■2017.03.18 morning 管理人
高倉健さんの映画に登場した「風待ち食堂」、映画を観てないので食堂のネーミングの由来は詳しく知らないが鰊漁と関係ありそうだからその昔漁に出る風を待っていたのだろうか想像する。
返して私はここ二週間ほど風(止み)待ち状態だった。
ぶり返した寒気と西高東低の気圧配置は常時風速5〜10m/sec以上の北風や西風を伴う訳で、海上は強風注意報が発令されるが常。
先日、マリーナを訪れた際も大学ヨット部女子が、「15m/secの風でスナイプ艇が完沈、リカバリー出来ず救助艇にレスキューされマリーナまで曳航されました」と話してくれた。
「完沈」とは横転ではなくマストが完全に下向く状態、こうなると強風下では船を起こすことは無理で船に乗っかり漂流するだけになる・・・・、まぁ〜いわゆる遭難状態。
ここの所、毎日天気予報と気象図をにらみながら過ごしていた。
理想的なのは高気圧がどっかりと頭上で、低気圧は遥か彼方に位置し等圧線間隔が広ーく伸びた状態。
風速は0〜3m/sec以内が理想的。
そんな条件、春先の季節としてはかなり無理な話で風(止み)待ちが二週間、一向に風が止む気配はない。
それで痺れを切らし昨日海に出向いていた。
事前の天気予報は晴れ、風は午前九時で6m/sec、正午頃で4m/secの予報。
5m/sec以下で二人分の体重なら何とかなるかなというかなり甘い予測。
途中で友人を拾い九時にマリーナ着、居合わせた大学ヨット部員に愛想振りまき、NPOには菓子折り届け「有事にはレスキュー頼む」とお願いし13年振りに艤装開始。
出来ない場合はNPOのお兄さんに助けてもらおうと思っていたが、
不思議なもので人の名や大事なことは忘れて思い出せないのに艤装の手順だけは自然と手と体が動く。
人は頭でなく体で覚えていることは意外と忘れないものだなと改めて感心。

海から上がり艤装を解き13年ぶりに丁寧に船を洗ってあげました、写真はロープを解いている友人。
それで海は・・・・・・、
ここは余り詳しくレポートしたくない(笑。
午前九時をピークに(風速が)落ちると予報されていた風はますます吹き、海に出た頃風速は強まり7〜8m/secオーバー。
この風速の合理的根拠はNPOのお兄ちゃんが、
「海岸のあの樹の天辺がざわつくと風速は5m/secから10m/sec程ですと言ったことにある。
マリーナから樹がざわついているのが見て取れたし、沖では兎が飛び出している、
風が5m/secを越すと波頭が白く砕け、兎が海面を飛んでいるように見えることからこう表現する。
この状態は紛れもなく上級者コース。
それでも出艇したのだ。
だからいわゆるセーリングのレポートはなし。
ただただ風との格闘と沈の連続。
最初の沈は斜路(岸壁)から5m程のところでラダー(舵)にロープが絡み強風を受けて横転、それ以後の詳細はしない。
一緒した友人、最初は恐怖で顔が引き攣っていたが海から上がると意外にも、
「いや〜最初は怖かったが・・・・、」
「横転しても慌てず船起こしているの見て安心した、楽しかったよ!」
友には最初に怖さを味合わすことになったが、次回は風速0〜0m/sec(笑)、マッタリとタライ船状態が楽しめる「天国」の気象時を選ぼうと思う。
因みにNPO会員で最年長は72才らしいが、彼はシーカヤック乗り。
ちゅうことでディンギー乗りでは私と友が最年長記録を更新した。
どうだ、参ったか!(大笑。
■2017.03.07 morning 管理人
マリーナに出掛けていた。
その日は麗らかな春日和、艇庫の前陽だまりの中で学生がスナイプにマストを付けている、今日みたいな日にのんびり海に出ると最高だなとしみじみ。
女子学生に「何年生?」と尋ねる、「ハイ、新二年生です ! 」、地元大学ヨット部だという。
さすが体育会ヨット部女子、今時の若者と違い返事は笑顔でハキハキ。
「もう直ぐ、70才近い爺さん二人連れが海に出る、セールNoは*****だからイザというとき皆さん助けてね」
しっかりヨット部女子にレスキューをアピールしておいた。
マリーナに出向いたのは修理に出していたタイアをトレラーに付けるため、事務所に声掛けNPOのお兄ちゃんに手伝って貰った。
事務所にはもう一人お姉さんも、NPO職員は二人の様。
NPOは結構な数のディンギーやシーカヤックを保有し、様々な活動をしているらしいが、
お兄ちゃんが言うには「(同僚の)彼女、最近自分用のディンギー買ったのですよ」
「そうか、無理して乗るという選択より、私の船を格安で譲るという選択肢もあったのか・・・」と。
出掛けたついでに船体を細かくチェック。
マスト下部カバーが劣化し割れそうに、ラダー(舵)装着用のピン、ステンレス製だが電蝕ザビで折れそうに。
帰宅しネットでそれぞれの部品と予備のロープやショックコードを注文、送料を入れると今回もまたまた万円近くに(泣。
その部品が先日届いた、これらの部品を交換すれば一様のメンテは完了。
一緒に乗ってくれる友も出来、NPO、それに大学のヨット部員にもレスキューの根回しもし、パーツ交換の目途も付いた。
後は乗るだけ。

昨日、友人に電話した。
「今週後半、等圧線の間隔が伸びた穏やかな春日和の日、朝一番に電話するからそのつもりで準備よろしく」
つまり無風の、ポカポカ陽気の日に乗ろうという事。
70才近い爺さん二人、一人は経験者とはいえ13年のブランク、も一人はビギナーで無理は禁物、気象設定を間違えば海は地獄と化す。
そうそう、
最初はNPO事務所に菓子折りを持参しよう、この心遣いイザトいう時違ってくるのだ(笑。
■2017.03.01 morning
管理人
「重ねて重ねて、くれぐれもお願いします」
ディンギートレラーのタイヤ修理が出来たかどうかマリーナ管理しているNPOに電話した。
「68才の二人で乗るのだけど、これを『70才近い爺さん二人、それも初心者連れで』と言い換えると、イメージ全然違うでしょう」
「それにこの私も十年以上のブランク」
「海上で突発的なアクシデントがあると、体力的にも対処不能に近いので」
電話でそう切々と訴えた。
更に、
「私等二人は週休七日の身、のんびり平日に乗りたいと思ってる」
「多分、周りに出艇している船は無いはず」
「今の時期、何かあれば北風で沖へ流されてしまうし、強烈な西風だと沖に突き出た消波突堤に激突・・・・・・」
思い付く限りの”負”の想定、後から後からつらつら並べて電話でNPOのお兄ちゃんに切々と。
これまで十数年、乗ることなしに管理費を欠かさず払ってきているもので、これくらいのお願いは許されると思うのだ。
    
13年程のブランクあるので自前のディンギー写真はない。
NPOツイッターにイメージ分かり易い写真が一杯あったので無断借用、写るは私と同じディンギー艇。
それで何をお願いしたのかと具体で言えば、
出艇したら見守って(ウオッチ)下さい、何かの時はレスキューして下さいと。
有難いことにマリーナには何時でも出動できるレスキュー艇が備わっているが、それもこの爺さん連の遭難に気が付けば役立つという事で。
「よろしくお願いします」と、かつては国体レスキュー責任者が立場を変えての切なるお願い。
「大丈夫ですよ、時折、単独で出艇する方もいますので、注意してますから」
有り難いお言葉を頂けた。
何度も言うが、この70才近い爺さんがはじめる(再開する)冬場のデンギィーはそれ程に過酷なスポーツ。
更に相棒も70才近いビギナー、彼の安全担保は何より優先する。
それで何時から始めようか思案している。
「東北温泉旅行の前に腰痛め、旅行が御破算ちゅうう可能性も十分あるし・・・・・」
「何せ二人はツアーのドライバー、カミさん連に何と言われるか」
「旅行の後からにしようか・・・・・」
偉そう乗る乗ると吹聴しているが、既に十分腰が引けている(笑。
しかし相棒、当面のメンテ費用は折半すると言ってるし、
ここはメンツに掛けても言い放しには出来ないわけで、
一度は体ばらけても乗らないと・・・・、名ばかりセイラーマンは悲壮な決意なのだ(大笑。
■2017.02.18 morning 管理人
ヘトヘトに、これでは先が・・・・・。
昨日、長男の部屋のクローゼットで探し物を、彼は着なくなったスーツや衣類を大量に我が家に置いて倉庫代わりにしている。
その昔、まだ長男と一緒にヨットしていた頃、海から上がるとハル(船体)は丁寧に水洗い、艤装品やロープ類、ウエアー、ライフベストは衣装缶に真水を張り一昼夜漬置きし塩抜きした。
海の用品の大敵は塩と紫外線。
彼にはそれをきちんと教えていたから、クローゼットの奥から探し出した13年前のウエットスーツ、新品そのもの。
方や私の13年の変化。
ざっくり言えば、脳みその退化、ハゲとメタボの進行だが、
正確には身長は加齢で2cm縮、体重は5Kg増、増量分は全て腹回りに。
そう言うことでウエットスーツを着てみたがそれだけでヘトヘトに、これでは海に出る前に顎が上がってしまう。
今日は長男のスーツとマリンブーツの試着に友の家に。
合えば冬の海に出る装備は完璧。
足らない腕力は友に分担してもらうが、問題はそもそもの私の体力。
これはこれからの日頃の心掛けで解決するしかないだろ。

話は変わるが、以前ここに書いた「こども食堂」
それ以後新聞に、県行政が次年度でこども食堂の指針と支援を検討すると報道されていた。
やっと世間も関心を持ち始めたことの反映だろうと思う・・・・・・が、
昨日、協力をお願いしていた東北旅行を一緒している管理栄養士資格を持つ仲間から連絡が。
彼女、何ができるか行政の方に当たってくれたらしい。
その報告に食品衛生に関する保健所の見解。
1、「こども食堂」を実施するに当たっては「催物開催届書」を提出すること。
2、「こども食堂」の対象者は「特定の子供」であること。
3、「こども食堂」に於いても最低、流水式洗浄設備が必要。
(1)と(3)については問題ないとしても(2)については引っかかる。
保健所は、このようなこども食堂が数多くできることは、一方では食事提供を生業とする人の生活を脅かすことも考えられる、其の為に「特定の子供」を明確に対象にすることが求められるとの事。
これには、そもそも食事に事欠く子供に食事をという善意の営為に対し、既存業者の営業妨害になる可能性をついている訳。
しかしながら、彼女が参考に調べた先行事例のこども食堂、カンパを募る呼び掛けチラシにははっきりと「誰でも」と明示してあるらしい。
既に行政と先行現場では齟齬が生じている。
これについて、これまでの私ならカチンと来るのだが、前例のない事例に対し行政がこういう対応を示すのはいつもの事。
反対に言えば、こういう対応をするから行政であるわけで、既得権益者の擁護とまでは言わないが、多くの方の利害を調整する行政とすれば致し方無いこと。
これを現実に即した対応に修正してゆくには世間様の声が必要。
その点、大筋で行政がこども食堂を認知し始めているということは、硬直した対応をせざるを得ない現場を行政の方も「上」から変えていくと信じている。
私等は「下」から変える努力を惜しまずしようと思っている。
それはそうと、「日常的に食事をとれない子供」という絞り込の一例は、行政の言う合理的な「明確な対象特定」になるのかな。
食事に来た子供達に「ご飯食べましたか?」と質問票に答えてもらえばいい。
行政といえども、これについての子供達の個人情報までは求められないはずだから。
既存業者から突き上げが合ったら、この質問票の束を提出すればいいし、それについて異議を挟むような業者が居れば、それこそそいつは「人道に反する者」として世間から言われるだろ。
要は行政が「公共の福祉に則している」との説明責任が果たせ、やり易いようにこちらが考えてやる事。
一度、保健所に聞いてみよう。
担当者、困るだろうな。
■2017.02.17 morning 管理人
午前二時半に目が覚めた、昨夜は午後八時過ぎに寝たからそれでも六時間半寝ていることになる。
さすがに起きようかどうか躊躇していたが三時には寝床を出た。
全国紙の配達は三時半頃、地元紙は四時過ぎだから新聞は未だ。
珈琲を点てようと思ったが挽豆を切らしていた、早朝というか未明なもので電動ミルはうるさい、手挽ミルでカリカリ。
そんなことをしていると新聞配達のバイクの音。
日記を書いている今が午前十一時前だから、起きてもう八時間経過、勤労者の労働時間とほぼ同じ時間が経過している訳。
一般的な生活者だとほぼ夕刻にあたる。
それで、何を言いたいのかだが、特段にない。
そんな分け分からぬことをつらつら書いていたら、珍しく固定電話に着信が。
電話の主はマリーナを管理するNPO事務局の兄ちゃん。
「先日、カーショップにディンギートレラーのタイヤ修理を出されましたでしょう」
「構わなければこちらで修理できますが、させていただいていいでしょうか?」
何でも修理を依頼したカーショップの大将、NPOの理事をしているそうで、これはNPOに回してやらねばという事らしい。
タイヤとチューブの新品交換で1本4000円程、それに作業量が1000円、2本合計で一万円程の見積もり。
「こちらこそ、是非お願いします」と。

