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■2009.12.22  morning  管理人

「何故グァテマラなの?」、と聞くと、
「旅の果て、グァテマラに行き着いたから」
だから、グァテマラなのだそうだ。
これは明確な返答で、それ以上突っ込みようが無い(笑。

そのグァテマラには、内戦で夫を戦士として失った未亡人が多く居たという。
当地には産業というものがなく、戦士の未亡人の生活は赤貧洗うがごとくと言う。
これが元闘士の彼の琴線に触れたのだろうと思う。
アフリカでも中東アジアでもバルカンでも同様だと思うのだが、
彼にとって拘ったのは旅の果てに行き着いたグァテマラなのだそうだ。

戦争未亡人が唯一出来る織物を、有りっ丈の金をはたいて買い付けて来る、
日本国内で販売し、その売り上げで更に買い付けを行い、
ささやかだが、それを支援とする”事業”を続けてもう随分になるという。
そんな同い年の彼に、グァテマラでなく沖縄連帯ツアーへの参加を呼びかけていた。

彼は年に2回ほど、資金が溜まったらグァテマラに出向いていると云い、次の渡航は2月の予定との事。
だから、今回は残念だが辞退との返事が入っていた。
そんな彼から昨夜連絡が入った。
当地で彼と一緒にアムネスティ日本支部の活動をしている方が参加希望という。

私らの沖縄”連帯”ツアーの趣旨に共感くださったと受け止めている。
基地突入の”武闘”路線の旗は早々と降ろし、連帯の”友好”路線に変更している。
この”政治的選択”は間違っていなかった。
このツアー、決して公開で呼びかけてはいない。
しかし、サロンの仲間の口伝でどんどん広がっている。

かつての様に”頑”として曲げないやり方も、それはそれで良かったと思うが、
「気」を見て柔軟に路線変更する事も、良いことだと思った訳だ(笑。
しかし・・・・、
当初想定の3倍の人員に。
言いだしっぺの姉御
ここまで旅団が大きくなると、事務方は大変なのだ。






■2009.12.19  morning  管理人

喫茶店の空調で、寒風に吹かれ凍りついた体が緩んで眠くなる。
年末繁忙の合間を縫ってサロンに。
・・・・と言いたいところだが、実はところは昨晩は妻が忘年会。
真っ直ぐ帰っても家には誰も居ない、晩飯も無いので、これ幸いにサロンに出張った訳だ。

サロンが集う喫茶店、元々はクラッシックを流す正統派の店。
壁に掛けられた100インチ程の液晶テレビにスケーターワルツの聞き慣れたメロディーが流れる。
心地よい空調と音楽、長老が来るまで30分程うたた寝。
やがて牧師様も現れた。

「いや〜、アレなら本当にやりかねませんから」
話が沖縄連帯ツアーに及んだ時、牧師様が大笑いしながら仰った。
当初、このツアーを”沖縄・普天間or嘉手納基地突入ツアー”と呼んでいたが、その呼び名から”連帯ツアー”に名を変えた(日和見った)経過がある。
このツアーの実質的な現地指揮官は牧師の奥様。
昔の経験が、このままツアーに突入すればヤバイ事になることを思い出させた。

「やると云ったらやるのでしょう、今更何云ってんのよ(怒」
バリケードで何度も救対(救援班)の先輩(♀)にとっちめられたことがある。
彼女らは、言葉だけ勇ましく、行動が伴わない輩(男達)を鋭い嗅覚でかぎ分ける。
これは私が日大闘争で学習した貴重な経験であり、かつ時代を越した事実だ。
そんなトラウマがあるのに、このセオリーをすっかり忘れて冗談に興じていた。
そうなのだ、真面目な牧師の奥様には冗談が通じない事を忘れていた。

「背中にゲバ棒背負わされて、基地ゲートへ後ろから尻に蹴り入れられますよ」
「アレ(奥様)なら本当にヤリかねませんから、ハッハッハッ」
「それに、もひとつ云ってましたよ」
ツアー一向は、道中で沖縄の教会に立ち寄る計画を立てている。
奥様は敬虔な信者だから当然だが、礼拝に私を強引に引っ張りこむと言っているらしい。
基地に蹴り込まれるよりは、こちらが100倍ましだが、

ゴリの無神論者のローザ姉御はどうするのだろうか?






■2009.12.17  morning  管理人

今年一番観られたYouTubeってのがYahooトピックに上がっていた.
一番は文句なしにスーザン・ボイルさんだが、三番目に上がっていたこれが実に面白い。
目ざとく見つけた著作権者が広告を貼り付け、著作権のBGM音楽が売れに売れたそう。
商業的意図がないものが商業的にバカ受けする。
世の中、”仕掛け”でなく動くのが面白い。


上のミュージックプレヤーを停止しておいてスタート

間に年末年始を挟んでいるので、随分先の日程感覚なのだが、
沖縄連帯ツアーが迫ってきている。
一度、年内に結団式をやろうという提案も上がっている。
この時期だと、結団式というより”大忘年会”になりそうなのだが。

難しい事は書かないし、能力的に難しい事は書けないのだが。
戦後60数年、
ここまで粘ったのは初めてではないかと思う。
優柔不断といわれようが、
決断力に欠けているといわれようが、
何と言われようが、
騒いでいるのはマスコミも含め奴等の手先、ポチ共だ、
とにかく粘れ。





■2009.12.10  night  管理人

電車の中で吐き気を催したが何とか堪えた。
小脇に抱えた景品のカップ麺ダンボ−ルがわずらわしい。
電車を降りて千鳥足で歩いていると、公園の前で二度目の吐き気が。
トイレで無理してもどそうと思うが、ゲロが出てこない。
お陰で胃が捻転したような状態になり、痛くて痛くて、闇夜の公園のベンチにしばしうずくまった。
簡単にゲロしない根性は褒めてあげたいが、食べたものは出さないのは単に欲張りになっただけかも。



私は所属する業界団体で、その又上の業界団体の役員を仰せつかっている。
例えれば天下りではなく、天上がりのようなものなのだが、
違うところは名ばかりで、役員手当ては一銭も無い。
唯一あるのは年に4〜5回の役員会や総会に出た際に、旅費手当てが一律2000円支給される。
年額一万円弱の手当てを頂いている訳だ。

その「上の上」の業界団体の合同忘年会が昨晩あった。
出たくも無い付き合いなのに会費が・・・・・(涙。
有り難くいただいた手当がそれでキレイに帳消しになる。
こういうクソ面白くない宴会は必ずと云っていいほど悪酔いする。
昨夜がその典型だった。

沖縄連帯ツアーの準備を進めているが、
参加メンバーをじっくり見ると、ある事に気が付いた。
このメンバーだとほぼ酒抜きツアーになりそう。
私は、甘くまろやかな黒糖焼酎を楽しみにしているのだが、誰か付き合ってくれるのだろか。






■2009.12.02  morning  管理人

沖縄・辺野古連帯ツアーが当初想定の倍以上の規模になってきた。
当初は普天間or嘉手納基地突入ツアーと銘打っていたが、
余り冗談言ってると、ある方に本当に突っ込まされるから、今後は言わないことにする。
連帯ツアーならケツ蹴飛ばされはしないだろうから。

しかし・・・・・、
旅団のメンバーが”濃い”
どう”濃い”かって云えば、
ツアーがすんなり済むかどうか危ぶまれる濃さなのだ。
何か有ったら、姉御のせいだからね!

今から、
「ゴ・ク・イ・リ・イ・ミ・オ・オ・イ」をしっかり覚えておかなければ。
確かそうだったよね、ラッパさん。





■2009.12.01  morning  管理人

辺野古訪問、普天間or嘉手納基地突入(笑)ツアーの概要がほぼ決まった。
当旅団には、現地で牧師の奥様も合流する予定。
牧師の奥様は既に10回以上の現地に赴いて、地域の方々と交流しているという。
我が旅団には強力なアナログ製のナビが付いているということだ。
そういう事で、現地のことは任せて、我々はチケットの手配や諸事の準備にのみ勤しめばいいわけだ。

しかし、困った事が一つある。
大学教員をされているこの牧師の奥様、冗談が通じないのだ。
あのラッパの大将がタジタジになるほどの人物。
”突入”などと法螺を吹いていると、
背中に鉄パイプ背負わされて、ケツを蹴飛ばされかねない。
今後、法螺や冗談は自粛しておこう。

今日から師走。
勤め人最後の師走になりますように。




■2009.11.30  morning  管理人

「ゼンキョー・・・・、そういう事は関係ないでしょ・・・・」
後半の部分は正確に聞き取れなかったが、ムカついた返答だった事は間違いなかった。
喫茶店での二回目の総括集会。
初対面の方と和気藹々と懇談していたのだが、
この一言で、二人の間が緊張した。
いただいた返答の意味が分かるのには、トロい私の頭では少しの間合いが必要だった。

「Nさん、お仕事は何をされています?」
初対面のやりとりの定番で、Nさんにと聞くと、
「'50年生まれです、教師をしていましたが、面倒になり早めに退職しました」
「沖縄は125ccのバイクで巡りました」
「辺野古には3日間泊り込み、現地の方々と交流しました」
「基地もこの目でつぶさに見てきましたよ」

このやりとりの後に、更にこう尋ねた。
「先生は何処でされていたのですか?」
「小学校の教師をしていました」
これへの私のリアクションが、
「ワァ・・・、ゼンキョーカ(全教科※を教えていたん)だ!」
「大変だったんだ!」

※(小学校は担任の教師が一部教科を除く全教科を担当する)

誤解は解けたが、
セクト入り乱れる我がサロンでは”その手”の話題は禁句、を改めて肝に銘じた訳だ。
話題は映画の話からテレビドラマ「坂の上の雲」へ。
「帝国主義国家間の戦争に、正義もクソもあるわけ無い!」
「大体、露西亜が侵略してくるから、日本にとっては止む無い”防衛戦争”だって?」
「膨張する帝国主義の歴史を”美談”で歪めるストリーではないか?」
「そんな歴史は、義務教育の反動教科書にも書いていないぞ!」

元センセーと私の、異議なしの議論が延々と続いたのだ。





■2009.11.29  morning  管理人

私のオーダーは「キャラメルフラッペーノ」
とびっきり甘いキャラメルソースが草臥れた体に浸みこんでいく。
デモ行進後の公園での総括集会、総括集会後の近くの喫茶店での2回目の”総括集会”
何かを一緒にやった後の、心置きなく話せる”場”、
私はこれが楽しみでやっていると云っても過言ではない。

沖縄に連帯する市民集会

朝、JRで教会へ。
持参する旗ポールの感触がゲバ棒のように思えてくる(笑。
教会で音響機器を積み込み、牧師様の車で会場へ。
横断幕を張り、プラカードとゲバラ旗を周囲に括りつける。
BGMに作ったインターナショナルをカセットラジオで流す。

牧師様のアジ演説・・・・じゃない、
牧師様の説教・・・・じゅない、
牧師様の呼びかけ人”挨拶”は素晴らしかった。
私は何処かの”過激派”の挨拶と聞き間違うほど素晴らしかった。
これは、内容は別として、私の最大級の「褒め言葉」です。

しかし・・・・・、
頼むよ姉御、
次はもう少し・・・・・。






■2009.11.27  morning  管理人

沖縄に連帯する市民集会が間近に迫っている。
賛同団体ゼロ、協力団体もゼロ、
参加者の見込みは見当も付かない。
実にいい加減で、準備不足の泥縄集会となっているが、
姉御と牧師様のやる気だけは”本気”。

各自手分けして準備をしているが、私は会場の設えのお役を仰せつかっている。
「横断幕は両側から見える方が分かり易いわ」
要は、裏表両側から分かる横断幕を作れということ。
姉御の要望は絶対なので、指示には忠実に従うのだが、
単純に手間は倍となる。

「え〜、それどうするんですか?」
「お孫さんが居るんですか?」
昼休み、近くの文具屋でポスターカラーと絵筆、模造紙に両面テープ、ビニール紐、
それに市民集会だからカラフルなプラカードが良いと、クレヨンも買ってきた。
職場で、半世紀ぶりに手に取るクレヨンを眺めていたら、同僚がいぶかる。

 プラカード、泥縄で「明日も晴れ]サイトからのパクリです

「貴方、それは何ですか?」
「そうですか・・・、捕まらないでね!」
そういう事で、連日、夜鍋をして「図画工作」に勤しんでいると、当然妻から査問を受ける。
若干の経過報告を行うと、労いではなくこう云われた。
ヘルメットも角材も無い、穏やかな市民集会なのだが、
私が「集会」と言うと、彼女にはそう映るらしい。






■2009.11.18  night  管理人

夕方、サロンの長老が職場に訪ねてきた。
「いいですよ、今日は私のおごりという事で」
私のもてなしは、地下食堂の一杯100円也のカップコーヒー。
二人で200円、しばしのコーヒータイム。

「いつもながら、ローザ姉御は急だから」
「動員つぅたって、講演会がマックス300だから、集会だとその十分も一来てくれれば良い方だと思うんですが」
「デモは、もしかしたら両手に満たないかも」
カップコーヒーを啜りながら、そんな愚痴を長老にこぼした。
長老は笑いながら次のような内容の事を云って下さった。

「そういう風に考えないで」
「少なければ少ないで、いいんですよ」
「(これほど沖縄に苦痛を押し付けて)知らんぷりして、何も感じない人、何も行動にうつさない人ばかり」
「それがはっきりすれば、それはそれでいいのですよ」
「それはそれで社会に対するメッセージになるから」
「私等が寂しいのは、社会が寂しいと同じ、そう思えば」
「しょぼくて、寂しくて、少ない集会は、その現実をはっきりさせるのですから」

「それでいいんですよ」

歳の功なのか、
私はかなり”ひねた”発想だと思うのだが。
しかし、少なくとも肩の力はとれた。
なんだか気楽になった。
こう云うのを”開き直り”というのだろうか。





■2009.11.18  morning  管理人

ふぉんとにもう、突然やるっていうもので、この数日バタバタもいいところ。
それに今度は牧師様まで乗ってしまって。
この私をさて置いて話がどんどん、どんどんエスカレートするもので、
1、ゲバラ旗立てて参じること
2、チラシを早急に手配すること
3、(短期間だが)可能な限り、団体、政党、労組などに参加のお願いに回ること
私の協力範囲は以上3点、と姉御にはきつく釘を刺した。

「ワタシャァ〜、独りでも沖縄に連帯する集会をする」
普天間、辺野古の最近の顛末に姉御がプッツン切れた。
確か、そう騒いだのは先週のサロン、週が明けたらもうバネが弾けて行動を起こしている。
「呼びかけ人(姉御と牧師様)二人の市民集会」
そういう事で、もう既に、お上にデモ申請に行ったとの事。

「いいか、分かってるな!」
「今回は規模の大小は問題ではない」
「どうのこうの云う前に、やるって事、それ一点!」
いや〜、何か昔のやくざ映画みたいなのだ。

昨晩は急遽こしらえたチラシを教会へ届けに。
過激(笑)な牧師様はまだ夕食をされていないというので、二人で食事にいこうという話に。
教会の近くに、妻とよく行くイタリアンレストランがある。
私は何時ものバジルと生トマトの手打ちパスタ、
牧師様は何やら難しい名前のパスタ、
それに二人で鶏肉の香草焼きを一品取った。


帰ると郵便小包が届いていた。
差出人は、昨年の拡大同窓会で懇意になった産経新聞社の記者さん。
最近までWEB産経ニュースで特集が組まれていた「さらば革命的世代」を書き起こしていた記者さんだ。
開けてみると書籍が。
「総括せよ! さらば革命的世代」

「そうか・・・本になったのか」
帯封には、
40年前、ゲバ棒を振り上げていた学生達へ
そして今、何も振り上げない学生達へ

諸君に総括を求める!

一瞬、引いてしまったが、
河居貴司記者さん、献本ありがとう。





■2009.11.08  night  管理人

「じゃ〜、**さんのおごりということで、これよろしくね」
長老の一声で、皆が異議なしと反応。
週末のサロン、ある話題をきっかけに私の前に皆の飲み物伝票が一気に積みあがった。
伝票の山を見上げて、冷汗がタラ〜リ。

「ところで**さん、あの子のことはそれ以後どうなっていますか?」
学芸部長のNさんと話しているとき、長老が”あの子”の話題で突っ込んできた。
長老はここを時折チェックに来ているらしい。
「いや〜、やっぱり同じ、所在不明のままです」

私が”あの子”を殊更に思い出したのは、何も最近ではない。
ボロボロになって東京を引き上げてきた頃も、気にはなっていた。
気にはなっていたが、当時は精神状態が尋常ではなかった。
あの子に会いたいというより、社会全体と付き合いたくなかったのが本当のところだった。
しかし、ドアの前で躊躇してから3〜4年しか経っていない、その後のあの子の事は風のたよりで伝わってきていた。

学勢部長のNさんと話をしていて、突然思いついた。
「Nさん、確か**銀行にお勤めですよね」
「そうですが、それが何か?」
「そうなんですよ、そうなんだ、何で今まで気が付かなかったのだろう?」
「確か、あの子はNさんと同じ銀行に就職したと聞いていた」
「結婚して退職しているはずなんですけど、40年前に入った女子行員の事調べることできますよね」

「旧姓でなく今の姓が分からないのですか?」
「それなら調べやすいのですが」
「済みません、それが分からないのですが」
「そこのところを、何とか、どうぞ、どうぞよろしく願います」

名刺の裏に旧姓を書き、Nさんに手渡すと同時に、皆の伝票が私の前に集まってきた訳だ。
興信所に頼むと1件の調査で手付金がウン十万と掛かると云う。
そう考えれば伝票の5枚や10枚安いものだと思わなければいけないのだが、
皆の伝票とそれとは少し筋が違うと思うのだ。

しかし勢いとは恐ろしいものだ、
押しに押されて、
「それは・・・、何と云いますか、そこのところは”成功報酬”と云うところで」
しどろもどろの対応となってしまった。
この焦りが、
その後の「普天間基地突入ツアー」の跳ね上がり発言つ続くのだ。





■2009.11.08  morning  管理人

二週間空けていたので、サロンは三週間ぶり。
何時もの店に入ると既に牧師様とNさんが。
「もうね、年休全部取ってしまったからなかなか休めないんですよ」
牧師様はとてもお忙しいとの事、前回の講演会以来だから2ケ月振りになる。
しかし・・・、牧師様が年次休暇制度のある職業だったとは初耳だった。
宗教は年中無休、言い返せば年中休暇のような職業だと思っていたのです。

牧師様と一緒に居たNさん、真面目で実直な現役銀行マン。
職業柄、私等のような胡散臭い(笑)グループに交じっていいのかと此方が心配するのだが。
私らの会話にじっと耳を傾けていて時折一言二言意見を述べるだけ。
政治的な発言は殆どしない。
でも、講演会の折には真っ先に来て、会場整備や受付、後片付けと作業をこなす。

吼えない、でしゃばらない、だけど黙々と仕事はこなす。
かつて日大全共闘でもこの”種族”は多かった。
黙って議論を聞いている、殆ど発言しない、
しかし「やるぞ!」というと必ず現場に居る、そしてゲバルトの位置は必ず先頭。
桃井コンミューンで一緒に暮らした”会長さん”はその典型的なタイプだった。

テーブルの上でで椎の実を炒る

そんなNさんがこの夏から中心になってサロンの中で始めたことがある。
環境や福祉、地域を元気にする様々な活動をしているキィーマン(ウーマン)を呼んで話を聞き座談するサロン。
「Nさんはサロンの学芸部長ですね!」
長老連が妙なる云い当てをしたサロンの”学芸部”がこの夏から発足している。

ウ〜ン、
サロン”政治部”はここのところ遅れをとっているのだ。
そんなところに牧師様が助け舟を出してくれた、自身の宗派が行った”沖縄・辺野古”ツアー。
サロンでそれを取り組んでみたらどうかとの提案。
”学芸部”のNさんも乗り気。
しかし・・・・、
この手の企画は初めてで如何せんノウハウが無い(泣、
政治部と学芸部の合同企画として上手くいったらいいのだが。

最後に、私は、定番どおり、学芸部が”引く”ことも考えずに一言余計な事を言ってしまった。
「このツアー企画、銘じるとすれば・・・」
「沖縄ピースツアー、別名、『普天間”突入”遠征ツアー』がいい!」
この提案に姉御は、
「横文字はアタシャ〜嫌い」の一言。
「では、普天間、嘉手納でもいいから、”突入作戦旅行”だな」

やっぱ、余計な一言だった。





■2009.10.17  morning  管理人

早朝、タップリと湯を張ったバスタブに浸る。
一日の終いに入る湯と違い、朝湯は何か得をしたような気分。
今、その残り湯で洗濯機が三回目の仕事をしてくれている。
リッチとエコな生活の両立なのだ。

昨夜のサロン、珍しく若者♂が来ていた。
私は初対面、姉御の伝手で初めて訪れたと云う。
ネクタイにスーツ、年寄りを前に少し緊張している様子。
そうしている内にもう一人お仲間が、
ゴリな共産党支持者のMさんがやってきた。

この後のサロンの展開に、初対面の若者が戸惑わないように少し説明を加えた。
「ぶっちゃけて云うと、こちらのMさんは熱心な共産党の支持者」
「返して、私は旧社会党の支持者」
「時々というか、殆ど何時もですが・・・・、険悪な雰囲気になる事があります(笑」
「いつもの事ですので、気にしないでくださいね」

「まあ・・・、これもこのサロンの特徴ですから」
「考え方は違っても、一緒に出来る事があれば一緒にやろう、というのがここの主旨ですから」
私としてはMさんに、
『今日はお客さんがいるから、大人しくね!』
という意味の先制パンチを送ったつもりで、若者に言い聞かせた。


サロンのため、昨夜よりかなり遅い帰宅となった。
児童公園、変わらず金木犀の芳香。
昨夜と同じようにベンチでしばし金木犀の香りに包まれた。

ところで昨日の日記の訂正。
エデンの東さんから、
『木犀(もくせい)ではないかい。木蓮は春先 こぶしが咲く頃から蕾を膨らませる花のよう』
汗・・・・・・・・・。
趣味がガーデニングで園芸家を自認している私だが、ついついボロが出た。
「キ・ン・モ・ク・セ・イ」の間違いでした。

それとMさん、
やっぱり、期待に反さず、強烈な民主党批判をブチ上げてくれました。
私は、引っかけの議論は、一貫して無視です。
初登場の若者は、
聞いていて、聞いていないような素振りで知らん振り。
事前の補足説明が功を奏しました(笑。





■2009.10.13  morningU 管理人

実は、湯浅誠さんを囲む懇親会の開会時間が違っていた。
少し早目にと、予定の10分程前に懇親会会場に着いた。
既に場が賑わっている。
もう、宴席の料理は殆ど残っていない、ビールも2杯目、3杯目をやっているところだった。

「**さん、懇親会が30分きり上がって、携帯に連絡したのだけど・・・・」
それは無理だ、休日に仕事の携帯は持ち歩いていない。
空いてる席に座したのが、その位置が”その党派”勢力のド真ん中だった訳だ。
開始前なら、慎重にかつて私の属していた党派の皆さんの位置を選ぶのだが。

近くに居た当地の連合の会長に、遅れた侘びを入れるとこう云われた。
「貴方はいいけど、サロンの**さん(ローザ姉御)は未だなの?」
上の発言の後に隠れている伏字を正確に表しますと、
「貴方は遅れてもどうでもいいけど、サロンの代表の**さんはどうなっているの?」
「私は**さんを待っているのだ」
という事だ。

このローザ姉御コールは、その後も続いた。
宴もたけなわで、自己紹介タイムがあった。
出席している皆さんは、それぞれの業界を背負うツワモノばかり。
司会者が「皆さんにお願いすると終わらなくなりますので、何人かご指名させていただきます」
結局、四名の方に自己紹介の指名があった。

連合、全労連、並居る賛助団体をさて置いて、サロンに自己紹介のご指名があった訳だ。
代表をさて置いて私が出しゃばって挨拶する訳には行かない、嫌がるローザ姉御の尻を叩いた。
姉御の自己紹介が終わると、近くの民商の方が寄ってくる。
「お宅等のあの旗、インパクトありましたね」
「旗というと・・・・・・」
「反貧困キャラバンで、お宅らが掲げたゲバラの旗ですよ」
突然、ゲバラの旗の話題が出てくるとは思わなかった。

ローザ姉御にしみじみと話した。
「座興と思って掲げたゲバラ旗だけど、私等の思う以上にインパクト有ったみたいだね」
「見ている人は観てるんだわぁ」
「云ったとおりだろう、姉御」
「吹けば飛ぶような老人共闘、目だって何ぼだって」



■2009.10.13  morning  管理人

「最後に一言お願いします」
懇親会の終わり、司会者が湯浅誠さんに話を振った。
「実は未だ決めかねて公表してないのですが、*******という状況です」
今後の身辺のことを語ってくれた。

ウン、これはいいネタだと思った。
「すみませ〜ん、これ未だオフレコですか?」
すかさず私が質問すると、
「取り合えず、オフレコでお願いします」

同席し歓談していた地元紙の記者に、
「残念だね、これはスクープ記事なのに」
「明日は休刊日だから、どちらにしても書けないから同じだよ」、
と場内から突込みが入る。
「新聞は(明日)書けないけど、ネットなら(明日)書けるかも」
と私は思った訳だ。
だけど、仁義があるから*****なのだ。

