■2017.02.06 morning 管理人
一年ぶりに復活する6月の温泉旅行、航空チケットと宿の手配が出来たと旅行会社から連絡があった。
新幹線は羽田東京間乗継に時間を要しそれに割安料金設定が無いので青森までは羽田経由の飛行機便に。
ワイワイガヤガヤ、鉄道車中で地方訛り丸出しでお喋りしながら行くのも楽しいが、それは誰はばかることなく道中で出来るから、青森までの往復は早くて便利、かつ割安な航空便に。
一泊は亡き隊長の遺志を引き継ぎ秘湯の宿の青荷温泉、調べると照明はランプ、トイレ、洗面は共同、八幡平の藤七温泉や浅間山の高湯温泉並みの宿。
隊長の遺志である「秘湯温泉旅行」を継ぐものとして、このレベルの宿は外せない一泊。
しかしこの宿をコンクリートするとマダム連たっての「星野リゾート奥入瀬渓流ホテル」と青荷温泉は一時間ほどの時間距離。
更にもう一泊は日本海側西海岸の黄金崎不老不死温泉、青荷温泉からだと100kオーバー二時間半ほどの時間距離、離れすぎている。
立ち寄り湯は外せない一湯で酸ヶ湯温泉、その他ラムネ温泉で有名な八甲田温泉、青森県唯一の日本秘湯の会の猿倉温泉か蔦温泉、岩木山麓の百沢温泉か獄温泉などが素案、昼食との兼ね合いで適宜選択。
この三泊を「点」に四日間の「線」の行程、非常に組みにくい。

1月15日、故人の書籍整理の際に旅行雑誌を山ほど頂き、その中に東北の旅行雑誌も沢山ある、DVDは三巻で一万円程が二セットも。
それを見ながら行程案を思案しているのだが、よくよく見ると雑誌は2003年発行版、一番新しいもので2006年版。
地理的なものは大地変動がない限り変わらないが、道路、店、諸施設は10年もあれば様変わりする。
止む無く、二冊ほど最新の旅行雑誌を買い求めた。
苦節一週間、十和田・八甲田周辺の地図は頭の中に思い浮かべられるようになった。
グーグルマップで経路や時間距離もほぼ正確に掴める。
名所旧跡観光はさておき、課題は散策、トレッキング。
私は幼稚園から大学まで一貫して帰宅部出身、大学時代には一時期「お泊りクラブ」に所属したことはあるが、
これだけは山岳部出身でヤマヤの故人には及ばない、そこのところは皆にご理解していただくしかないのだ。
■2017.02.01 morning
管理人
「**さん、これ払い戻しです」
差し出された現金封筒を改める、万札がやけに多い。
「これ、多過ぎるのだけど・・・・?」
昨日、6月予定の東北温泉旅行の航空チケットと宿の手配に旅行会社に出向いていた。
今回から行程立案も任されているのだが、何せ私は青森県は一度も行ったことのない県、行程を組もうにも皆目分からない。
ついでに行程や観光についても提案してもらおうと事前に仲良しの担当さんに電話していた。
観光やトレッキングは十和田・八甲田、白神山地を希望、宿の中で一泊はマダム連のたっての希望で「星野リゾートの宿」をお願いした。
それで帰ろうとすると前回旅行のキャンセル料免責分の払い戻しだと現金封筒が。
キャンセル料は50%で、キャンセル時に一旦全員分支払っていたのだが、亡くなった当人と配偶者の二人分は航空会社の審査後に免責で還付されると聞いていた。
「手続きに随分長く掛かりましたが、航空会社からやっと払い戻しがありましたので」
それで封筒の中身を改めたのだが、支払った全額分が入っている。
「これ、間違っているよ」
そう担当に言うと、
「当初は亡くなった方とその配偶者分が免責と説明しましたが、航空会社からはツアー全員分が返ってきましたので」
「ツアーがメンバーの止む負えない理由(死亡等)で中止になった場合、全員が該当するという事なのでしょう」
私が推測するに旅行会社を通し「ツアー」として一括手配していたので、一部メンバーの理由でツアーが中止になったとしてもその理由がツアー全体に適用になるのだろう。
個人手配が盛んなご時世だが、ツアー会社を通すメリットが今回は生きた訳だ。
異議申し立ては私の得意分野だが、この見解と対応に異議を挟む必要は全くない。
私は、亡くなった友と奥さんの二名分立替+自分を払っていたので、三名分が私の懐に入ることになる。
旅行は10月予定でキャンセル料を支払ったのは8月中旬、だからほぼ半年前の出来事。
当該事案、ボケ気味老人にとっては既に忘却の彼方だったから、思わぬボーナスを貰った気分。
単純に嬉しいのだ
■2017.01.17 morning 管理人
圧倒される本のボリューム、どう写真で表現したらいいのか分からない。
やはり腕前と、それに合ったレンズが必要なのだろうと自分に言い聞かせた。
しかし、本当に圧倒されたのは書籍ではない、押し入れに大量にあったDVD。
押し入れに秘かに有ったからと言って決して”アレ”ではない。
昨日、映画好きというか、映画フリークの牧師様に「半端な数ではありません、一度見てみませんか」と声掛けした。
そう言うことでぶしつけながら故人宅へ赴いた。