「じいちゃん、どうぞ!」、はなちゃんからバレンタインチョコを頂きました。
翌日から「じいちゃん、食べていい?」と、結局、はなちゃん全部食べてしまいました(笑。
「NPOでパーツ類扱っていたら分けてほしいのですが」
「ネット注文で入手できるのだけと、数百円のパーツ注文して送料700円掛かるもので」
「暇な爺さん連れで平日に乗ろうと思っているのですが・・・・」
「平日だと海に出ているのが私等だけになりそうで、沈して沖に流されたらと心配で・・・・・」
電話のついでに厚かましく色々話をした。
「パーツ類は在庫が有るもの無いも色々ですので相談していただければ」
「平日でも事務所から私等が見てますので、海の出る前言っていただければ気を付けてますから」
NPOのお兄さん、昨年五月から勤めているそうで気安く応えてくれた。
それで早速「ショックコード」を注文した。
NPOは確かレスキーボートを持っている。
腕力を分担してくれる友、安心を担保してくれるNPO、海に出る条件は着々と進んでいる。
後は私の最低限の体力が必須条件なのだ。
■2017.02.16 night 管理人
「貴方、(ディンギー)もう10年くらい乗ってないのでは?」
「そんなことないよ」
そう答えたが、ここの日記で検証してみるとディンギーで海に出た綴りは2004年8月22日の日記を最後に途絶えている。
当該日記、私の備忘録としての役割もあるわけで、この事実は10年どころか13年というのが正しい。
妻の指摘は限りなく正しかった訳だ。
妻は更に続けた。
「貴方は引き籠り気味だからいいと思います」
「体力的に心配だけど、同年配の方が一緒なら少し安心です」
妻も、私がディンギーヨットに乗る体力には不安を感じているようだ。
同年配だと、お互い”無理”が分かり合えるから、これが若者相手だとそうはいかない、ついつい無理してしまう・。
年寄りペアだとそこの不安をしなくていいという事だ。
 
昨日、ネット注文したパーツが今日届いた、早やぁ〜ぃ。ゴム製パーツとドレンコック計4点で四千円近く、高ぁぁ・・・ぃ
しかし、わが身を冷静に考えてみると68才。
腕力を折半いただく友も68才。
クルーザーならいざ知らず、若者がスタンダードのディンギーヨットに爺さん二人が挑戦。
13年のブランク、我もビギナーに等しいと肝に銘じ、心を引き締めて海に臨もうと思う。
■2017.02.16 morning 管理人
ヨットで二つ
一つは、
ディンギーヨットをマリーナに置いているが、この年間保管料が三万円程。
年度更新がこの三月末、さて・・・乗らないのだから自宅に引き上げようか、それともマリーナ管理しているNPO団体に寄付し手放そうか悩んでいた。
乗らないのは正確に言うと「乗れない」、一旦海に出さえすれば下手ながら船を操ることは長年親しんでいる訳で乗らない理由ではない。
問題は船の艤装、マストにセールを差し込みエッチラコと立ち上げ、それをマストホールに差し込む作業、相当の腕力と背筋力を必要とする。
私の最近の体力、強いては筋力をするともうこれが無理だと思うから。
それだからスッパリ諦めればよいのだが、前にも書いたがこのディンギー、新艇で買えば今は60万円以上になっている、貧乏人の性で手放しきれなく悩んでいた。
それで、ふと思い付いたのだが、一緒に乗る仲間が居ればこの腕力の問題は解決する、誰か気安く一緒にヨットする仲間はいないだろうかと思案した。
この場合、条件は健康であること、時間に余裕があること、それに何にも増してヨットを楽しむ「心に余裕があること」
それで思い付いたのが東北温泉旅行に行っている仲間の一人。
私と同い年、健康でスリム、時間、心にも十分余裕があると感じ取れる
先日、この六月の東北旅行の旅程案がまとまったので彼の自宅を訪問し雑談がてらに打診してみた。
 
左)マリーナに行ってパーツ類をチェック、ティラーエクステンション(舵の操作棒)のジョイントゴムが劣化でポッキリ、早速、ネットで注文、トレラータイヤはペッタンコ、これは地元のカーディラーに。
右)東北旅行の経路図、後日合流者が居るのでかなり行ったり来たり。
即答で、
「いいですね、私は以前から乗りたいと思っていたんですよ」
「費用は折半で持ちますから、是非!」
彼なら船に乗る条件揃っているのでいい返事が聞けるかもと思っていたが予想以上の反応。
「それじゃ一度ディンギー見に行きましょう」
「一度チェックして整備しないと、相当へったっているはずですから」
「水がぬるみウエットもドライスーツも要らない時期から始めましょうか」
費用折半も有り難いが、それよりも腕力の折半が何にも増して有り難い。
二つは、
ディンギーの事であれこれしていて「そういえば今年は確かクルーザーの定期検査の年のはずだが」と思い出した。
船舶検査機構に電話を入れると、
「そちらの船検期限は今月の27日、昨年末に案内を出していますが・・・・」
焦って封書類を探すと確かに受け取っているが、未開封のまま放置していた。
も一度検査機構に電話し、「船検切れても検査受けれますか?」と問い合わせた。
返答は「車検と一緒で検査受けるまで乗れないだけです」
当面乗る予定は無いので胸をなでおろし、船舶検査を受ける準備を始めたのだが・・・・、
バッテリーが完全に上がっている。
も一度検査機構に電話、「バッテリー上がっていますけど検査受けれますか?」
返答、「エンジン始動、航海灯の点灯確認が検査項目にありますので、検査は合格しません」
ガックリ・・・・・。
クルーザーには85D26Rのデカいバッテリーが二つ、4〜5年前カーディーラーで取り寄せたら二つで4〜5万程した。
試しにネットで探したら安いもので7千〜1万程である。
バッテリー交換、それに紅煙信号の交換、検査に関わる証紙代、結構な費用になる。
こちら腕力は必要ないが懐が痛む、痛みを分かち合う仲間と相談しなくては。
■2017.02.07 morning 管理人
掃除洗濯他の家事は手を抜かず勤しんでいるが、この時期、庭仕事は閑期。
空いた時間・・・といっても何時でも空いているのだが、納戸や押し入れの整理をしている。
これは何時ポックリ(理想だが)逝っても、妻や息子たちに迷惑かけないようにとの心掛け。
エンディングノートではないが、様様なデータの整理はほぼ終わっている、要は”ブツ”の整理、取捨選択し”捨”は字のごとく廃棄。
可笑しいものであれ程拘り大事にしてきたものが、加齢とともに未練が無くなる。
昨年、捨てるには惜しいと思ったものが、今はそうではない。
断捨離とは一気に捨てるようなものだと思っていたが、凡人はそうそう出来るものだはない。
私の場合、半年に一度くらいの取捨選択で、徐々に徐々に身軽になっている。
  
納戸から国体レスキューの時の写真が何点か、これはレスキューに協力してくれた海自掃海艇の隊員さんが撮影、後日カレンダーに加工し送ってくれたもの。これは長男も映っているので捨てないだろうと思う。
写真右端、頭に巻いているもの、海自隊員に貰った”日章旗”のタオルです、すんません!
それでも、捨てるに未練が残るものが未だに多くある。
これが息子たちに迷惑かける要因なのだが。
それで、誰が見ても分かるようにそれらの物にラベリングを施している。
要は、一目で息子たちが心置きなく捨てれるようにとの配慮。
もう春はそこまで来ている。
■2015.10.12 morning
管理人
「貴方、みっともないからそれで外に行かないでくださいね!」
「どう見てもパジャマにしか見えませんので」
先日、衣類の処分をしていたら永らく穿いていないサーフパンツが出てきた。
ブレイクダンスを踊る若者が穿いてるようなルーズフィットで幾何学模様の水色のパンツ。
このパンツ、OFF SHORE というサーフブランドでディンギー乗り始め頃マリンショップで買ったもの。
だから間違いなく昭和モノ、かなりというか物凄く古い。
当時、派手なTシャツ、たまには上半身裸で着用していた。
砂浜にヨット、強烈な太陽、ファッションに想定された通りのシュティエーション。
それが67歳になったオッサンで家の中だと、パジャマだと!
情けない(涙。
 
ヤオフクに「昭和ヴィンテージ物」で出ていた(大笑、 右)ビーチボーイからオヤジになる寸前の頃
一昨日、折り込み広告見た。
某量販店でダウンベストが\2980+税と出ている。
ネットを開けると送料が\450+税 余分にいる、年金生活者にはこの金額でも勿体ない。
それで高いガソリン焚いてエッチラコと安い買い物に出かけていた(笑。
今朝、前述のサーフパンツと組み合わせ着た。
真夏のサーフパンツと冬のダウン、イレギラーなコーディもいいかなと我ながら悦に入っていたら、
いきなり「パジャマ!」。
落ち込む事しきり。
オッサンはジャージ穿いとけと言うのか?
■2015.10.07 morning
管理人
体力勝負のディンギーヨットと書いたが、
海の上での体力は、強風に向かうハイクアウトが一番だろう。
二番は沈(転覆)したさいの船体起こし。
主に腹筋と背筋を使う。
この鍛錬には水泳が一番向いている、ちゅうてもそれで水泳してるわけではないが。

それでも海の上では何とかなる、問題は陸上。
艤装の際のマスト立て。
セールにマストを差し込み、二階屋根に届きそうなセールを張ったマストを直立させ、エッチラコと船体のマストホールに差し込む。
長い棒を立てる際、支点があれば容易なのだがこの作業にそれは無い。
微風の際はセールが受ける風の力を借りることも出来るが、主に腕力それに腹筋と背筋。
私は体育会系ではない、この作業に必要な腕力が致命的に欠けている。
筋骨隆々の猛者の中、マッチ棒ほどの私がディンギーを続けてこられたのはひとえに若かったから。
今更、この作業を助けて貰わないと乗れないなら、止める。
恥である。
今後、ディンギーを続ける事が出来るかどうかは”気力”ではなくいちえに”腕力”に掛っている。
それでヤマハのHP見れば、私が買った時は確か40数万円だったものが今は何と60万円。
誰かにトレラーごとあげてもいいかもと思ったが、
ウ〜ン、
めげずに身体鍛えてみよう。
■2015.10.06 morning
管理人
録り溜めた映画、結局どれもこれも余りにもアホらしいので、性懲りもなく未明の散歩ちゅうかドライブに出掛けていた。
市街地まで来たが、ここをウロウロするのは危ない。
厳密にいえば、危険を被るのは私ではなく、他人から見た私が危ない訳で直ぐに車に引き返した。
さてと思案の末、久しく行ってないヨットハーバーに行ってみる事にした。
夜明けのハーバーで珈琲一杯も悪くない。
家を出たのは四時前。
寄り道しヨットハーバーについてのは五時頃、まだ辺りは暗い。
懐中電灯を持ってきたらよかったと思ったが、ウイークデーな訳で未明のハーバーを懐中電灯片手にウロウロするのも、これもまた危ない訳で。
薄暗い浜辺のウオークボードに座り、マグボトルに入れた珈琲一杯。
見ようによってはこれもまたまた危ないが(笑。
六時過ぎ、陽が昇り周りが明るくなる。
久しぶりに私のディンギーは何処だろうとヨット置き場を捜すが、これが見当たらない。
毎年保管料はキチンと払っているのだが、乗らなくなって五年余りの放置状態にある。
さて、廃棄されたのかといぶかったが、会費を払い続けているのでそれは無いだろうとしつこく辺りを捜した。
 