しかし、昨夜の講演会の懇親会。
私の横は自治労連の若者、民青の副委員長、民商の専従、党専従・・・・・、
周り中が、それだった(汗。
でも、最近の私はめげない、進化している。
「貴方達、”トロ”っていう言葉知ってる」
「”トロ”っていうのはね、トロッツキストという言葉の略称」
「それでね、トロは暴力学生、破壊分子と呼ばれたのですよ」

27歳の自治労連の若者、神妙な顔をして聞いている。
名刺を差し出し、
「これ私のサイト、面白いから見てね」
「掲示板もあるから、良かったら書き込んでくださいね」
決して、挑発しているのではない。
この若者にして、トロとの遭遇は「未知との遭遇」に等しいはずだ。
息子よりも年下の若者に、生きた”化石”として、友好的かつ親切に教えを説いているのだ(笑。

湯浅さんの今後の****は、
その内新聞で報道されるはず、
お楽しみに。
私は「異議な〜〜〜し」だ。




■2009.10.10  morning  管理人

朝一番、洗濯機を回していて、昨夜のサロンの最長老の一言を思い出し涙が出てきた。
最長老は私より一回り以上年上。
かつて当地の共産党の重責を担い、今はその古巣に批判的な立場をとっている。
「今晩は体調が良くないので早々と失礼するが、**さんに聞いておきたいことがある」
「エッ・・・・、私に聞くことがある?」
「長老にそんな事言われると、何か怖いですね(笑」

先の参院選挙、サロンの有志は9条ネットを支持した。
特定政党を支持したのはあくまでサロンに集う有志、サロンという団体が支持したのでないので断っておくが。
最長老は不自由な体で率先してビラを貼り、候補者の講演の手助けをしてくれた。

そんな最長老だが、私としては近寄りがたい気持ちもあった。
サロンで興に乗って私が学生時代の、日大闘争の話をすることがあるが、
そんな折、最長老は私の話をどんな気持ちで聞いているか、
私等の経験をどう思っているのか、
イマイチ、最長老の反応が掴めなかった。

有体に、
悪く言えば、
「フン、この甘っちょろい学生が・・・・」
「ガキ供の学生運動が何ぼのものだ・・・・」
長老の顔に刻まれた永い永い労働運動の皺を見ると、そんな風に受け止められているのではとも、思うことも有った。

最長老は新聞記事の切抜きを私の前に差し出した。
「この本を買おうと思っているのだけど、その前、貴方の評価を聞いてからにしようと思って」
差し出された新聞記事は、小熊英二著「1968」の書評だった。
「こんな高い本、本当に買うのですか?」
長老は
「もし貴方がいい本だと薦めてくれるなら、読まないといけないと思っている」
「・・・・・・?」
私には最長老のいう意味がわからなかった。

「色々と私等の仲間内では評価は分かれますが・・・」
「少なくても、私等の日大闘争の章は、それなりに詳しく事実経過が書かれていますよ」
「読んでいただけたら、嬉しいですね」
「そうか、それなら買うことにしよう」

最長老が席を立つ際に云った一言を思い出し、今更涙している。
「私らはあの時代、貴方たちを見殺しにしたから」




■2009.09.28  morning at Hotel  管理人


連続闘争だったもので、
終わって品川のホテルで寛いでいます。
「お土産はバッグか和菓子がいいな(記号)」
今しがた妻から指令メールが入ったところです。
こういうときだけ普段使わない記号が文末に付いてきます、私は記号を使う習慣が無いもので表示できませんが。
お土産希望のいずれに力点が置かれているかは、永い永い付き合いですのでよくわかります。

闘争初日は講演会。
何時もどおり予想はめでたく外れました。
動員実績はローザ姉御の予想の凡そ3倍、私の予想の倍と大きく外れるものでした。
事前に捌けた前売り券から推定すれば、姉御の予想は当然過ぎるのですが、何時もながら結果オーライのバクチのような取り組みでした。
またしても姉御は、”悲観論”で煽動した罪により有罪。
私のノー天気な楽観論が勝利しました(笑。



1.受付設営、サロン以外の方にもお手伝いいただきました
2.会場は満杯、一時立ち見(聞き)も
3.打ち上げ懇親会

翌日早朝の上京を控え、打ち上げ懇親会は欠席するつもりにしていましたが、余りの”大入り”に気をよくして少しだけ参加することに。
講演会もさることながら、打ち上げ懇親会で嬉しいことが幾つかありました。
講演会に招いた講師と、かつて政治的立場を全く逆にする方が同席し親しく交流したこと。
我がサロンに集う長老のお一人、かつて当地の共産党の重責を担い、今は党と一線を置き批判的な立場をとる先輩と、現役の熱烈な共産党支持の方が同じく席を一緒にしたこと。
翌日に上京のため、懇親会半ばで席を外しましたが、楽しい闘争初日でした。




■2009.09.26  morning  管理人


仕事が終わると、妻と待ち合わせて食事に。
久しぶりに行くイタリアンレストラン、夕食には少し早い時間帯だったので貸切状態。
「獲れたての海老のトマトソースパスタがお勧めですが」
空いていたせいもあってか、いろいろとお勧めメニューを紹介いただいた。
私は素直だから、店のお勧めどおりオーダー。
デジカメ忘れてたのでメニューの貴重な記録は撮れなかった(笑。

私はビール。
妻は何時もどおりビールが終わるとグラスワイン。
この酒量の違いは仕事のストレスの違いだろう、勿論妻のストレス>私のそれ。
私はビール一杯で充分満足なのだ。

今日は以前から準備していたサロンの講演会。
私等の会場は当日入場OKで催す、ジョイントで明日開催するもう一つの会場は、前売り券のみの入場受付、券持参の無い当日来場はオフリミットするらしい。
予期せぬ参加者に講演を妨害されることを未然に防ぐためという。

「当日は、割れてもかまわないメガネしていきますから」
「受付でゴタゴタして、私がぶっ叩かれたら此方の勝ちですから」
「取材のマスコミも来るはずだから、話題になって面白いではないですか」
ついつい、昔のノリで皆にこうメールした。
決してサロンの仲間を煽っているのではない(笑。

そういう事で、
「来るものは拒まず」
我が方の講演会は予定通り当日参加OKでやることにした。
しかし、
「講演を妨害する方のご入場はお断りします」
しっかりと会場入り口に貼るメッセージも用意した



■2009.09.15  morning  管理人

あの子の事を尋ねられた先週末のサロン。
グァテマラから帰国しているKさんの話を、食事をしながら聞こうという集まり、云うところの”帰朝報告会”だった。
Kさんは私と同い年、55歳の時リタイアしそれから”地球”を歩き回っている。
コスタリカを経て行き着いたところが地球の裏側のグァテマラ。
年に数ヶ月から半年ほど、資金が貯まると出かけているという。
Kさんの事は昨年1月の日記にも少し書いている。

一番最初にお会いした時は、当地のアムネスティ支部で活動しているという紹介を頂いた。
私は人と関わった時、ある基準で人を人別しようとする。
そもそもその方が何をしているのか、何をしようとしているのかではなく、
その方が何者なのか、その方の過去から現在までの履歴はどうなのか。
ほぼ全ての関心がそちらの方に向いてしまう。

私の場合、人別は実にシンプルで四タイプ五分類、それによって付き合い方が分かれる
何せかつての時代の経験がシンプルかつ明解だった訳で、強引に「無関心ノンポリ」、「右翼」、「ミン」、「トロ」の四タイプ、それに「トロ」には「エセ(偽り)」が加わり五つに分類している。
実際はこの四タイプの複合タイプが加わるから、もう少し分類は多くなるが、例えば「右翼=トロ」タイプとか、「エセなトロ」分類とかだ(笑。
しかしながら・・・・・、実際のところこの「エセなトロ」分類は結構多いのだ。

そういう事で、
Kさんの場合、人権団体やっているのだから一番目と二番目ではないと思った。
しかし、不躾に「貴方はトロか、それともミンなの?」と聞くわけにもいかない。
「これはミンだな!」
私の勘で取り敢えずの結論、以後はそういうタイプ・分類に基づいて付き合っていた。
しかし、それが昨年1月に明快な間違いだったと判明した、
それ以来、反省も込めてKさんと仲が良いのは言うまでも無い。



■2009.09.14  night  管理人

「**さん、”あの子”はどうなっているの?」
「メゲて挨拶回りもせず塞ぎ込んでいると聞いたけど」
「**さん支援者でしょう、何か知らないか?」
先週末、サロンの懇親会に顔を出したら、初対面の方にそう聞かれた。
「私は勝手連的な応援団、関係者じゃないからそこのところはよく分からないんですよ」
あの子のその後については何も情報を持ち合わせていないので、そう答えるしかなかった。

今朝、とある官庁の駐車場で、その”あの子”にバッタリ出くわした。
旧社系の懇意な地方議員二人と三人連れ。
「お久しぶり、どう?」
あの子の顔はさすがにやつれていた。
「頑張ったね、貴女はよくやったよ!」
笑顔が返ってきたが、その表情はこころなしか弱弱しかった。
これからどうするの?、
そう聞きたかったけど、その顔を見たら聞けなかった。

「お世話になった方々の所をまわっているとこです」
それじゃ・・・、と言って後ろを向いた背中が限りなく可哀そうだった。
本当は手を握り肩を叩き、
「この次も、その又次も、絶対応援するからね」と云いたかったけど。
立ち去る背中に「頑張ってね!」の一言だけしか言えなかった。。
このオヤジ、セオリー通りに眼が熱くなった。

闘争勝利!
最後の最後まで、最後の最後まで闘うぞ!




■2009.08.21  morning  管理人

''70年代初め生まれ故郷に還ってきた、自分で言うのもなんだがもうボロボロだった、
多分ラッパの大将もそうだったと思う。
私は、元々”左翼活動家”ではない、全共闘を走りきった先に何も見えなくなっていた。
苦楽を共にした仲間と別れ東京を引き上げるに一年程逡巡した。
ラッパさんは北海道への放浪の旅に出たそうだ。
多分、私と同じだと思うが、様々な思いを胸に仕舞いこんで故郷の地を踏んだと思う。

それから30年余り、思いは胸に仕舞いこんだままだった。
胸のわだかまりを吐き出す事が出来るようになったのはこの10年ほど。
2003年、このホームページを、
同じ年のイラク戦争開戦の日に、反戦平和の市民運動サロンに参加。
そしてほぼ同時期に日大全共闘の同窓会組織「930の会」に出会うことになる。

昨日ラッパの大将より、先の”長征”の記録が送られてきた。
封筒の宛名は達筆、書道の指南レベルの毛書体なのだ。
「これは間違ってもゲバ棒を持つ御仁の筆力ではない!」こう確信した。
中の礼状を見ると奥様、やはりだ(笑。

 8.14 芸闘委とサロンの政治集会(笑

「**さんはいいですね、近くに心置きなく話し合える仲間がいて・・・・・」
礼状には「8.14政治集会」の映るCDロムも同封されており
最後に、「是非一度こちらにも来てください」と括られていた。
何度も同じことを言うが、
心置きなく話せるのは間違っていないが、
肝心のローザ姉御は猫を被っていた、決して普段はあのように優しくない(笑。
だから、鉄の女性という意味で私はローザ姉御と勝手に呼んでいる。



■2009.08.15  morning  管理人

「でぇ・・・、バリケードの中はフリーセックスだったの?」
開口一番がこの質問。
昨夜はサロン終了後、近くの居酒屋に二次会で移動した。
二次会には、サロンに間に合わなかった牧師様の奥様も途中から合流。
牧師様の奥様、大学の先生をしていらっしゃるが、開口一番の質問がこれだった訳だ(汗。

昨日はラッパの大将夫妻がはるばる当地へ来ていた。
大将の長征目的は三つ、
1、奥さんへのサービスの旅行(だと思う)、
2、私が懇意にしている県内最大単産の書記長との交流、書記長には以前からラッパの大将と会いたいと頼まれていた。
3、私のサロン仲間との交流、特にラッパの大将はローザ姉御と会うのを楽しみにしていた。

サロンはラッパの大将を歓迎するかのように何時になく盛況、
自己紹介を続けている間にも何人か来たので、昨夜のサロンの話題はほとんど自己紹介で終わった。
珍しく余りの盛り上がり様に、居酒屋に席を移して二次会という流れになった。
そこへ、サロンに間に合わなかった牧師様の奥様も駆けつけてきた。

この奥様、私と初対面のときの開口一番が、
「何を泣き言いっているの**さん、今までは序章で本番これからですよ」
「ワハッハッハッ・・・・・・・」
強烈なパンチを食らい、初対面で負けてしまった。
そう云うことで、ラッパの大将には事前にこういう風なアドバイスをしていた、
「強烈なパンチがくるからな、負けるなよ!」
「私が負けて、貴方が負けると、日大全共闘はもう立つ瀬がないからな!」

しかし、フリーセックスという話題のパンチは想定外だった。
大学の先生で牧師の奥様からその手の質問が飛んでくるとは考え付かなかった。
牧師の奥様、さらに間髪入れず、
「日本のフェニミズム(リブ)の運動は日大全共闘のバリケードの中から生まれたのでは?」
ラッパの大将、私の顔を見ながら
「いや〜、その〜、・・・・・・・・」
「芸闘委では女性だけが食対(食事班)はおかしいと、バリケードの中にバリケード作られたのは確かだけど・・・・・・・」
「フェニミズムの運動と云われても・・・・・・」
たじたじで、結果は、
ラッパの大将をしても負けである。

でぇ・・・フリーセックス?
「んなもの、ある訳ねえだろう!」

でぇ・・・ローザ姉御とラッパの大将の初対面は?
「姉御、完璧に”爪”を隠し、猫をかぶっていたのだ(卑怯者だ)」



■2009.06.28  morning  管理人

「人に優しく、環境に優しく、**電機」
何気なくテレビのCMが耳に入った。
リサイクル料金で不正を働き、
派遣社員から(結果的に)搾取し続け、
正社員を、名ばかり管理職で死ぬほど働かせている会社が、
ぬけぬけと歯の浮くようなCMを流している。
オジサン、プッツン行きそうになる。

ここのところ週末の金曜日に出張が度重なり、
出張のない金曜日にはことごとく飲み会が入り、
そう云う事で5月連休明けから、サロンからず〜っと足が遠のいていた。
何時もの事だが、サロンの諸事は私が居ない時に決まる。
そして、決定事項がメールで送られてくる。
私はかしこまって受け取り決定に従う訳だ。

サロンの次回講演会が決まった。
誰が言い出しっぺか確認していないが、
今回は姉御ではなく長老の発起と思う。
サロンの今までの一連の講演会からすると、お招きする方は意外な人物と合いなっている。
そして、とてもとても政治的だ。
合わせて今までにない流れも。

当地の某党の地区委員会の委員長とのジョイント開催。
言っとくが某宗教政党ではない。
委員長個人の発起なのか、地区委員会が関わっているのか私は聞いていないが。
当該委員長とは以前に少しコミニケーションがある。
「俺はトロには一度も負けたことがない」
この委員長がこう云ってましたよと、ある方から聞かされた。
ムットきたので、この日記に売り言葉に買い言葉を書き早々に当人にメールした。

>ホームページは前にみたことがあります。
>当然、「お気に入り」に入れています。
>貴重な資料だと思います。

私としては喧嘩を売ったつもりだったが、
私より一枚も二枚も上手だった。



■2009.04.27  morning    管理人

「雑誌の週刊金曜日と何か関係があるのですか?」
先日、取材に来た地元の新聞記者さんに聞かれました。
偶々、金曜日に集うから金曜日のサロン、ただそれだけでありまして、
「誌」の愛読者のMさんには悪いですが、全く関係はありません。

最近、サロンには色んな方が集うようになりました。
会員制でもないし、名簿も会則も、会費も有りません。
「言い出しっぺが最後までやる、人に強制しない」
かつてのベ平連の暗黙のルールだったそうですが、私達のサロンもそれに近いものです。
ただ、違うのは構成が年寄り、多くは還暦を過ぎ、喜寿を越した方も複数います、
若者はとんと見当たりません。

そんな中、珍しく一人若い女性が来るようになりました。
あることへの協力を強く要請されたのですが、
やりたい事の主旨はわかるのですが、私にはその取り組みでの当人の”立ち位置”がどうしても見えてこないのです。
語っていただく事から、当人の”思い”や”こだわり”も伝わってきません。
私だけの受け止めかと思っていたら、姉御や長老、牧師様も、皆が同じでした。

かつての時代、私等は拙い議論をしばしばしました。
かしこい他人様の理屈をとうとうと述べる奴もいました。
当時は時間がいっぱい有りましたので、
言いたい事を言い尽くした後、結局はこの流れに行き着きました。
「でぇ・・・・、そう言うお前さん自身はどう考え、お前さん自身はどうするんだよ」

昔を思い出した次第です。



■2009.04.14  morning    管理人

私としては穏やかに話をしたつもりだ。
なにせうら若い女性記者だから。
経過の如何は別として、これがムツケキ野郎だったら・・・・、
多分、声を荒げていたかも(笑。

「学芸部はこの春からです」
「以前は事務を執っていました」
「そうか、ホヤホヤの記者さんなんだ」
そのやり取りを姉御に報告したが、余り納得していない。
やっぱ、同性だと私の対応と少し違うのだ。

姉御は私をそそのかしておいて、かたやで知り合いの記者に連絡を取ったという。
学芸部でなく社会部、キャップクラスのベテラン記者、勿論、野郎だ。
野郎記者曰く、
(主催者の記述が抜かったのは)ちょっとした手違いでしょう」
「私のほうからそれとなく云っておきます」
姉御から、そういう報告を受けた。

しかしですが・・・・、
学芸部の女性記者は私にこういう風に云ったのですが、
「要旨レポート記事だったので、意図的に主催者の記述は外しました」
手抜かりではなかった訳だ。
どこでも、新米はかばわれるらしい。
まあ、いいっか。

定かではないが、連休明け位から、
仲間も取材を受けた新聞の連載記事があるらしい。
私もその記者さんとは少しお話した。
相変わらず、山本議長は取材を断ったとも聞いた。
朝日新聞、
人脈記という連載らしい。



■2009.04.12  night    管理人

升々”のおかさんより、超カメ・返信を頂いた。
(ご本人がこう言っているのだから失礼ではないのだ)
メールに添付されていた写真は、酒盛りで一緒したカップルからはるばる送られたきたそうだ。

お礼のメールを送ったのは3月22日だったから、相当のカメ・レスだ(笑。
当方の講演の翌週は、、松本→名古屋→つくばと、3連戦だったそうで、
その翌週も京大で講演会のコーディネイトに奔走したそうで、
やっぱ、”升々”で鍛えた体力はこの年寄りとは違うと敬服。

体力で負けて、
知力で負けて、
升々で負けて、
この年寄り、立つ瀬がない(泣。

 岡さんからいただいたこの写真は、神奈川→京都→当方と経由

昨日、姉御から電話が、
先般の岡さんの講演会に地元紙が取材に来ていた。
まだ、うら若い女性記者だった。
その地元紙に一昨日と昨日、講演会のレポート記事が上下に分かれ掲載された。
岡さんのレスと一緒で3週間経過しているから、超カメ・記事といえる。

講演会の内容を詳細にまとめ、的確に伝える記事だった。
レポートは申し分ない。
しかしだ、
姉御の言い分はこういう事だ。

「サロンの費用で講師を招き、サロンの皆の労力で運営した講演会でしょう」
「その講演会に取材に来ていて、そのレポート記事に主催者に関する記述が一言もない」
「別に目立とうとは思っていないけれど、ちょっとね・・・・」
そう云う事で長老に相談すると、
「学芸部の記者だからね」との返事。
それでも納得いかないので、煽りやすい私に電話をしてきたのだろう

根が単純だから、直ぐに期待に応えるのが私だ。
休み明けに新聞社に出向くことにした。
皆さんの期待に応えて、ブチ切れないから大丈夫。



■2009.04.09  night    管理人

風薫る季節ですが、
気分がいま一つ。
職場残留のためでしょうか、
それとも、
季節のせいでしょうか。

先日、岡さん、姉御、Mさんと





■2009.04.07  night    管理人

処凛さんとの直談判が初期の目的だった訳で、
本隊は二次会へなだれ込む流れのようだったが、目的を達成したサロンの三人はそこでお終いという事にした。
「迎えに行きましょうか?」
事前に妻の有難い電話は断っていたのでMさんとJRで帰路を共に。
私は安直にタクシーを使うほどポケットマネーに余裕はないのだ。

「次の便までまだ十分に時間があるからゆっくりいきましょう」とMさん。
「エ〜ト・・・、**さんヤバイよ、時間がないよ」
携帯にメモっている時刻表を確認すると余り時間がない。
何せローカル、1時間に1本しかない、酒の入った体で駅までダッシュ、
発車のベルの鳴り終わると同時に飛び乗った、
座席でゼーゼーヒーヒー、
60と61歳、何となく二人で”青春”しているような気分だった。

手弁当で走り回って、いろんな準備して、
ポケットマネーは出ていくばかりで一銭も入ってこない。
講演会最後の清算で、結局赤字は姉御が全部自分で被っているようだし。
「**さん、今夜は三人で打ち上げ会費12000円使いましたね」
「これが労組なら、組織活動で経費で落ちるんでしょうかね?」
列車に揺られながら二人でそんな話をした。



■2008.04.05

「昨年、(講演依頼を)断られたサロンのものです」
「憶えていらっしゃいますか?」
「・・・・・・・・」
どうもやり取りの記憶もないようだった。

反貧困のシンポが終わると、関係者で打ち上げをすることになった。
サロンは私とローザ姉御、Mさんの三人が参加した。
以前の経緯もあり、
宴席が始まる前に、雨宮さんに詰め寄り直談判。
サロンの趣旨や活動の履歴をお話しした上で、再度講演会のお願いをした訳だ。

「後日、メールで詳細なやり取りをしましょう」
なんとか話をそこまで持って行った。
酒が入り気が付くと、姉御が彼女の前で更に気炎を上げていた。
私も加わり更に追い詰めした。

小さな団体には小さいなりの心意気が有る事が分かっていただきたかった。
今日はかなり強引な展開だったが、
約束の証拠のツーショット撮影まで持って行けたから何とかなるだろう。
そう云う意味では、強引な展開を反省はしていないし、しつこいのだ。




■2009.03.27  night    管理人

サロンに出かけると、長老から云われた。
「**さん、40数年振りに母校に入ったと(日記に)書いているけれど、(読む人に)日大のことと間違われるよ」
「高校の時のことでしょう」
「大丈夫ですよ」
自信を持って長老にはそう答えた。
その心は、事情のわからぬ人は(私の日記なぞ)読みに来ないから。

ところで今日が27日。
昨夜書いた日記の日付も27日。
モウロクしてきたというか、認知症のさきがけではないだろうかと思うことしきり。
まあ、日付ぐらいどうでもいいか、個人的な日記だし。

「**さん、今晩は気を悪くしていないかな?」
終わって会計でお金を払っていると、後ろからMTさんのお声が掛かった。
サロン途中から、共産党熱烈支持者のMTさんはかなりのものだった。

何かの話題から脱線し、かつての社共共闘が、
社党のほうの独善的な裏切りで如何に潰えたかをとうとうと述べ、
社党批判でボルテージが上がり放っしだった。

それで、私・・・・?、
私の方はニコニコと聴き役に徹していた。
このニコニコが結果的には、相手に一番プレッシャーになっていた訳だ。
私も少しは進歩したのだ。
大したものだろう。



■2009.03.23  morning    管理人

「**さん、それは何時もの彼女の戦略だよ」
「全く、学習できてないのだから・・・・・」
サロン長老の、横からの突込みが入った。

皆で会場を撤収しエレベーターに乗り込んだ。
丁度彼女の後ろ側に位置したので、背中を突いてこう云ってやった。
「何時もどおりの参加者数じゃ〜ないですか」
「この間、私等にプレッシャー掛け続けて、全くぅ〜 」
「今からサロンで、自己批判してもらいますからね」

姉御の号令一発でこのプロジェクトはスタートした。
取り組み1ケ月足らず、
何時もの通り、彼女の追い込みはきつかったのだ。
しかし、何時もの通り結果は「○」。
岡さんと取材の新聞記者も引っ張り込みサロンで総括集会。
総括といっても、何時もの通り雑談に終始したのだが。

パレスチナ問題の特徴だろうか、
何時もと比べると共産党関係者の参加が少なかった。
ハマスとか、
PFLPとか、
共産党の皆さんが日頃言われる”平和”とは少しイメージが合わないのかも。
だからこそ、岡真理さんの講演を聴いて欲しかったのに。

九条関係だとわんさかと参加があるのに。
考えてみると、
やっぱりと思った訳だ。



■2009.03.22  night    管理人

「先生がねえ、こんなに要らないって云うの」
姉御が困った顔で言い上げてきた。
往復の旅費、ホテル代等々の実費+α、ほんの僅かの謝礼がのっただけの額。
貧乏所帯のグループだから、心はこもっているが申し訳ない額の礼を差し出した訳だ。

姉御は唐突に場当たり的に講師を呼んでいるように見えるが、
今まで講師の先生には、全ての意味で一度も外れはない。
こんな事は以前もあった。
元・大手新聞の記者に講演を頼んだ時も、実費分だけで謝礼はいらないと云われた事がある。
サロンの印象が余程貧乏みえるのか、
それとも講師先生の心意気なのか。

こんな名もなく、
金もなく、
ちっぽけな団体の招きには、
多分、心意気が無ければ来れないだろうし、
来ない筈だ。

決して反貧困のアノ方に嫌みを言っている訳ではないが、
・・・・やっぱ云っているか。
私はしつこいのだ。

それと、
岡真理先生には有難く謝礼を減額させていただきお渡したが、
アレならきっと遠慮しなかったと思う。
升々の地のアレを・・・・、
お土産にお渡ししなかったのが、今回講演会唯一の失敗だった。