牧師様の目、キラキラ光っているのが分かる。
ダンボールを次々開き、「アッ・・・・、これ一度見たかったんだ、アッこれも!」
そういってチョイスし次々目の前に積み上げていく。
  
故人の奥さんは、故人の学生時代の全共闘仲間。
故人と一緒にシネクラブを立ち上げ自主上映運動を続けていた。
主人のコレクションを分かってくれて嬉しそう。
牧師様、結局、推定千本余のDVDから選り出した百数十本から、更に50本程に絞り込み借りていくことに。
それで最初に選り出した百数十本はダンボールに「次回に」と書き込み押し入れに戻した。
くだんのDVD、私が知っているタイトルは片手程。
牧師様にお願いし、名作アレルギーの私は台湾、韓国、中国作品で”ほのぼの系”のDVDを五本程選んでもらった。
しかし・・・・、
書籍もさることながらDVDにも圧倒されたのと、
モーツアルトCD全集一巻2万8千円が15巻全巻未開封で有ったが、さすがに欲しいとは言えなかった。
因みに写真に写る書棚、本は奥にもう一列並んでいる、見えるのは前面の列のみ。
写真は二階部屋で、これと同じ本の量が居間にも。
■2016.12.22 morning
管理人
年末この時期、札幌の悪友が決まって帰省してくる。
其の悪友から、「葬式に出れなかったのでせめて墓参りに行きたい」とリクエストがあっていた。
先日、亡き友の家に立ち寄り奥さんと三人で墓所に。
南に面した丘陵、横には大きな桜の木、墓には温かい初冬の日差し。
周りは故人の所有地だそう、日当たり良く私なら野菜を植えるのだが
奥さん曰く、
「一月になったら皆さんに我が家に来て頂き、本の整理をして欲しいのですが」
立ち寄った故人の家、書庫代わりの二階の部屋を見せて頂いたが、半端な量でない。
地震で二階が潰れるのが怖いので、これでも半分は一階の居間に移してあると云う。
二階の蔵書見ただけでも溜息出たのだが、
アマゾンの配達の無い日が無く、時には一日数回の配達が有ったと云う。
更に奥さん曰く、
「彼は退職金の大半、それと月々の年金のほぼ全部を書籍購入に使ってました」
「生活は私が全部面倒見てましたので」
故人は夫婦そろって元公務員、退職金も年金もたっぷり二人分なのでそれが出来た訳だ。
これで私は二度目の溜息。
蔵書は高価な全集や装丁本が殆ど、どれも半端な価格でないのだが一つ問題が。
古書として換金するのには難がある本ばかり。
故人は国立大全共闘の創設メンバー、所謂、まっとうな左翼ではないがそれでも蔵書の傾向はかなり左に寄っている。
左と云ってもレーニンやマルエン全集のような正当な左翼本ではない、斜に構え難解でややこしい本ばかりなのだ。
ご時世がらこの手の本は一番”需要”のない本・・・・、これも溜息。
余談だが笑い話、
一緒に東北旅行に行っていたお仲間、「あの時代の友との温泉旅行」に綴っているキルケゴールの君。
彼の親爺さんは教師で地元日教組委員長、'70〜'80年代だと記憶しているが某市市長選に打って出てめでたく当選している。
まあ、当時のゴリで正統な社会党だった訳だ。
一昨年、そんな親爺さんが亡くなったのだが、その友も、一番困ったのが親爺さんが遺した大量の書籍類の処分、今回の故人の蔵書以上だったそう。
「おい、装丁本はちょっとそっとではなかなか燃えない、薪かわりにもならない」
実家で五右衛門風呂の薪かわりに燃やそうとしたが諦めたそう。
遺品の中で一番厄介なのが全集類。
重たい、固い、売れない、燃やせない、引き取り手が居ない。
でぇ〜、行きつく先は市の焼却場となるのだが、それは偲びないと後ろ髪引かれるから厄介。
因みにその全集物で一番「固く」かつ「重い」のが「金日成全集」だそうだ。
断っておくが、「固く重い」のはあくまで物理的な表現ですので。
■2016.10.06 morning 管理人
何時ものように朝四時に起きる。
外に出ると久し振りの満天の星空。
余りに綺麗で写真にと思ったが、さすがにF1.8コンデジでも星空は無理。
星空なら三脚でデジイチの長時間露光だろう、今度挑戦してみる。
昨日、牧師様から電話が。
何とか飛行機は飛び、今は中継地京都まで帰り付いたと、これからバス便とのこと。
牧師様から留守中のあれこれにねぎらいの言葉を頂いた。
不思議なもので、その言葉だけでイラッとしていた心が和らぐ。
星空が明けると朝焼けが
8月11日の山の日に急逝した友、満中陰の礼状が先月末に届いた。
こちらの友の方はこれで滞りなく一連の法事が終わった訳だが。
妻が電話してる声が聞こえた。
「本当はこちらの方がお伺いして御慰めしなければいけないのに」
「偲ぶ会の席を構えなければいけない旦那衆の方が相当に落ち込んでいて・・・・・」
同じ故人でも、
こちらの方は、気を取り直し偲ぶ会をとはなかなかいかないが、
葬儀から足掛け三ヶ月、そろそろ事務屋の私が事務的にしつらえをしなくてはと思い始めている。
■2016.08.25 morning
管理人