ハーバー駐車場の片隅に、使わなくなったというか放置状態の花壇がある。
そこに十数艇のディンギーが無造作に置かれている。
オーニングが破れてデッキに水やゴミが溜まったみじめなもの、トレーラーが破損し直置きのもの、まるでディンギーの墓場のよう。
myディンギーはその片隅の草ボーボーの中にあった。
幸いなことにテント地で作ったオーニングは5年の歳月にも関わらず破けずそれなりにしかりしている。
ハルもチェックしたが、強烈な紫外線に食われず劣化は殆ど無かった。
この五年の私の劣化と比べれば”上等”。
さて、体力勝負のディンギー、これからどうしたものか。
■2015.07.05 night
管理人
退職したらやることのトップ3に入ると思うが、今までなかなか出来なかった”整理”。
仕事向きの衣服の整理というか廃棄はほぼ完了。
納戸や押入れには家を建て替えた際に整理できなかった遺物が詰まっている、それを引っ張り出してきて分別、廃棄。
何時逝ってもよい状態を目指して励んでいる(笑。
   
先日、2000年富山国体で貰ったはずの記念ポロシャツが見当たらないと書いたが、
ポロシャツの代わりに記念タオルを納戸から掘り出した。
記念タオルと一緒に救助部を一緒に運営した海上自衛隊の隊員から送ってもらったプレミアグッズのタオルも掘り出した。
国体レスキューについては10年程前にここの日記に詳しく書いた憶えがある。
それで断わっておくが、私は決してミリタリーオタクではないから。
■2015.06.23 morning
管理人
納戸に仕舞い込んでいたTシャツ類の”棚卸”していた。
既に忘却のかなたにいっていたものが幾つも出てきた。
記念にここに貼り付けておく。
 
2000年から2002年まで三年続けて国体セーリング競技に参加した、といっても選手ではなく競技役員。
前にも言ったが県セーリング連盟には仕事を4〜5日も続けて休める社会人が僅かしかいなく、私はその内の一人だった訳。
役目はレスキュー専門、最初は一部員で最後はレスキュー部の役員になった。
要は、三年も続け参加した者が他になく、他を押しのけて昇進した訳だ(笑。
写真は宮城県名取港で開催された2001年国体、高知県夜須で開催された2002年国体のスタッフポロシャツ、この年は刺繍のロゴマークが入ったラガーシャツも貰った。
2000年の富山新湊国体にも参加しポロシャツ貰っているはずだが、これは行方不明。
労を厭わず何処にでも遠征した当時は50歳ちょっと、まだまだ若かった。
名取で思うのは国体から10年後、競技会場だった名取市を津波が襲い何もかにもが押し流されている。
それと名取国体は9月8日から11日の開催、台風が襲来し10日以降は中止。
台風で足止めされ仙台駅前のビジネスホテルに滞留した晩、テレビから流れる9.11に遭遇した。
記念ポロシャツ、あれから我が家の納戸に15年ほど眠っていた訳だ。
■2015.06.21 night
管理人
「父さん、それって僕が中学生の頃のTシャツじゃないの」
上の孫娘とお風呂に入り、湯あがりにTシャツ着ていたら40歳の長男坊にそう云われた。
 
TシャツのロゴはYSA (YAMAHA
SAILING ASSOCIAITION) と燕のマークにSeamartin
来月から生活様変わりするので、出張から帰りついた週末、諸々の整理をしていた。
変わると云っても性根は硬直しているので精神構造ではない、着る物。
それで、カッターシャツはワイシャツ数枚を残して廃棄、スラックスも廃棄、ジャケットも全て廃棄・・・・と考えたが、これは春秋・冬物を数着残した。
つまり、忌々しい”勤め人”の着るものは基本全て廃棄。
それで、クローゼットやキャビーは仕舞っていたTシャツやカジュアルウエアーと入れ替った。
Tシャツは出てくるわ出てくるは、数えたら数十枚、そうか昔はこれでも俺は海の男だったんだと再確認。
基本はヘリーハンセンの物、これらは今時の物とは丸が一桁違う、貧乏しててもこれには拘っていたとあらためて感慨(笑。
中にはレア物も、ヨットレースに出た時景品で貰った物や国体の参加で頂いた物などなど、これらはお店では絶対手に入らないのだ。
隣県で催されたヤマハ主催のレースにカートップで遠征した。
この時は艇種別で一位、最初で最後の一位だが、混合レースでシーマーチン艇のエントリーは私一人だったと云う落ちが有る(泣。
そん時、賞品と一緒に参加賞で貰った「シーマーチン」のロゴ入りTシャツ、
もう30年位前だが有り難く仕舞っていた、これを湯あがりに羽織った訳だ。
こんだけ簡単に頭の中も入れ替えできればと思うのだが。
■2015.05.29 morning
管理人
丁度、四半世紀前の写真になる。
クルーザーを購入して間もない、次男坊が小学五年生の頃。
日帰りクルージングの1コマ、隣で息子をサポートしてくれるのは同じヨットクラブの仲間。
次男坊、ティラー握らせてもらって上機嫌。
船を買い求めた頃、皆が家族を連れて海に出た。
最初は勢いで船に乗り込んでくるが、殆どが船酔いで二度と乗るといわなくなる。
妻もひどい船酔いで、船はもう二度と乗らない派。
そんな中で我が息子達、鈍いというか船酔い知らず。
この後、中学に上がる頃にはディンギーを仕込んだ。
簡単に沈するのが楽しいらしく、一夏だけ何度か練習に通った。
何度目かのこと、友達を連れてきていいかと云う。
夏休みの早朝、待合の場所でその友達を拾いハーバーに赴いた。
待合場所、それらしい友達の姿が見えない。
「友達、何処に居るの?」と息子に尋ねたら、
「あそこに居るよ!」と指さす。
辻角に可愛い女子中学生が立っていた。
父さん、息子の青春を手伝ってしまったのだ(笑。
もう四半世紀も前の出来事。
■2015.05.26 night
管理人
帰りのJR、駅で真っ赤に日焼けした同年輩のヨット仲間に会った。
「よう、いい色してるね!」
「海、行ってるの?」
声掛けたら、クルージングの帰りだそうだ。
彼とは国体ヨット競技の運営を一緒した仲。
クルージング中、船で一杯やってたとのことで、車で無く真面目にJRで帰宅中だと云う。
「それで、退職したらどうするの?」
「又、一緒に船やらないか」
有り難い声を掛けて貰った、経験豊富な彼と一緒に海に出ると何かと心強い。
「取り敢えず体力つけないとね」
「それからだね、そん時はよろしく!」
さすがぶっきらぼうに、今後の予定は「NO PLAN」とは云わなかった。
総会が済んだ。
張り詰めていた糸がプツンと切れたような感覚。
後二つ出張が残っているが、これは人様の段取りに乗っかるだけのやっつけ仕事。
その後は「海が待ってるぜ!」、なんてキザなセリフの一つでも吐きたいが、そんな気力は失せている。
帰り際、魂が抜けて、ぼーっと。
帰り着いた家でも、ぼーっと。
独りの夜、ぼーっと。
当分は、ぼーっと。
■2014.05.20 morning
管理人
「放射能、見えるようにしてあげるよ」
そうは云わなかったが、昨日、JUNさんから電話が有った。
「福島へ行くんだってね」
「日記に線量計のこと書いてあったけど」
「貸してあげようか」
JUNさん、久し振りにこの管理人日記を読んだと云う。
「こちらは来月初め南相馬にモニタリングで入るのだけど」
「そちらは何時入るの?」
「予定がダブらなければ貸してあげる」
「それで、送り返してくれればいいから」
双方の予定は出ると入るの行き違いでギリギリ、旅程途中の会津若松から宅急便で返却することにした。
 