■2009.03.21  night    管理人

「お酒は?」
「少々・・・」
という事で、二次会は居酒屋に行くことに

閉店まで居続けたのは、
岡さん、
姉御、
前日まで敵前逃亡していた今回の講演会首謀者のMさん、
それに私の四名。


「それってゲバラと同じですよね、モーターサイクリストだ!」
私が突っ込みを入れる。
男性は大学を出てから二年間、中南米を旅していたそうだ。
途中から隣席の男女が加わり盛り上がることしきり、
男性は26歳、女性は25歳、神奈川在住と云う。

テーブルに置いていた講演会のチラシをのぞき込み隣席から移ってきた。
岡さんと旅の話で盛り上がっている。
男女二人は友達以上、恋人未満の関係といい、
明日、高速道でヒッチハイクし神奈川まで帰るといっていた。

気がつけば店内に蛍の光が流れている。
「閉店時間です、もうすぐ店内の照明を落としますので・・・・」
「オ〜イ、帰るぞ!」
私の”かえる”コールに皆がなかなか反応しない。

という事で岡さんの
「少々・・」は、
「升々・・」の聞き間違いだった。



■2009.03.20  night    管理人

「それで・・・、今日は行きますよね?」
五時過ぎ、明日はお休みだから残って溜まった仕事をやっつけようと思っている矢先、電話が。
金曜日でもないのに何のお呼びだろうと首をかしげたが。
「今晩の集会ですよ」
そんな事、私はすっかり忘れていたのだ。

屋外の集会で、雨はジトジト降ってるし、
爺様、おば様ばかりだし、
それにゲバラの旗も持ってきてないし、
出来れば適当な理由付けて日和見しようと思ったが。

ブルーベリー

結局、傘さしで集会に。
式次第は(憶えている範囲で)、
最初に旧社会党系の平和団体の挨拶、
続いて、
共産党系の平和団体、
民主党の国政候補、
共産党の国政候補、
連合、
労連、
民主党、
社民党、
新社会党、
共産党、
進行と喋りはセオリー通り、今更だが会の流れは”暗い”のだ

最後に、
イラク派兵違憲訴訟の団体の挨拶、
普通のご婦人の、普通の喋りでやっとホットした。
そして司会者のアナウンスで、
「今日はお見えになっていませんが、平和運動団体のサロンがパレスチナについての講演会を開催する予定です」
私等の紹介がトリだった。

おいおい、サロンといえば俺たちの事だ!
姉御といえば・・・・、
集会参加者の間に見え隠れする、雨に濡れながらチラシを配っているのだ。
捕まえて段取りを質すと、
「許してほしいのよ、ワタシャ〜人前で話すの苦手だから」
姉御、挨拶逃れの確信犯だ。




■2009.03.18  morning    管理人

今回、パレスチナの関連で岡真理さんを呼ぶ前に、
実は、反貧困のテーマで”ある方”に講演のオファーを掛けていた。
反貧困の運動で著名なあの方だ。
若い女性と云えば分かる方は分かるお人だ。

「申し訳ありませんが、今は地方の講演はお受けしておりません」
このような内容の返答があった。
諦めきれないので、
ユニオン系の労組に関わっている知人に伝手を頼んだが、結果は一緒だった。
「どうせ私らローカルでしょうよ・・・」
自嘲と共にガックリした経過がある。

先日、仲良しの当地の連合会長がチラシをぐっすり抱えて職場にやってきた。
当地で、反貧困のシンポをやるから広報告知に協力いただきたいとの事。
私の業界と、勿論サロンにもお願いしたいとの事。
日頃、サロンの取り組みにご協力いただいていることもあり二つ返事でお受けした。

ところがだ、
チラシに載るパネラー紹介に、著名な”あの方”がいる。
私等が断られた若い女性のあの方だ。
地方の講演はやっていないというアノ若い女性だ。

どうせ私等は、
名もなく、
金もなく、
ちっぽけですよ。

・・・・・イジケているのだ。



■2009.03.17  night    管理人

講演会での映画は、上映用のレンタルなので著作権はクリアー。
ここまでは上出来なのだが、クリアー出来てないのが上映の段取り。
突然の「ワタシャ〜やるのだ!」
姉御のいつものパターンだが。
結果、バタバタでマイク設備しかない会場。
今時、驚きだがプロジェクター設備のない会場があるのだ。

プロジェクターはとある所から調達の目途がついた。
問題は音響設備。
ステージ脇に音響室らしきものがあるが、入力系は時代物のカセットデッキが一つだけ。
このデッキのライン入力に音声信号をブチ込めば、会場のスピーカーから音声を流せると理解した。
しかしだ、プロジェクターを据え置く舞台前の会場中央から音響室のデッキまでは30〜50m程のラインケーブルが必要。

自慢ではないが、
我がサロンには会費というものがない。
ついでに言っとくが会員名簿も存在しない。
ズブズブのフリーだから、ゆえに金もない。
金がないから集会に金をかけない(正確にはかけれない)。

「無声映画という訳にはいかないからなぁ〜、」
「何とかお金をかけずに映画を上映するには・・・・」
貧弱な頭で考えた。
ハタと思いついたのが、息子の部屋にあるオーディオセット。
いわゆるミニコンポという奴で、何とか持ち運べそう。
早速、チェックを入れてみたら、
アンプはケンウッド、スピーカーはダイヤトーンではないか。
上等ではないか。

頼むよ姉御、
当日の機材の搬入・搬出、大変だから。
次は設備のまともな会場にして頂戴。




■2009.03.14  night    管理人

アクセスログを辿っていくと、作業着にヘルメット姿の写真を掲げるブログにたどり着いた。
どうも、当時の私等のスタイルをレトロしているようだ。
コメント欄には、
>リンク先の写真を見るとやっぱり本物には程遠いな

諸君らに言いたいのだが・・・、
勿論、作業着の仲間も居る事は居たが、ゲバルトは「作業」ではない。
そこの発想が根本から違っているのだ。
リンク先の写真(宮澤君)をちゃんと観れば分かることなのだ。

経闘委の米軍払下げのミリタリースタイルは別格として、一兵卒の基本は普通のコート。
私の場合はVANのコートだった。
日大全共闘は、それを度重なるデモとゲバルトで馴染ましてゆく。
コンクリートで摺れ、催涙ガスと放水で型崩れて一人前になる。
そもそも、「作業着」という発想が失礼なのだ。
そもそも、私(等)の場合、ゲバルトとはフォーマルな自己表現なのだ。

 種から育てたポット苗に、初めて一輪花がついた

「皆さんお若いから・・・」
昨夜、サロンに初めて来られたご婦人が盛んにそう云われる。
「ワタクシ昭和*8年、ハタチの時に、(地元の)ラジオ放送局の開局と同時に入局しましたの」
「今は趣味の写真家集団に属していまして、パレスチナの報道写真に大変興味がありまして」
今般の私等の講演会を知り、伝手を頼ってサロンに来たと云う。

「エ〜ト、地元のラジオ放送局開局の時ハタチと云うと・・・・」
指折って数えてみた。
「ナニ・・・!、**歳」
観た目と違えるお歳なのだ。

「皆さんお若いから・・・」
還暦をとうに過ぎた爺様達が、かなり年上のお姉様に持ち上げられ、
「どうするのよぉ〜」と、
方や、ローザ姉御に締め上げられ、
妙なバランスでサロンを終わった。



■2009.03.14  morning    管理人

「チケット何枚売れました?」
「これじゃ〜、今回は動員に全く目途がたたないわ・・・」
「・・・・・・     」
ローザ姉御に返答できずに、苦笑いして皆で顔を見合す。
個人的な言い訳を言いだせる雰囲気ではない。

「今までに捌けたチケットはほんの10数枚しかないのよ!」
かなり遅れてサロンに来た昨夜の姉御、最初から荒れていた。
事前の取り組みの進捗状況に苛立ちを隠さない。

姉御が荒れたのには原因が有る。
仲間の一人が数日後から中国へ旅立つ。
日中友好の運動を永くやっており、友好の植林イベントに行くらしい。

そもそも、
今回「岡真理」さんを呼んで講演会と映画上映をしようと云い出したのはその当人なのだ。
ローザ姉御が言いたいのは、それが首謀者の”敵前逃亡”に等しいということなのだ。
当人は、脂汗を額に浮かべ姉御の前で縮こまっていた(笑。

思わず不謹慎にも、
先般に観た「実録・連合赤軍」の場面を思い出してしまった。
講演会までに残された日は少ない。
私も”総括”されないように頑張ろう(汗。



■2009.03.07  night    管理人

天気の良い休日、私の任務は決まっている。
日頃の衣類から、シーツ・カバー類、マット類まで作業は及んだ。
今時のマシンは全自動、云う程の事はない。
明日は庭仕事、これがはかどるかどうかはお天気次第。

先日の帰朝報告会で、皆にとある冊子が配られた。
簡単に製本した60ページ程の書物。
今般、講演をお願いする方の”講演録”。
ローザ姐御によると、”事前学習”で読んでおけと講師の先生から要請が有ったものだそうだ。
題名は「・・・・から60年、今、****問題の根源を考える」
60年前と云えば私の生まれた1948年の出来事になる。

「アタシャ〜初めてだべ、何度も講演会を開催したが、事前に学習の要請をうけたのは」
当然だが、この発言は私だ。
「ジュラルミン盾に突っ込め!」
そう云われれば、躊躇しつつも一様突っ込んだ私だが、
「勉強せよ」と言われても、
自慢じゃないが、永い人生一度も素直に従った事はない。

もし、明日天気が下るようなら、
永い人生で一度だけ、素直に従ってみる事にする。
あくまでお天気次第だが。



■2009.03.07  morning    管理人

牧師様の奥様は某ミッション系の大学の先生。
宗派の世界大会(と聞いたが)に出向き、インドからバングラデッシュ、ネパールと2ケ月間滞在しボランティア活動を続け、先月帰国している。
サロンで帰朝報告をしてもらおうという事になった。
報告会と云っても、食事会を兼ねたサロンの内輪の会。

カースト、
女神カーリー
マザーテレザ、
物乞い、
カトマンズ、
簡素なベットが二つだけ並んだ部屋の写真が、高級ホテルのスイートルームという。
朽ち落ちそうな世界遺産の建築物、
投宿したカトマンズの妙法寺、
写真に写る柔和なお顔の住職様、
私等と同年輩の、元ヒッピー上がりだそうだ。
時の経つのを忘れた2時間余りのスライドショー。

とりあえず”硬派”を認ずる市民サロン、
スライドショーを終え、話題はカーストに及ぶところから俄然白熱してきた。
議論は在日コリア、
被差別部落、
最後はパレスチナの話題にまで。

この帰朝報告会兼食事会、ゴリの○共の方も一名参加。
当然、至る所で”認識”の違いは生じたが、
何とか最後まで和気あいあいと続いた。
これは、個別、私にとっては特筆すべき出来事なのだ。



■2009.02.25  night  管理人

「そちら様は、公益的な事業をされている団体なのですね?」
「エッッ、公益的と云いますと・・・・???」
「公安に序する団体でない事だけは確かなのですが・・・・」
「・・・・・・???」
「不特定多数の方々に呼びかけている事は間違いないのですが、公益と云われても・・・」

ローザ姉御から指示が、
県内のNPOを束ねるセンターが定期的に文書配布を行っているからチラシの配布を頼みに行けぇ〜と。
一兵卒、昼休みを利用してテクテクと歩いて出向いた。
その窓口でチラシを差し出すと上の問答が続いた訳だ。
申し訳ないが、当人には”公益事業”をしている認識は全くないもので。

珍問答を挟んだが、チラシはめでたく受領していただいた。
昼休み、ついでにその足で県議会へ。
「アラ、**さん」
廊下で私の名を呼ぶ声、良く見ると共産党の女性議員さんではないか。
私も随分と丸くなったものだ(笑。

チラシを差し上げると、
「アラ、このチラシもう貰っていますわ!」
どうも最近サロンに加わったアチラ系の方が既に精力的に動いているようだ。
単純な性格なもので、競争意識がムクムクと湧いてきた。

「**さん、余計な事は云わなくていいの!」
NPOセンターでの顛末を報告すると、長老に厳しく指導されてしまったが、
でもね・・・・、
”公益”的事業と云われても、私も困惑するのだ。



■2009.02.19  morning  管理人

相変わらず何時もの事だが、突然「来月*日!」だと電話が入った。
ローザ姉御、以前からパレスチナの状況に心を痛めていた。
それに昨年末からガザがあのような状況。
彼女、もう居ても立ってもおれない状態だった。

 The Palestina Chronicle

「もういい、私はやる」
年が明けて今まで、独りでいろんな団体に協力をお願いして回っていたそうだ。
しかし一向に埒の明かない状況に、何時ものようにブチ切れた訳だ。
「集会開催は来月*日、会場は今数箇所を当たっているから諸般の準備をよろしく」
「準備たって・・・・、一ケ月も無いのでは・・・」

事の根回しは十分やり、関係団体に呼びかけ、協賛、協力etc、取り付けれるものは何でも取り付ける。
ついついそんな仕事の発想の延長で、今更に根回し、協賛(団体)を取り付ける助言を彼女に。
電話では素直に私の助言に首を振っていたが、その晩に届いたメールには。
「協力の呼びかけに労は惜しまないが、やっぱり、主催はサロン単独でやる」
「色んな層の方々に来て欲しいから」

やられた、と思った。
その通りだ、と思った。
我ながら、殊勝な返信を彼女に出した。

協賛団体の件、
ローザ姉御の考え方が正しいと思います。
つい仕事のプロモートの延長で、協賛団体を図る助言しましたが、
サロンは今まで何れにも偏らず一市民の立場で続けてきた活動です。
そうであったからこそ、各層の参加を実現してきたのだと思います。
偏らない、軽いフットワーク、突然にも対応できる柔軟性、
それをもう一度思い出させてくれました。
実現に向けて頑張りましょう。
パレスチナに平和を!


フッッッ・・・・・、また一時忙しくなりそう。



■2009.02.02 night   管理人

その人は私よりかなり年長、紹介される前にローザ姉御より○共の方だと聞いていた。
でも私等のサロンを頼って来た訳で、拒否はしなかった。
取り合えず自己紹介の時、その方にアピールだけはさせていただいた。
云っとくが、反○共という程の意味合いではなく、
あくまで私は○共系ではないというさりげないアピール。

それから2〜3回程席を同じくした。
その方は気を許したのか、少しずつ地が出てきたように思う。
何気ない会話で、○共系でない労組を「あれはダメだ、当局側の御用組合だ」と決めつけるようにいう。
更にかつての反戦青年委員会を、「そいつらはトロツキストの集団」と吐き捨てるようにいう。

かつてのようにこのローカルの地で、○共、反○共と角突き合わすつもりはない。
時代は変わったし、私も歳をとった。
○共の方と席を同じくすることが多々あるが、決して揶揄するような事は云わない。
一緒に出来る事があれば、それもやぶさかではない。
その方もそのつもりで私等を頼ってきたと信じている。

「私にそう云われる自覚はないが、」
「私もかつてトロツキスト・暴力学生と呼ばれたのですが、それが何か?」
こういう捨てゼリフを吐いてしまわないように自分に言い聞かせているが
ローザ姉御が招いたこの御人だが、さすがに私も我慢の限界に近づいている。



■2009.01.24  morning  管理人

後悔している。

先週のサロン。
祭壇の十字架の前にスクリーン、
説教の台にプロジェクターをセット。
私はバージンロードの脇で映写技師。

上映を始めるまで少しの間、牧師様と二人でミニコンサート。
曲は勿論マイフェイヴァレイトソングス、教会一杯に響かせた。
ペギーマーチのアイルフォローヒムを牧師様は知らなかった、心外だ(笑。
そんな”美しい”光景を記録に残す事を忘れていた。
ここにその写真を貼れば完璧だったのに。


サロンが取り組んでいるある件の”特番”ビデオの鑑賞会。
牧師様が快く教会を会場にと提供して下さった。
勿論、使用に料金なんてもの無いからこちらからお礼を出した。
一人頭500円。
でも牧師様は珈琲ーとクッキーを出して下さった。
結局、お喋りの間クッキーをボリボリ、珈琲も4杯お代わりしてしまった。

「**さん、DVDお願いね!」
帰り際にローザ姉御からお声が掛かった。
この場合、「お願いね」と云うのは”司令”に等しい。
私はDVD増産”工場”なのだそうだ。
工場はそれから一週間、操業し続けているのだ。




■2009.01.10  night  管理人

「今週はお客様が来ますから」
サロンのお誘いメールにそう記されていた。
年末と年始を外したのでほぼ1月振り、定刻で仕事を終えサロンに向う。
入口で最近顔を出すようになった銀行マンの方と一緒に、二人して一番乗り。
「この手の集いで銀行マンの方は珍しいですよね」
「お歳は?」
「ご出身は?」
皆が来るまで履歴調査も含め(笑)、初めてゆっくりお話をした。

常連メンバーがほぼ揃ったところでローザ姉御からお客様の”前説”が。
九条関連の講演の協力依頼ということらしい。
その”筋”の方であるのとの補足も。
私等のサロンの活動は全方位でやっているし、その”筋”の勢力にも少なからず参加協力していただいている。
この業界にもいわゆる”義理”ちゅうもんがある訳だ。
そんなこんなを話していると年配のご夫婦が現れた。

いかにもその”筋”の方々が好まれそうなジャーナリストの講演。
出来る範囲でご協力しましょうという美しい話の流れに。
まあ、その本題はさて置いて、
お互い簡単な自己紹介を交わした際、女性の方が私と同い年だと分かった。
そうなるとこの突っ込みは避けるわけにはいかない。
「失礼ですが、高校は何処でした?」

高校名を聞いた途端わずかに動揺が走った。
「クラスは、文科、理科?」
「文科クラスですが・・・?」
クラス名を聞いて更に動揺。
隣の牧師様が、私の顔を見てニタニタ笑っていらっしゃる。

その後は当然の「行方不明者」の調査、
成果は・・・・、無かったが(泣。
現金なもので、その”筋”の方である事はすっかり忘れ打ちとけて話が弾んだ。
おまけに前売り券を二枚も買ってしまった。
党派を超えて、私の情報ネットワークは拡がっているのだ。



■2008.11.28  night  管理人

そうかいそうかい、
皆で、私の”野のユリ”の如く清く正しい”ラヴストーリー”を馬鹿にするがいい。
今夜は仕事の付き合い酒が有ったのだけれど、少し早めに切り上げてサロンに急いだ。
今季首都圏街宣闘争について報告せねばとの思い、酔客で溢れる繁華街を突き抜けサロンに急いだ。

牧師様の開口一番、
「その後の”あの子”の顛末は?」。
私は街宣闘争の報告に出向いたのに、牧師様はあの子に関する一連の顛末を報告せよと迫る。
この日記で”青春の総括”をしようと思ったのが間違いだったのか。

でもね、牧師様が私にこう云った、
「実は私もね、中学の時好きだった女の子の事、未だに引きずってるんですよ」
ほら見ろ、同じだ。
そういう事だ、

邪心多き者も、聖職者も同じだ。
藪さん、鍋山さん、その他大勢の皆さ〜ん、
そ〜いう事なのです。
闘争勝利!



■2008.11.15  morning  管理人

2回目の洗濯が終わった頃、辺りがやっと薄らとしてきた。
肌寒いのでフリースの上着を重ねる。
クリスマスローズの新芽が活き良いよく伸び始めている。
そろそろ鉢植えのレモングラスも部屋に取り込んでやらなければ。
それに、一週間先の”長征”の準備もしなければ。

「明日あると信じて来たる屋上に、旗となるまで立ちつくすべし」道浦母都子

不覚にも、何度も何度も真っ赤になる目をはばかりながら、
3日間の朝夕の通勤列車で、島泰三さんの「安田講堂 1968-1969」の2.5回目を読み終えた。
2.5回というのは、買ったとき日大全共闘に記述が及んでいるところだけを一度パクリ読みした。
それから少し経って完読。
さらにこの3日で再度読み直した。
一週間を控えて、どうしてももう一度読んでみたくなったし、読んでおかねばと思ったから。


「ハッハッハッ・・・・」
某大学の講師を務める牧師様の連れ合い、店内に響くような声で笑う。
苦笑するローザ姉御。
落ち込む私。
二人合わせて笑われてしまった。

残った仕事もあったが、定刻で切り上げサロンに顔を出した。
昼間の動揺を抑えて、稀な偶然と、軟弱にも揺れる心をローザ姉御に報告せねばと思った。
席に向かうと、牧師様のお連れとローザ姉御が座っている。
着くと早々に昼間の出来事を報告した。
でもお二人、
笑い飛ばすなんてヒドイじゃないですか(泣。

ローザ姉御の闘争心と、
牧師様の連れ合いの信仰心には、
私の動揺など、笑い飛ばすほどの些細なこと。
そういう事だ。



■2008.08.23  night  管理人

「桃太郎旗だけだもの・・・フッッッ・・・・・」
ローザ姉御が嘆く。
「いいじゃない、目立つだけでも」
私のフォロー。

ゲバラの旗を持って出かけた集会。
掲げられた旗は桃太郎旗だけ、
いわゆる風になびく旗が全くない。
私のブランクが長すぎたのだろうが、
いつ頃から、由緒正しき旗が集会から消えたのだろう。

中国に行っていたサロンの仲間にお土産を頂いた。
五輪見物ではない!。
残留孤児の支援に彼は関わっている。
其のことに関して、孤児支援で訪中していた訳だ。


しかしだ・・・・・・・、
マオさんのトランプなのだ(涙。
マオ語録でなかっただけでも良しとしないといけないのだけれども、
私はゲバラのTシャツが欲しかったのだが。
同じ赤い国だけど、隣国でゲバラは無理か。

my favorite songs は Me and Bobby McGee

歌の一節
昨日を返してくれるなら未来はいらない
ボビーと一緒の昨日のためなら
自由とは何ももたない事
ボビーは何も残さなかった
彼のブルースで気分は最高
気分がよければ私は幸せ
ボビーと私はそれで十分

もう未来のない私が「昨日を返してくれるなら未来はいらない」といっても、
神様は笑って聞いてくれないのだろうが。
格好をつけてそう呟きたいこの頃の心境だ(笑。



■2008.08.22  morning  管理人

長さが1m50、伸ばすと3mになるポール。
電車やバスでは目立つので、どうやって持って来ようかと悩んだ末。
今日はマイカー通勤にし、旗をなびかせるポールを持参。
マイカー通勤は止めたと宣言していたので、少々後ろめたいが、
大儀のため・・・、マァァ・・・いいか。

社共のなかで目立つためにはこれが一番。
赤旗でも黒旗でもないが、ゲバラの旗は気持ちいい。
個人的には、”反米愛国”の御印にはこれが一番とも思っている。
私のグループの旗印としても、しっかり認められた。
今日は繁華街でこれをなびかせる。


でぇぇ・・・・、何をするのかという弁が抜けているが、
まあ、それはいいではないか。
要は、この旗がなびけば、目立てば、それでよい。
細かなことはいいから、ゲバラよなびけ!
それでいいのだ。

闘争勝利!




■2008.08.02  night  管理人

反貧困全国キャラバン実行員会ちゅうものに招かれて顔を出していた。
この間、私等の幾つかの催しに協力いただいている労働団体の親分直々のお招き、
いわゆる業界の”義理返し”もあるし、むげには断れなかった。
当日間際の声掛け、長老にもローザ姉御にも連絡がとれない。
仕方ないから一人で出かけた。

反貧困キャラバンといっても、事前の予備知識は全くなし、
サロンの活動範囲が反戦・平和をモットーとしているため”分野外”、
本来なら、グループを名乗っての参加には事前の皆の合意が必要だが、
義理もあるし、”反貧困”というのは反グローバリズムであり、
反米愛国であるし(かなり無理があるが)、
事後報告することでよしと勝手に合理化。

「噂には聞いていましたが、サロンの方には今日初めてお会いしました」
実行委員会に参加している団体の紹介があった。
名だたる労働団体、大手単産、政党系列の団体の紹介の最後に、私も、サロンも、司会者からそう言って紹介された。
コツコツと社共の隔たりない講演会活動を重ねてきた、
両手に満たないジイ様と姉御共闘なのに、
嬉しいことに、その評判が独り歩きしているようだ(汗。

夕立が激しく降るなか、破れたビニール傘をさしてサロンに出かけた。
こんな時に限ってサロンの出席が悪い。
姉御も一時間遅れ、長老はサロンを終わって出るとこでやってきた。
雨でぬれた歩道で報告と立ち話。

反貧困キャラバンは嬉しいことに”社共”ごちゃ混ぜ。
賛同団体には連合も全労連も名を連れている。
「それぞれ団体の旗を持ちより賑やかに街宣行動をやりましょう」
実行委員会より賛同団体にこう要請があった、
やっぱこれだと、私等は”ゲバラ旗”でしょう、ノリの軽さは日大全共闘のDNAなのだ。



■2008.07.25  night  管理人

「エッッ・・・・2500円、堪えてよ」
「私も遠慮しとくよ、この芸人あまり趣味じゃないから」
「私も・・・・・・」
私とサロンの長老二人の返答も同じ、ローザ姉御の差し出す前売り券を断った。
「私もどうかと思うけど、頼まれたから」
ローザ姉御も渋々券を引っ込めた。

サロンでは、仲間の持ち込む前売り券は余程のことが無い限り断らない。
催しがどれだけ大変なのかは、私らが一番知っている。
義理も含めて自腹で何枚か引き受けたりもする。
しかしだ、この社○党の催しだけは頂けない。

「落語の芸人で人を集めて、何かするんでしょう」
「いや、落語を聞くだけらしい」
「ほかに何もしないの」
「それだけ、落語だけらしいよ」
「何故、わざわざ社○党ともあろうものが、落語だけなの」

以前、地元国立大学の学園祭にローザ姉御と出張ったことがある。
2004年10月31日の日記
「ゴミになりますのでお断りします」
フリージャーナリストの講演会のチラシを学園祭で配らして欲しいと実行委員長の女学生に頼んだ。
帰ってきた返答がこれだった。

学園祭のメインイベントはお笑い芸人のショー、
構内は模擬店ばかり、
他に何も無いのだ、
イラク戦争が勃発したこの時期に、お笑い芸人のショーと模擬店以外、本当に他に何も無かったのだ。

今の若者は・・・・、
今の学生は・・・・、
あの時は、そう嘆いたのだが、
今夜は、
いい年こいたオッサン集団が・・・・、
他にする事ないのか ぁ ぁ ぁ 。
福島親分、何とかせ ぇ ぇ ぇ!!!!!!!!