法師温泉は長寿館、
四万温泉は積善館、
そして草津温泉は草津ホテル。
先日キャンセルした温泉宿、どれも私の様な年金生活者には贅沢すぎる老舗の宿だった。
隊長から旅行計画を受け、航空チケット、レンタカー、そして宿の手配を進めるのは事務方の私だった。
「**さんいいですか、この日程ではどれも二万円をオーバーする宿ばかりですけど」
手配依頼した旅行社から確認があった。
「仕方ないよ、隊長がそれで行こうというのだから」
先日入った喫茶店、たまたま手に取った雑誌。
昨年発行のバックナンバーだったから、雑誌名を頼りに発行元サイトで二冊程手に入れた。
届いた雑誌をあらためて部屋でゆっくりめくる。
行ってみたい温泉、泊まってみたい宿、紹介ページに私らが訪れたところが次から次。
2013.7.21 川原毛大湯滝
たった二人で全共闘を旗揚げした亡き友。
そのリーダーシップと、高校大学を通じた山岳部での豊富な経験が相まってこれまでの旅行を組み立てていた。
計画には彼独特のこだわりと、一度決めたら譲らぬ強引さもあった。
そんな旅行計画に皆の連れ合いも含め誰からも異存はでなかった。
今更に振り返えると、
この四年間で彼の企てた旅行にどっぷりはまり込んでしまった私と、その内容が雑誌紹介を凌ぐ”濃い”もので有ったことがよく分かった。
今後、事務方・補佐役の私では引継ぐその役に及ばぬ無力感と、
かけがえのない友を失った喪失感がますます深まる。
■2016.08.21 morning
管理人
妻の実家の庭木の手入れを終えた帰路、立ち寄った喫茶店。
「貴方、ここ行ったですね」
「あっ・・、ここも行ったですよね!」
店に備わる温泉を紹介する雑誌、ページをめくり私に見せる。
手に取り雑誌をめくると、次から次に私等が訪れた名湯・秘湯の紹介が続いている。
亡くなった友との旅の情景が次から次と頭の中を巡る。
四年でたった四回の旅だったのに、東北の名湯・秘湯を網羅し巡っている事が雑誌を見ていて今更によく分かった。
あらためて、山岳部出”ヤマヤ”の友、旅のコーディネイトはさすがだった思った。
2012年7月28日、八幡平・藤七温泉の朝
「もう行けないんですね・・・・」
妻が寂しそうに一言。
時間が経つにつれ増す喪失感。
残された四組の夫婦と友の相方、これからどうすれば。
■2016.08.20 morning 管理人
「じっちゃん、プール!」
保育園から帰ってくると開口一番、
プールと言っても庭のデッキにしつらえたビニールプールだが。
段々エスカレートし私に容赦なく水を掛けてくる、お陰で昨日は私も上から下までびしゃ濡れ。
「じっちゃん、かき氷、今日はいちご!」
プールを上がると、玩具のような氷かき器でシャカシャカ、
かき氷を食べると私の膝で本読み。
このパターンが此処のところの定番となっている。
「隊長が亡くなったので、キャンセル料掛かるけど旅行は中止にしていいだろうか?」
通夜の席で参加各員に、皆納得してくれた。
先日旅行社に手続きに、飛行機は早割予約なのでキャンセル料50%。
一旦、全員分立替え払いしてキャンセルした。
旅行社の方、
「**さん、亡くなった方の死亡を証明する物がありますか?」
「本人と奥さんのお名前が記されている香典返しの礼状でもいいのですが」
聞くと、死亡の場合本人キャンセル料が免責になり後日払い戻しがあるという。
それとキャンセル料免責は配偶者も対象になるという。
キャンセル料を亡くなった家族に請求するのは心情的に辛かった。
死亡とは止む負えない事情の最高位に位置しているのだろう。
■2016.08.15 morning
管理人
日の出前、庭に佇んでいると冷やりとした風が頬をなぜていく。
秋はもうそこに来ている。
「山が好きだった父が山の日に亡くなりました」
「山の日には父を思い出して下さい、本日は有難うございました」
喪主を務めた息子さんが謝辞をそう括った。
8月11日朝一報、12日葬儀打合わせから13日通夜、14日告別式、火葬・骨上げまでこの三日間ご遺族と一緒させて頂いた。
地元大学全共闘をたった二人で始めた高校同窓生、そして東北秘湯ツアー隊長が8月11日の山の日に急逝した。
彼は高校大学を通じ山岳部、人生を通じ山をこよなく愛した。
私はヤマヤの彼が計画した東北秘湯ツアーに2012年から四年間参加させてもらい沢山の楽しい思い出を貰っている、
今年は東北を降り北関東巡りを10月に予定、既に準備万端整っていたのに。
合掌
■2016.06.14 morning 管理人
経済センサス統計調査に”就労”し、ひょんな経過で調査依頼に伺ったお店で自転車買うはめになった。
その注文していた自転車が先日届いた。
次男坊に持っていかれて一台になっていた折りたたみ自転車、やっと夫婦分の二台に復帰した。
この自転車は主にマイカー旅行用、日常に使うつもりはなくそれでめでたく居間に飾っている、今後も当分乗る予定は無い。