船舶中間検査を受けた。
予定の時間に船に赴きオーニングを外す。
検査項目には機関の調子も有るのでエンジンを回す。
「ウヌッ・・、バッテリーがやばい」
船舶なものでバッテリーはメインと予備の二台搭載し何れのバッテリーでもエンジン始動ができるようになっている。
が、片方だけのバッテリーではセルが回らなく”ALL”にしやっと始動出来た。
ソーラチャージャーも付けているのだが、年に数回ではどうしても放電してしまう。
昨年のエンジントラブルの際に仲間が新しい装置を造った。
名付けて「エンジン洗浄システム」
機関は海水を取り込み冷却している、帰港後機関停止をすれば海水は機関内に残留する。
陸置き保管であれば冷却水を抜き、水道水で冷却回路内の塩分を洗浄しサビから守るのだが、私等はそれが出来ない。
そんな状態で10数年、機関内はサビで詰まり、シリンダーヘッドはボロボロに腐食し、大金を掛けてのヘッド交換となってしまった。
ヨット仲間の一人に船舶学科卒がいる。
「海上で機関洗浄する方法が有る」
「ポリタンク一つあれば大丈夫、任せなさい」
そう云って造ってくれたもの。
構造は極めてシンプル、
船底から冷却用海水を取りこむパイプの途中に分岐栓を取りつけ、船底バルブを閉じ海水を遮断し、ポリタンクから真水を取りこむ。
ポリタンクの真水は機関内の巡り塩水を洗浄し船外に排出される。
出来ればこれを大量の真水でやりたいが、船舶学科卒が云うにはポリタンク一つで充分らしい。
「それよりも一番の予防は乗ること、物は使わなければ劣化するだけ」
船舶学科卒さんから厳しい指摘を頂いている。
さあ、次は船舶免許の更新が待っている。
■2014.05.09 morning
管理人
うっかり忘れていた。
昨年末、船舶検査機構から船検・中間検査の通知を受けていた。
車で云えば車検、これを受けないと航行できなくなる。
検査期限は5月末。
昨日、検査料に相当する14900円を郵便局で振り込んだ。
通常なら検査申込書にその振り込み領収書を添えて郵送するのだが、それでは月末まで余裕が無い、
チャリンコ漕いで湾岸にある検査機構まで持参した。
そこで検査日を直談判。
この法人の検査員は大方が国交省の天下り、下手につむじを曲げられるとややこしいからそれなりに下からお願いした(笑。
検査日が決まると、船に立ち寄り法定備品のチャック。
検査ごとに取り替える信号紅炎はネットで注文。
これが二本で一万円程。
車の車検程の費用ではないが、ただでは検査は通らない。
ついでにヨット仲間と船底のメンテの相談。
昨年4月の底洗い、ヒドイ状態なのだ
底洗いをして一年ほどになる、そろそろ船底塗料の塗り替えが必要。
マリーナに予約を入れてやろうということにしたのだが、
共同オーナーの若手二人は土木建築業に携わっている。
「ここのところ猫の手借りても間に合わない」
「仕事も幾つか断り、公共工事の入札も辞退している」
世の不景気を尻目にこの業界は活況・・・・を通り越し大騒動になっているという。
要は、メンテ作業をする時間が無いと云う。
私一人で作業はとても無理、仕方ないからマリーナの職人さんに頼むことにした。
作業料は1フィート当たり確か千円、30フィートだから3万円程。
それに船底塗料が2〜3万円、
ペラ専用塗料が1万円程、
船台レエンタルとマリーナ使用料で2万円程。
ついでに電動の船内水洗トイレが故障しているからそれも直してもらう事に。
何に数回乗ってこの費用、
共同で費用分担とはいえ、今後、年金生活になると考えてしまう。
一日働いたら、早、週末になった。
■2014.03.04 morning
管理人
日帰り出張、片道JRで3時間40分と書いたが往路は4時間オーバーになった。
新幹線への乗換駅近く、乗車していたJR在来線が途中で立ち往生した。
「次の駅で利用客がホームから転落し、けが人が出ております、このまましばらくお待ちください」
結局、立ち往生は15分ほどだったが、乗り継ぎ予定のみずほは発車オーライした後だった。
復路は折角の長時間乗車だから同窓会名簿の整理をした。
車窓の外は真っ暗、下を向いて名簿の小さな文字を追っていると、しばらくして吐き気を催した、
トイレに駆け込んだ。
乗り物酔いは、25年前、初めてヨットに乗せてもらった時以来。
40歳前後だったと思う、初めてクルーザーヨットに乗せてもらった折、出航直後は晴天だったのに、沖に出るとはるか向こうに灰色の雲が。
途中から荒天に変わり、うねりが出、左右前後の揺れに上下の揺れが加わる、ロデオの馬に乗っている状態、それにうねりの山から下るときは大きな船体がサーフィングする。
うねりの底に入ると回りは波の壁に取り囲まれる。
今ならその状態を楽しむ余裕があるが、当時はデッキに居ると、船首が切り裂く波しぶきでびしゃ濡れ、迫る高波に身体が恐怖で引きつった。
途中から安全なキャビンに下りたが、狭い箱の中で混ぜ繰り返される状態。
胃の中の物を全て吐き出すがそれでも吐き気は止まらず、血反吐を吐く、まさにその状態だった。
結局、トイレの中で吐いてしまった。
船酔いには120%の自信があるのに、鉄路の上のJR列車で吐くとは、
歳のせいにするわけにもいかず、どういう言い訳にしようか困っているのだ。
■2013.08.05 morningU
管理人
日曜日、今年初めての熱中症になったと今朝がた書いた、
これでは私が頻繁に熱中症になっているような書き方だが、我が人生で熱中症らしきものはこの日曜日を含め二度しかない。
一度目は20年ほど前、ヨットを始めて間もない頃の真夏の炎天下の砂浜。
当時はヨットハーバーが整備されてなく、ディンギー(ヨット)は砂浜海岸に置いていた。
波打ち際だと高波に持っていかれるので、防波堤の下。
ディンギーに乗るときはトレーラーに乗っけて波打ち際まで引っ張り降ろす。
乗り終わると波打ち際でトレーラーに乗っけてまた防波堤下まで移動する。
砂浜は結構な傾斜がある、波打ち際までは当然下り坂、出艇前は体力もあり元気。
片づけるときはヘトヘトになっているうえに防波堤までは登り坂、しかも下は足をとられる砂地。
40歳の頃、当時のヨット仲間のNさんと
当然、今と違い髪はフサフサとあります(笑)、ディンギーはシーマーチン、ドライスーツでなくウエットスーツなので季節は秋か?
ディンギーをトレーラーに乗せ、渾身の力で引っ張る、その時は手伝ってくれる仲間がいなくて運悪く独りだった。
炎天下、砂浜は日を遮るものは何もない。
砂浜の途中で意識がフワリと薄らいだ。
体中の力がすーっと抜け、膝がガックと折れてその場に座り込んだ。
周りの物が白くかすみ炎天下なのに肌寒い感覚、意識を失いそうになった。
これはヤバイと無意識に思ったのだろう。
トレーラーをその場に放置し防波堤の下の日陰まで、なんとか這って行ってそこに倒れ込んだ。
時間にしてどれ位か定かではないが30分程だったと思う、名前を呼ぶ仲間の声で意識が戻った。
海から後から上がってきた仲間が水を持ってきてくれた。
その時はそれで済んだが、今なら確実に救急車ものだろうと思う。
日曜日、墓掃除の帰り。
フワリと意識がかすむあの感覚は、20年ほど前と同じだったが、
今回は妻が側にいたし、
直ぐにエアコンと冷たい飲み物もあったのが幸いだった。
もう若くは無い、次からは気を付けなくてはと反省。
■2013.04.18 morning
管理人
更に昨日、ヨット仲間から電話が。
「サービスマンから再度連絡があってな」
「シリンダーヘッドの腐食が激しく、冷却回路の清掃だけでは長く持たないそうだ」
「ヘッドを替えるかどうかで見積もりが大きく変わると云われてな」
私、
「持たなきゃ替えるしかないけど、幾らなの?」
「ヘッドパーツで11万円!、それって工賃は別だよな」
「そうか、それならほぼ20万円仕事だな・・・」
「仕方ないか・・・」
「まめに防食用の亜鉛ボルト取り替えてなかったものな」
ヤンマー2GM
マリーンエンジン
思えば、完全リタイアして、まめに船の手入れをしようと思った時もあった。
でも思わぬ再就職で、クルーザーは殆ど放置状態。
ディンギーに至ってはこの二年間触っていないし、
健康なうちにそろそろリタイアも考えなくては。
今朝から週末まで出張へ。
来週は首都圏への出張も。
■2013.04.16 night
管理人
夕方、ヨット仲間から電話が。
「先程ヤンマディーゼルのサービスが来てな、原因が分かったよ」
「エンジンの冷却回路に空気を送って調べたが、通じてないそうだ」
私、
「でも冷却水はスターン(船尾)から放出されてるよ?」
仲間、
「回路が詰まると冷却水を逃がす回路があるらしい」
「つまり、水はエンジンを冷却せずに排水口から放出されていたらしい」
道理でオーバーヒートする訳だ。
エンジンを冷却するのはインペラで吸い上げた海水、つまり塩水。
我がクルーザーは滅多に乗らない、つまり滅多にエンジンを回さない。
冷却で吸い上げた海水がエンジン回路内に長時間滞留する。
この海水による酸化(サビ)を防止するために鉄よりイオン電荷の高い亜鉛ボルトをエンジン内に差し込んでいる。
イオン電荷の高い亜鉛は先に酸化し鉄の酸化を遅らせる、私等はこの亜鉛ボルトのメンテ(交換)をまめにしていない。
もう一つの方法は真水を通水して塩分を洗い出したらいいのだが、それはマリーナ陸置保管で可能な事で貧乏な海上放置では無理。
つまり、エンジン冷却回路内はサビで詰まっていたという訳だ。
前回、何年か前にこの亜鉛ボルトを交換した時、ボルト穴から見えるエンジン内部は真っ赤なサビだらけだった。
だから、この原因は薄々感じていた。
しかし通水しないほど詰まっているとは、如何にメンテを怠っているか。
エンジンが焼きつく前で良かった、焼きついていたら半端な修理代では済まなかった。
速攻、修理を依頼した。
船は車と違って、機関が止まればいわゆる”遭難”、命に直結している。
海でスポーツする者として、反省しきり。
■2013.04.16 morning
管理人
週末、クルーザーを上架し船底メンテを行った。
当日当刻は潮の干きが激しい時期、作業を終えクレーンで船を降ろすとキールが海底につかえる。
吊り上げた時より1m以上海面が下がっていた。
「こんな潮目の時、うちは(キールの有る)クルーザーの上げ降ろしはしてないから・・・・」
マリーナの係員は、私等が潮がこんでくる夕方まで作業すると思っていたらしい。
潮が満ちてくる夕方まで待つ訳にいかないから、可能な限りクレーンを沖出ししてもらって、エイヤで突き出した。
キールが海底をこすりながら何とか降ろす事が出来たが、船の突き出し役に回った相棒は桟橋に。
彼を乗船させるには再度桟橋に近づかなければ、しかし・・・近づくとキールが海底に、つまり座礁する。
「お〜い、泳いで来いよ」、と言いたい気分だったが。
恐る恐る桟橋に超スローで近づき、バウ(船首)から飛び乗ってもらった。
やっと一難去った。
(鋳鉄製のキールの重量は1500Kg、つまり普通車一台が船底にぶら下がっていると思えばいい)
船底のメンテをしたのでさすがに滑らかに走る、機関の音も軽やか。
調子よく20分程走っていたら、水温計のオーバーヒート警告音がピーっと鳴り響きだした。
機関室を除くと、エンジンから煙のような湯気が立っている。
明らかなオーバーヒート、湾内航路だから帆を揚げセーリングするわけにはいかない。
エンジンスローで何とか停泊地に帰り着いた。
相棒と機関室に潜り込む事一時間余り。
冷却水を送り込むインペラーはアッセンブリー交換しているので異常なし、
冷却水も”それなり”に巡回している、
サーモスタットの配線も異常無し、
結局、私等素人には手に負えないと原因究明をギブアップした。
月曜日、ヤンマーディーゼルのサービスに修理を依頼したが、
とにかく、車と違って数をこなさないマリーンエンジの修理はバカ高い、
また出費がかさみそう。
2010年10月に綴ったオーバーヒート ・ドタバタ劇回顧
■2013.04.13 night
管理人
「エッ・・、もう終わりなの?」
「これから底塗りするかと思った」
隣でボート洗っていた兄さんからそう言われた
そんな事云っても塗料用意してないし・・・・、それに二人だけだし・・・ブツブツブツ。

10時前にマリーナに着いた。
上架すると、船底はひどいものだった。
早速ヘラで貝をそぎ落とし、高圧洗浄機で藻や汚れを落した。
二時間程で作業終了、「お先に!」と隣に声を掛けたら、「もう終わりなの?」と云われた訳だ。
この高圧洗浄機、業務用だから威力は半端でない。
水圧の反動を受け止め作業をするには結構体力が居る。
ポートタック(左舷)の半分ぐらいで若い相棒に代ってもらった。
動画録ってたら、ペンキが混ざった跳ね返りで、全身がブルーに。
この船底塗料、決して健康に良くない、帰って速攻シャワー。
鏡を見たら久し振りに鼻先が赤く焼けている。
■2010.07.11 night
管理人
笑うな。
何十年ぶりだろうか、ツイストを踊った。
息が切れ、
一時、動悸が収まらなかった。
ヨット仲間が退職慰労会を開いてくれた。
一次会を無事終え全員で二次会に、私は既にほぼ酩酊状態。
カラオケは何がいいと聞かれ、今は年代でソート出来るというから1965年から1968年頃の曲をリクエストした、
それでツイストリズムの曲が何曲か続いた。
歌えと言われたが、歌は許してくれと断ったら、じゃ〜踊れという事になった。
仲間の奥さんとツイストダンスに興じた訳だ。

16ビートは体がついていけないから8ビートにしてくれと頼むと、
奥さん達は扇子片手にジュリアナのダンスを始めた、殆どラテンのノリ。
皆、私より10程歳下だから年代的にそうなのだろ。
底抜けに楽しかった。
一つだけ引っかかる事が有った。
実はこのヨット仲間の一人(一組)にだけ私の履歴がバレている。
偶然にBSの番組の再放送を見てしまったそうだ。
「**さん、この歌は丁度あの頃、棒持って走り回っていた頃でしょう?」
カラオケの間に微妙な突っ込みが入るのだ。
ここは、もう踊るしかないと思った訳だ(笑。
でも2曲が限界だった。
最後は小百合さんの「何時でも夢を」で締め、
’60年代でまとめてくれたヨット仲間、その気持ちが嬉しかった。
■2010.06.09 night
管理人
出張明けで終日のセーリングだった訳で、
週初めからかなり疲れている団塊親爺なのだ、だからヨットの薀蓄でごまかしを。
機関の部品でインペラーというものがある。
機関から回転力を取り出し、船底のバルブから海水を吸い上げる、
海水は熱せられた機関内部を巡回し、その熱を吸収し温水となって船尾のバルブから排水される。
私等のヨットは(海)水冷のディーゼルエンジン。
このインペラーが破損したり、船底の給水バルブが異物で詰まったりすると機関がオーバーヒートする。
オーバーヒートすると警告ブザーが鳴り出す。
 