■2008.07.24  morning  管理人

黒の裾の広がったパンツに真っ白なブラウス。
先っぽがドーナッツ状になった本格的な”ブツ”を手に、私の傍らに。
見かけはビジネス街で見かける、颯爽とした働く女性。
しかし、よく見ると”違い”が分かる。
肩が張り出し、いかついのだ。
こういうお姉さんなら、投げ飛ばされてもいいかも(冗談。


主催者側にはハンディタイプの簡単な”ブツ”が事前に渡された、かざすとピーピーとうるさい。
彼女等は、こちら側が構えたセキュリティーラインの更に後ろに立っている。
要は、こちらを信用していないのだ。
見知った方をパスして通すと"主任格”が飛んできて私に厳しく言う。
「そんなじゃ、当方は責任をもてません」
言い方は善良な市民(笑)相手だから丁寧口調だが、態度は高飛車。

朝の打ち合わせ、
主任格と思しき方、私に詰め寄る。
「それで、どんなラインでやるつもりですか」
「女性のスタッフは揃っていますか」
「手荷物の検査済み証は構えていますか」
適当な準備しかしていない主催者側に矢継ぎ早に質問が刺さる。
結局、セキュリーティラインはお上の指導の下に構成。
バリケード守備隊の経験は全く役に立たなかった(泣。

耳にイヤホン、胸や腰に無線機を携帯した”筋”のにらみが行き渡る会館ホール。
最初で最後であってほしい”官民協働”の催しをやってしまった。



■2008.07.21  morning  管理人

朝の八時から夜九時まで、会館ホールにほぼ缶詰状態。
出入り口は開けっ放しなので、館外の熱気が流入しエアコンは殆ど効かない。
労組団体と共催の催し、場内整理の任を我がサロンが担った。
責任者はサロンの長老、私は補佐。

ローザ姉御が催しの前に嘆く事しきり、
「ア〜ア、これで全部・・・・・・・・」
あるハプニングがあり、催しの運営にお上のその”筋”が全面的に入ってきたので。
お上の介入を断れば催し自体を中止せざるを得ない状況、実行委員会は止む無く受け入れを判断した。

何とか無事終了、サロンの総括集会を持った、
総括集会といっても単なる茶話会なのだが。
「俺は、『やり方が手ぬるい、そんな事では当方は責任が持てない』と何度も叱咤された」
『別に、あんたらに責任持ってもらわなくてもいい』
「そう言い返したかったけど、言い返せなかってクヤジィ〜」

無事、盛況に催しが終了した達成感と、
お上にいい様にこき使われた悔しさ、
両方が入り混じった。



■2008.07.06  morning  管理人

「人は皆、幼いときは純なものです、それが年をとると何故か不純になる」
「でもね、更に年をとると不思議に純に戻る」(筆者要約)
中の様子を覗おうと開けたブ厚いドアから、講演者の話と聴衆の笑い声が漏れてきた。
講演の主旨とは全く関係ないたとえ話だが、
私も深く納得、そうだと思った。

講演会が近づいてくると、ローザ姐御の心配は頂点に達していた。
いつも”鉄の意志”の彼女が、先日のサロンでは珍しく弱音。
講演決行日の数日前、彼女からの悲痛な救援要請のメールも入ってきた。
自分なりに動員ではそこそこのところを回っていたので、
忙しさにかまけ、当日は出る予定にしていなかった講演会の助っ人に出張っていた。

嬉しかったのは・・・・・、
回った○共関連の職場でお願いした、その筋の方の顔が有ったこと。
それと、私のゲバラの旗をにらみつけた○共の長老さんのお顔も有ったこと。
そういう意味では、最近の活動は私の日頃の言動とは不一致になっている(笑。

もひとつ、嬉しかったのは、
次の国政に向けて頑張っている若い彼女が来ていた事。
質疑ではちゃっかり質問して、しっかり自分のアピールしていた。
「頑張れよ、応援しているからね」
私として、彼女の政党は色々有ってもろ手を上げてと云う訳には行かないが、
オジサンなもので、帰り際ついついエールをおくってしまうのである。

更にもうひとつ、嬉しいのは
鉄の意志のローザ姉御と、
弱音を吐いて嘆くローザ姐御、
その両方を私は知っている事なのだ。

「信じて胸に念じれば救われるのです」
「アッ・・・、**さん笑いましたね!」
受付の準備を一緒にしているとき、牧師様が私に言った下さった通り、
保守系を除く各政党筋の方々、各労働団体の方々、もちろんローザファンの市民の皆さん。
ローザ姐御の心配をよそに、会場は満杯だった。



■2008.06.23  morning  管理人

家を建て替えた時、床にワックスを塗るのを断ったので我が家の床は直ぐ汚れる。
特に梅雨時はジメジメベタベタするのでよろしくない、エアコンをかけて雑巾掛けをした。
小学校や中学校、廊下で雑巾掛け競争したのを思い出す。
ついつい気合が入って、今日は肩の痛みがぶり返している。

「アタシャ〜、何でやってるのか時々分からなくなる」
サロンの帰り道、駐車場までご一緒しているとローザ姉御が珍しく嘆く。
この春に定年退職した仲間はめっきり顔を出さなくなった。
サロンを一緒に立ち上げた仲間も色々とゴタゴタが有って殆ど顔を出さない。
姉御に牧師様、長老、私という顔ぶれがここのところの定番となっている。
鉄のローザ姉御も少々疲れ気味なのだ。

「いいじゃない、集まれるメンバーでやってれば」
「何か有ったとき、足場になれる存在と思えば気も楽だし」
「こちとら前衛党とは違うのだし」
そういいながら、自主上映する映画「靖国」の前売り券はしっかりとノルマで各自に配った。
「ほんじゃ・・また」
慰めにもならない言葉でサロンを終わった。



■2008.06.22  night    管理人

農獣医、やっぱゲバ棒欲しかったな・・・・。

先日のサロン、
私らのボックス席から一つ空けたボックス席、30〜40歳ほどの男性が一人背中を見せて座っている。
地味なポロシャツ姿で決して今様の若者姿ではない。
何をするでもない、誰かを待っているのかなと思ったがもう2時間余り。
ローザ姉御が、関わっている裁判について声高に話し始めたとき、気になってメモを彼女にそっと見せた。

この喫茶店でサロンをはじめるようになって数年、その間様々な講演会を開いてきた。
ローザ姉御の実行力は、当地の社共の皆さんにも一目置かれている。
一目置かれているのは革新勢力の皆さんからだけではないかもしれない。
メモをちらっと見て、ローザ姉御が話すのを止めた。
この前の集会の”ゲバラ旗”がよくなかったのかな。

私の思い過ごしならいいのだけれど、
昔の習性はまだ沁み付いている。



■2008.05.25  nightU  管理人

更に続いたサロンの歓談、長老が、
「某党委員会の地区委員長で面白い人を知ってますよ」
「貴方とほぼ同年輩」
「俺はトロに一度も負けた事がない」
そう云ってハバからないそうだ。

「それって私を挑発してるんですか?」
長老に突っ込むと、
「いやいや、そうでなくて貴方とはいいお友達になるのではと思って」
「今や、判で押した一枚岩のようなかつての党の時代ではないのですよ」
「彼はね、党中央からはかなりズレた人物」
「彼は、新日和見主義で茶坊主にならなかった人と思っています」

「オイラ、ミンコロには一度も負けたことがない」
売り言葉には、買い言葉。
私らにはそう云いきれる歴史的事実があるのだ。
珍しく、えらく興味が湧いてきた。
ローカルには”アチラ”でも楽しい方が居るようだ。
今度、機会があれば長老に紹介してもらおう。

※トロという呼称に対しては”ミンコロ”が最も適切な対応呼称でありますので、使用しています。



■2008.05.25  night  管理人

珍しく次男坊がひっこり戻ってきた。
車の車検が近づいたので、実家に届いている納税票を取りに来たと言う。
「お前さん、まだあの車乗るのかい」
有り難く母親から譲ってもらった10年物のオバちゃんカーである。
「別に、走れば何でもいいから・・・・」

「それで、車検の費用は大丈夫なのか・・・・・」
問い掛けると若干沈黙があった。
そうか・・・、そう云うことか。
「ボーナス出るまで、父さんが立て替えておいてやるよ」
そういう事だった。

金曜日の夜、サロンでローザ姉御と長老と歓談した。
話題は先日集会に掲げた「ゲバラ旗」。
「オイラ、見ていたんだけど、共産党のオバ(ア)様、こちらをキツイ目で見てたよ」
ローザ姐御と長老も同じくそれは感じ取っていたという。

ローザ姐御が云う。
「集会の途中で、時折サロンに来てくれる方が問い詰められたらしいのよ」
「貴方、今日はサロン(一派)で来てるの?」
問い詰めた方は共産党のオバ様族の親分格で元議員だとさんという。
「問い詰められた方は、『違います、***(共産党系組織)で来ています』と弁解したそう」


「”民主青年同盟”の旗持った方もオイラの隣りに居たけど、別に面切られなかったよ」
「それは、そもそも、ゲバラが分からないのでは?」
「解放同盟と新婦人の旗が隣りで仲良く並んで居たのは、珍しい景色だったよね」
「それなのに、何でゲバラ旗だけ面切りされたのか・・・・?」
やっぱ格調高き共産党のオバ(ア)様達、
どうも胡散臭いワタシ等は”トロ”だと決め付けられた、という結論に至った。
ゲバラ旗の意図は、当たらずとも外れていなかったようだ。

「これはこれは光栄の限り」
「ここは一つ調子に乗って、ワタシとしては、次回は”日の丸”か”黒旗”にしたいけど」
「日大全共闘は、赤旗も、黒旗も、日の丸も、全部アリだったよ」
サロンの雰囲気は、
「勝手にしたら」、という反応(寒ブ・・・。



■2008.05.19  night  管理人

まあ、目立とうと思って掲げたので他意はないのだが。
共産党のオバ様達はニコリともせず怪訝そうな顔で旗を眺めていた。
仲の良い新社の議員さんは笑っていたし。
意図は見事に当たり、僅かな動員数の社共合同の集会では目立っていた。
集会の終わり際、平和運動をしている若者が挨拶に来た。
ゲバラ旗効果だろうか。

集会後、サロンの総括茶話会。
「これで、貴方はその筋にしっかりマークされましたよ」
長老が意地悪く私に云う。
「あの手の集会、その筋が目をつけるのが正体不明の輩」
オイオイ、それならそうと手前に言ってくれなければ。
40年前の赤ヘル被っていこうかとも思ったが、被らなくて良かった。

「家にある日の丸の旗か、それともゲバラの旗か迷ったのだけど」
「反米愛国なら日の丸でもいいと思うし」
「黒旗でも良かったし」
社共と一緒くたにされなければ何でも良かった、
私の思想性とは其の程度のもの。



■2008.05.16  morning  管理人

「両手に満たない数の、じい様おば様共闘でして・・・」
「主なコンセプトは反戦平和、講演会などが主な活動でして・・・」
「会の名称はサロン・・・・・」
ここまで云うと、
「お名前はよく知ってますよ」

とある業界の集まりに招かれ祝辞を述べる機会があった。
その後の宴席、お客様のテーブルに座らされた。
片側には旧社系の議員さん、もう一方には今度国政に臨む候補者。
ローカルな地なもので、業界筋の会にでるとこういう顔合わせが時たまある。

片側はおっさん、もう一方は20才代台かなと思う若い女性、
白いスーツを着込み、候補者だから当然目は生き生きしている。
乾杯の後、片側の女性の方と会話を交わした。
隣りのオッサン議員よりは当然此方が優先なのだ。
「サロンは存じていますが、そんな年齢の方々でしたか・・・」

話していると、選挙区が私の居住区。
「よく街で見かけるポスターとはお顔が違いますね」
「席をご一緒しても分かりませんでしたよ」
ポスターはロングヘアー、実物は可愛いショートカットなのだ。
「選挙活動はじめたのが数年前、ポスターの写真はその当時のもの」
「すっかり歳を食ってしまいました」

隣りに席するのも何かのご縁、
ここは一肌脱がねば、
相変わらずお節介根性がムクムクと、
宴席に居る彼女の選挙区内の知人を一人一人紹介して巡って差し上げた。

云っておくが、決して候補者が若い女性であったからではない。
隣席したご縁と、サロンをお褒め頂いた事へのささやかな御礼なのだ。



■2008.05.15  night  管理人

近日に、珍しいことに、
ある事で社共の合同の集会が開かれる。
社といっても今は昔、今は民主と社民、それに新社の三派(笑)なのだが。
私も珍しく参加しようという気になったのだが、
そこは元全共闘・・・・・・、
一緒くたにされるのは嫌なので考えた。

ハタと思いついたのが、以前amanoyaさんに頂いたゲバラのテーブルクロス。
大きさといい、デザインといい、良いのだ。
指をブスリと刺し傷だらけになりながら、昔習った運針で紐を縫い付けた。
ウ〜ン、立派な旗印になった。


このゲバラの旗を掲げて、社共合同の集会に参加する。
なんか、嬉しいのだ!



■2008.04.18  morning  管理人

映画「靖国」のことで、ある会合にお招きを受けた。
サロンのローザ姉御と長老と三人でノコノコ出かけた。
勿論、”上映阻止運動”ではないので、其の点ははっきりしておく。
世の中、色々騒動があふれているが、
この間のドタバタにムカついていることもあってお招きに応じた。

色んなことに関わっていたら体が幾つあっても足らない。
色んな所に顔を出す、”観光”活動家をするつもりもない。
しかし、この「靖国」騒動は、久々に私等の感情を逆撫でするのだ。
「とにかく、軟弱すぎるのだ!」

会合の帰り道、ローザ姉御がのたまった。
「アタシャ〜、今でも変わらずマルクスは正しいと信じているよ」
唐突にこう云われても返答に困るのだが、
「・・・・・姉御、今時それは珍しいよ」
返答とは裏腹に本当は嬉しい。

姉御、貴方は見立てどおりの”ローザ”だよ。



■2008.01.26 morning  管理人

「まめに来ている人も、最近音沙汰ない人も、何方も来ませんか」
年末にサロンの新年会へのご案内を頂いた、私は後者だが(汗。
正月休み、メタボ予防の約二時間の徒歩で、金曜サロンの新年会に顔を出した。
お顔は知ってるが、親しく話したことの無い方の隣に座った。

それぞれ濃い面子、酒も入れば武勇伝も出る。
対面に座ったMさん、'70年前後は既に社会人、ご当地のメインストリートをデモってパクられた履歴をお持ち。
パクられただけでは武勇伝には成らないが、社会人をして当時の逮捕一号という名誉がある。
「学生は何をしていたのだ!」、と私は云いたいのだが。
そのデモの様子や、留置所での話に熱が入っていた。

「私も2〜3ケ月お世話になりました、ヨン・ニッパーで」
隣の方が突然話に入ってきた。
この方、国際的人権団体の当地の支部で活動されており、随分以前に講演会でご一緒しただけ。
「こいつ、○共じゃないかな?」
何となくそんな風に思っていた。

「ヨン・ニッパーと云いますと、東京で?」
「そうです、上京組みで」
「どこから上京したのですか?」
「広島大からです」
「広大、ひょっとして○中さん?」

話は思わぬ展開に入った。
あちら側と思い込んでいた方が、突然こちら側に回ってきたのだから。
「うちは”それ”以外なかったので、とりあえず”その”尻尾についていったのですが、とりあえず”それ”ではありません」
「そうですか・・・・、とりあえず”それ”ではないけど、”それ”なんですよね・・・・」
その話を聞いた途端、溢れんばかりの親愛の情が沸いてきた(笑。
「初めてですよ、このサロンやってて同い歳の当時の仲間にお会いするのは」

頂いた名刺の肩書きは「コデアルテコを支援する会」、裏にはこう記してあった
「コデアルテコ(codearteco)」とは
中米グアテマラの西部高原地域キチェ県にある小都市・コツァルの戦争未亡人等30名で作った民芸織物製品の製作販売プロジェクトで、Comite Desarrllo Artesanal Cotzalenzeの略。
コツァルは1960年から96年まで36年続いたグアテマラ内戦中最も弾圧の激しかった地域の一つで、その被害者も多く、特に、未亡人や子供の生活は今も困窮を極めている。女性たちが身に付けている唯一の技術が織物である



一月程の現地滞在で7〜10万円位の費用、支援のため年に何度もコツァルに出向いているという。
この方も、まだまだへたっていない。
私も名刺代わりに、後日、あの2作品のDVDを送ったのは云うまでも無い(笑。



■2007.12.21 morning  管理人

上意によりDVDの複製にせっせと励んでいる。
最近はこれで二度目。
一度目は経闘委の大先輩からの要請、
今回はローザ姉御。

「50枚ほど・・・・・、できれば100枚あれば・・・・」
つぅ・・・・たって、
「DVDの費用は出しますので」
でも、ラベル印刷もできればとの所望。
”格上”の姉御からの要請だから断れない。
更に追い討ちを掛けて、メールが入ってきた、
「前半40分をカットして、30分に縮める編集を」
編集って云われても・・・・・。
DVDレコーダーのHDDにある映像なら、容易に編集はできるが、ロムの映像の編集などしたことはない。

思いつかないから、ロムからMPEG2ファイルを取り出し、ソフトでカット編集。
これに2時間費やした。
このMPEG2ファイルを単純にロムに焼き付けても、家庭用のDVDプレヤーでは再生してくれない。
ハタと困って、思いついたのがハンディカムのDVD作成機能。
ハンディカムの映像保存ホルダーに無理やりMPEG2ファイルをコピペし作成実行。

出来上り試聴してみるがどうも変、映像に音声がコンマ何秒か遅れている。
工程に複数のソフトを使うと出る症状だと聞いたことがあるが、
映像が”芸術作品”の類ではないので、その辺は許してもらうことに。
こやって複製の元版がやっと出来上がった。

「え・・・と、30分なので約8分」
「50枚だと400分、100枚だと800分・・・・」
私のDVDドライブは4倍速なのだ。
所要時間を電卓で計算して、目の前がクラクラしてきた。



■2007.08.25 morning  管理人

休みの日は、起きると一番に洗濯を始める。
我が家の環境基準でお風呂の残り湯。
それから居間の片付け。
私は主夫ですので。

職場のデスクは乱雑、書類が散乱し、飲みかけの飲料はカビが浮いている。
「家は整理整頓、綺麗に片付けているけどね」
言い訳をするのだが、同僚には余り信用されてないようだ。
元々、小心で生真面目、シンメントリーでスクエアーな性格。

それが、何でもありのバリケード生活を200日以上、
追い出された後、転々とし桃井のコンミューンへたどり着いた。
生活スタイルは限りなくアナーキー。
結果、私のキャラは「繊細」と「どうでもよい」が奇妙に入り混じったものに。
世間一般の”性格破綻”とは呼ばないで欲しい。

昨晩は久しぶりに定刻に金曜サロンへ。
牧師さまから永く借りていた内田光子さんのモーツァルトを返す目的も。
行くとローザ姉御と長老が、遅れて牧師さまも、
よく考えてみるとこの前の選挙以来、ご無沙汰していた。

閉店の9時頃までワイワイガヤガヤ、
「仕事の方はどうだね」
「何処かに良い枝振りの木があれば、首くくりたい心境ですわ」
「でもね、プライベートの方は楽しい事が一杯有ってね」
キャラ同様、ギャップの大きい近況を報告。



■2007.07.14 morning  管理人

災害に見舞われている方々には不謹慎になるが、
あの男の熱気はついに台風まで呼んで来た。
でもさすがだ、
当時と違うのは、先を読むという”知恵”が付いた事だ。

一足先の戦闘機で彼は飛んだので安心を。
それとだ、アクセルだけの宰相と違い、彼には効きのいい”観音様”のブレーキがついている。
もっとも、ブレーキを掛けなければいけないのは当人より回りのサポーターではないかと思うのだが。
嵐の真っ只中での決行、あの同志らしい。

嵐の近づく昨夜、金曜サロンへ出向くのは億劫に感じたが、
先週の”総括”もあるので、雨に濡れながら参加。
総括といっても、ああだこうだとワイワイガヤガヤ、お喋りするだけなのだが、
これが、私の一週間のストレス晴らしなので。

街宣カーの先発組、むつけき男三人衆だったのだが、
皆、口々に「楽しかった」との報告。
当初の「楽しくやれば、それでいいのだ!」の目的は達せられたようだ。
後発の私はローザ姐御との二人組み、
傍目には街宣カーでのデートなのだが。


「街路市に行ってください」
「**に支持者が居るので・・・」
マイク片手に次から次に”指示”が飛ぶ・・・・・トホホ。
私としては先発”男組”の方が良かったと思ったのは後の祭りだった

隣の車窓から手を振ってくださる。
ボディーに貼り付けたポスターを歩道からじっと眺めている方、
嬉しくなる反応も有った。
真面目なローザ姐御に、”反米愛国”連呼の要望はついに言い出せなかったが。

おっと、○共さんの事務所、こちらに手を振っている。
あいつら、多分自前の”**の会”と勘違いなのだろ(笑。



■2007.07.05 morning  管理人

ついでの勢いで、この週末も街宣カーを借りることにした。
”反米愛国”の一点で街宣をやりたいのだが、
さような私の心情はさておいて今回は主旨が違う(笑。
予定候補者を見送った後の総括集会、ローザ姉御から強力な動員要請が発せられた訳だ。
街宣カーは3列シート8人乗り。

何処かの国のような自爆テロをやるわけではない、
飲み物買って、お弁当持ち込んで、仲良しの楽しいドライブと思えばよい・・・・、
そう言って、私もサイドからローザ姉御のフォローに回る。
私としては単純に○共や※民本部の真ん前で、ガナリ飛ばしたいだけの話なのだが。
かつての、跳ね上りブランキー魂が少し湧いてきそう(汗。

昨晩、幾つか電話があった。
遠くの地から、
「なら・・・、ついでに※島さんの連呼もお願いしますよ」
以下切り上げ、最大公約の全国連帯の要請を受けてしまった。



■2007.07.03 night  管理人

帰路、携帯電話が鳴る、ローザ姐御だ。
何時もの電話は淡々とした声なのに、珍しく上ずっている。
よっぽど嬉しかったのだろう。
何度も何度も「有難う!」って連発する。

そもそも、この予定候補者、ローザ姐御を頼っての一方的な押し掛けだった。
告示を直前に控え、あちらの都合だけでの日程。
有志の、若者の私も(笑、年長の大先輩達も、頭を突き合わせ、受け入れに途方に暮れた。
たったこれだけの手勢で何が出来る?。

「そうだ、街宣カーを借りよう!」
「辻演説やるなら県庁の真ん前、昼時だ」
「県庁に記者室があるから、そこに記者会見頼みに行こう」
「記者会見って、頼めばしてくれるの?」
「街宣カー、駐車違反ならオレが被るよ!」
こんな感じで皆が色々と案を出し合った。

辻説法を聞いていた有志仲間が、隣にいたご年配の質素な身なりの銀髪婦人に声を掛けられたらしい。
「折角遠くから来ていただいたのだから、知事さんを紹介しますよ」
最初は微笑み返して聞き流していたらしいのだが、更にこういう内容を続けられたらしい。、
「私は知事の後援者だから、行けば必ず会ってくれます」
私は同行をご遠慮したが、
候補者と有志代表はご婦人の顔パスで知事公室へ入り、知事の歓待を受けたという。

翌朝の新聞、4段記事で、写真まで載せてくれている。
民主党のKさんが来た時よりも記事の扱いが大きい、ざま〜みろだ。(根が単純なもので・・・・)
記事の中の「県民有志」という4文字が嬉しいではないか。
何度も云うが候補、”招いた”のではない、押し掛けてきたのだ。



■2007.07.03 morning  管理人

「私ら若いものがやりますから」
言われたのではない、此方がそう言った。

「もう少し若ければお役に立つのだが・・・・・」
今回の予定候補者をサポートする取り組み、
事前準備の打ち合わせで、色々メニューを提案するのだが。
サポーターにはオールド社会党や、60年安保、勤評、日韓闘争を経てきた世代の方がいる。

この世代の方々、革新と言われる政党の四分五裂の時代を経てきている。
無党派と言われる若者と同じ様に、この年配の方々も思いを託す器か無くなっているのだろう。
市民交流会はそういう年配の方々が多数いる。
私は、何時になったら年寄組み入れてもらえるのだろうか。