私にとって自転車はほぼ”飾り物”なのだ(笑。
今度のは六段ギア、妻用に
今秋の温泉ツアー、
関東は群馬県、法師・草津、四万温泉で昨年まで銘打っていた”東北秘湯ツアー”とは言い難い。
東北・秘湯という二大コンセプトが外れ少々拍子抜けだが、そんな事を言っていると群馬県に失礼かも。
この二つのコンセプトには色々特徴が有った、その内の一つが山奥の温泉宿で割安だった事、二食付きで一万円を割る宿が多かった。
私にはこれが大層有難かった。
それが今秋のツアー、
首都圏に近く名湯だが秘湯とは言い難い開かれた保養地、これはこれで便利でいいのだが。
ツアーマスターから確保せよと指令を頂いた宿、この春から早々に手配を進めており先日予約完了。
マスターの第一条件はその地一番の名湯宿、高いか安いかの考慮は無い。
首都圏に隣接する利便性の良い群馬の名湯、その地理的条件もあってとにかく高い、マスターご指名の宿はいずれも軽く二万円オーバー。
三泊すると宿賃だけで一人七万円を軽くオーバー、航空旅費、レンタカー代をプラスするとかなりの額になる。
今後もこのツアーを継続してゆくためには経済的にも無理は避けなければと思っている。
せこい話のようで何度も言うが、メンバーは皆が不器用に生きてきた者ばかり、素早く転身し悠々と年金生活している方々とは違う。
今年は既に計画が進んでいるので致し方ないが、私個人としては来年からはも一度東北の秘湯に戻りたいと、寂しい懐をさすりながらそう願っている。
八幡平、栗駒高原、も一度行ってみたい!
■2016.05.13 morning 管理人
楽しかったが”部外者”なもので少々疲れた。
地元国立大全共闘最後の大同窓会にお招きを受け昨夜参加した。
司会が北は北海道、南は沖縄からと紹介していたので本当に全国動員だった。
闘争を通じて一緒になったかどうかは定かではないが、930の会と違って夫妻での参加が多いように思われた。
「当地で初めて縦になり横になりフランスデモをした」
「機動隊が両側を挟んで守ってくれた」
「?・・・・・・・」
フランスデモで両側を挟まれる、それはチト違うだろうと思ったのだが。
参加者を紹介をしたのが一緒に東北温泉旅行に行っている二人。
紹介よりも当時のエピソードの披露の方が長かったが、
私の紹介の時は、
「彼は東京の新鮮な空気をこの全共闘に持ち込んでくれました・・・・」

私以外にも他大学からの参加者が、ブントで安田講堂籠城貫徹組の愛媛大の二人の笑顔、籠城二日でその後の長い長い苦難の裁判闘争を経ているはずだが私より十歳は若く見えた。
まだ親と決裂していなかった'69年頃、帰省の際に理闘委の仲間が当地に遊びに来た。
物見遊山の気分でこの全共闘の皆さんの集会やデモに参加した。
物は壊すは本気でぶつかるはハチャメチャしたのだが、それを”新鮮な空気”と言われて、穴が有ったら入りたい気分だった。
一言と言われ、十言程以上言って最後に当時の非礼を詫びた。
因みに両側を挟まれたという”疑惑”のフランスデモ、
たった二人で始めた”全共闘”、始めてのデモもたった二人だったという。
それでも・・・・、50年近く経った今でもこれだけの人が集まった。
貴方らは偉い。
さあ、次は半年毎の定例ミニ同期同窓会。
ハァ・・・・・・・・
■2016.02.18 night 管理人
「人生最後の大同窓会、全国動員でやる!」
「貴方も日大全共闘として連帯のあいさつを頼む」
朝、洗濯に勤しんでいたら電話が入った。
主は毎年一緒に東北の温泉へ旅行している地元国立大全共闘の元親分格。
「地元公立女子大はもとより、高校反戦、労働者反戦、支援してくれた安保世代の先輩達、誰も彼も根こそぎ全国動員で人生最後の大同窓会をやる!」
主は昨今持病で弱り気味だが、電話の声は弾んでいる。
「それで貴方の友達で、昔、当地で(無責任に)跳ね上がってくれた友達も連絡付けば是非呼びかけてくれないか」
(無責任に)跳ね上がった友人とは、私の帰省時に当地に遊びに来た日大全共闘の仲間達。
運動に責任が無いのでそれを無責任と云うのだが、当地で私も含め友人達は後の事は知らぬとハチャメチャしている。
この逸話は「あの時代の友との旅行記」に幾つかエピソードを綴っている。
民青が占拠する生協食堂に突入し、乱暴狼藉したい放題。
トロ学生は来るなと参加拒否された社共統一集会、総評青年部のピケットに突っ込み、ついでに殴る蹴る。
何れもデモの冒頭「突入」とのお決まりのアジテーションが有った、それで、言葉通りの実力行使をしたまで。
しかし、この日大全共闘のスタンダードは、当地ではそうでなかった。
地元の彼等にとって民青は勝てない最強の敵だったが、私等日大全共闘の意識は「ミンコロなんてちょろいもんよ」
この決定的な”認識”の違いをして、後から反撃を受ける彼らからは無責任でハチャメチャと謗りを受けた。
そんな大昔のエピソードをしても、彼らの人生最後の大同窓会にお招きを受ける栄に浴したのだが、