5年程前に、この警告ブザーが鳴り止まなくなった。
湾内に入り、帰路を急いでいた時の事。
トラブルの原因は分からなかったが、エンジンがオーバーヒート状態であることは排煙の状態から分かった。
後日点検したら、このインペラが見事に破損していた。
機関をすぐさま停止したが、困った事が発生した。
ヨットを係留しているところまで帰り着けないのだ、要は湾内だったが”漂流”状態。
仲間の一人がセールを上げようと言い出した。
道路交通法・・・じゃない、
海上交通安全法では、航路内では帆船は「帆を減じて航行しなければ成らない」と定められている。
「フルセールでなくリーフ(縮帆)し”減じて”いれば適法!」
仲間の解釈で、航路内をセーリングで航行して帰路を急いだ。
着岸場所が近づくと、船内はパニック。
普通、着岸する際は随分手前から機関を逆進させ、船足を徐々に弱めながら着岸地に近づく。
着岸間際に、機関全開で逆進させ船足を完全に停止させる、これに上手に当て舵すると船体はす〜っと岸に沿う、これはめいめいの腕の見せ所なのだ。
このトラブルの際には、船を減速・停止させる術を無くしていた訳。
仲間内で一番腕のいい者が舵を握った。
着岸地点の風向きを確認すると、岸に寄せる風向き、潮の干満の潮流は殆ど無い。
着岸地点の100m程手前でセールを完全に降ろし、岸と並行で船を滑らせる。
船は惰性で進むが、船足が弱まるに比例して舵は効かなくなる。
舵は効かないが、岸に寄せる風で船は岸に徐々に近づく。
機関を回さず着岸した最初で最後の素晴らしい着岸だった。
この仲間からセーリングのお声が掛かった時は必ず応じる事にしている。
この仲間が乗船するセーリングは、ほんとに気を緩めてリラックスできるから。
■2010.06.06 night
管理人
残念だが生きて還ってきた。
ビール片手、ドンブラコッコのゆりかごセーリングだった訳で。
今日の反省は、腫れあがった両腕。
UVケアを真面目にしていなかった罰。
炎天下、真面目に出張していたせいと、明日、職場では申告することにする。
「**さん、仕事辞めると毎日セーリングですか?」
仲間♀がこう聞くもので、
「毎日はねえ・・・・、せめて月数回かな、いや月一回かな」
「それより、日本丸のような帆船で、海の旅をしたいな・・・」
「どんなに混ぜ繰り返されても、船酔いしない無神経が、私の自慢できる唯一の取り柄だし」
「それに・・・・・、」
「この歳でのセイルドリルはちょっと勘弁願いたいが、甲板磨きなら日々の家事で鍛えているのでね」
■2010.05.13 morning
管理人
仲間が俄然やる気になっているから少しヨットの話。
薀蓄(ウンチク)スタート。
セイルクルーザーを7名で共同購入したのは私が40歳の頃だから、かれこれ20年になる。
「うわ〜、リッチですね!!」
ヨットを持っていると話すと、最初のリアクションは大概こうだ。
所有は勤労者の共同所有だから、そうでないと説明して分かって頂くのに苦労する。
それに世間的には贅沢極まる趣味に映るのだが、実態はアヒルの水かき(水面下は見えないのだ)で、そうでないのだ。
共同所有は大変でしょうとよく聞かれる。
共同という言葉は、一般的には”平等”と同等の意味を持つと思うのだが、
こと私らのヨットについては少し違う。
購入する時は確かに平等に費用を負担したが、その後の維持管理の費用と労役は全く平等ではない。
維持管理について原則的な平等を主張すると、私らの共同所有の継続は多分成り立たないだろう。
何でもお金で済むハーバーに管理してもらっている訳ではない。
日常的なもやいの管理、
台風が近づいた時の対応、
船体、機関のメンテ、
中間、定期の船体検査への対応、
セールクルーザーとは、間断の無い管理が必要な厄介物でもある。
(写真:残念だが私らではない、同艇種のカタログより、風7〜8m程と思われる)
台風や強い低気圧が近づくと大変。
船体は日々紫外線に侵食されているので、デッキにはフルカバーのオーニングを被せてある。
風を受けるセール類やオーニング類は全て取り除きキャビンに収納する。
この船体カバーは分厚いテント地、大人一人がやっと担げるぐらい重いシロモノ。
強風とうねりに煽られても大丈夫なように、もやいと防舷物を調整補強する。
時には湾最深部まで避難してきた漁船が私らの船にもやいを取ることもある。
漁船の頑丈で分厚く重い船体は、柔なセールボートには強烈なダメージを与える事がある。
見張っていて、私らの船にもやいを取らぬ様お願いする。
これを全て仲間の一人がこなしてくれている。
年に一度のペースでハーバーでリフトして船台に上架する。
ハーバーでの(有料)陸上保管ならこれは必要ないが、浮かべて(無料)保管している私らの場合はこれが必須。
船底に貝が取り付いて、これが酷くなるとまともに走らなくなる。
数年に一度は、船底塗料を塗りなおし、キールにはグラスファイバーを巻いて錆から保護する。
ハーバーに回航し、リフトし、作業し、又、係留場所まで戻ってくる、
年間百万円近いハーバー保管料を出せば、この作業もいとも簡単に収まるのだが、そうでないので大変なのだ。
これは主に私ともう一人の2名で作業する。
3年に一度の中間船体検査、6年に一度の定期船体検査。
法定安全装備品、航海灯のバブル等々をチェック交換し、検査料を前納して、船舶検査機構の検査を待ち受ける。
この検査、検査機構のプロパー職員の場合は優しいのだが、
高級官庁の天下り職員に当った場合は大変なのだ、微々細々まで念入りに検査される。
(清水の流し台、冷蔵庫、船体が傾いても水平を保つ利口者のガスコンロが付いている)
前回の定期検査、ガスコンロ用のプロパンボンベの配管が、一部が鋼管でないとの指摘を受け、ボンベの撤去を指導された。
ボンベを撤去した後の証拠写真を提出するまで検査証書を預かると、証書を持ち去られた。
要は、検査に合格しなかった訳だ。
この検査に関しては全て私一人で対応している。
薀蓄終わり(笑。
そういう事で、維持管理で物理的な”平等”を云うのはとても無理な話。
じゃ、お金で平等に分担する手もあるが、作業(労役)をお金に換算する事はこれも無理。
少なくとも代表オーナーの私は、そういう選択はしないと決めている。
出来る者ができる事をする、
出来ない、やらない仲間を謗る事はしないようにしている。
皆で楽しくセーリングできれば、それで良いのだ。
■2010.05.12 morning
管理人
ヨット仲間では私が最年長。
ここ4〜5年、意欲の減退と、歳相応の体力の衰えも加わりセーリングすることが稀になっている。
そんな個人的事情もあるが、一番の要因は信頼できるクルーが皆々働き盛り、彼等から「乗ろうよ」というお声が掛からなくなった事。
そのクルーで、一番(技量が)信頼できる仲間が最近俄然やる気になった。
船のメンテの相談で頻繁に私の職場に訪れる。
長い間、機関を回していなかったので交換しなければいけないパーツが多々ある。
エンジン、ミッションのオイル、ベルト類、燃料とエアーのフィルター、それに一番厄介な防食亜鉛。
機関はヤンマーの2GMだから、パーツは当地のヤンマーの営業所で、
機関のワイヤー、ピン類は、ヤマハのマリンショップで、
仲間とお金を出し合い調達。
休日は日柄一日キャビンに篭り、油まみれのメンテ作業を予定。
ここまでは私の小遣いの範囲で何とかなるのだが、仲間がセールを新調したいと言い出した。
へたっており、風を受けるによいカーブが出なくなっていると言うのだ。
国産の専業メーカー製で20万円程、HOODの純正でヨットメーカーを通すと、恐らくその倍は掛かる。
年金暮らしに突入間際の私には厳しい出費になるのだ。
「別にレースをする訳でないので、当分はこのままでいいではないか」、となだめているところ。
我が身分は、時間と労力はいとめなく提供できるのだが、財力はそういうわけにはいかないのだ。
ところで、防食亜鉛ちゅうもんだが。
船のディーゼル機関はインペラーというパーツで海水を汲み上げエンジン内を巡回させ冷却する、つまり冷却水は清水ではないのだ。
鋳鉄の中を塩水が回るわけだから当然に機関内部に錆が発生する。
しかし、錆が発生されると困るのだ。
そういう訳で、鉄よりイオン化傾向の大きい亜鉛のボルトを、機関内の冷却水が巡回する部分に取り付ける。
すると、鋳鉄よりも亜鉛が先に錆て、エンジンが錆びるのは亜鉛が錆びて無くなった後。
この亜鉛ボルトが無くなる前に交換すると、エンジンにはサビが発生しないという理屈なのだ。
以上、高校の化学(T)の授業終わり(笑。

エンジン内はこれで解決するのだが、厄介な部分がもう一つある。
機関から船底を突き抜け海中へ出ているプロペラシャフト。
このシャフトにも防食亜鉛リングを取り付けてやらねば成らぬ。
一番簡単な方法は、水中メガネを付けて素潜りで作業する事。
これは20〜30代の元気のいい奴なら現実味があるが、還暦前後の輩には到底無理。
ハーバーで吊り上げてもらわないと出来ないのだ。
これも近々の作業予定、
しかし、一瞬のリフトだけで4000円も取られるのだ(泣。
■2008.10.11 night 管理人
最近、ご縁ができた方からメールを頂いた。
そのメールは次の言葉で括られていた。
>この話をしないと、なぜ私が日大闘争を闘い、その経験に向き合って、その後を生きている皆さんの生き方やことばに惹かれるのかを理解していただけないような気がずっとしていました。
それ以上はプライバシーに触れるから書けないが、読む私の胸が痛くなるようなものだった。
私だったら潰れてしまいそうな辛い経験。
私等が語る経験が、それほど重い生き様と共鳴しているとは思いもしなかった。
何なんだろうと考えながら今日は車を運転していた。
利口に立ち回れなく、
上手に整理できず、
不器用に生きてきたこと、
そんな生き様が、もしかしたら共鳴したのかなと思った。
  
前を走っていたツーリングバイク、
路肩を歩いて旅している人にその都度手を振っている。
前方からくるツーリングバイクにピースサインを出して交差していく。
信号で止まった時にワンショットと思いデジカメを取り出した。
バックミラーで気が付いたのだろう、さりげなく後ろの私のピースサインを。
信号が変わると、轟音と共に走り去った。
地味な服装だったが、こういうのを私は格好良いと思うのだ。
少し回り道をして、ディンギーを置いてあるヨットハーバーへ。
昨年夏から乗っていないので一年以上放置してあることになる。
トレーラーのタイヤは両方とも見事にパンク。
放置の”刑”で、アンカーにきつく縛りつけられていた。
■2008.01.02 morning
管理人
「ボチャン・・・・・」
真っ暗闇、携帯電話の明かりでドアを開錠しキャビンに降りた。
マリンブーツに、一瞬、浮力が働く。
底板が海水で一部浮き上がっている。
「おかしいな、先日入ったときは何も無かったのに」
同乗したクルーがいぶかる。
「取りあえず機関回して、排水と原因確認を」
日の出は待ってくれないので、時間との勝負になった。
ビルジ(船底に溜まった水)ポンプのスイッチを入れるが反応がない、ポンプの電気系統にも不具合が。
手動ポンプとバケツの二組に分かれて排水作業、これにあれこれ30分。
エンジン系統、トイレ系統、キッチンユニット系統の給排水、キール周りをチュエックするが漏水の兆候は確認できない。
「まあぁ・・・いいか、面子も居るし、いざとなりゃバケツだ」
日の出を迎えるベストポイントまでは湾内を機走して1時間はかかる、気は焦せるばかり。
潮は小潮、満潮時にやっと出航となった。