■2007.07.02 night  管理人

とある筋から街宣カーを借りた。
強力な街宣用アンプも付いている。
とある場所での、とある予定候補者の演説用にと借りてきた。
駐車場に着き、持ち主から拡声装置の操作方法を習う。

ローザ姐御を助手席に乗せ出発。
二人の話し合いに、結論は直ぐに出た。
「予定の時間まで、折角だから街を街宣しよう」
官庁街、大通り、ローザ姐御の声が響き渡る。

予定候補者の演説の後、聴衆の一人のご婦人がこう言ってくれました。
「この地で、宣伝カーで初めて”その名”を耳にしました」
「嬉しくて涙が出てきました・・・・」
涙もろいのは私だけの専売特許ではないようだ。

予定候補者は滞在4時間余り、
トンボ帰りで空の人となった。



■2007.07.01 morning  管理人

金曜の夜は八時前に仕事の宴席が終わった。
それでも六時ごろからたっぷり2時間、かなりの酩酊状態。
「この時間ならまだ金曜サロンに間に合うな」
街は昼間のような人通り、そういえば公務員の手当支給日。
千鳥足でサロンへ。

宴席を出たところで、日頃親しい同業の方と移動方向が一緒になった。
「これから年寄りの楽しい茶話会へ行くのですが、ご一緒しませんか」
「牧師様の楽しいお話も聴けますよ」
統一*会でないことはキチンと説明したが、
ゲバルト・ローザが口を尖がらせ、
「9条が・・・・」なんてアジり回るとはとは決して言わなかった。
新顔を引き連れサロンへ。

殆ど人気の無いビルで、土曜日も終日仕事。
私の勤めるビル、閉館日は空調が入らない。
ラフな綿素材の格好で出勤、お陰で汗が出ても不快感は少ないのだが、やはり集中力は落ちる。
ゴソゴソと、倉庫から久しく使わない扇風機を探し出しだしてきた。

私が小学低学年だった50数年ほど前、父の職場に行った事がある。
小学校の廊下と教室のような、戦後急造りのバラックの木造役所。
丁度、私が今勤めているビルの敷地に有った。
扇風機が回っていたかどうかは憶えていないが、
白い開襟シャツの襟を広げ、扇子でバタバタ扇いでいた父の姿が記憶に微かに残る。

その当時、既に現役だった元総理が亡くなった。
自民党のリベラルな方が”左翼”のように思える時代になった。



■2007.06.16 morning  管理人 wrote

昨日は6.15、私の周辺はカンパニア集会もなく静か。
財務対策の深刻な会議の余韻を引きずって、大幅に遅刻のサロンへ。
実は、疲れ果てて、そのまま家まで直帰しようかと迷ったが、
牧師様ご夫妻もみえると聞いていたので、小雨の中を参加。

「ワハッハッ・・・・、」奥のほうから笑い声が鳴り響いてくる。
「税関でね、不審者と思われ、そりゃ〜大変だったの!」
「そりゃ〜そうだよ、一人で千枚近くのTシャツを手荷物で持ち込めば」
「関税、ウン十万払えって言うのよ!」
実に楽しい話題に花が咲く。
牧師様の連れ合いの大学の先生が久しぶりサロンに参じてくださった。
東南アジアを訪問した際の帰朝報告集会の様相を呈した。
牧師様、この連れ合いの話を目を細めてお聞きになっている。

 九条Tシャツで検索すると・・・・・

我が妻は宴席で、独りの夜半。
ソファーに座し、牧師様から借りたままになっているモーツァルトを静かに聴く。
目を瞑っていると、旋律の後ろに母さんの顔が浮かんでくる。
もう直ぐ還暦のオヤジが、母が恋しくて涙ぐむ。
ピアノ・ソナタ第14番はそういう曲だ。



■2007.06.09 morning  管理人 wrote

短い出張からデスクに戻ると、メモ書きが。
「**さんから電話がありました」
早速電話を入れると、用件があるから話をしたいとの事。
「格」が違うのでこちらから、近くの事務所を訪ねた。

「実は、選挙でお願いしたいことが・・・・・」
「ウッ、選挙の出馬依頼か・・・・」、と思った(冗談です!。
「これで、一緒にやっていただけません」
パンフとある候補予定者のリーフレットを差し出して真面目顔で言われた。
ドブ板の一兵卒であれば、語りきれないほどの戦歴があるのだが、ジェネラル・クラスとの対等な物言いは後にも先にもない。

 Peggy March - I will follow him & Shadow in the mist

先日の共和国がらみの講演会は盛況で大成功だった。
開演20分前は20名ほどの入り、講師は顔が引き攣り、ローザ姐御は胸が潰れるほどの痛みだったという。
開演前の余りもの閑散ぶりに、講師は「飛行機代だけで、講師料はいいです」と、
主催者の懐具合を配慮しての申し出があったとの事、
講師先生、教養もさることながら、それだけでも立派な御仁だ。

それが、開演5分前、逆転満塁ホームラン!
受付には列が出来るほどの盛況、開演後にはイスが足らなくなり立ち見(聴き)が出るほど。
この手のイベントでは絶対有り得ない「○共」委員長も会場で確認、ローザ姐御の顔はさすがだ。
参加者の顔から、共和国がらみの、政治のなりふり構わぬ横暴に、多くの異論があることが読み取れた。

平均年齢60余才、5〜6名ではじめた市民サロン運動。
講演会を主とした活動を重ねるうちに、予想に反して既成の政党・団体の目に映る存在となってしまったようだ。
「そんな!、市民サロンで特定の候補を押すことは・・・・・」
当然だが、昨夜の金曜サロンは口角泡飛ばす、すったもんだの盛況。

選挙闘争、首都圏の赤ヘルさんは如何しているのかな?



■2007.05.24 morning  管理人 wrote

昨日から楽しみにしている督促(脅迫)メールは未だに届きません。
オヤジがコロリと引っ掛かった、今流行のYoutubeもどきを使ったのは評価しますが、
ご商売はもう少し真面目に、セオリー通りにやっていただかないと、
素人さんからは舐められると思うのですが。

サロンの姉御が、共和国(北)絡みの講演会を仕掛け、奮闘中です。
講演会の話を切り出された時、実のところサロンの皆は腰が引けたそうです。
私は繁忙につき活動休止中ですが。


姉御の気炎に皆たじろぎ気味。
「私は納得できない!、北を”だし”にあらゆるものの再編がなし崩しに進んでいる」
サロンの皆は、持論に全く異議は無いのですが。

そんな訳で、私らの遥か前を彼女は突っ走っています。
かつて居ました、こんな女性が。
私らは畏敬を込めて「ゲバルト・ローザ」とお呼びしていました。



■2007.02.17 morning 管理人 wrote

失礼な言い方になるかも知れないがその女性は”市民運動”のリーダーのような方。
「全共闘だった頃の運動は序章でしょう、本番はこれからよ!」
「その頃のお仲間の皆さん、如何しているの?」
「・・・・・・・?!」
彼女、豪快に「ワッハッハッ・・・・、」
えらいハッパの掛けられ方だった。

街頭スタンディングから再開し、久しぶりに出向いた金曜の市民運動サロン。
親分格のローザ姐御のトイメンにカップルが座っている。
「始めまして、お初にお目にかかります」
通り一遍の挨拶を交わす。
同席の長老格から紹介を頂く。

私の交友関係には無いジャンヌの方だった。
カップルはご夫妻、ご主人はキリスト教会の牧師”様”。
連れ合いは大学の教授をされているという。
仲介なしの出会いであれば、”教授”と聞けば拒絶反応が先立ちピリピリとしたシカトへ続く。
”牧師”は前例がないので・・・・???だ。

続いて長老がお二人に私の紹介をしてくださった。
前歴を含めかなりデフォルされていたが(汗。
ご夫妻とローザ姐御は先日「信教の自由」の集会で既知の間柄だという。
既に”前歴”が暴露されたのでその後の話題に躊躇は無い。

云いたいことを云っていたら冒頭の突っ込みと相成った訳だ。
教授先生、どう見ても頭デッカチのインテリ業種には見えない。
もう直ぐ「9条Tシャツ」を1000枚持参し、タイを訪問するという。
その次はウガンダへ出向くという。
最後までその前後関係が良く分からなかったのだが。

楽しい出会いだった。



■2007.02.11 morning 管理人 wrote

「皆、関心が薄いのよ」
「かつての”闘士”は皆何処へ行ってしまったのよ・・」
ローザ姐御がふと弱気の溜息を漏らしながら珈琲を啜る。
冷え切り強張った体の皺を伸ばす老人共闘の総括集会。
彼女のエネルギーは”猛烈”だ。

私が団塊世代の2年生だから彼女は一年生になる。
一昨日は仕事の関係で偶々訪れていたとある労働組合の事務局でバッタリ鉢合わせ。
僅かな伝を頼りに飛び込みで署名を集めていた。
彼女はある「県条例」制定の請願署名活動に邁進している。
私達の生活に深く関わるものだ。
否、正確にいうと団塊世代の私達には直接関係無い・・・、
私達の子供、孫、ひ孫・・・子々孫々に深刻に関わる事柄だ。

今回は強力な武器があった、ゲバ棒ではない。
i-podで'70年代のパッションを頭の中に充填し続けた。
背中と前にサンドイッチでプラカードをぶら下げた。
スタンディングだけでなく署名簿も持った、
このレトロ親爺が喋るとアジ演説になるので、誰にでも無言で微笑み返した。
かなり進歩したのだ(笑。

Yさん、エネルギーありがとう、
でもね、
本当は曲にはまっちまって、街の中で泣きそうになって困ったよ。



■2007.02.05 morning 管理人 wrote

腰が凍てついてしまいました。
プラカードを一時間余り掲げていましたので、寂しい頭もさることながら腰がフリーズ。
「暖かいものでも飲みに行きましょうか」
老人1名、ゲバルト・ローザ2名、初対面の青年1名の四名で暖かい喫茶店へ。

最初、青年は遠慮した。
余りに年の離れた構成に尻込みしたのだろう。
「僕はちょっと・・・・・」
「エッ、この後何か用があるの?」
「・・・・・・・・・、」
「私一人でこのお二人の相手は辛いのよ〜!、助けて」
話題が盛り上がると、彼女ら直ぐに気炎を上げるのだ。
私の十八番を完全に盗られてしまうのだ(泣。

 プールの帰り道の夕焼け

何とも奇妙な取り合わせで繁華街のオシャレな喫茶店へ。
初対面の青年、見るからに生真面目そう。
ご両親が教職で在ったらしく、真面目な”赤色”環境ですくすくと育った事が伺える。
彼女ら二人との組み合わせがどうしても解せないので更に突っ込む。
私のリトマス紙では○共感染反応は”陰性”、合格だ。

「いいのよ、私が払うから」
青年が差し出す代金を彼女らが突き返す。
彼は今無職という。
寒風の街頭に立ち、署名を呼びかける君。
世間は未だ捨てたものじゃない。



■2007.01.30 morning 管理人 wrote

暗闇が迫る一瞬、雲が黄金色に染まる。
何事でも一瞬は綺麗なものだ。
ちょっとしたフライングで殆ど休止中の市民運動に引き戻されそうになっている。
トホホッ・・・・の心境。


私らはその経験から、運動が高揚しそうな時には臭いで分かる。
騒動が起きそうなときも何となく臭って来る。
今回は少しそのい臭いをかいだ訳だ。
ついついお喋りになったら、ゲバルト・ローザ姉御にお縄になってしまった。

ジェーンさん、俺を挑発したなッッ・・・!
本当に、トホホッ・・・・の心境。



■2007.01.29 morning 管理人 wrote

ウ〜ン、懐かしいなあ。
米国の反戦集会に34年振りにジェーン・フォンダさんが登場したらしい。
私のHPも34〜5年振りだから、ブランクとしては同じだ(汗。
ベトナム戦争さなかの1972年、
敵国北ベトナムに渡り北ベトナム正規軍の鉄カブトを被ったエピソードを持つ。
ハリウッド・スターからの変身は物議をかもしたが、
ベトナム反戦のシンボルの一つで有ったことは間違いない。

Jane Fonda Jane Fonda

イラク戦争が開戦した時、
誰もが疑わず、この戦争のベトナム化は必至だと感じたはずだ。
残念だがその予感は的中し、
多くのイラク国民と米国の青年が毎日毎日傷つき死んでいる。
やるせない気持ちだ。

ほんの数人でささやかに市民運動を始めたのが数年前。
イラク戦争の開戦がその契機だった。
職場環境の激変と繁忙という個人的な事情もあり、ついつい参加はおろそかになりがち。
街頭行動(街宣)も一年以上ご無沙汰だ。

Barbara Lee Barbara Lee

そんな時、ジェーン・ホンダさんのニュースは励みになる。
なにせ、単純な性格なもので。
フムフム、ジェーンさんも歳とったな
そういえば、イラク開戦で唯一連邦議会で反対した議員も女性だったな。
我が市民団体の代表もゲバルト・ローザ姉御。
理屈よりも行動、その点で平和運動の顔は”女性”だな。



■2005.10.30  morning   管理人 wrote

昨日は定例の街宣行動日。
イラクの現状をフリージャーナリストにリポートいただく講演会への呼びかけ。
定刻には相変わらず3名、「しゃあない、始めるか」、アーケード繁華街に散る。
10分程すると仲間が1名、また1名と増え、昨日は何と7名の大量動員。
現金なもので自然と呼びかけの声が大きくなる。

嬉しくなって皆でお茶に行った。
金曜の夜は殆ど腑抜けだったが、爆睡のお蔭でリカバリー。
会員各々が取り組んでいる事の情報交換。
日中、河川の暗渠化反対・自然保護活動、反原発、女性九条etc・・・・、私は勿論管制塔カンパ!。
しかしまあ、皆個性豊かだ。

帰宅して夕刊に目を通して、フリーズ。
ド田舎の地方紙の夕刊*面、管制塔カンパ記事がトップで載っている。
共同通信配信かなと思い、ネットで関連情報を調べるがそうでもなさそう。
私の地元で、この手の(失礼!)ネタを記事にする記者は居ないはずなのだが。
*面トップ、*段抜きだよ。
よっぽど新聞社に電話しようと思ったが、かろうじて思い止まった。

あまり詳細情報は避けたいので、証拠の新聞写真だけ貼っとく。



■2005.10.29  morning   管理人 wrote

昨夜は金曜サロン。
管制塔サイトの勝利宣言と集会のビラを急遽プリントし持参。
何名かの方にはカンパを頂いている。
会長女史からもカンパをいただいている、「この運動をどう繋げていくかが課題でしょう!」
相変わらず手厳しい。

会の後半から疲れで集中力ゼロ状態。
皆の隙を見て居眠りをこく。
先週は巡業出張に土曜出勤、
今週は旗日も無く目一杯働いたのだ、金曜日の夜はドット疲れが来る。
会長女史の、「チラシが足りないの!」の一声にハット我に返った。

帰ると妻が「遅かったのね、一緒に食事に行こうと思っていたのに・・・」
簡単な夕食を取り、早々と床に就く。



■2005.9.11  morning   管理人 wrote

「貴方、電話ですよ」早朝、私を呼ぶ声。
こんな朝早く誰からと思いつつ受話器に、
低音の張りのある声、天野屋さんだ。
「いま一仕事し終えたところですワ・・」。
今日は選挙当日、投票場が開く前に”お仕事”をしていたらしい。
お仕事はかなり危険を伴うもの、怪我をされぬように。

先般の金曜サロン、久々にほぼ全員の出席。
私は勤務後に印刷機を回していたので、一時間ほど遅れて参加。
刷りたてのインクの匂うチラシをさりげなくテーブルに、この間合いが快感なのだ。
「あら、前売りチケットは未だなの?」
私はソファーでガクッ・・・・。

気をとり直して、とりあえず話題を逸らし
「この写真、ヤスダッッ・・・は何を考えている」、メリーゴーランドの写真を謗る。
しかし、会員からは意外な反応が、
「これは”戦前”の風景でしょう、こんな幸せな時代も有ったという安田さんのメッセージでしょう」
「・・・・・・・・!」
申し訳ない、感性の単調さを露呈してしまった。

before/after by Yasuda

安田氏はイラクの戦前、戦中を伝えたかったのだ。
イラクの戦後は何時来るのか、その戦後はどんなのだろう。



■2005.9.7  morning   管理人 wrote

写真を見て頭を抱え込んだ。
流れるピント、親子の楽しげなショットの部分だけピンシャリ。
メリーゴーランドの楽しげなイラクの親子。
我孫子亜細亜社の幻想的な写真の風情に近い。

安田純平氏のリターンバック、今秋に再びのイラク報告会を計画。
広報チラシに是非使いたいと会長女史から要望のあった写真。
安田氏と同業のパレスチナ・イラクで活動しているフォトジャーナリスのもの。
一枚は、ショールの奥から悲哀に満ちた眼差しで見つめる少女。
もう一枚は、両手で頭を抱え込み嘆く老女。
見るものに全てを訴えかける力作だ。

よく考えれば分かるのだが、余りの写真の説得力につい作業を進めようとした。
しかし、幾らなんでも同業・競合のジャーナリストの写真を使うのは・・・、
当たり前の事に気付いた。
「こりゃ〜仁義に欠けるワ・・・」
「使用許可(有料)について、大変失礼なお願いをしてしまった」
そんな訳で、改めてフォトジャーナリストでもある安田氏にお願いして送ってもらったのが冒頭の写真。

「ヤスダ・・・・!、お前は何ッッを考えているのか」(絶叫調)
送っていただいた写真は、もう一枚有る。
撃ち抜かれ血まみれになって横たわる男性の「死体」
意味不明と即物的なショット、私の広報としてのセンスがついて行けない。

 著作権のため、縮小し画質は故意に落とす

幸せそうな、メリーゴーランドのイラクの親子。
私のイメージより、もっと深いメッセージが有るのだろうか。
会長女史はチラシをせっついてくるし、
写真を前に、単ゲバの私はフリーズしている。



■2005.9.5  noon   管理人 wrote

やっと一人支援者が出来た。
今の付き合いの仲間に支援をお願いするが、今一映りがよくない。
管制塔占拠?!?!・・・、テーマがテーマだけに皆が腰を引く。
イラクの平和と、管制塔占拠が抵抗無く繋がるには、それなりのキャリアが必要のよう。

私には、原発反対も、イラクの平和も、辺古野も同じ、何の抵抗も無く繋がるのだが。
でも・・・・・左翼じゃないぞ、
レーニンもマルクスも知らん。
理解するには、ちとお頭が足らなかったのが真実なのだが。

金曜サロンのメンバーで一人だけいた。
「カンパいいですよ、こんどの会で戻しますので立て替えて振り込んで置いてください」
長老格の御大、私が足元にも及ばないキャリアの持ち主。
サイフに僅かに残っていた万札を携え郵便局へ。
ゴタゴタは嫌なので、備え付けの二部複写でお昼休みに振り込んだ。



■2005.9.4  morning   管理人 wrote

>テレビに映っていないものは、存在しないのです。「存在するとはテレビに映っているということだ」
>テレ・ビジョンとは、遠隔的にモノを見せる機械ではなく、私たちを見ることから引き離す機械なのです。

おっとせいさんの紹介のパクリですが、いやホントに明解。

褒賞を頂きました。
金一封、しっかり領収書にはサインをさせられましたが。
映画東京原発自主上映の取り組み、広報他で私の功績大との評価を頂いた訳で。
前売りチケット分も入れて、動員計画(希望値でもありましたが)の1・5倍の結果が確定。

映画自主上映の実行委員長女史、誇らしげに預金通帳を見せてくださった。
金一封を握り締め、
「ウッ・・・ウッ・・・、これ管制塔にカンパしてもいい?・・・」
同席の金曜サロンのメンバーから異論は無し。


今秋、再度予定のイラク報告会。
相変わらずチラシのデザインで要望がキツイ。
「自分で作ってみろ!・・・」とボヤキたくなるのだが、サロン会長女史のご希望は絶対だ。
『写真をコラージュ(?)的に入れて、文字は少なく、センスの良いものを』。
言って下さるではないか。

サロン会長女史、パレスチナやイラクで写真を撮り続けているフォトジャーナリストの写真が良いという。
これは勝手に使う訳にはいかない。
著書や写真集の販売・宣伝に協力するという条件で使用許可のお願いメールしているが、
なかなか返事が来ない。



■2005.8.9  morning   管理人 wrote

「この個別特殊性を持った闘争に、私はねえ・・・、普遍性が有るのではと拘っているのです」
この女性、膝に手を揃え、真面目に聴いてくださる。
隣の女子大生が席を移動したので、その隣の妙齢の女性と会話を交わす。
何故、こんな席にくだびれたオッサンが自主上映に関わって居るのか不思議なのだろう、又しても向こうから話し掛けてきたのだ。

東京原発自主上映の打ち上げ会、半分以上が女性。
昨年、市民運動に関わりだしてから”節操”が飛んだ。
少し会話が進めば、すぐ斬った張ったの話になる、打ち上げ会もしかり。
まあ、それなりの意識を持って集まった方々だから、居酒屋でくだを巻くよりはましなのだが。
「ゲバ棒・・・、なんですかそれ?」
「トロ ・・・・・・・・???」
話は途中で寸断されるが。

でも、
私が市民運動に関わりだしたのは、この日大闘争を伝えたかったこともある。
個別・特殊な学園民主化闘争であったが、
あの地から湧き上がるようなパワー、
あの共生感、
何かの萌芽がありかけ、潰えた試み。
理屈ではなく、私の感性で伝えたいのだ。


この土日、次男坊はほとんど部屋にこもったきり。
「おい、どうしているんだ」、夕方部屋を覗き声を掛けると
「少し勉強」
机に条例や法令集を積み上げている。

次男坊の新しい部署は管理部門という。
この新人君の机にも、現場や出先から色んな稟議が回付され積み上げられるらしい。
決済について意見を述べると、
”昨日今日の新人に何が分かるか・・・”、という上司の対応だったらしい。

言われて当然だが、「カチンときた!」
此処からが真面目一辺倒の新人と、元ヤンキー上がりの違いが。
「2ケ月で、誰にも遅れを取らないエキスパートになってやる」
職場から資料をかき集めガリ勉を始めたようだ。

このパターンは高三でも発揮されている。
ヤンキーのツッパリ、進学指導の先生にも見放され相手にされなかったらしい。
「それじゃ〜、やってやろうじゃないか」
二学期からは学校を(真面目に)ふけて、誰も居ない自宅で集中学習。
幾つかの合格通知を聞いた先生が(親も)耳を疑った。

昨夜、喜々として報告があった。
「父さん、決済を回付すると、解釈について予想通りの質問が上司からあったよ」
「それでどうなった」
「決済の根拠を説明すると、黙ったよ」
「お前新人だろう、職場で嫌われるなよな」

私には無いDNA。
多分爺様のが隔世遺伝したのだろう。



■2005.8.6  afternoon   管理人 wrote

オッサンには似合わぬお洒落なレストラン。
金曜の夕方、仕事の延長のくたびれサラリーマンスタイルが店の雰囲気にそぐわぬのだが。
東京原発自主上映の打ち上げ会に参加。
若者も居るではないか。


私の隣は若い女性、地元国立大の人文系の学生で3年生という、
申し訳ないが、見た目はもう数歳上、女子大生というよりはOLという風情。
「お仕事は何をされているんですか?」
身なりも上品、色々と話しかけてくれる。

これでは私の得意ネタ、斬った張ったのオハコが出せないではないか。
途中で、この綺麗なお姉さん風女子大生に取り合うのは止めた。
矢張り私の得意分野は、”ボロ”はまっとても心は錦の原理主義者。
残念な事に”自然食”原理主義の方々は参加してなかった。

自主上映の収支の報告が有りました。
必要な経費を全て賄っても、結構なお金が残りそうだとの報告。
「このお金を何に役立てましょうか?」
実行委員長の女史から皆に問いかけが。

ボランティアの皆さんから無償提供いただいた労力は半端なものじゃない。
労賃を計算に入れない収支だから、お金が残る訳。
そんな思いも有って、
「パッと、皆で飲んじゃいましょう!」
皆の冷たい視線で針ムシロ。
私は少しばかりのネットワークが出来ただけで十分、後はどうでも良いのだが。

明日は母の16回目の命日。



■2005.7.23  morning   管理人 wrote

泰山木の下が一等地、
冷気を味わおうと早起きをしたが、もうセミが賑やか。
うだる様な季節も、この朝のひと時だけは爽やか。
小一時間ほど新聞を読む。

昨夜の金曜サロン、モーツァルトをリクエストしようと少し早めに行くが、既に仲間が。
元々、ここは正統派クラッシック喫茶。
下駄履きの軽装、どうみても仕事明けの格好ではない。
「今日は夏休みだけど出てきたよ」
「預かっていた東京原発自主上映のチケット代も払わなくてはいけないからね」


自主上映の実行委員長女史が遅れて来る、
上映会の成功ににこりとガッツポーズ。
「ところで委員長、打ち上げはないのですか?」
「自然食原理主義の方々が多いので、居酒屋での打ち上げは無理なのでは?」
「肉・魚、添加物てんこ盛りのメニューだと・・・乱闘になるのでは?」
成功した余裕だ、きつい冗談も出る。

5時半から3時間、時間の経つのは早い。
「安田純平の報告会、会場と日程は決めました」
サロン会長女史の報告、独断・先行が相変わらず小気味良い。
イラクのその後とアチェ、マスコミでは聞けないレポート。

ミーハーの私は、講演会のキャッチコピーに拘る。
Return Back! YASUDA’S Report
自主上映会では、地元の若者のグループとも少しパイプが出来た、
今度こそ老人共闘から脱皮しなければ。