無責任な友人達といえば・・・、かすれる頭を振りしぼると、それぞれが同一時期ではなかったと思うが、
クメちん、ヤー公、タッペ、それに宮澤君も居たっけ。
亡くなった宮澤君は端から参加が叶わないが、クメちん、タッペはもう何十年も音信不通だし。
ヤー公にしては「テメエ、まだそんな事してやんの、オイラはいまだに天皇陛下万歳、退職した今は神社総代で忙しいでやんの!」、って4〜5年前に電話で話した時突き放すように言われた。
バリスト突入前は当局御用のクラス幹事、バリスト以降は愛すべき最強ゲバリスタで学科の逮捕第一号、
もともと当局のクラス”番人”を受けるほど性根は右翼なのだが、更にその体質に磨きがかかっている。
有難いお声掛けだが、無責任な私の友の参加はかなり無理なよう。
■2015.12.16 night 管理人
時系列でこの一週間程の日記。
保育園のお迎えの帰り、道路端の皇帝ダリアが見事に咲いている。
我が家のダリア、秋風から冬の寒風に変わったのだが一向に花を付けない。
「こりゃ〜、多分肥料のやり過ぎだな」
気持ちいいほどグングン伸びるもので頻繁に液肥を施した、それが良くなかったのだろうと反省している。
何事もやり過ぎは良くないのだ。
来年の秘湯温泉ツアーのプレゼンと、この間の仲間の快気祝い、そして忘年会を兼ねて食事会を持った。
食事に添えてアルコールは嗜むが”飲み会”ではなくあくまで食事会。
皆もう相当人生してきた、若い頃のように酒を飲んでワイワイ騒ぐ年代はとうに過ぎた。
酔わなくても胸襟を開ける、こういう関係性で親しく付き合える友がいる事は幸せ。
秘湯ツアー、岩手、秋田、宮城、福島を巡り四年続いたが、来年の五年目にして東北を離れる。
提案は法師温泉、草津温泉、四万温泉を巡る行程で全て「群馬県」。
日程は例年五月から七月にかけて組んでいるのだが、ちょうどこの時期サミットが開かれるので次回は秋にしようと言う。
色々と脛に傷持つメンバー、厳戒態勢の首都圏には近づかないほうが良いのではとの提案、私もそれが正解だと思う。
そういうことだ。
  
ところでこの秘湯ツアーのマスター格、大の本好きちゅうか収集マニア。
彼のカミサン曰く、
「アマゾンの宅配、来ない日がないのよ!」
「二階の床が抜けそうで、地震が来たらと心配」
本人曰く、
「退職してこの方、もう一千万円程退職金つぎ込み本に使った・・・・・」
その昔、学問せずに明け暮れたので、きっと今取り返しているのだろ(笑。
私は基本というか原則、読書はしないが退職してからこの方、有り余る時間がある。
テレビは観ないし、殆ど外出もしない。
それで自然と原則を曲げ読書の時間が増えた。
読書といっても根がへそ曲りな訳で、”はやり本”や”流行作家の本”は読まない、特に**賞と付いたものや華々しく新聞広告に載る本は信念を持って絶対読まない(笑。
現在、原則曲げて読書進行中は「文明崩壊、滅亡と存続の命運を分けるもの」、上下二巻の文庫本だが一巻だけで1200円+税もした(泣。
以前、930の仲間がブログに紹介していた「道徳性の起源、ホノボが教えてくれること」という本は面白かった。
進化論を軸とした学術本だが、主義主張の味付けがなくて実証を積み上げていくそれこそ学術、面白い。
それで、最近同じような本をまたブログで紹介していた。
「ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた」
能力、偏差値は別として一度は”理数系”の方に興味を向けた人間なのだが、何故か今は中途半端だが”文系”の本に興味が向く、歳をとったという事か。
それで、これも題からして興味をもったのでアマゾンを調べてみた。
その時は新刊で三週間ほどの入荷待ち、
それは良いのだが値段が2400円+税・・・・・。
退職してから金銭感覚が変わった、働いているときは何でもなかった金額をちょっと考え込んでしまう。
日頃、妻が図書館を利用しているので聞いてみた。
「そうね、ローカルではその手の本は蔵書にはまず無理ね!」
だって。
それで食事会でこの収集マニア氏にダメもとで聞いてみた。
返ってきた返事は、
「最近だったか、確か学術本で買ったはず」
「まだ読んでないが、取り敢えず整理のためダンボール箱に放り込んであるから帰って探してみる」
アマゾンで発売日が11月27日とあった、その本を12月11日時点で既に購入済みとのこと。
なんちゅう奴、一千万円も納得した。
それを昨日我が家まで届に来てくれた。
本人は未だ読んでいない新品で、それに宅配サービス付きで無料。
話はしてみるものだ、これからは読みたい本が有ったら買う前に彼に先に聞く事にしよう。
■2015.08.26 morning 管理人
2012年は夫婦三組六名、
2013年も同じ、
温泉旅行、2014年から65才退職組も加わり夫婦五組十名に。
それで、レンタカーは2014年から定員十名のグランドハイエースに変えている。