この後、もう一つトラブルが。
船足を急ぐ仲間が航路をショートカットした。
突然、「ゴォ・・・」という音で船が停止、
つまり・・・座礁なのだ。
普段は通らない進路、周りは真っ暗闇。
潮位が上がってくる時間帯なら、コーヒーでも入れてゆっくり待てば離脱可能だが、潮はその反対。
全員が船尾の片側に移動、舵を当てて機関を後進、エンジンが悲鳴を上げながら船体がゆっくり回転。
直角三角形は斜辺が一番長い、船を傾ければ傾けるほど海底は遠くなる、ゲストの体重を利用させていただいた。
この作業に5分程。
”待てば海路の日和あり”
この一年、こんなんかな?・・・・・・
湾外にやっと出た頃、水平線が茜色に染まりかけていた。
■2007.12.31 night
管理人
コイツを着るのは一年ぶり。
全国的には余り良いお天気ではないとの事。
初日の出が拝めるのは、ほんの一部の地域だけだと予報。
まあぁ・・・いいか、キャビンで夜明けのコーヒーだ。
1月6日のBS2チャンネルで日めくりタイムトラベルの総集編があります(とある筋から)。
43年(1968年)は日大全共闘を取り上げてくれるということ、
10月に番組を担当したディレクターさんではなく、別のディレクターさんがハサミを入れる(編集する)そうです(とある筋から)。
このディレクターさん、10月の番組見て、
「JUNさんのファンになった」と風の便り。
勿論、凄腕女性ディレクター(と思う)。
きっと、JUNさん”主役”だわ(笑。
明日は三時起き、悔しいから早々と寝ます。
■2007.05.29 morning 管理人 wrote
「貴方、いい加減に手放したらどうですか・・・・・」
”いい加減”という所に力が篭っている。
先日、マリーナを管理するNPO団体にウン万円の年間保管料を払い込みに行っていったところだ。
妻の指摘は、私の体力よりも、費用対効果がゼロのウン万円の支出を指しているようだ。
 親切にレポート頂いた現状
昨日、親切にもヨット仲間が”惨状”をメールでレポートしてくれた。
マリーナでの放置状態が一年余りになるMyディンギー。
オーニングはしっかり掛けたままなのでボディーはそれなりなのだろうが、
トレラーのタイヤは無残にもペシャンコ。
このタイヤ、一輪車ほどのサイズだが、乗用車並みの価格(泣。
乗らないのだが、手放すとなると話は別。
私の元気だった時代が二度と戻らないような気持ちに襲われる。
my favorite songs 入れ替えました
■2007.05.10 morning 管理人 wrote
珍しく職場にヨット仲間が訪ねてきた。
「連休乗りたいと思っていたんだけどね・・」
色々と気忙しいことが有ったようで、まま成らなかったらしい。
「声を掛けてもらったら乗ったのにね」
お互い、後の祭りの話。
彼は幾つか年下だが、ヨットのセンスと技術は私の師匠。
クルーザーの操船は彼に教えてもらったといっても過言ではない。
最近は珠に出航しても彼と二人の場合が殆ど。
強風波浪注意報下に出航し、死に目に会いそうになった時も二人だった。
生き死にを共にしたといったら言い過ぎか(笑。

二人で乗った時、彼はさりげなくスキッパーを私にさせてくれる。
スキッパーとは日本語で”艇長”。
セールの張り具合、シート(ロープ)の操作をさりげなくアドバイスしてくれる。
団塊オヤジは人に指図されても素直に聞かないのが特長なのだが、
海の上はある意味で命を張っている。
私は海の上では実に素直なのだ。
■2007.02.24 morning 管理人 wrote
「貴方、何とかしてください」
聞けば、職場のIDカードに貼り込む写真が気に入らないと云う。
人事が示した写真を指して
「嫌だ、こんなおばあちゃん」
私は紛れも無く本人だと思うのだが。
「貴方が撮った写真で良い物を探してください」
今月末の影像の提出期限を前に、妻の要求に応える必要が生じている。
私の作品の大半は花や海、かろうじて息子達のそれで占められている。
妻の鮮明なショットはごく僅か。
「貴方、写真の”加工”は自由自在と言ってましたよね」
「フォト・ショップを使えば出来ないことはないが・・・・」
「それより、写真館に行ったら」
「納得いくまで”要求”に応じてくれるよ」
「でも高いのでしょう・・・・」
ハードルの高い要求に私は困っているのだ。
春一番、ヨットレース・エントリーへの案内が届いている。
3月中旬、毎年催されるスプリング・カップと称されるレースだ。
春の風は気まぐれ、風軸はころころ変わり、時として突風が舞い込む。
モスキュート級のウエイトと拙いテクニックではスタートラインに艇を落ち着けるだけでも至難の業。
カートップで馳せ参じる
近年はレース運営の裏方に回っていたのだが、
仕事の繁忙と、転げ落ちる体力の低下でそれも遠ざかっている。
スイミングを始めて一ヶ月、もう少し泳ぎこんで夏場から復活を期そうと思っている。
現在はシーマンではなくプールマンなのだ(泣。
■2006.09.10 night 管理人 wrote
起きると足腰が痛い、それでも朝からの作業に起動。
昨日交換したマストトップの航海灯が点灯しない、船内の配線を点検。
上架し地に着いているので細かな作業も楽だ。
海の上で細かな作業をやると、慣れない者は直ぐにひどい船酔いに見舞われる。
マストが船体に入ったところのコネクターを分解すると、中は塩まみれ。
ここには潮水が入るはずが無いのだが、塩分で配線が完全に食われている。
一年余り、乗らずに海に浮かんでいたのだから塩分が付着したのだろう。
結局パーツがなくて完全修復は後日に。
昼からは仲間が交代してくれ、泊地までの回航を任せて引き上げてくる。
少し疲れた。
陸上でしか撮れないアングル、気に入っている
■2006.09.09 afternoon 管理人 wrote
デッキに降りて来ると脚がワナワナと振るえて止まらない、ビビッているのではない。
マストトップにいたのは40分近く、航海灯の交換に手を焼いた。
用心のためメイン・ハリヤードとジブ・ハリヤードの二本立てでマリーナの職人さんにマストトップまで吊るし上げてもらった。
時折の風で体がマストから離れようとする、マストに絡ませた足に力が入る。
  
前回マストに登頂したのは2年前、つくづくと体力の衰えを実感。
筋肉痙攣で震えが止まらない、喉はカラカラ。
船底は思ったほどの惨状ではなかったが、ドライブシャフトの防食亜鉛は溶けて影も形もなし。
「お客さん、この船よっぽど走ってないのだね!」
帆走すれば自然に剥がれ落ちる船底塗料が、この船の走行履歴を如実に語っているのだろう。
仲間の皆は忙しいらしくて、独りぽっちの作業が少し寂しいのだが、
最年長のハーバー・マスターの任と責だけは果たさなくてはと、早朝から昼過ぎまで。
塗料塗りとペラのメンテのメイン作業は職人さんに任せて、体と足を引きずりながら帰ってきた。
■2005.9.26 morning 管理人 wrote
お彼岸の3連休、台風の到来や、涼しい風にめっきり秋を感じる。
季節を感じ始める時期ってのはいいものだ。
寒の緩み、強烈な日差し、そして顔に涼しくあたる風。
以前はこの時期、ひっきりなしにロング・クルージングに出かけたものだが。
どんなことでもそうだが、優雅なクルージングでも裏方は大変だ。
備品の保守、艤装のチェック、ワッチ(監視)、トラブルへの警戒と対処。
日常のメンテと航海の準備、そして後始末、これが苦と感じ始めると趣味としては続かなくなる。
残念だが、最近それを感じるようになってきた。

ヨット仲間がこの連休に、私のディンギーを使いたいとの連絡。
当日は庭木の手入れに余念がなかったが、脚立の上にも5mオーバー、いやそれ以上のブロー(突風)がひっきりなしに入ってくる。
海上は陸上の2倍と思ったら良い、大丈夫か心配だったが昼過ぎメールが入る。
「うねりと風で今日は中止した」。
賢明な判断だ、遭難者が出なくて良かった。
もうすぐホームページを開設して2年目になる。
ホームページの本文は2週間ほどで書き上げた。
30数年の思いは溜め込んでいたが、書き溜めていた原稿は何も無かった。
元々悪筆に筆不精、パソコンが無ければ不可能だったと思う。
キーボードで思いついた事を早朝・深夜も打ち続け、それを時系列で分割・編集した。
アップロード2年目、そして37年目の9月30日が来る。
■2005.2.28 morning 管理人 wrote
春うららの暖かい朝。
6年に一度の船舶定期検査で”整備不良”、
年齢18歳のマイシップが”不合格”の憂き目。
マスト灯が切れていることは確信犯で受験したが、
船首、船尾灯まで切れていて、言うこと無し。

「検査証はお預かりします」
「整備が済んだら、証拠物件を揃え取りに来てください」
「・・・・・・、分かりました」
18歳なのでアッセンブリーの交換に成るだろう、
マスト、船首、船尾、合わせて3〜4万の出費。
■2004.12.16 night 管理人 wrote
耐用期限間際のポンコツ車がエンストである。
現場の応援に繰り出した初日、朝一番にエンスト。
腰に違和感が走った、「来たな!」と思ったが。
10分後には立ち往生。
同僚に代替を頼み整形外科医院へ、腰に注射2本で激痛は取れたが。
立ち仕事は無理と、おめおめと帰宅。
夕刻、鎮痛の注射が切れるとまた時折激痛が走る。
この繁忙期に申し訳ない思いで、シュン太郎。
妻が帰宅すると「貴方、来春からスポーツジムに通いましょうよ」
彼女は週一回、テニスと筋トレにマメに通っている。
筋トレなんてと、プライドだけ高いヨットマンは馬鹿にしていたが。
妻の指揮下に入る事も考えなくては、と真面目に受止め。
昨日、ヨット仲間が”初日の出セーリング”を誘いに来ていた。
仲間は準備にマスト灯の取替えや、ビルジポンプの不調を整備してくれている。
二年続きで真面目に大晦日を過ごしていたので、久しぶりと思うが体力に自信がなかった。
出るか出ないか言葉を濁していたが、この腰はかなり鍛えなおさないと他のクルーに迷惑掛けそう。
冬の海は、陸上と違いかなり過酷、予想以上に体力を消耗する。