■2005.7.18  morning   管理人 wrote

早朝、庭で新聞を読む。
コーヒーを点て、蚊取り線香を焚き、ベンチに腰掛ける。
セミの抜け殻が庭木のあちこちにぶら下がりだす、
私は梅雨明けのこの時期が、一番夏らしく好きだ。

新聞の地元ローカル記事が掲載されている紙面、
昨日開かれた「障害者自立支援法案」の、障害者の定率負担に反対する集会の記事。
法案は自立支援ではなく障害者の自立破壊だと訴えている。
政府の進める「福祉切捨て政策」の一環だろう。


集会後のデモ行進の写真が掲載されていた。
良く見ると、一昨日上映会でご一緒した女性が先頭にいる。
黒い作務衣のような服で、点字の資料を作っていた女性だ。
聴覚障害の方に、トランスミッター付きのヘッドフォンも配っていた。
無造作に髪を束ねた、質素な身なり。

上映の合間は、ひどく疲れた様子でソファーに沈み込んでいたのが印象に残っている。
自主上映について、四十数団体の協賛・後援を頂き、平和団体、労組、環境・暮らしを見直す団体、医療・福祉も数多く、その中に障害者を支援する方々もいた訳だ。

構えなくてもいい、
とにかく集会に出てみることだ。
そこには、一銭にも為らないのにひたすら頑張っている方々がいる。
銭金では無いネットワークがある。



■2005.7.17  morning   管理人 wrote

うまく表現できないが、更紗を頭に巻きつけつけたアジアンテイスト風情の若い女性。
ロビーのソファーに座り、何やら点字の文章を作っている方々。
とにかく様々なスタッフ、私の知る限りの”集会”とは景色が違う。
自主上映の委員長女史、四十数団体の協賛・後援を集めてきた。

私はハレ・クリシナ風は苦手なのだ。
ハレ・クリシナ?
正確な表現ではないが、70年当時、ヒッピーとは一味違う黄色い袈裟をまとい蓮華太鼓を打ち鳴らす集団がいた。
いろんな集会に登場するのだが、如何せん我らの理解が及ばない。
平和を訴えているのは分かるのだが。

Indian Gods Krishna

更紗を頭に巻きつけた風体には、この70年ごろのトラウマがある。
理解できなかった弱みとも云い換えれるが。
とにかく単ゲバ派の私は最初に拒否反応が出る。
何やら本よ読んでいるので脇から覗き込むと、自然食の”洗脳本”の様。

チケット・モギリ役のスタッフで、アジアンテイスト風情女性の隣は、
もう一年くらい会っていないNPOの仲間が。
見間違えるほどにスリムになっている。
最大限の表現で「痩せたね、見間違えるほど綺麗になったよ!」
当然、満面の笑みが返ってくる。

聞けば自然食レストランに勤めており、この一年程で20Kg程スリム化成功という。
そう云えば協賛団体で自然食の団体がいた。
隣の私の苦手なタイプの女性も仲間だと云う。

「そうか、やはり自然食・原理主義の宗教にかぶれたか!」
「違うよ、宗教じゃないのよ」
「でも宗教でもいいじゃん、それくらい綺麗になれたのだから」
「違うってば、宗教じゃなくて、ちゃんとした自然食だから!!」

スタッフの昼は、この自然食レストラン仕出しの弁当。
肉食派の私には辛い、肉、魚無しの赤いお米のベジタリアン弁当。
量も少なめで750円は高いと思うが、素材にこだわっているのだろう。
でも、結構旨かった。



■2005.7.17  morning   管理人 wrote

もう二十年ぶり位だろうか、白い顎鬚を蓄え聖人の風体。
1969年4月28日、彼は地元国立大より全国動員で東京新橋にいた。
それから地元に戻るのに半年以上かかったと聞いている。
付き合いこそ極稀だが、親愛の情を感じる数少ない仲間だ。

私の作った自主上映のチケットを握り、受付にやってきた。
彼が職場で販売したくれた代金も持参して来ている。
肩を叩き「よう、元気か!」、にこっと笑う彼の笑顔。
深く刻まれた皺、白い顎鬚に、彼のこれまでの苦難の人生が浮かぶ。

彼は幾つか職を変えた後、40才近くにして一念発起し高等看護学校に入った。
役所に願書を貰いに行くと、高校の進路指導の教員と間違われたという。
若い女性にポツンと混じり看護師の資格を取った。
それから十数年、今は大きな医療施設の看護師長になっている。

私の自主上映のスタッフとしての役割は「会場警護」。
少し冗談も込めて、「私の得意領域は騒動、もめごと、小競り合い、会場防衛隊が適任です」とメールしておいたら、本当にその任を仰せつかった。
で・・・・、結果、それなりの仕事は無かった訳だが。

自主上映は500人収容の公共のホールを一日借り切った。
採算ラインは300名。
地元の新聞は450名参加と報じてくれているので、まずまずの成功だろう。
高校の一つ後輩の実行委員長女史、彼女は実に頑張った。

(善意の方から、看護士は誤りで看護師であるとの指摘を受けました、お詫びして訂正します)



■2005.6.27  morning   管理人 wrote

先の土曜日も街宣活動を敢行。
先週に続き2回目、又しても脱落者し。
3名の少数先鋭だと悲壮感が出てくるのだ。
終わり際にポリスが2名、巡邏してきた。

会長女史の方に近づいてゆく。
女史の顔、少し強張るのが見て取れた。
配るの止め、そちらを注視する。
ポリス2名、ビラにも女史にも目もくれず通り過ぎる。

「アタシャ〜、ポリスにビラ配ってやろうと思ったんだけど・・・」
やはりそうだった。
この会長女史ならやりかねない。
一抹の不安と期待を持って注視していたのだが。

180円コーヒーショップでの3名の総括集会。
彼女の気炎は上がる一方。
次はハンドマイクで”演説”(アジではない)をしたいと。
会長女史、無視されたのが良かったのか、それとも悔しかったのか。



■2005.6.18  night   管理人 wrote

繁華街で一時間ほど配ったろうか、金曜サロン一派はへたっている。
サロン会長女史も午前中は勤務、私も勤務でぶっ通しの連絡会議の上がり。
もう止めようか、という暗黙の目配せでベンチに腰を下ろすが、
主催者の彼女は一向にビラを配るのを止める気配が無い。


配る前に、主催者の彼女に「30〜40歳台の男性はまず受け取らないよ!」とレクチャ。
しかしレクチャした私がムッと来るほどこの年代層は完璧な無視。
こいつら、例外なく100パーセント無視してくれる。
ビラに目をやったり、視線を合わす事すらしない。
「いいですよ、遠慮します」と言うような表情でもしてくれれば、少しは気持ちも救いようがあるのだが。
昨年に続き、全く同じ様にシカトされ続けた。

サロン一派でベンチに腰掛け、日和見主義的に雑談を30分ぐらいしていたろうか。
さすがの彼女も疲れて引き上げてきて、「お茶でも飲みに行きましょう」
オバ様2人とオジさん一人の奇妙な組み合わせで喫茶店にご入店。
30分くらいのお喋りのすえ、今日の街宣行動は盛り上がりに欠け終了した。



■2005.6.18  morning   管理人 wrote

午後6時を10分ほど過ぎていつもの喫茶店に入った、指定の席には未だ誰も来ていない。
壁面の液晶大画面にはクラッシックの演奏が映し出されている。
この喫茶店、今では珍しいクラッシックを流す店。
昔と違うのは液晶大スクリーンにDVDを流している、かつてのお皿とは違う。


水曜日、メールで「金曜日サロン」開催の通知が会長女史から入っていた。
メールには「土曜日の街宣行動やりますか?」との案内も。
直後に「映画 東京原発」上映会主催者の女史からも、「皆さん是非お願いします、私は一人でもやります!」とのメール。
私はこういう”ゲバルト・ローザ”は好きだ!。
私が一人にはさせません。

しばし綺麗なお姉さまの演奏するバイオリン曲(曲名不明)を聴いて(見ている)いると会長女史が現われ一言。
「今日は皆用事で来れない見たい・・・・」
ウ・・・ム、これでは金曜日の熟年デートになってしまう。
二人で他のメンバーの悪口に花を咲かせていると、上述の”ゲバルト・ローザ”さんがやっと登場。
明日の街宣行動について結集時刻や場所を確認。
寂しいが3〜4名の大量動員になりそう。

最後に白髪の60歳台の御大が登場。
結局昨日のサロンは4名、いつものように隣のボックス席を解体・再編することも無く4人席でジャスト。
しかし4人でも熟年パワーは衰えていない、気が付くと9時間近まで。
明日の予定を確認し解散。



■2005.6.11  night   管理人 wrote

「会費は幾らですか」、サイフを取り出そうとする。
今日の午後、「映画 日本国憲法」の鑑賞会。
このDVDは個人観賞用、お金を頂く訳には行かない。
上映会ではなく鑑賞会、著作権者に対するケジメだ。

そのため、呼びかけにチラシも作らず、投書もせず。
ひたすらごく身近なお誘いだけに止めた、これもケジメ。
それでも17名の方が鑑賞会に参加。
私はこの映画を観て、真面目に憲法の事を考える様になった。
「お前、その歳になって遅いぞ!」、誹りを受けそうだが。

金曜サロンで会場費を全額負担、
その上、会長女史は缶飲料とおにぎりを買い込んできた。
軽食、飲み物付きで無料の鑑賞会。
それでも前回の講演会の余禄がまだ十分ある。

鑑賞会の後は、サロンお得意のお喋りタイム。
”労組出身の年金生活者”と自己紹介された方、さすが歳の重み、話す内容に説得力がある。
憲法に拘る方は、多少とも戦争を体験しているか、体験者の生の話を伝え聞いた年代。
この方々がだんだん少なくなり、殆どが戦争を知らない世代に変わっていく。



■2005.6.11  morning   管理人 wrote

チラシ1000枚とポスター100枚、小脇に抱えると結構重い。
入梅間近の夕暮れを汗をかきながら歩いて会場に向かった。
NPO団体が入居するビルの2階、会議室は未だ電気がついていない。
室に入り照明のスイッチを入れようとすると、部屋の片隅で若い女性が椅子を並べてスヤスヤ寝ている。
・・・・・バリケードの片隅で、椅子を並べて寝ていた頃を思い出す。

少しそっとしておいてやろうと、階下ホールのコーヒー自販機前で一息の時間潰し。
やがて仲間が来たので一緒に上がっていくと、照明も点き彼女も起きている。
少し目つきの怖い、宗教団体でよく見かけ(失礼!)るような知的な風情の若い女性だ。
質素な衣服、今時の若い方とはかなり雰囲気が違う。

昨日は金曜サロンが「映画 東京原発」実行委員会に合流した。
この実行委員会、夜の部の他に昼の部もあるらしい。
昼の部は主に家庭の主婦が中心、夜は私らのような真面目な”勤労成年”がメインという。
しかし、昨日の夜の部は私らの金曜サロン一派に、この若い女性と勤労青年、少し遅れて参加の女子大生の三人を加えただけ。

日頃、若者と接していないサロン一派、
当然この若者達を餌食にと思ったが、開会一番に強烈なパンチが若い女性から。
入梅前の蒸し暑い夕暮れ、私は室に入るや抵抗なく会議室のエアコンをONに。
部屋にはそよそよと涼しい風が充満してきていた。

「私、発言の前にお願いがあります・・・」
「こういう会でエアコンをつけるのはどうでしょうか?」
「私、個人的にもエアコンは嫌いだし、体調も悪くなります」
やられた!、と思った。

初老世代の金曜サロン一派、エアコンのガンガン効いた喫茶店で何時も集っている。
サロン共通テーマの反戦平和と、エコロジカルな地球環境は表裏一体なのだが。
初老・団塊世代の身勝手さを手痛く指摘された気分。
オジサン達は素直に反省。


実行委員会は経過報告と、当日のサポート要員の確認を最初に。
後半は、講演・上映会に向けて若者たちが学習(?)してきたプレゼンテーションタイム、真面目だ。
久々に若い方の話をゆっくり聴かせて頂いた。
サロン仲間の一人が持ち込んだパソコン、プレゼン中のカチカチというキーボードの風情の無い雑音が音が少し耳についたが。

終了後、階下のホールで”宗教風情系”の女性と雑談。
「学生さんですか?」と聞くと
「まだ、学生気分で暮らしています」と応えてくれる。
私は今時の女性は苦手だが、こういうタイプの方は苦手ではない。

このタイプだと私の守備範囲。
全共闘の時代はこんなもんじゃなかった(笑い、
超ハードなお姉さま方と向き合ったのだから。
だから話題を繋げるのは結構得意、雑談しているとだんだん彼女の表情も緩み笑顔が出てくる。
学生時代の仲間達と山奥の棚田を開墾し、無農薬・有機農業を目指しているという。

場所を聞くと、私の地元の山奥。
耕運機を買おうかどうかで皆でもめているという、”もめてる”という一言で親近感が沸いてきた。
雨が降らなければ土日は何時も耕しているというので、今度”視察”で行ってみよう。

今日午後は「映画 日本国憲法」の鑑賞会。



■2005.5.21  morning   管理人 wrote

繁華街のど真ん中のビル3階、座席数は200を超えている広い喫茶店。
金曜サロン、常連の喫茶サロンが改装で使えなくなってここ数ヶ月こちらに移動してきている。
座席は勝手に動かすは、パソコンを使うは、長時間ねばるはで、某弱無人だがウエイトレスは文句を言わない。
最近は向こうが慣れてきて、伝票を一人一人分けてコーヒーを届けてくれる。
何回かこちらで開催しているうちに、私ら金曜サロンも常連になったようだ。

しかしこの喫茶店、繁華街のど真ん中なのに、7時も越すと年配の客ばかり。
平均年齢60前後の私達若者が居ても何の違和感も無い。
同年輩のグループが少し席の間を空けつつ其処此処に。
疑問なのは、この時間にチョー若い方たちは何処にタムロしているのだろう、やはり郊外なのか。

先日入手した「映画 日本国憲法」を愛機バイオで再生しながら話を進める。
今後のイベントの取り組み、街宣活動(右翼?)の日程。
東京原発の自主上映、6月に2〜3回街宣をとの提案、
街宣では会長女史、どうしてもマイクが必要と主張。
葬儀屋が使うようなスピーカー付きのマイクなのだそうだ、・・・・?
もしかしたら、「我々はーーーー!!」とやってくれるのか、期待。

60才を平均の若者(?)が、何も決めずに集まる、勝手気ままに喋る、
話はまとまりつつ散漫に、散漫になりつつ、そこそこまとまる。
サロンがサロンたる所以、拘束事項は何も無い。
昨日は32歳のチョー若者が登場、「映画 東京原発」の自主上映会に協力したいとの旨。
知的障害者の授産施設で働くチョー若者、私ら若者の間に混じってかなり萎縮していたが。

話がアカデミックにグローバーリズムに及んだので、昨日旗旗さんのブログに掲載されていた「だれが中国を養うのか?」を知ったかぶりで披露。
旗旗さんのブログは、私と違ってアカデミックに教養溢れる内容だ。
欠かさず読んでいる。
そういえば、この論を出した”レスター・ブラウン”という偉い方は、米国の農務省の官僚だそうだ。
「映画 日本国憲法」で、「小泉首相は歴代の宰相で最も愚かな首相だ」と切り捨てているのは、米国CIAの元顧問”チャルマーズ・ジョンソン
緻密で正確な状況把握をしているのは、「愚かな左翼」ではないようだ。


■2005.5.14  morning   管理人 wrote

先週の金曜日は、オジサン二人で全く盛り上がらなかった金曜サロン。
昨日は、会長女史の帰朝報告も兼ねて大いな盛り上がり。
「東京原発」自主上映のGY女史さんも加わり、大幅に時間オーバー。
やはり何事も、年齢関わり無く、男女ミックスが自然生態なのか。

「会長、カラシニコフAK47を持った写真が無いですねェ・・・」
「アルカイダのキャンプの写真も無いですねェ・・・」
日本から直行で10時間足らずの某国へ、連休に出かけていた会長女史。
彼女が居ない金曜サロンは、炭酸の入っていないコーラ。
人の魅力(女の魅力ではない!?)というものをつくづく感じた。

映画「東京原発」の前売り券、千数百枚作成しGY女史に提供していたが、
前売り委託が順調で、残り100枚程になったと言う。
私らの「イラク現地報告会」は総数で600枚のチケットしか作らなかった。
生え抜き、政党に引き回されない市民活動家のパワーを見せ付けられる。
女性の地力に恐れ入る。

6月に入ると、東京原発自主上映の実行委員会に是非参加して欲しいとの要請。
会長、二つ返事でOK。
この実行委員会には、上映の”前座講演”の地元国立大学の偉い先生も出てくるらしい。
「う〜ん・・・・・、困った!」
「何が困るの・・・・?」

「俺はな、大学教授とかインテリとか見ると、攻撃的性格に変わる二重人格者だから」
これは、日大全共闘行動隊が持っている血統なのだ。
ところで、この自主上映の仕掛け人GY女史、
昨日全共闘丸出しで楽しい会話をさせていただいたが、
知り合って数ヶ月、高校の1年後輩だったと初めて知った。



■2005.5.3  night   管理人 wrote

今日は朝5時起き、9時には掃除洗濯を済ませた。
雑巾がけもバッチリ、我が家はフローリングにワックスを掛けないので結構手入れが大変。
10時からお目当てが有った。
憲法の日にふさわしい「映画・日本国憲法」DVDの鑑賞会。

映画 日本国憲法

ジャン・ユンカーマン監督、アカデミー賞ドキュメンタリー部門にもノミネートされた監督、
ノーム・チョムスキーをインタビューした「チョムスキー9.11」は、私が観てみたい数少ない映画。
「映画・日本国憲法」は、このチョムスキーのインタビューも入っているし、女性の権利を謳った24条に尽力したベアテ・シロタ・ゴードンさんも出ている、
是非見たかったDVD。

「日本国憲法9条の改正問題は国内問題ではない、アジアを巻き込む国際問題だ」と述べた中国の作家・映画監督の班忠義さんの言葉が印象的。
チョムスキーは教祖のような存在感がある学者。
大きなスクリーンでもう一度見てみたいものだ。

しかし、今日は日記が格調高いなあ・・・・!。

ところで、鑑賞会の受付、気が付くと我が金曜サロンの長老で行動隊のHさん。
示し合わせたわけでなくバッタリ。
聞くと、この鑑賞会は新聞の記事にも出ていたとの事、目ざとく見つけたらしい。
憲法記念日もあって入りきれないほどの盛況。

行動隊のHさんに、自主上映予定の「東京原発」の出来上がったチラシを見ていただく。
「ウ〜ム、早速貼りに行かなければいけないな・・・・・」
「貼るって、やはり電柱・・・・・?」
「そう、街中何処でも!」

「Hさん、電柱は電力会社かNTTの所有物件ですよ」
「この手のポスターは見つかるとタダでは済みませんよ、下手すれば起訴されますよ!」
「・・・・・見つからなければ良いんだろう」
Hさん筋金入りだ、全共闘も参った。



■2005.4.29  morning   管理人 wrote

自主上映の17の協賛・チケット取扱い団体。
その中の幾つかは、私らのイラク現地報告会に協力していただいた団体もあるが、
大半は初めて見聞きする団体ばかり。
こういうのを”草の根”活動団体というのだろう。
まだまだ増えそうだ。

福祉系の団体、
暮らしを見直す系の団体、
平和を考える系の団体、
名称だけでは何の団体なのか分からない団体。
ロック・ブルース系があれば嬉しいのだが・・・、(失礼。

私はイラク現地報告会を催すに当たって、思いつく諸団体を訪問した。
主に、名だたる労働組合、労働団体、そして平和団体・・・。
今回、自主上映に名を連ねていただいた協賛団体の名簿を眺めて、しみじみ思う。
世の中には、実に様々な分野で活動している方々がいるのだ。

名だたる労働団体が、その社会活動や影響力を弱め、指導力を失ったと言われて久しい。
時代は、運動を背負ってきたそれらの団体から、様々な市民団体に受け継がれ移っている事を、この身で実感している。
これを知りながらも、発想と行動が伴わない私も守旧派だった。

社会活動家は、仕事が終え、デイパックを背に、
足を棒にしてネットワークを拡げる、この仕掛け人のご婦人であり、
我らサロン代表のご婦人なのだ。
彼女たちが”違う”うところは、「選挙」に血なまこにならない点だ。


■2005.4.23  morning   管理人 wrote

金曜サロン、2週続けての精勤。
校正版のチラシ、ポスター、チケットを持参して参加。
気心が知れてて和気合い合い。
課題の「東京原発自主上映」の段取りを話し合う。

少し遅れて、サロンに張本人の仕掛け人が登場。
一連の協力に、丁重なねぎらいのお言葉を頂く。
私は楽しくてやっているのだから、少し気恥ずかしい。
でも、出来上がった校正版には少し自信がある。

張本人のご婦人に詳しく聞くと、
どうもこのイベント、彼女一人が孤軍奮闘している様。
要になる事務方も彼女一人のようだ。
私らが開催したイラク現地報告会は、6名の老人行動隊が居た。
6名がそれぞれの得意分野で、事務方、現場方の役割をこなした。
このチームワークは、思い出してみると絶妙だった。

金曜サロン6名で、一番過激だった60才台も半ばの行動隊員。
この先輩は、自転車を漕いで半径何十キロという地域にポスターを貼って回った。
炎天下の真夏から、西風吹く晩秋まで、寄る年波を跳ね返し自転車を漕いだ。
私は、この先輩を尊敬して止まない。

しかし、今回はこの先輩が問題だ。
先輩は町中の電柱にポスターを貼った殊勲がある。
今回のポスターは”原発”テーマだ、それも原発推進ではない。
電柱は電力会社かNTTの所有物件だから。
どうやって、この先輩を説得しよう



■2005.4.15  morning   管理人 wrote

職場のホームページにも管理人日記を新設。
勿論、ここで書くような日記はご法度。
今は、2002年4月に受講させられたWEB養成講習の思い出を「IT奮闘記」として綴っている。
毎朝、少し早めに出勤して書くので、此方の日記が少し疎かになっている訳だ。

市民団体の金曜サロンから呼び出しが。
イベントのないサロンに、いまいち馬力が掛からなくてご無沙汰していたのだが。
お呼び出しをいただき、先週久々に出席。
初対面のご婦人を、サロン代表から紹介された。

この方が、無謀にも県内最大規模の大ホールを借りて自主上映会を催す張本人という。
映画は「東京原発」。
呼び掛け・動員用のビラ、前売り入場券を作るのを、私に協力して欲しいということ。
昨年秋に開催した「イラク現地報告会」の動員が、この業界には相当インパクトがあったらしいのだ。

しかし、原発映画を上映するのは原発を奨励するためではない。
反原発を訴え、人が自然と共生できる社会を作るため・・・、というかなり四角な言葉のオルグを受けてしまった。
こういう四角い言葉は久しぶりだし、オルグも久しぶりだ。

イラク問題では、イラク派兵支持派から執拗な嫌がらせがあると聞いているが。
反原発は、電力会社の裏と表の両面の嫌がらせを受ける恐れがある。
特に裏の嫌がらせは、お金を使ってその筋の方を使うことも有る、とサロンの長老格の方が語る。
「自動車事故では”殺人”にならない」、なんて云われると少し引くが。
承った以上は「やらねばならない!」のだ。



■2005.3.11  morning   管理人 wrote

業務のシステムエラーが発生し、週半ばから繁忙極まる。
日記の更新もママならず3日経過。
サーバーのキーボートのキーが押され続けられていた状態、つまり何かが被さっていたため。
エラーの原因、何とも情けない原因でサーバー障害が起きた次第。
システム復旧と、データーのリカバリーに忙殺される。

午前中は”イラク写真展”の準備のお手伝い。
この写真展には、私らの「沖縄米軍ジェットヘリ墜落写真」も協賛展示していただいている。
当初、協賛ということで写真パネルを提供したのだが、
案内チラシには、共同主催者で名が連なっている。


本来の主催者は、当地でも長い歴史と伝統を誇る平和団体。
急ごしらえの新参の私らが、共同主催者に奉られているのは嬉恥ずかしの心境。
会長ともども準備作業の応援に馳せ参じた次第。
会場は公共の図書館、朝から結構な来館者がある。

明日は妻の新車が届けられる。
ディラーの営業のヤングマン、
「納車は大安が良いですよね」
「!・・・、大安?」
妻も私もそういう発想は無かったもので。
彼女が長年乗り親しんだ廃車寸前の”おばちゃんカー”は、有り難く次男坊が賜る。



■2005.3.4  noon  管理人 wrote

平和を考える市民の集い「金曜サロン」
”安田純平さんを招く会”を発展的に市民組織にした。
その後、個別私はあまり真面目に顔を出していない。
イベント・カンパニアのない日常活動はどうも苦手。

会の代表のご婦人は相変わらず活動的。
今世紀の平和運動を担う主役は女性である、と私は思う。
その代表が、また何やら仕入れてきている。
彼女の友人の、これまたご婦人が”東京原発”上映会を目論んでいると言う。
それも動員目標500名。

「東京原発?、何だそれは」、私の正直な感想。
だが、彼女は実に真面目にヤル気。
この調子だと、またまた巻き込まれそう。
決行は7月らしい。



■2005.1.23  morning   管理人 wrote

8時半に会場に着く、繁華街だが人影はまばら。
二度目のパネル展、今回は辺野古の闘いの記録のDVDも映す。
展示は手際よく出来、プロジェクターやPC、スクリーンも順調にセッティングできた。
プロジェクターと100インチスクリーンは上司の許可を頂き使わせていただいている。
プロジェクターは高価な高性能のもの、明るさや解像度は申し分ない。
仲間と、「これなら何処でも巡業できるな、テキ屋さんの様だな」