このデカイ車体で山深い秘湯温泉を目指すのだからかなりのものだ。
十名になった当初、六名乗りワゴン車二台にしようかという案もあったが、旅の楽しみの一つは道中・車中のやりとり、
昼間の半分以上は車内な訳で、分乗するとこの楽しさが半減する。
それに、二台となるとドライバーは交代要員入れても3〜4名は必要。
私の他に、どんな狭隘な山道にも腕に自信がある奴がも一人いたので十人乗りを選択する事を決めた。
ところで昨日、備忘録としてアップした再録版を「あの時代の友たち・・・」と題したが、
厳密に私等の言葉でいう”全共闘”経験者は、旦那組は四名、マダム連は二名になる。
全共闘経験者でない旦那一名は、中大文学部卒のキルケゴールの君。
このキルケゴールの君、酒が入ると未だに、
「オイ、私等の目指した世の中はこんなんじゃなかったはずだ」と、からんで酔狂する文学青年・・・じゃない老人。
ただあの時代、全共闘の喧騒を体験しているし、ピンポイントでお茶の水駿河台で私等と同じ空気を吸っている。
マダム連で全共闘経験者は二名と書いたが、いずれも地元公立女子大の生粋の全共闘。
内一人のマダムは、新橋でパクられ拘置所に滞在する事一年、その後の長い裁判で苦労した旦那を物心両面で支えている。
因みに、私には既に記憶がないが地元の某集会で機動隊に持って行かれそうになった彼女を私は助けたらしい、本人からそう言われた。
そういう事で上下関係は、私>彼女>旦那 、となっており、義理と人情、それに恩義を重んじる全共闘の世界ではこの上下関係は現在も変わっていない(笑。
全共闘経験者でない残り三名のマダム連は、いずれも前述二名のマダムの後輩、又は若輩にあたり、この集団の微妙な上下関係の下位に位置している。
それで、この温泉旅行の楽しい事の一つには、
日頃の我が夫婦の上下関係は、
勿論、カミさん>ワタシ 、なのだが、
道中、この全共闘と学生時代の先輩後輩の上下関係が複雑に関連し
ワタシ>カミさん に変化する、勿論、集団内に限りだが。
これが、またまた楽しいのだ(笑。
■2015.08.24 morning 管理人
「水着忘れずに持って来いよ!」
ちゅう指示が出発前にツアー企画者からあっていた。
「貴方、何故温泉旅行で水着なの?」
「外国のスパリゾートでもないのに」
そう妻に問われたが、私にも分からなかった。
那須岳の観光を終え、そのまま山奥へ2〜30分ほど車を走らせた。
見晴らしのいい展望駐車場に車を止め山道を下る事10分ほど、途中の『熊に注意』の看板がおどおどしい。
廃屋のような温泉宿に近づくと子供の歓声が聞こえてくる。
何でも廃園になった保育園か幼稚園のプールを再利用した風呂がある、
それで水着だった訳だ。

那須岳と温泉プールのマダム達(笑。
夕方はまだまだだが早朝はめっぽう涼しい。
日の出が夏の盛りより少し遅くなり、五時を過ぎないとお日様が出てこなくなった。
そよそよと吹く風に木の葉が揺れ、木漏れ陽が揺れる。
世間様では気ぜわしい週の始まりだが、私の一番好きな月曜日の朝。
■2015.08.23 night
管理人
「皆さんお久しぶり、前回お世話になった**です」
「ワタシやっと六月末で退職しまして今は年金生活で・・・」
「一日おきにプールに通い千mから二千mほど泳いでいます、それと庭木の世話、孫の世話、読書で毎日が過ぎています」
「それ以外は”何”もしていませんし、これからも”何”もする予定は有りません」
順番に自己紹介が回ってきたのでそう話した。
この時期、帰省してくる同窓生がいる、それをネタにそろそろ集まらないかとのせっつきが有った。
昨秋、本番の幹事を務めているので今回は替わってもらってミニ同窓会にお客様で参加。
急な呼びかけだったが、それでも昨秋の本番ネットワークが効き35名が集まった。
帰省組は、神奈川、埼玉、それにベルギー在住の三名、皆、それぞれ親が高齢だという。
相変わらず奈良在住の同窓生は、これだけで奈良から車で駆けつけている。
自己紹介、いまだに働いていると言い及んだのは七人。
大学教授が二人、建築事務所経営者が一人、校長退職後の財団法人役員が一人、看護師現役が一人、歯科医が一人、それに役人から天下りで週四日勤務の土建会社顧問が一人。
そうそう、私は参加しなかったが二次会飲み屋ママも同窓生だから八人になる。
それ以上は詳しく分からないが、労働者現役は約1/4まで減少している。
現役組、それぞれお金に困っているようではないので余程働くのが好きなのだろう・・・、と私はそう理解した。

甲子温泉と那須高原農家レストランのマダム達
「曜日感覚無くなってきたけど、それでも今は月曜日が一番好き」
「週の初め、皆が忙しく仕事に就く朝、庭でゆっくりと読書しているとつくづくそう思う」
現役建築屋親分と話しててそう言ってやった。
かなり嫌味な言い方だったが、
私はお金に困っても働くのはもういい、あるお金に合し生活を見直すだけ。
PS.