他のクルーザーのヨット仲間は、大晦日からの酒盛りから始まる。
日の出までは殆ど徹夜で飲み、海に繰り出す。
ユラリユラリ、波に揺られてキャビンで飲む酒は格別である。
年によっては、夜露が甲板で凍り付いている事もある、それにまともに当たる風、生半可な寒さではない。
暖房?、クルーザーにはそんなものは無い、ひたすらホッカイロと厚着で切り抜ける。
やっぱり、今年もコタツで除夜の鐘だな。
■2004.8.22 morning 管理人 wrote
ダイジェスト版ながら、オリンピックレースを初めて見せていただいた。
セーリング470級、銅メダル!!!
お蔭で、普段は絶対に放映の無いヨットレースがVTRながらBSであった。
メダルを取るとこうも扱いが違う。
でもアナウンサーはルールを解説するので精一杯、内容は今一盛り上がりに欠けていたが。
私は30才台からヨットを始めたので470艇には乗った事がない。
社会人では学連(大学のヨット部)上がりの方なら経験があるだろうが。
この新艇は高い、200万円オーバー掛かるし、レース仕様のチューンアップをしようとすると湯水のように金が掛かる。
私のレーザー級艇と違い、この艇は大学か企業のクラブでないと維持できないレーシング艇。
最終第11レース、アメリカとイギリスの”マッチレース”の場面の放映があればもっと面白かったのに。
最終レースは、ポイントの関係で両国は順位に関係なく先にフィニッシュした方が金メダル、レースの中では全く別個の動きをしていた。
他のレース艇は全く関係無しに、2艇だけで相手を押さえ込む”マッチレース”を展開していた。
マッチレースはある意味面白い、技術に裏打ちされた駆け引きの塊のレース方式。
特にヨットレースでは、如何に相手を押さえ込むかで、ルールで許されるあらゆる手段を使う。
相手の反則を誘う仕掛け、時には観覧艇や審判艇をも利用し相手の進路を塞いだり、風のない所へ追い込む。
ルールが分かっていると非常に奥の深い、面白いレースなのだが、如何せん中継が無い。
■2004.8.22 morning 管理人 wrote
海に着くと予想外の晴天、既に仲間2人が艤装に掛かっていた。
10時ジャスト出艇、前週よりは足を伸ばし隣の隣町まで。
40才台の頃は、ディンギーの乗るといえば”レース形式”のセーリング。
如何に速く走るか競うセーリングが主だったが、今は流すセーリング。
風と波との駆け引きだけで精一杯だ。
南東の風、海岸沿いにやや後ろからのアビームで快調に1時間で目標の海岸の建物の前まで着いた。
途中防水ケースに入った携帯が鳴る。
昨晩、もっと広い会場を当たって見ましょうと言って下さった方からだ。
セーリング中、直ぐには出れない。
艇を風上に立て、風を逃がしながら慎重に携帯を取り出す。
返信電話を掛けると、「**教組です」と応答。
うわ〜ヤバイ!、ここって共産党バリバリの巣窟。
ついでに自画撮りを一枚。
1968年7月8日にバリケードストライキに突入した。
日大理工学部の民青のメンバーも一緒だった(らしい)。
7月終わり、彼らは理工学部一号館バリケードから総退去した、多分他学部も一緒だろう。
別にそれに関しては恨みは持っていなかった、私(達)にとって許せないのはそれからほぼ1年後だ。
バリケードを終われ、授業再開の攻勢が始まり私達は厳しい立場に追い込まれていた時期だ。
授業再開を推し進めてくる大学当局の後ろに、奴ら日共・民青はいた。
私(達)が血を流して勝ち取ろうとした”民主化”を、授業を再開し話し合いで進めて行こうと主張し授業再開に積極的に加担した。
そして、この間の運動の成果は、日共・民青が勝ち取ったものだとのたまわった。
1月足らずでストライキを撤収し、何万もの日大生が参加した集会、デモ、大衆団交にも一切出てこなかった奴らが「運動は民青が勝ち取ったもの」だと、どの面下げて言ったのだ。
単純な私には、許せることと、許せないことがある。
■2004.8.14 night 管理人 wrote
マリーナに着いたのは午前10時、少し出遅れた。
夕方からお盆の法事が入っている、タップリ海を楽しもうと思っていたのに寝過ごしてしまった。
艤装も急ぎ海に出たのが10時半、南東の風を受け西へ西へとアビームで海岸線に沿いセーリング。
舟足を伸ばすこと45分マリーナの隣町まで、距離にして3Km足らずだが.
引返して往復1時間半のセーリング、デンギィーはクルーザーと違い結構体力を使う。
風を逃がしながらデンギィーのキャビンから携帯で、舵を切り間違うと”水没”
マリーナに上がり少し時間があったので、いつもの飯屋で昼飯を。
いつもの通りキリンラガーをコップ二杯、オヤジはこれがたまらない。
帰路は飲酒運転だろう?・・・・・、これがそうでない。
炎天下、後仕舞いに小1時間、セールを収め船体を洗っていると吹き出るような汗。
少々のアルコールなんぞ、少しも残さず吹き飛んでしまう。
帰路は高速をかっ飛ばし、我が家に2時半着。
シャワーを浴び、服を着替え妻の実家の法事へ。
体も時間もタイトな一日だったが、火照る体が”もうすぐ56歳、年の割りに頑張ったなあ・・!!”
アビーム:セーリング用語で艇の横から風を受けて走る帆走。風上に帆走するのはクローズドホールドという。
■2004.7.25 morning 管理人 wrote
昨日は珍しくボランティア抜きで自分のためにデンギィーに乗る。
クルーザーはボチボチ乗っているがディンギィーはほぼ三年ぶり。
昨年の今頃は50肩の絶頂期、日常生活にも事欠いていたが。
左肩も何とか不自由せず動かせるようになったようだ。
**さん以前と変わりませんよ!
海上であったヨット仲間にこう声を掛けていただいた、うれしい。
風は微風の南風、ときおり2〜3mに上がる。
ハイクアウトすると簡単にヒールがつぶせる、軽量の私には限りなく心地よい風力。
イメージ 管理人ではありません
昼飯は海水浴場近くの”飯屋”へ。
海水浴場にはおしゃれなレストランも幾つかあるが”飯屋”でキリンラガーの瓶ビール、ここらあたりがすっかりオヤジだ。
飯屋からマリーナへは1kほど、途中のレストランでカキ氷を、隣席にはまぶしい水着のお嬢さんたち。
やっぱり夏は海だな。
昼からは矢張り体力不足、少し沖だししたが適当なところで帰港。
後始末の体力も残しておかなくては、以前後始末で熱中症になりかけた経験がある。
炎天下、遮るもののないディンギィー置き場での後始末は艤装の解除から清水の洗艇まで1時間ほどかかる。
セールの格納には結構な体力がいる。
この体調だとこの夏あと何回かは来れそうだ。
■2004.7.19 noon 管理人 wrote
暑いので気晴らしに庭中に散水した。
立ち木にも勢いよくホースで水を浴びせかける。
木の葉からポタポタと水が落ちてくると、通る風も心なしか涼しい。
南側の立ち木には慎重に水をかける、通行人に掛かると大変だ。
我が家の両サイドは幸いにも住居が隣接していない。
一方は公務員宿舎の駐車場、少しぐらい枯葉が飛んでも、散水が飛んでも気に留めない。
もう一方の隣家、敷地は200坪も超える宅地で我が家との間に100坪以上の空間がある。
お蔭で、隣家との境界で気を使った事がない住環境。
夕方5時も過ぎて庭中に散水すると風に冷気を感じるが、さすがに昼下がりは殆ど気休め。
それに日中の植物への水遣りはかえって蒸散作用で草木が弱るらしい、反省。
駐車場に干していたセールもボチボチ乾いた。
水に浸していたライフジャケットやブーツもそろそろ潮が抜けた頃だ。
ヨット体験試乗、最後に乗せた24〜5才の若い女性。
海水浴場を出る頃、5分ぐらいで既に顔が蒼褪めている。
少しうねりがある、どうやら船酔いらしい。
防潮堤から少し離れたところまで出てから、「じゃあ艇を倒しましょう、海に入ると気分が戻りますよ」と言って強引に”沈”を実行。
海にドブンと落ち、這い上がってきたら少し楽になったようだ。
しかし、このままセーリングはとても無理と判断。
「舟からロープを垂らしますので、海に入って掴まっていてください」
海が安全な時はこれに限る。
艇は若い女性の大きな錘を引っ張りながら帰還した。
さあ、明日からまた仕事だ。

■2004.7.19 morning 管理人 wrote
強烈な太陽と、砂浜の照り返し。
かろうじて仮設のテントが直射日光をさえぎり、居場所を確保している。
ヨット体験試乗の受付コーナーには、いつもの見慣れた顔が並ぶ。
今日一日私の体力が持つだろうか・・・・・。
「父さん、サンオイルを持ってるかい?」、
次男坊が私に尋ねた。
この日差しでサンオイルなんて冗談じゃない、のん気な事を言っている。
「今日はサンオイルでなく、サンスクリーンのUVクリーム!」
次男坊は、「今日はすこし焼けたいの」との弁解。
次男坊はD大の新聞学専攻を卒業し、就職活動をして数年になる。
意固地に新聞社や出版業界を受け続けているが、なかなか芽が出ない。
教授に「ゼミの中でマスコミに拘り続けているのはお前だけだ!?」と、褒められたのかけなされたのか分からないがそう言われたらしい。
長男とは違う”しぶとさ”を持っているが、如何せん結果が出ない。
「面接で日焼けした顔は印象が良いだろう」、と言うのが次男坊の弁。
ああ!、そういう計算だったのか、
だから、久しぶりに海に一緒に行くと言い出した訳だ。
それでも親子三人の海は楽しい
次男坊は、UVクリームをほんの申し訳程度塗り、海にプカプカ浮かんでいる。
父さん母さん、兄ちゃんも当分お前さんのバックアップするからな。
■2004.7.19 morning 管理人 wrote
>あなたも帆船に乗れます!大阪市が建造・所有する帆船「あこがれ」は、1994年から広く一般市民の方を乗せてセイル・トレーニングを行っています。日本各地はもとより、グアム・フィジー・ニュージーランド・オーストラリア・インドネシアへ航海、そして2000年の世界一周と、これまでに地球を5周半以上航海したことになります。
Sail Training Ship AKOGARE
ホームページより転載
夢のような話を聞いて、鳥肌が立ってきた。
県の教育委員会に勤める昔からのヨット仲間が、ヨット体験試乗会にプラリとやってきて空いてるディンギーに乗る前にこう話した。
「今知事まで行く企画の稟議書で、青少年の教育の一環として大阪市が建造・所有する”あこがれ”を自県でも実現したいと訴えている」。
現代の「海援隊」だ。
実は私も「日本丸や海王丸」のような帆船に乗ってみたい夢がある。
それもゲストでなく、チャントしたクルーで挑みたい。
「先生(彼は教職なので)、それは良い、夢があって無条件で良い」
とりあえず今はこの”先生”に頑張っていただこう。
大型帆船を支えるには停泊港や保守のインフラや、クルーをはじめとするスタッフなど大きな裾野が必要で、並大抵では出来る事業では無いだけに”夢”がある。
私の県の知事は何事にも意欲的だ、にべもなく却下する事はないだろう。
楽しい”夢”だ。
大阪市所有帆船「あこがれ」
■2004.7.15 morning 管理人 wrote
暑い、暑い、とにかくモーレツに暑い。
夏はこうでなくちゃ。
家を建て替えたときに、車庫スペースをコンクリート張りにしている。
以前、我が家はうっそうとした”森”状態。
色んな虫に悩まされながらも、夏は結構涼しい家だったのに。
僅かなスペースだが、このコンクリートの照り返しは結構きつい。
都会は町中がこんなんだろうな・・・、お気の毒さま。
今度の休日はマリーナのある海水浴場のフェスティバル。
恒例のヨット・シーカヌーの体験試乗のボランティアにお呼びが掛かっている。
これがまた暑い、とにかく暑い、一昨年は危なく熱中症になりかけた。
パンツにライフジャケット、ゲストをキャビンに乗せ私は前部甲板に跨る。
青い海に真っ白なディンギー、絵になるがとにかく暑い。
私の愛艇シーホッパーU
ディンギーはいとも簡単に沈(転覆)する。
私の持論は、「ディンギーは沈起こしの体験から」。
若いゲストだと、私は必ずこの”沈起こし”を体験していただく。
後で聞くと、皆が「沈起こしが一番楽しかった」と必ずおっしゃる。
要領は実に簡単、マストの上部を持って片方に体重を掛ける。
船はみるまに傾き横転する。
この時、乗員は見事に海に放り出される。
ヘタをすると横転したセールが上から覆いかぶさってくる、こうなると危険だ。
事前に、放り出された際の対処方法とリカバリーをしっかり教授させていただいてから実行する。
いくら事前に言っておいても、実際はパニック。
若い方はキャアキャアと実にこのパニックを喜ぶ。
海岸から何百メートルも離れた沖合いで、海に入る(落ちる)経験は貴重だ。
こうやって怖かった海が、船が身近なものになっていく。
頭も薄くなっているので帽子と、UVクリームを用意しておかなくては。
■2004.7.11 afternoon 管理人 wrote
もうすぐ梅雨明けだそうだ。
夏が来〜れば思い出す♪、「平和行事」
何故、春や秋、冬でないのか。
米軍が無差別兵器を我が日本に使用したのが夏だからだろうか
真夏が敗戦記念日からなのか。
日本人の戦争への思いが夏に”凝縮”しているのか。
それとも役人の段取りが行事化してきたからだろうか。
私はへそ曲りだから”行事化”した事は好きでない。
私の夏は人並みに海だ。
ヨットを始めてかれこれ20数年になる。
30才半ばに始めたヨット、上達は既に遠の昔に諦めた。
それより楽しむ事、それが目的。
その間国体も経験したが、クラブ内では年長者故に色んなお役が回ってきた。
ヨットは見た目の華やかさのため、海の色んな行事にお呼びが掛かる。
4〜5年前にあった話。
ヨット連盟の公式レースの観覧艇にボランティアで動員され、ティラー(舵)を握っていた(つまり船長さん)。
観覧に乗ってきたのが、国際交流員をしているというイタリア娘2名、通訳らしい女性はそれじゃといってソソクサ下船した。
30分もレースを観覧していたろうか、こちらは英語は少々でもイタリアンはまるで不可。
身振り手振りももどかしい。
船上は照り返しもあり見た目とはまるで反対、猛烈に暑い。
一人の娘が盛んに何やら私に訴えかける。
もう一人の連れの娘が彼女に「oh crazy!」と返しているのだけが分かった。
ヨットは浜の海水浴場まで2〜300mの位置。
どうやら海に入って泳ぎたいと訴えている。
船長さんの返事は、当然「no ! 」
すると彼女はライフジャケットを指差し貸せというジェスチャー。
やにわに彼女は着ているものをその場で脱ぎだした。
上着にパンツ、当然下はTシャツの様な下着にショーツ姿。
ライフジャケットを付けてスターンから海にザブンと飛び込んだ。
連れの娘は、両手を上げて「oh crazy!」という例のジェスチャー。
船の周りを無邪気にキャッキャッ喜びながら一時泳ぎ船に上がって来た。
船長はバスタオルを持って待機したが、ラテンのノリには脱帽。
ピッタリ濡れた下着姿はご想像に任せる。
選挙は済ませたよ。
■2004.6.27 night 管理人 wrote
文章を書く力が”読書量”に比例しているとしたら、私は最悪だ。
著者を評する記事の中に必ずあるのは「・・の頃、ひたすら・・を読み漁りました」とか「・・全集を夢中で読破しました」という言葉。
私は書物をまともに読んだ記憶が無い。
影響を受けた著作も無い、飾ってある書物はあるが。
当ホームページの本編を何故もっと書かないのか、という問いかけも受けている。
本編は1〜2週間程で一気に書いた。
”思い”はそんなに長く書けない。
斬った張ったの話題は出来るだけ避け、当時の思いを主に書いている。
今、文章力の無さに悩んでいる。
一気に吐露した”思い”を整理し、考え方にまとめようと思った途端に書けなくなった。
この歳になっても自分の考え方を上手く表現できないのは、読書量が足らなかったのか。
それとも基本的なIQが足りないのか(そうだろうなあ)。
私のアイデンティティーとなったものが、私のIQレベルではまとめ切れない経験なのか。
今でも、啄木の「ココアのひと匙」が好きだ。

