋だからと言う訳で無いが、紆余曲折し日大理工選択したが。
言いたいのその事で無く、当時は薬学は理工学部薬学科で当然女子多かった。
特に理工8号館は実験設備が備わってる校舎、授業終えた頃は薬学女子のお迎えか、校舎の前にスポーツカーがズラリ。アメ車のマスタングがまぶしく、少し後だったかこの黄色いギャランクーペも覚えてる。
それが、騒動始まるとこの手の車、界隈で一切見掛けなくなった。貧乏学生だったから、ざまあ見ろと思ったのはひがみか(笑。
都会行くと格差というか田舎と金持ちの度合いが違う事まざまざと実感、私は18歳にしてその現実に直面した次第です。
黄色いギャランクーペ登場は1969年とあるので、バリケード撤去され授業再開して、又々舞い戻ってきた軟弱野郎共の車、憎々しげに眺めた記憶かもです(笑泣。

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