ネタ頂いてアップまで遅くなりましたが昨日「忘れざる日々」告知ページアップしました。
それと管理人日記再録編集版「お銀の事」ページアップしました。
■2015.08.21 morning
管理人
奥塩原温泉、早朝、妻と二人で風呂に、前夜に屋外露天風呂は入ったのでまだ入っていない内風呂に。
「私はやはり女風呂の方に」と入口で妻と別れた。
内風呂は入口で”混浴風呂”と”女風呂”に分かれている、私は女風呂に入るわけにいかないので当然混浴の方に。
誰も居ない場合、私は何時もお風呂の記念写真を撮る事にしている。
脱衣場には人の気配はなし。
しめしめとカメラを持って風呂に、記念にパチリ。
それでカメラを脱衣場に戻し、独り湯船に。
まったりと浸かっていると、背中でガラリと物音が。
「どうせおっさんだろう」と気にせず浸かっていると、
「失礼します」と横から湯船に。

奥塩原温泉と那須温泉
視界に入ってきたのは、前だけ隠した妙齢のご婦人。
「ヤバイ!」と思ったが、”幸い”なことに後の祭り(大笑。
狭い内風呂に小さな湯船(写真を参考)だから黙っていると気まずい。
「随分早い時間(に入浴)ですね」
とか何とか、しどろもどろで適当に言葉を交わした。
それで想定外の”事故”と湯あたりでのぼせて部屋に戻ると、
「貴方、女性が入ってきたでしょう」
「つかつかと入って行ったので、男性が入ってますよと声をかける間がなかったので」
妻は混浴の方に入る女性を”視認”したと言う。
それで妻の理解通り、風呂は混浴状態になった訳だ(大笑。
それで、
その日の朝食会場、この話題で”証人”の妻も含め大いに盛り上がったのは当然。
長生きしてると色々あるものです。
■2015.08.19 morning
管理人
元気してます。
7/25
福島県下郷町、塔のへつりで記念写真
7月始め、パソコンがクラッシュしまして。
「えぇままよ・・・」
それで、そのまま放置で今に至りました。
先日、気を取り直しタダで貰った中古XP機をやっとセットアップ、
これが遅いのなんの。

8/10のプール、庭は蚊取り線香が必需品
早寝早起き・・・、
ちゅうても世間様から見ると度の過ぎた早寝と早起きですが、
プールに通い、庭で読書、たっぷり汗かく草木の世話、日々が淡々と過ぎていきます。
■2014.06.09 morningU 管理人
会津若松から右手に会津磐梯山を、両脇にスキー場を見ながら桧原湖畔に。
高原の湖でリゾート地、初夏の爽やかな風が吹き抜けてゆく。
車はハイエースグランドキャビン10人乗り。
ドライバーは三名で交代だが、私はこの日後半の姥湯温泉の路を任されているので戦力温存。
会津若松を10時半過ぎに出発、順調なドライブが続く。
桧原湖畔でしばし休憩を取っていると、
「昼食は白布温泉の蕎麦屋の吾妻軒」
「その日に打った蕎麦を完売すると暖簾を仕舞ってしまう」
「何とかそれまでに店に着かなければ」
おいおいそんな事は手前に言えよ、だったが仕方ない。
ドライバーが俄然その気になりコーナーを攻めだした。
隣のナビゲーター役が一言。
「俺は車には強く酔わないが、このナビ画面は見てるだけで酔いそうになる」
東西南北が瞬時に変わるくねくね路、ナビ画面は動物の腸のよう。
それほどまでにして急いだ蕎麦屋、着いてみたら「本日休業」
よくある事だ。
「こりゃしゃない、米沢市まで行くしかないんべ」
ドライバーは一気に落胆、女性陣も車酔い、優しい運転の私に交代。
 
ところがどっこい、神は見捨てていなかった。
それから5分も走らない交差点、蕎麦屋の旗がなびいていた。
旗に導かれて走ること2〜3分、昼間は蕎麦屋を営む民宿政坊に行き着いた。
店前は行列で閉店は午後2時、30分待ちで閉店間際にやっとこさ店内に。
これが・・・、
決して空腹だったわけではなく、10名全員が「旨い」と絶賛。
外れもあれば当たりもある、これだから旅は楽しい。
■2014.06.09 morning 管理人