市中央部の繁華街といっても、コアなテーマの写真展、
覚悟はしていたが入ってこられる方はまばら。
辺野古の闘いの記録、1巻1時間程で4巻で計4時間、結局これを2回8時間じっくり見る羽目に。
画面に向かって思わず、「よ〜し!、異議なし、頑張れ・・!」
記録DVDを通し、すっかりと連帯した。

このツーショットは仲間が撮ってくれました

数少ない訪問者で、旧社会党系の県会議員さんも来て頂いた。
以前の安田さんの講演会の折も、仲間の県会議員さんと三人で来てくださっていた。
辺野古の記録を見ながら、ゆっくりお話をする時間が持てた。
ジャンパー羽織り、自転車こいで、来て下さっている、
私は極めて単純な性格、これからもこの県会議員さんを応援させていただく。

私のBBSが賑わっています。
余り書き込んではいませんが、嬉しかったり、心が痛んだり、しっかり反応はしています。



■2004.12.27  morning   管理人 wrote

今度も代表と担ぐMさん、彼女は会の名称にどうも納得してないようだったが。
年寄り組みが数の力で何とか押し切った。
サロン派といえば、ボルシャビッキに激しく攻撃されたメンシェビッキ。
ローザや***ビッキと言われても、若い方には分かるまいが、
分かる方には分かるのでそれで良い。

米軍ジェットヘリ墜落抗議写真パネル展の会場使用を申し込んだ後、公園を抜けた。
改めて発足の”金曜サロン”代表のMさん、「私はここ(公園)で話し合いが持てる様な事がしたい!」
どうやらハイドパークの市民演説のように、此処でイラク戦争、平和について”生”で多くの方に訴えたい・・・らしい。
この公園、私は1969年夏、短い帰省中にギターを引っさげ一人でデビューした。
署名活動をしていた民青と、掴み合いの口論をした場所でもあるが、往時の根性は今の私には無い、
やっぱ彼女、ゲバルト・ローザだ。

当地でも「九条の会」とやらが、つい最近発足したらしい。
代表は、組織動員に明け暮れ、市民にそっぽを向かれた守旧勢力の親分。
幅広く市民に呼びかけるそうだが、やっぱり手法は組織動員の範囲を出ていないのでは、と私は批判的に見ている。
個人参加を呼びかけるのであれば、何故守旧勢力の親分を担ぐのだろう。

私は、この名も無いゲバルト・ローザを担ぐ。



■2004.12.25  afternoon  管理人 wrote

安田さんを招く会の解散式は、昼食会。
何故昼食会かというと、メンバーに酔狂が約1名と、断酒会に関与する方もいる為。
酔狂の御仁は、会の打ち上げで安田さんの手を握って離さなかった方。
その為、真昼間の酒抜きの昼食会ということになった訳だ。

この間、米軍ジェットヘリ墜落抗議写真パネル展をこのメンバーで開催した。
安田さんの講演会に比べれば、写真パネル展は楽だったが。
メンバーの誰もが、この6名の”緩やかな結びつき”は続けたいと思っている。
この緩やかさは維持しながら、どんな形で続けるかランチを取りながら話した。

先ずは名から入ろう、名称は”金曜サロン”。
過激な代表Mさん以外は、この”サロン”という呼称に異議はなし。
元々、障害者支援のNPO団体が運営する喫茶店で、金曜日に集っていたサロン派。
このかなり過激なMさんに引っ張られる形で、久々に走った訳だ。

多数決では圧倒的勝利、金曜サロンに決定。
反戦とか、平和とか、護憲とか、如何にもその集団と思われる呼称は私も嫌だ。
この名称で、緩やかな結びつきのイメージが決まった。
何か事を起こす時はサブタイトルを冠すればよい。

正月早々、市中央の公園内にあるギャラリーで、先の写真パネル展を再度開催することを決めた。
このギャラリーは市中央部の繁華街にある市民公園内にある。
かなり使用料は割高だが、多数の方が行き交う絶好の場所。
早速、主催者名は”平和を考える市民の集い”「金曜サロン」と銘打って会場使用を申し込んだ。

長男が有馬を当てたと、部屋で雄叫びを挙げている。
ギャンブル無縁の私には良く分からないが、何でも500円が12〜3万円になるらしい。



■2004.12.12  night   管理人 wrote

約束の時間30分遅れ。
ご町内のトラブルの仲裁に出向いたのはいいが、大幅に出遅れる。
今日の沖縄国際大学ジェットヘリ墜落事故・抗議パネル展、肝心のパネルを持っているのは私。
皆、ヤキモキしているのではと恐縮。

別に誰も来なくてもいいや、と思っていったのでプレッシャーは無かった。
パネルを展示する、う〜ん、我ながらの出来栄え。
夜なべをして作った自信作だ。
まずは昼の腹ごしらえ。

ポツリ、ポツリと、それでも参加者が来る。
思っていたより多くの参加者。
でも、そんなに多くはないが。
世話人代表Mさんが、フリートークの司会を始める。
自己紹介も含め、3時間ほど真面目なトークが続いた。






■2004.12.10  night   管理人 wrote

「私は街頭に出たい!」、
今日の打ち合わせは、煽られ放っし。
世話人代表のMさん、400名集めたイラク現地報告会は、取り組みの序章・プロローグらしい。
「私は皆に街に出て、声を出してもらいたい」、この”皆”とは報告会に参加いただいた方々。
このご婦人Mさんは、止まる事を知らない。

思い出した!、その昔、バリケードで本当に過激なのは”肝っ玉”の据わった女性だった事を。
べらんめえ口調で、トロトロしているゲバ学生に活を入れる。
そう云えば、居たなあ、そんなゲバルト・ローザが。
明大学館の知る人ぞ知るローザは、本当に飛んで行ってしまった。

初老のオジサン世話人、報告会がやっと終わってヤレヤレが偽らざる心境。
だけど彼女はここがスタート地点という。
このご時世、不特定の色の付かない市民を、400名も集めるのはそれなりのインパクトらしい。
彼女、○×党から、もうお誘いが有ったらしい。
さて・・・、どうするか。



■2004.12.5  night   管理人 wrote

山茶花が一つ花を付けた、クリスマスローズにも蕾が。
強い雨と風がヤット止み、お日様が顔を出してきた。
こんな低気圧が通り過ぎた後の吹き込みは強烈。
ヨット、空を飛ぶ如く波を切ってカッ飛ぶ。
根性で練習に出たヨット部が、遭難するのもこんな日。
私・・・?、とてもとても鈍った体は、そんな根性も体力も持ち合わせてはいない。


夜なべして、米軍ジェットヘリ墜落写真をパネルに貼っていた。
スチレンボードに4枚ずつ貼っていく。
パネル展当日に作業しようと話し合っていたが、とてもとても短時間で出来る作業ではなさそう。
本来は、こういう作業を皆でやるのが楽しいのだが。

作業の読みが甘かったよう、
当日までに粗方仕上げて持ち込む事に、独断で勝手に変更。
しかし、相変わらず世話人代表Mさんは無茶だ。
この忙しい師走に、パネル展を強行するのだから。



■2004.11.30  noon   管理人 wrote

沖縄・辺野古の現地から便りを頂いた。
便りを出すとほぼ一週間後に返事が来る。
泊り込んでいるようで、宿泊地にネットの環境が無い様。
紹介頂いたホームページを見ると、その様子が分かる。

現地での状況が、便りからひしひしと伝わってくる。。
正直なところ、私は辺野古で今起こっていることについて今まで全くといってよいほど知らない。
今回初めて藪さんに紹介いただきホームページ等で知った次第。
当地でマスコミは、全くこの事については報道をしていない。
マスコミを通じては、沖縄の現状について一切の情報に触れることは出来ない、・・・・・相変わらずだ。

その事については、私の周りの方も多分同じ。
私にとって沖縄・辺野古は、イラクと同じくらい遠い地の出来事であることが正直な現状。
詳しい事を理解していないので、色々な意見を述べることが出来ないが、まず知る、知らせる事からはじめようと思っている。
インターネット、ホームページでの情報は一部の者には有効な情報手段だが、残念な事にまだまだ広範な”大衆”に行き届くツールとはなっていない事を痛感している。

ビデオや写真展示はその点、ささやかだが確実な情報としてメッセージできる。
辺野古から見ると歯がゆいような取り組みだと思うが、出来ることから始めさせていただきたいと思っている。
体を張って”大衆蜂起”を闘った元日大全共闘残党は、現在体を張って闘っている辺野古の行動に強く共感を憶える。
知り、伝えることからはじめたいと思う。

・・・こんな内容の返事を差し上げた。
ところで辺野古って、「へのこ」って読みでいいのかなあ?



■2004.11.29  morning   管理人 wrote

そろそろこの11月を”総括”しなければ。
安田さんの講演会がメインイベントで、急な東京出張がその次かな。
講演会はそのものより、それまでの何ヶ月のすったもんだが楽しかった。
新しい”友人”も出来たし、老後の楽しみも増えた。
それと、文章を書くことが楽しくなった事だ。

若い方から結構メールが届いたのもこの月だ。
それぞれ楽しい”読み物”として読んでいただいた様で、感想文を寄せてくれる。
嬉しくて、ついつい長文な返事を出す。
私的にはセーブして書いているつもりなのだが、かなりしつこい文書なのかも。
期待している割りに返事が来ない。

中には幾つか気になる事もある。
不特定の場所から発信されたと思うメール、サーバーが特定できないフリーメール。
インターネットをしていると、ついつい疑り深くなる。
返事が来ないのは私のしつこい文章のせいなのか、それとも”その筋”の探りなのか。
余程の事が無い限り”個人情報”には気をつけている。



■2004.11.10  morning   管理人 wrote

相変わらず、写真を撮っていない。
録ってやろうという気はあったが、当日デジカメは家にすっかり忘れている
これだけ便利になっても撮れない、撮らないということは、何時になっても撮らない性格なのだろう。
世話人のNさんが撮ったものを(無断)拝借して載せている。

 開演10分前

 世話人Nさん撮影より拝借
   世話人代表Mさん挨拶

参加費を無料にするのか有料にするのか、かなり話し合った。
結果的に1000円(高校生以下無料)に決めた。
基礎的な実費を賄うため、事前に世話人で一定額の資金を出し合った。
予想外の参加者で、収が支を上回っている。

昨日の反省会では、この浄財をどうするかも話あった。
世話人の誰からも、事前に供出した資金を返せという申し出は無かった。
この資金も含め、次のアクションプランを話し合った訳だ。
「沖縄国際大学・米軍ジェットヘリ墜落」写真パネル展、これで行こう!。
今度は入場料は取れない、支出のみの覚悟で、この浄財を生かすのだ。

会場でのアンケートの回収率が非常に高い。
意見・感想欄にビッシリと書き込んでいるもの多数。
さすが1000円を負担してまでも参加した方々だ。
無料の集会ではこうはいかないだろう。



■2004.11.8  night   管理人 wrote

学生のワークショップを聴いて、其のU

ワークショップなるものを初めて聴いた。
各自が自分の意見を順番に発言していく。
討論形式ではないようだ。
考え方をぶつけ合い、仕舞いには掴み合いの激論になる私達のそれとは少し違うようだ。

総じて男子学生の意見はおとなしい、というより少し子供っぽい。
高校のクラス会の発言のような幼さが感じられる。
それに比べ女子学生の意見は、それより激で社会性がある。
・・・と言うより感情的で尚且つ理屈っぽいと言う方があっているのかな。

「アメリカに好き勝手されて、それって悔しくはないですか・・・」
そうなのだ、それでなくては!。
時代が時代なら、この子(娘)は鉢巻なんぞじゃなく、直ぐにヘルメットを被るはずだ。
怒れる若者、異議を唱える若者は何時の世にも居るのに、
私(達)は、何故きちんと伝えてこなかったのだろう。



■2004.11.8  morning   管理人 wrote

久しぶりに職場のデスク。
週末を利用しての講演会だったのに、随分ながい時間が経った様な感覚。
心地よい虚脱感、やはり歳は否めない。
講演会の後の、大学生のワークショップでの一話。

この男子学生はイラク自衛隊派兵に肯定的な意見だった。
日本と米国は良好な友好関係にある・・・イラクに派兵しないと友好関係に支障がでる・・・経済関係が上手く行かなくなる・・・経済的なダメージが発生する・・・失業が増える・・・失業が増え自殺者が出る・・・云々カンヌン。
これには百の反論が出来るが、私はメンバーでないので静かに拝聴していた。

面白かったのはこの後の発言。
「・・・だけど今日の安田さんの話を聞いて・・・」(発言の前後関係は意味不明)。
「今までは鉢巻巻いてデモをしている人達を見ると怖かったが、これからは・・・」
思わず、世話人代表のMさんと顔を見合し「ウッッ・・??」
「鉢巻まいてデモしている人が怖い??・・・」

聞こえない小声で「違うだろう怖いのは、ヘルメット被って火炎瓶もって来る奴だろう」
当世の学生達の発想は”鉢巻”止まりらしい。
これは、きちんと伝えてこなかった私たち世代の重大な責任だ。
今度、スタイルだけでも伝授するデモンストレーションを企画しなければ。

  学生はよく働いてくれた、ありがとう



■2004.11.7  night   管理人 wrote

当地では安田純平さんの講演会の前日に、イラクで亡くなられた橋田さんの奥様の講演会があっている。
講演会は地元公立短大(夜間制)の自治会が学園祭の一環として夕方から開いた。
世話人代表のMさんも参加したらしく、300人は入る講堂から聴衆がはみ出していたらしい。
あちらは無料、こちらは1000円の有料のバリアー。
プレッシャーでMさん、押し潰されそうになっていた。

更にその数日前には、憲法集会の催しとしてイラクで同じく人質となった郡山さんが招かれている。
こちらは政党色の強い催しで参加費500円、事前の組織動員数も正確に読めているようだ。
この集会で、私達の講演会のビラを配布もしていただいたが。
期せずして一週間の内に、イラクに関する御三人の講演が続いた訳だ。

この三人の講演会のいずれも取材した国立放送局の記者、取材でこう言ってくれた。
「今日の講演会に来ている方は、年齢的にも幅広く普段この手の集会では余り見かけない方が多いですね、組織動員でない事が伺えますね」
事前に協力をお願いした労組や団体の方はチラホラ、お願いしたチケットの割には少なかったように思う。
その代り、当日チケット無しでこられた方が半数以上、高校生も結構居た。
殆どぶっつけ本番、これでは予測が出来ないはずだ。

考えれば、かなり無謀なプロジェクトだった。
50才から63才まで六名の、初老、老人共闘。
鹿砦社・松岡さんには「老人行動隊」と称して頂いているが。
無謀だから、しんどかったが楽しかった。

Nさん、ジャージスタイルで街頭行動は一回も休まず黙々とチラシを配った。
組織動員でなく今の世、誰がこんな事をする。
彼が「俺は戦争を止める事に何にも力になれてない、貴方は死んだらダメだ、絶対死んだらダメだぞ・・・」と涙を流し、安田純平さんの手を握り続けた気持ち痛いほど分かる。

朝は世話人の一人が空港まで送って行った。
今日も近畿で講演があるという、それも11時開演。
心配し尋ねると「まあ、何とかなるでしょう」との返事、渡世人だ。
「昨日はかなりNさんに手を握られました」と言い残し、空の人となった。
この若者には今後も出来る限り”現地の情報”を発信して欲しい・・・・・、
でも死なないで欲しい。



■2004.11.6  midnight   管理人 wrote

不安は増幅していた。
会場がガラガラだったらどうしよう、安田さんが万一来れなかったらどうしよう。
飛行場の迎えゲートで待っていた世話人代表Mさん、乗客の出てくるのが途絶えてもゲートに現れない安田さんに、胸が裂けそうなくらい不安になったという。
人が途絶えて暫くして、ポツンと一人降りてきたらしい。
最後の最後まで心配させる御仁だ。

開演30分前、会場の1/4程しか埋まっていない。
こちらも気が気ではない。
実は先日、世話人で動員予想をし合った。
弱気な予測から、少し強気な予測まで、その差は3倍ほど開いた。
掴み所の無い手応えに、概して皆弱気になっていた。

開演10分前ぐらいになると、急に次から次に人が来だした。
半分はチケット無しの方々、金庫が見る間に参加費で埋まっていく。
開演時間には、後ろの空間に立ち見する方が増え始めた。
会場も、11月なのに人息で蒸し暑い。

受付に居た世話人のNさん、Hさんと思わず握手して「やったぞ!」
会場では世話人代表のMさんの挨拶が始まる。
緊張して少し強張った声。
たどたどしく話すMさん、慣れて滑らかな挨拶よりハルかに訴えかける”心”がある。
Mさん、貴女は立派だ。

先程まで居酒屋で安田さんと飲んでいた、彼は酒が強い。
世話人のNさん、安田さんの手を握って離さない。
「死んだらダメだぞ、絶対に死んだらダメだぞ!」、そう言って安田さんの手を握り続けている。
Nさんにとっては自分の息子の様な歳だ。
彼は眼に涙を溜めて安田さんの手を握り続けていた。

   講演会終了後、安田さんを囲んでの大学生のワークショップ



■2004.11.5  morning   管理人 wrote

チョムスキー流に云うと、極めて政治的な課題においての情報は、あらゆる過程で国家や、持てる者の都合の良いよう操作されている。
その手法は歴史のあらゆる過程で実践されてきており、アメリカ国民の大多数が反対していた第二次世界大戦のヨーロッパ戦線への参戦の時もこの手法が駆使されている。
これによって、アメリカの資本はそれ以後巨大な富を得ている事は歴史が証明している。
何もイラク戦争開戦の今回だけではないらしい。

このプロパガンダ(政治宣伝工作)に対応しうるのは、民衆の知りたいと気持ちであり、テレビ、新聞などのメデイアで伝えられる事に疑問を持つ心だと。
ウ〜ン、私(達)のしている事に、チョムスキーさんが”及第”の判を押してくれたような気持ち。
皺の少ない脳が、早速洗脳されかかっているが。

世話人会は僅かな手勢。
挨拶、司会進行、マスコミ対策は世話人代表のMさんと年長格のGさん、NさんはPAと記録と事後のインターネットへの報告作成、Hさんと学生は受付と書籍の販売、Mさんは渉外担当。
私は・・・・・、完全な裏方、会場設営全般と金庫番。
手作りの看板、受付の準備、PC・プロジェクター・スクリーンの手配と搬入、販売用の書籍の搬入、事務用品、参加費や書籍のつり銭、電源コード、それに案内用のポスターも。

昨夜は仕事を終え、Nさんと二人でパソコンで会場案内用ポスターと、書籍販売の値札ポスターなどを作っていた。
学生時代を思い出す作業だ。
違う所は、作業は全てパソコン、印刷物はレーザープリンターから白黒でもカラーでも出てくる。
二人でつくづく「便利になったなあ!」と感心する事しきり。
でも演壇の横断幕の看板は私の手書き、ポスターカラーで往時の立看文字にならないように意識して書いた。

先日の世話人会の帰り、エレベーターの中で最年長(63才?)のHさんがポツリと一言。
「俺、集会なんて何年ぶりかな、20年は過ぎているな・・・」
若いモンに任せておけるか!、
この爺さん達、ちょっと過激でしつこいぞ。



■2004.11.3  morning   管理人 wrote

昨夜は講演会の最後の打ち合わせ。
当の安田さんは何度連絡をとっても具体的なスケジュールがはっきりしない。
行動予定について何時着の何時出立などの予定を言ってくれない。
代表世話人のMさんが不安がる事しきり。
私達も、何故だろうと戸惑っていた。

「貴方、安田さんて公安が付いているのではないの?」
妻の一言で「そうか!」と気が付いた。
彼はイラクで解放された時も、帰国したときも警察の取調べに協力していない。
その毅然とした態度に、私(達)は感服したのだが。

いま日本でイラクの実情を伝えれる人が何人居るだろう。
何を知るにも、米軍を通じてしか情報は入らないし、その情報にも振り回されている。
真実を知った方は、時の権力者には一番邪魔だという事は”時代劇”でもしかりだ。
今の日本で数少ない”真実”を伝えれる方で、その勇気をお持ちの方なのだ。
警察は、公安は、彼を懐柔しようと試み失敗している。

凡々たる市民社会の感覚で、文化人を招く延長線上での感覚だったが。
彼は、全ての日常を”革命的警戒心”をもって行動しているのでは?
信頼できる相手にしか行動予定を明かさないのでは。
私(達)は、彼にとっては面識の無い相手で、たとえ信頼したとしても何処で情報が漏れるかも知れない。
私達は日常を営み、彼は非日常に居る、私達がバリケードであった様に。

そう思うと、安田さんの対応も納得だ。
迎えは要らない、会場には30分前に入ります、宿泊は未定、出立も未定の何とも掴み所の無い”予定”が納得できた。
講演会、公安が来るだろうな・・・・。



■2004.11.2  morning   管理人 wrote

先日の大学構内の出来事を、学生に年齢が一番近い次男坊に切々と訴えた。
次男坊「そりゃ〜そうだ!」、と私に同調してくれるつもりだったが。
「父さん、そりゃ〜学生さんにはうっとおしかったな」
どうやら、やり合った学園祭実行委員長さんの方に味方している。

我が息子も、このオヤジの言動は”うっとおしい”と受け止めているようだ。
「父さん、そりゃ〜相談すれば”ダメ”と言われるに決まっている」
「色んな業者・団体が入ってくれば収拾がつかなるなるよ、僕の大学でもそうだったよ」
「それに、建前はりっぱでも胡散臭い団体(宗教団体など)が結構多かったし」

でも、此処からの見解はかろうじて一致した。
「相談なんかせず、勝手に配ればよかったのに」
「そうか、無届の実力行使の方が良かったのか」
明らかな戦術ミスだった。



■2004.10.31  afternoon   管理人 wrote

情けない、情けない、情けない・・・・・。
打ち合わせが不十分で、正門前に集まったのは私と代表Mさんの二人だけ。
実行委員長にビラ配布を申出ると断られた、とMさんが言う。
私より先に来て、受付の実行委員長嬢に掛け合ったらしい。

実は私、出かける前に妻に冗談半分「今日は学生と乱闘するかも知れないからな?」と言って出て来ていた。
既に、こめかみはピクピクしている。
Mさんに「私も学園祭実行委員長に掛け合う!」
正門前受付に行くと、大人しそうで融通の利かなさそうな女子大生が鎮座している。

昨日の繁華街のビラ撒きで、「明日は地元の国立大学の学園祭へ安田さんの講演会のビラを撒きにいこう」と約束していた。
世話人で手伝ってくれている女子大生も手伝ってくれる手はずになっていた。
この学園祭、メインイベントは関西のお笑い芸人のショー。
前週の街頭行動の際、同じ世話人のGさんにこう云われていた、
「学園祭は芸人のショー以外に何かあると思うでしょうが、そのイベント以外は食べ物の模擬店以外何にも無いんですよ」
そうは聞いていたが本当に模擬店ばかり、遠くでバンドの音が聞こえてくるだけ。

   

「何方のチラシ配布もお断りさせていただいています」
「私達は大学生に是非参加してもらいたいとここに来ている、是非配らせて欲しい」
「学園祭が混乱しますので、管理上お断りします」
「管理上?、混乱するって?」
「チラシが構内に捨てられ、後で片付けるの大変なので・・・・」
「捨てる、捨てないは学生さんの道徳心の問題でしょう、これは営業的な性格のチラシではないのでお願いできないか」

ここなあたりでもう殆ど切れ掛かっていた。
町内会の夏祭り、保育園の夕涼み会、それ以下だ。
学生から”管理上”という言葉を聞くとは夢にも思っていなかった。
私は皮肉を込めて
「私の学生時代は無謀な学生を、年配の方々が諌め宥めた」
「今は無謀な年寄りを、学生が管理上規制する時代なのですね」
「おじさんは勝手にチラシを配らせていただく、規制をするなりどうなりすればいい!」

ここでMさんが「もういいです、止めましょう」とレフリーストップ。
これなら冗談抜きに”赤ヘル"被って、手拭で覆面しビラを配ればよかった。
国立大の体育会系学生に、この老体を羽交い絞めにしていただいても良かった。
実に情けない!