■2004.6.10 afternoon 管理人 wrote
今週も残すところラスト一日。
ヘタリは水曜日が頂点だが、木曜は「今週も残り一日!」と体に言い聞かせ踏ん張る。
昨日はトラブルに見舞われ残業が深夜まで。
でも帰ってみると息子が遅い夕食をとっている。
残業常連の息子と夕食を共にするのは久しぶりだった。
my eldest son
at marina
思い出すに、私の20〜30歳台は週休二日なんてのは都会の一流企業ぐらい。
でも今のように、深夜に及ぶ無制限な残業なんて余り無かった様に思うのだが。
規制の効かない違法な長時間の残業と週休二日、中小企業と大企業とを区別する要素でもない様だし。
土曜日の半ドンは凄い開放感、サタデー・ナイト・フィーバーなんて今や死語だよな。
明日は待ち遠しい金曜日。
■2004.6.6 noon 管理人 wrote
昨日は、ヨットクラブのNPO化に向けての総会。
地元有志や首長も理事にすえ、後は県知事に申請するところまで来た。
設立準備に汗をかいた方々に感謝。
総会後はマリーナ周辺の清掃活動とシースポーツイベントのボランティア。
NPO化による珍しい地域起こしという話題性もあり、ありがたい事に県知事も顔を出し、真面目に1時間余り清掃にご協力いただいた。
清掃が終わると、シーカヤックとディンギーの体験試乗会。
知事は秘書とシーカヤックに挑戦、結構飲み込みが早く器用だ。
ディンギーはいかがですかと仲間が勧めたが、今日は・・・と尻込みされた。
出艇と着艇をサポートさせていただいた。
帰宅すると腕と顔が真っ赤に焼けている、海に出ないのでうっかりUVケアを忘れていた。
今日は、朝から地区の一斉清掃。
早くから目覚めたが、昨日の清掃作業で腰・腕が既に痛い。
今年からご町内の衛生委員を拝命している。
リタイヤしたら、地域の”お役”も引き受けなければと思っていたのだが。
何故か現役の今から、地域の誰もが嫌がると聞く”お役”を引き受ける羽目に。
定年で時間をもてあました隣人も多く居るのに、少し不公平だと思うが。
コム手袋に、ゴム長靴、首にタオルを巻いた正装で6時半に出陣。
軍手にタオル、スニーカーに作業用ヘルメットとくれば35年前の必須アイテムだが。
今日の住民総出の一斉清掃は、町内会長と共に衛生委員の私も指揮官の役回り。
全共闘では一兵卒で突撃兵だった私が指揮官だ。
町内を流れる小川に降り立ち川底浚え、ここは普段から住民が綺麗にしており30分で目処が。
町内の児童公園には沢山の方々が、草むしりに側溝浚え。
ご町内を一巡し、ウム!全て順調。
ダンプが最後のゴミを回収し終えるの見届けて、お役目終了。
二日続きの清掃奉仕、明日の仕事が心配だ。
■2004.5.1 night 管理人 wrote
今日は一日マリーナで船の手入れ。
上架するのは一年ぶり、船底はひどい情況だろうなと思っていたが然程でもなかった。
それでもスクリューとシャフト、ラダーの先には”ひし”と呼んでいる貝が取り付いていた。
スクリューは貝が付着すると致命的、途端に走らなくなる。
この連休中クルーザーを出す予定が入った。
沢山のゲストが乗り込んでくる予定。
やはりセールクルーザーは海面を滑るように走らなくては、折角のゲストに申し訳ない。
船底の清掃が済むと海に下ろし、機関のメンテ。
エンジンオイルとギヤオイルを交換。
ジェネレーターとウオーターポンプのベルトも要調整。
これは車と違いそう簡単にはいかない。
マリンエンジンにはオイルのドレンコックなぞは無い。
手製の灯油ポンプを改造したものでエンジンルームに頭と腕を突っ込みひたすら抜き取る。
仲間がビールを差し入れてくれた。
一休みして冷たいビールを飲む。
再度オイルと格闘、ビールも入り波に揺られて気持ちよく、手元が定まらなくなる。
このビールで作業がかなり遅れた。
最後はデッキ、水を掛けながらブラシでゴシゴシこする、青い海面に白いデッキが冴える。
さすが我が愛艇、と悦に入って更にゴシゴシ。
とりあえず諸々のメンテは完璧。
海は危険と隣り合わせ、ゲストを迎えるときは特に念入りにやる。
5月4日の予定だが、その日は全国的に雨模様。
うねりが2mを越すと、ゲストの殆どの人が船酔いになる。
そちらが今から心配だ。
帰ってくると腕が早真っ赤に日焼けしている。
■2004.2.19 morning 管理人 wrote
自衛隊
このご時世のイラクの話ではない。
かつて私の県でも国体が開催された。
国体ヨット(現在はセーリング)競技は海上自衛隊の全面的な協力を得て開催されている事知っていますか。
ヨット競技は競技役員(純粋にレースを運営するスタッフ)が200〜300名、それに通信と気象観測、救助(レスキュー)を応援いただく海上自衛隊の方々が150名前後加わって国体ヨットレースが運営される。
私の県では日頃ディンギーヨット(国体に使用される小型ヨット)に乗っている人口はその当時30名もいればいい方。
クルーザー乗りも含めても、ヨット業界の県内人口は50名前後という極めてマイナーなスポーツ業界だった。
これでは国体レース運営がとても自前では出来ないということで、県ヨット連盟が色んな船乗りをかき集めた。
レース運営は色んな部門を作り、それぞれが責任を持って運営に当る。
部門の最高位は「レース委員会」、気象やその他の状況を判断しレースの開始や終了、変更を決定する権限を持つ、これには日本セーリング連盟のお偉方が名を連ねる。
マーク(ブイ)や発着を受け持つ「発着水路」、陸上と海上を結ぶ「運行」、情報を管理し、信号旗を受け持つ「通報」、レース運営に使用する無線通信を管理する「通信」、選手の命と安全を守る「救助」、レースの審問を受け審判する「プロテスト」、それに「総務」が主な部だ。
決定的にスタッフが足らなかったので、県外から応援を求める事にしたが、運営の各部の責任者は県内スタッフが勤めようと連盟で決めた。
私は救助部の責任者を仰せつかった。
日大全共闘では一兵卒だった私が、国体では海上現場部門での指揮官を仰せつかった、大変な出世だ。
現場部門の救助(レスキュー)は、血の気の多い私には適役?、まんざらではなかったが。
救助は自衛隊の掃海艇を救助母船とし、2つのレース海面にそれぞれ救助指揮船を配置する。
それぞれのレース海面には指揮船以下7艇の救助艇(自衛隊艇)を配置し、指揮船には通信士の自衛隊員1名を含む7名、救助艇には通信士とフロッグマンの2名の自衛隊員、操縦のヨット連盟員(学生)の計3名が乗り込む。
救助艇は横須賀、舞鶴、呉の海上自衛隊基地から、水中爆発物処理につかうゴムボートが12〜14艇集められる。
指揮船1艇、救助艇7艇、総勢28名の指揮官だ。
ハーバーに並ぶ救助艇(自衛隊ゴムボート)
国体前年に開催したリハーサル国体では、実際にこの布陣で救助部を稼動した。
指揮船に乗り込む通信士は、指揮官の私が発する指揮命令を必ず一度記録紙に書き留める。
それを一度復唱してから通信を行なう。
「こちら指揮船ブラボー、救助艇1号どうぞ・・」という具合だ。
ちなみにレース海面は成人男子、学生男子のA海面と、成人女子、少年のB海面の2つに別れている。
自衛隊はAをアルファー、Bをブラボー、Cをチャリーと呼称する、知ってましたか。
通信の最後のOKはラジャーという。
強風が吹き、レース艇がバタバタと横転し始めると、このまどろっこしい通信方法では追いつかなくなった。
あそこでも、ここででも、船がバタバタ倒れる、7艇の救助艇を臨機応変に動かさないと間に合わない。
通信士に「無線機で指揮官に直接話させてくれ」と頼んだ。
通信士は「自衛隊にとってはたとえ通信機でも武器です、民間の貴方に貸せません」と拒まれた。

日章旗をなびかせ走る救助艇。
この通信士さん、つい先ごろ53歳定年退官の挨拶状を頂いた。
私は季節の折々には果物を送っている、お礼に息子は掃海艇をプリントした超レア物のTシャツ、私は自衛艦がプリントされたバスタオルを送って頂いている。
国体本番のときも、レース何日目かに5メートルを越す強風が吹いた。
あちこちで横転するレース艇、救助が追いつかなくなる。
救助指揮命令は、海面の現状に追いつかなくなってきていた。
これ以上になると選手の安全が確保できない、指揮官としてあせってきた。
救助の最終局面では一緒に指揮船に乗っていた息子に「部長!、その対応はまずいんではないですか」と再三忠告を受ける羽目になっていた。
ここで一兵卒の限界が露呈していた。
「レース中止、全艇ハーバーに引き上げよ!」
「救助艇は全艇がハーバー帰着までサポートせよ」
指揮官としてパニック寸前まで行ったところで、その日のレースは悪天候のため中止になった。
実戦だとどうなるのだろう、貴重な経験だった。
|