■2004.10.31  morning   管理人 wrote

昨日は4回目の街頭行動、約束の時間に誰も来ていない。
一人で敢行しようと思ったが、待つ事20分Gさんが来られた。
二人でしばし歓談していると代表Mさんも現れ、30分遅れでビラ配り開始。
地元地方紙に紹介記事を載せて頂いたこともあるのか、2・3人がアレッという反応でビラを受け取ってくれた。
今までのビラ配りでは無かった反応だ。

今回の人質事件で安田さんが時折マスコミに顔を出している。
政府の対応は相変わらず、一政策を優先し、国としての本来の義務を放棄した対応。
生死の瀬戸際を経験した安田さんの話は、反戦とか平和とか言う以前に聞いてみたい。
相変わらずTVのコメンテーターには腹立たしい。

ビラ配りの後、珍しく書店へ。
これで2冊目の「チョムスキー、世界を語る」を購入。
以前Gさんが紹介してくれた本だ。
ジャーナリズムに関する「メディア・コントロール―正義なき民主主義と国際社会 」を最初に読んだが今一分からない。
今度買った本を読破してから感想を書きたい。

私は書物を全くと言ってよいほど読んでいない。
学生時代は自分のやっている事の正当性を裏づけしたくて、その手の本を脈絡も無く少し読んだ。
その中でも少し真面目に読んだものはレーニン選集やトロツキー選集。
「異議なし!」という感想は在っても、今には何にも残っていない。
時代の流行で吉本隆明や高橋和巳、マルクーゼ、W・ライヒというものも読んだ覚えがあるが、内容は全く憶えていない。

そんな訳で、脳みそは経験だけが詰まっており、皺は極めて少ない。
初老の手習いで今頃読み出すと、筆者の思想に”洗脳”されてしまいそうで。
色んな考え方を比較対照するほどの脳みその皺が無い。
入ってくる思想(世界)と、私の一人分の経験がどう衝突するか。



■2004.10.18  morning  管理人 wrote

昨晩、安田さんを招く会・代表世話人のMさんがチケットを取りに自宅近くまで。
以前もビラを取りにこられたが、近くのJR駅前で密会。
妻に「Mさんにチケット渡しに駅前まで出掛けるとよ」というと、
「是非、家に来ていただいたら」と云う。
妻と三人で夕刻の”ティータイム”を持った。

妻曰く、「なかなか芯の強そうな方ね」。
そりゃ〜そうだ、この濃いおじさん連の代表世話人だもの。
この代表がまた一つ課題を持参してきた。
その課題とは「沖縄琉球国際大学・米軍ヘリ墜落・写真展」

   画質は非常にいい

既に関係者の方とはコンタクトを取り、50数枚収録されたCDロムを取り寄せている。
先日、PCに取り込む”ご指導”をさせて頂いたばかり。
その為に彼女、最新型のノートパソコンを即決で購入している。
それもSONYのバイオで、うらやましい限り。
つくづく、女性の決断力の早さには感服する次第。

A4サイズで、プリントショップでプリントすると1枚で800円ほどすると云う。
50枚で4万円程。
またまた脇役で、私の今まで磨いてきた画像処理のテクが生かせそうだ。
それと、展示するフォトギャラリーも、心当たりを当たってみなくては。

学生を当てにするのは止めとこう。



■2004.10.17  morning  管理人 wrote

安田さんを招く会の街頭ビラ配り。
何も変装するつもりでは無いが、頭頂ハゲを隠すため慣れない帽子を被り登場、これで二度目。
なかなか受け取ってくれない、キャッチセールのチラシを配る若者とは明らかに風体が違うのに。
4名が、60才台2名、50才台2名で合計年齢が230才、道行く人も戸惑うだろうけど。

30才〜40才ぐらいの男性はまず受け取らない、いや絶対受け取らない。
カップルも殆ど受け取らない。
受け取るのは若者、中年のご婦人。
働き盛りの男性は、オーラの様なバリアーを感じる、多分私もそうだったのだろうけど。

ビラ配りを始める前、同じようにビラを持った学生の集団が居た。
その数10数名、塊になってなにかボソボソ話している。
手に持っているビラを眺めると、地元国立大の学園祭の案内ビラの様。
私達が配り始めても、一向に配り始める気配がない。
親近感もありその集団に近づいていった。
「お〜い、学生さんたち一緒に配ろうよ」
ちらっと女子学生がこちらを振り返ったが、その顔には表情が無い、つまりニコリともしないのだ。

近づいていってリーダーと思しき男子学生に、交流のつもりでビラを渡そうとしたが受け取らない。
「何だ、この学生たちは!」と思ったがすごすご引き返してきた。
その後、学生たちは二手に分かれて、私達と遠く離れた場所でビラ配りを始めた。
ビラ配りも終わり際、学生に議論を吹っかけ挑発してやろうかと思ったが。
「止めとけ、今の学生あんなものだよ」、50才の世話人Mさんに押し止められた。

・・・・・やるせない気持ち。



■2004.9.11  morning  管理人 wrote

やっぱり予想した通り。
皆の表情が明るい、よく喋る。
会の雰囲気がこうも変わるものか。
昨日から、安田さんを招く会に若い仲間の参加があった。

大学3回生、国際関係学を学んでいる学生。
学究心からだろうか、それとも”ピース”なのだろうか。
私達の活動を聞きつけ、自ら参加を求めてきた。
早速、明日から大学構内で呼びかけの活動をしてくれるという。

彼女なりの目論みも隠さず語ってくれた。
安田さんの講演会の後、安田さんも交えて学生の”ワークショップ”を是非持ちたいと言う。
いいじゃ〜ないですか、オジサン達は異議なし!、だ。
どころで最年長のGさんが、おおきなボケをかましてくれた。
「ところで学生さん、そのワークショップとやらは何なんだ?」
実は、私も良く分かっていない。

濃〜いオジサン達は、嬉しくて更に喋りだす。
特に、Gさんにとっては孫世代とは言えないまでも、子世代よりは更に若い。
普段、寡黙なのに・・・、にこやかに喋る。
「それはゼミナールなのですか、それとも集会?」。
ポスト60年安保世代のGさんの質問、的を得てないようだ。

私は、「ここのオジサン達の願いは、ベトナム戦争に反対したベ平連的な市民運動を目指しているんですよ」と学生に、ブレーキを効かしながら喋る。
でもねえ、よ〜く考えれば分かる事。
学生さんは1980年代の生まれ、ベトナム戦争もベ平連も知るわけ無い。
1970年代生まれの私の息子たちでさえ知らないのに。
彼らにとってのムーブメントは9.11であり、パレスチナ、イラクなのだ。

オイオイ!、そんなに皆で畳み掛けると、学生さんが逃げてしまうぞ。

第5回「安田さんを招く会」




■2004.9.7  morning  管理人 wrote

どうでも良いのだが、気分が悪い始末記。
安田さんの講演会の会場ホールは、公共団体が運営している。
協力を申出ていただいた教組の書記さんが、近辺の多くの会場を探し回って結果、そこに電話予約を入れてくれていた。
官庁街のど真ん中の絶好の立地、さすが公共団体の会館ホール。
仕事の合間に、申し込みに行っていた。

安田さんを招く会とその代表者の名義で申し込むと、受付の女性が「団体は社判を押さないとダメです」。
急ごしらえの任意の団体、社判などあるわけがない。
少し考え、「じゃ、個人で申し込みます」。
受付の女性、「このホール、個人の利用申し込みは出来ないんです」。
公共に準ずる施設だから利用に制限があるのか?、確かに利用料は破格に安いが、これには困った。

職場に戻り少し思案したが、独断で自分の職場の法人印と代表者印を使う事を思いついた。
早速、職場の長とに相談すると、主旨は分かったので代表者に口頭でも了解を取っておけと指示。
代表者の所へ赴いたが、極めて好意的に了解してくださった。
早速、申込書に法人印と代表者印を押し、法人代表者名を記入し提出していた。

昨日、そのホールから電話が入った。
「使用の許可が下りました、それについて請求書をお送りします」。
「請求書の宛名は、何でしたら当初の招く会で代表者宛でも出せますが」と言って下さる。
それは好都合、それではそれでお願いしますと返答をしていた。

少し経ってから、男性から電話が入った、受付の女性の上司と思われる。
「会館使用料の請求書は、申し込み名義でしか出せないんですよ、何かあった時にはその名義の方に責任を取っていただく事になっているのですから」、結構つっけんどんで無愛想な口調である。
私は面くらい、「そちらの受付の方がそう仰ってくださったのですよと」と低姿勢に応えた。
電話の男性、私の言い訳なんかには聞いていない、申請人と請求先は同一なのが常識だ、そんな当たり前の事が分からないかと言う事をしつこく説明する。
普段ならここで切れている。

すみません私がきちんと聞いていなかったようです、申込者宛てに請求書を送付してください。
すると今度男性は、請求書を私の職場の代表者宛に送って本当に良いのかと念を押すように言ってくる。
どうやら、この手の催しの請求書を代表者に送ると、私が困ると思っているようだ。
「代表者にはきちんと了解を取っていますから、大丈夫です送ってください」とはっきり応えた。

男性は最後に「任意の団体で、社判や代表者印がない場合は個人の認印でも申し込みが出来るのですがねえ・・・」と慇懃な口調で言って電話を切った。
私は受話器を置いた後、切れた。
怒鳴り込む衝動を一日抑えていた。



■2004.9.6  morning  管理人 wrote

私は気持ちで動いている。
日大闘争は止むに止まれぬ気持ちで、衝動だった。
プチブル急進のそんなものが続くのか?
途中休みはあったが36年続いている、変わらない。

安田さんの営業をしていて、反応は大きく分かれる。
幾つかの団体以外、大半はアポなしの初対面で飛び込み、仕事柄営業は慣れている。
身を乗り出して聞いてくださる所、いぶかしげな眼差しで淡々と聞くところ。
訪問するのは、こういう主旨には理解があると思うそれなりの団体なのだが。
前者はその場でチケットを預かるか、具体的な協力を約束してくれる。
後者は「検討しておきます」。

この取り組みの発起は、本当に一人のご婦人の発起だ。
安田さんへのオファーの段階までは、彼女一人でしている。
有志に集まった5人も、組織に属さない個人だ。
個人の思いが、止まらない気持ちが発起になっている。

県内最大の単組の委員長と書記長、即答で協力を約束してくれその場でチケットも預かってくれた。
草の根の平和団体の若い事務局長、初めて会った席で「構わないだけチケットを預からさせて下さい」と反対にお願いされた。
人権団体で知り合った教組の専従書記さん、「その日、組合は大会があるけど、私個人でチケットを売りたいので協力します」。
個人で実行委員をしたいと申出てきた大学生、感性派のおじさんはメロメロだ。

自分がどう思い、どうしたいのかより先に、
組織がどうのこうのと反応する方々への営業はもう止める、対応保留への追い詰めも止める。
「ヤカマシ〜イ!、こちとら、テメ〜個人がどう思い、どうすんのか聞いてんダ!よ〜」、昔よく切った啖呵だ。
私は、会場が満席になることに拘らない。



2004.9.5  night  管理人 wrote

安田さんを高知へ招く会にヤングパワーが登場しそうだ。
8月18日の準備会で私は日記にこう書いた。
>昨夜は、安田純平さんを招く会の3回目の準備会を持った。
私を含め6名、皆髪が白いかハゲかかった(私だが)初老世代。
私は言った、「何故ここに若者がいないのか・・・・・」。
いい歳こいた6名が秘密謀議。

有志の一人からの連絡。
地元国立大学の人文学部の助教授に協力を申し込んだそうだ。
助教授は「絶好の機会だから学生を協力させてください」との返事。
それに、「今の学生はイラク問題に無関心ではないですよ、できればワークショップもやりたい」と積極的な反応。

もう一人の有志からは、
一人の大学生が実行委員をやりたいと申出てきている、今度の世話人会に出てくるとの事。
オジサンは嬉しい・・・・・、とにかく嬉しい。
時代の主役は、間違ってもオジサン達ではないのだ。
ヤングマン(ウーマン)、貴方たちなのだ。

サア〜、この濃〜いオジサン達が若者を萎縮させないようにするには、どうしたら良いか。
”動員営業”よりも、こちらの方が難しそうだ。



■2004.9.3  morning  管理人 wrote

昨夜は安田さんを招く会の4回目の世話人会。
集まろうと決めた喫茶店へ入ると、電気が消えている。
奥で会をしていた方が、今日は4時で閉店です。
ア痛〜、朝日の記者も取材に来る予定なのに。

喫茶店、障害者を支援するNPO団体が経営している。
夜は4時〜8時まで、大学生がボランティアで働き開いている。
学生の休みが明けるまでは、午後4時で閉店しているという。
関係者の方「いいですよ、待ち合わせに使っていただいて」と仰って下さった。

この喫茶店にもチケットの頒布をお願いしていた。
NPO団体の経営という事で、幾ばくかの頒布手数料を出しますと伝えていた。
そのチケットをお渡しすると、NPOの責任者の方は「みなさんの主旨の催しでは手数料はいただけません」と。
前日、ある大学生協に行ってチケットの頒布をお願いすると、事務的に手数料に拘るような応対を受けた、事情はあるのだろうが随分な違いだ。
この喫茶店、後で飲み物まで出してくれた、それに代金はいいですよと。
オジサン達、この厚意へのお返しはきっとするからな!

招く会に有力な方の参加があった。
地元で、草の根で永く平和運動をしている市民団体の方。
不偏不党で、本当に地道な活動をしてきている、偏狭な私でも心を許せる団体だ。
案内チラシとチケットをごっそり持ち帰ってくださった。
朝日の記者に、戸田おっとせいさんの話をすると、よくご存知だった。



■2004.9.1  morning  管理人 wrote

朝もやを切ってバイクの音が近くづくと飛び起きた。
新聞受けの新聞を取りに行く。
昨夜、招く会のメールに始めてメールが届いていた。
いや、届く前から「メールが届くから」と招く会有志から電話があっていた。

メールの差出人は朝日新聞地元支局の記者。
メールは「9月1日朝刊に紹介記事をのせます、問い合わせのメールが来るでしょうから対応下さい」という旨の内容だった。
「誠にあり難い、了解した」という返信メールを送り返そうとするが何度やっても発信しない。
yahooメールを使うのは初めて、諦めて自分のメーラーから返信メールを発信した。

チケットの頒布の協力を県の職員労働組合にお願いしていた。
組合は快諾して下さり、早速庁内の組合掲示板(ネットではないよ)に掲示してくださっていた。
これが県政記者クラブに詰める朝日新聞の記者の目に留まった、という訳だ。
今朝刊の告知記事、一段30行の結構なボリーム。
朝日には恩義が出来た、できれば安田さんの本人の取材を出来るように取り計りたい。

週末、メールで営業していた「ピースカフェ」というカフェから返事が来た。
チケット取り扱ってもいいですよ、と書かれている。
早速、face to face の営業に行かなくては。


■2004.8.28  night  管理人 wrote

携帯が鳴る、
ウッ・・・見慣れない番号、誰だ?
「私です、携帯買いました」
安田さんを招く会代表世話人のオバサンだ。
7月31日の日記にも書いたのだが、このオバサン携帯は持っていない、インターネットや電子メールはしたことが無い、情報社会に完全に乗り遅れていた。

安田さんの講演会が終わったら解約したらと、携帯を持つようお願いしていた。
週が明けたらペアで色んな団体を回ってみましょうとも話し合っている。
会場も仮予約がしているが、正式の予約に行かなければ。
時折、直ぐに連絡を取り合いたいことがボチボチ出始めている。
「発信以外、使い方が分からないのよ」と電話で仰るが、それでいいのだ。

金曜日は昼から休暇をとり、2つの団体を一人で訪問していた。
一つは地元の国立大の大学生協に行っていた。
若い方、大学生に来ていただくにはどうしたらよいか考えた結果、大学生協にチケットを扱っていただこうと考えた訳だ。
でも、生協は多分共産党色が強烈だろうな、いつもの抵抗感もあったが。

昼下がりの強烈な日差しが照りつけるキャンパス、生協は正門からはかなりの距離だった。
空調の効いた部屋で、パソコンにかじり付いている毎日、営業は久しぶりだ。
我が母校日大理工学部は、道路と校舎は1m足らずの歩道が隔てているだけだった。
さすが国立大、大木が青々と広がるキャンパス、グランドでは学生が黙々と練習に励んでいる。

生協事務室、私より一回り位若い専務理事さんは「よろしい協力いたしましょう」、
「学生がキャンパスに戻ってくる9月中旬以降に、再度チケットを持って来てください」と仰っていただいた。
キャンパスの強烈な日差しと、久しぶりの営業で少し疲れた。
そう言えば、30数年前この生協会館の前で民青の学生と激しく口論した事を思い出した。



■2004.8.25  night  管理人 wrote

今日は運転免許の書き換え更新に行っていた。
無事故無違反の”優良”ドライバーの私、新しい免許をもらったのは9時半。
私の職場は、免許書き換えに半日の特休(特別休暇)を下さる。
午前中の時間を有効に使おうと、安田さんのチケットを持って諸団体を”営業”して巡った。

とても複雑な心境・・・。
労働団体や平和団体を回ると、どうしても旧社会党系や共産党系とはっきり色が分かれていることが嫌でも分かる。
共産党系は概して好意的でフレンドリー、対して旧社会党系は少し距離を置いたような応対。
どうしてかなあ・・・・、と考えた。

私は個人で動いている、思い込みは強いが自分の意志を邪魔されるものはない。
しかし末端の共産党の一党員の方が、この「招く会」を自分の意思だけで果たしてできるだろうか。
やはり、しかるべき方の許可をもらうか、機関に諮らなければ動けないだろう。
自分たちがやりたくても出来ない事をしているので、彼(女)らは”好意的”なのか?

旧社会党系の方々はどうだろうか、
組織動員の”運動”に慣れてしまい、自分が一個人として動く事を忘れてしまったのか。
組織動員でもない一個人の呼びかけに反応する”感性”を既に無くしてしまったのか。
コネクションも面識も無い私の働きかけが”疎ましい”のではないかと勘ぐってしまった。

日大全共闘は突っ込む時でも、敵前逃亡する時でも、何時でも個人の”決意と主体性”だったよ。
古い言葉を思い出してしまった。



■2004.8.25  morning  管理人 wrote

よく考えてみると、世話人代表のオバサンしか、安田純平さんと連絡をとっていない。
オバサンは業界人ではないズブの素人、本当に大丈夫かな、という思いが及ぶ。
チラシは刷り、入場整理券は作り、会場のホールは予約を入れた。
しかし、これまでの準備は万一開催がダメでも、会場はキャンセルしチラシは廃棄すれば済む。
問題はいろんな団体・組織に助援をお願いして巡っている事、既に入場整理券をお願いしている所もある。
これだけは「済みません」では済まない。

昨日呼ぶ会のメンバーで、安田さんの携帯電話に電話を入れた。
日程の再確認である。
携帯電話は電源が切られ繋がらなかった。
今、ほんの少し不安な気持ち。

多分オファーは大丈夫と信じているが、体調やその他の理由で講演がダメになる事だってある。
その時は、集めた参加費はどうやって換えそう、使った経費はどう負担しよう、いやいやそれ以上に協力してくれた団体にはどうお詫びをしよう。
考えると結構リスクのある事を始めてしまった・・・、
でもやるよ。



■2004.8.19  morning  管理人 wrote

昨晩は夜なべをして安田純平さんの入場整理券を作っていた。
厚紙を一枚一枚プリントする。
何となくその昔、ガリ版を刷っていた頃を思い出す。
安田さんの今までの講演会、何処もきちんと連絡先電話を表記している。
メルアドとURLの表記だけに制限した事、少し慎重で”日和見”かなと気に掛かる。

このまま何もせずに死ねるか!
”ラジカルおばさん”の一言が中年オジサン連を奮い立たせた。
有志年長者のGさん、共産党関係者にもチケットを売りに行くと宣言した。
「共産党が運営に入れば、俺は抜ける!」と早々と宣言していたが、チケット売り先が共産党なら仕方ないか・・・・・、と渋々妥協。
拘る私は偏狭なのか。

しかしこの”招く会”、何の策も展望も準備していない。
普通の”ラジカルおばさん”の一心な思い付きを、何も手を加えずそのまま実現したい。
何の恩義も義理もない、助けて下さいと声を掛けられただけだ。
私は名前も顔も一切表に出さない、ただひたすら自分に出来る事をする。
主役はこのおばさん一人で良い。

 



■2004.8.18  morning  管理人 wrote

昨夜は、安田純平さんを招く会の3回目の準備会を持った。
私を含め6名、皆髪が白いかハゲかかった(私だが)初老世代。
私は言った、「何故ここに若者がいないのか・・・・・」。
いい歳こいた6名が秘密謀議。

世話人代表の”おばさん”、己の実名も電話番号も呼びかけチラシに出すと言い張る。
私を初め殆どが、それは止めといた方が良いと説得。
イラク戦争、イラク人質事件は受止め方を2分し、どんな嫌がらせがあるかもしれない。
「正々堂々と個人名で呼びかけよう」という”ラジカルおばさんを、”日和見オジサン連”が何とか説き伏せた。

呼びかけ人は「安田純平さんを**に招く会」の団体名で、連絡先には電話でなくヤフーでメールアドレスを取得、ついでにライブドアで専用のブログホームページも立ち上げた
ここなあたりはネットを最大限に利用、如何にも若者主導という見掛けだが、言ったように実態は”オバサン・オジサン連合”。

この会合の前に、次男坊の就職試験の発表を見に行っていた。
中旬に発表という事でここ数日日参していた。
合格番号を手帳にメモし、息子に電話を入れた。
「お前の受験番号は何番だ?」、息子は今日発表があると思っていなかったらしく電話のむこうであせって受験票を確認しいている。
「何番だ?」、
息子は「父さんの方が合格番号を言ってよ」。
私は番号を読み上げた。

最初の試験が大学3年の早春から始まった。
大手新聞社、大手出版社、放送局と数知れず受験しことごとくコケて足掛け4年、丸3年。
頬はコケ、目つきも段々鋭くなってきた。
さすがに息子も参ったようで、今年はマスコミ以外も受けると妥協し、慣れない”受験勉強”に時間を割いていたようだ。

集団面接で仲良くなった東大生も一緒に受かっているという。
受かったら一緒に酒を飲もうと約束していたらしい、早速出かけていった。
気難しくツッパリで、おまけに下戸な息子が、何時のまにか”付き合い”を覚えている。
順調に行かず息子なりに苦労したこの3年間、彼には良い経験になればと思う。



■2004.8.17  morning  管理人 wrote

日記7・31に書いた、おばさん(失礼)パワーに敬服する。
彼女はめげていなかった。
フリージャーナリスト安田純平さんの話を聞きたい、この一心で彼と連絡をとり講演会の承諾を取り付けた。
日時、会場まで決めたという。

先日その彼女から電話があり、昨日夕方会った。
ここぞと決めて申し込んだ会場は、「政治的な会合には貸せません」と断られたという。
その会場はこじんまりしたホール、演劇や詩の朗読劇、ギャラリーに使用されており、反戦・平和をテーマにしたものも多いと聞いている。
普通の市民にとっては、リアルな人間のリアルな体験の報告会が”政治的”で、反戦・平和の演劇はそうでないらしい。
ここのホールのオーナーは共産党のシンパとの風評を聞くが、さもありなん。

しかしここまでこのオバサンが突っ走ると、サポートしない訳にはいかなくなった。
”興行”の総費用はさすがジャーナリスト、往復と宿泊に僅かばかりの謝礼でよいというらしい。
彼女、「何なら会場費も含め私一人で全て負担しても良い!」との決意。
其の上、世話人代表として個人名、電話番号の個人情報を晒しても良いという。
彼女こそ今の世の「ノンセクトラジカル」だ。
私は黒子に徹しサポートしよう。





■2004.7.31  morning  管理人 wrote

「このまま何もせずに死ねるか!」
昨日、始めてあった御歳50のご婦人の言葉。
彼女、”安田純平”さんを講師に招く講演会を持ちたいと願っているとのこと。
政党や労組のコネクションを全く持たない市民派のようだ。
佐賀大学で持たれた安田純平さんの講演会のビラを大事に持っている。

イラクの人質事件が起きたとき、地元紙に何度も投稿したらしい。
けれど、ことごとく無視され没。
既成政党や団体、マスコミに頼らず出来ないものかと模索している。
Weblog「イラクに平和を」の私達の活動に、一途の望みを掛けて”接触”してきた。

話してみると面白い、目が光っている。
「若い頃は”トロツキスト”と中傷されたこともあるけど、違うのよ」
自然に進んだ話題で、ご主人を亡くされているとのこと。
ご主人は1949年生で、日芸(日大芸術学部)卒だったとのこと。
詳しくは聞かなかったがウ〜ム・・・、これは捨て置けないな。

でも彼女、携帯電話は持っていない・・・、パソコンは触った事が無い・・・
さあ、困った。



2004.4.10  morning  管理人 wrote

8日木曜日、かねてからせっつかれていたWeb反戦共闘の謀議を嫌々持った。
私はあまり気乗りがしていなかったが、年長の’ピァーBUND’の御大が参加してくれるという事で、’遅れてきた全共闘世代’さんに俄然気合が入った経過だ。

元BUNDの御大がまとめ役なら、まあしょうがないか・・・・・という極めてテンションの低い動機である。
35年前にBUNDのある派のキャップに、兵隊に使われた苦いトラウマがある。
いい歳こいて又・・・、という思いもよぎったが。
でもWebなら私の方が大先輩だ。

Web共闘は遅れてきた全共闘世代さんの提案で、無料のWeblogを使う事に決めた。
共同管理が出来るWeblogを、彼が早くも準備していた。
いやはや彼の行動力はたいしたものだ。
タイトルはBUNDの御大を配慮し”反戦評議会”を冠すればと提案したが、二人ににべも無く反対された。
二人に「今更・・・・・?」といわれた。
ご時世に沿って「イラクに平和を」、「市民ができることからのスタート」というサブタイトルを冠した。

無料のWeblogなので容量は多くて10MB程だろう。
バカでかい画像さえ貼り付けなければ、テキスト原稿であれば相当量の書き込みが可能なはずだ。
私のこのページでも、画像を除けばテキストはほんの数MBしか食っていない。
よろしければ、ぜひ訪問下さい。

Weblogの初期設定が済もうとしていた丁度その時、妻が階下から呼んだ。
「貴方、イラクで大変なことが起きていますよ」
直ぐにTVのスイッチを入れると、目隠しされた三人の映像が飛び込んできた」
「イラクに平和を」、「市民ができることからのスタート」のWeblogを立ち上げたその矢先だった。

 



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