東北福島秘湯ツアー、一日目は高湯温泉玉子湯、二日目は会津若松泊、三日目は姥湯温泉枡形屋。
高湯温泉と姥湯温泉は峰を挟んで直線距離で7〜8km程しか離れていないが、姥湯温泉は山形県になる。
三泊四日の行程は、高湯温泉から磐梯吾妻スカイラインを通り新野地温泉に立ち寄り、磐梯山東側を猪苗代湖に抜け会津若松市へ。
会津若松からは磐梯山西側を県道2号線を北上し白布峠を抜け米沢市へ、米沢市から国道13号線を経て山形新幹線の峠駅へ。
峠駅からの行程は3日の日記に綴った。
姥湯温泉の露天風呂は混浴。
混浴といっても夕方6時から8時の間は女性専用になり男性は入れない。
反対に女性は何時でも入浴可。
つまり夕方6時から8時の間だけ男性を排除している。
夕食時に宿の方に尋ねた。
「朝は何時から入浴できますか?」
「一様、午前六時からですが、皆さんそれよりも早く入られているようです」
宿は早朝の入浴を黙認していると受け止めた。

勿論、女性は入っていません
翌朝、午前四時半に起床し四時五十分に露天風呂に向かった。
早朝なら誰も居なくて記念写真が撮れるだろうとカメラも持参。
露天風呂の周りは岩が覆い中が見えない造りになっているが、既になにやら人の気配がする。
近づくとスッポンポンのご婦人二人の姿が眼に入った。
脱衣場から今まさに露天に向かおうとしているところだった。
「ウム・・ヤバ!」
如何しようか迷った・・・が、
バリケード篭城を決意した'68.9.4の未明と同じ。
''68年と多勢に無勢の状況は全く同じだったが、直ぐに正反対の結論を出した。
「退散!」
部屋に帰り妻に事の仔細を報告した(笑。
部屋に待機すること30分ほど、
「もう出ているだろう」と再び露天風呂に向かうと、脱衣場から着衣のご婦人が三人。
「今なら、誰も入ってませんよ」
余裕で声を掛けられてしまった。
東北の温泉に通って三年になる、当方がスッポンポンは何度かあるが”敵”がスッポンポンは初めて。
人生、何が起こるか分からないのだ(大笑。
■2014.06.03 morning 管理人
その昔、30歳を過ぎてスキーを憶えた。
教えてくれたのはヨット仲間。
初めて板をつけた日、北壁の上級ゲレンデにリフトで無理やり連れて上げられた。
ファミリーゲレンデでボーゲンから入るスキー入門なんて生易しいものでなく、北壁の上で恐怖で身体が強張り身動き出来なかった思い出がある。
しかしその無茶苦茶な指導で憶えたのが根性スキー、お陰で少々の北壁ではビビらなくなった。
ゲレンデで傾斜が30度を越すと、上から見下ろす感覚はほとんど絶壁。
机上、分度器で測る30度ってのは感覚的にたいしたことはないが、
それが人間が感じる実際の環境では、分度器での30度とは全く世界が違う。
私のレベルでこの角度のゲレンデ、恐怖で前を向けない。
横向いて滑るのがせいぜいでゲレンデの端っこでキックターンして折り返す。
  
左:高湯温泉玉子湯、 右:浄土平の雪渓
滑川温泉から姥湯温泉に分岐する道路の口に表示があった。
「これから先道路幅員が狭いため対向車に注意」
それまでも道路は狭く、行き違いには難渋していたのでこの表示はそれほど気にせず姥湯温泉に通じる道に入った。
問題は幅員ではなかった。
途中の道路標識「勾配22%」
絶壁のような傾斜の上り坂ヘアピン手前に「切り返し」が必要な表示。
レンタカーはハイエースグランドキャビン10人乗り、ロングボディなものでトホホ・・・・。
切り返す際ハンドブレーキを引かないと車が断崖の方にずり下がる。
オートマでサイド合わせをしたのはそう何度もない、
やっとこさヘアピンを抜けホット気を許した眼前にまたまた切り返しが必要な絶壁ペアピンカーブ。
ご親切にダブルペアピンだった。
正直ビビった。
スキーゲレンデで30度オーバーは殆ど絶壁だと感想を書いたが、道路の勾配22%も感覚的にはそれに匹敵。
因みに今評判のベタ踏み坂で勾配6.1%。
後ろは断崖での切り返し、
行く前は舐めてかかっていたが、
何度も云うが、ビビった。
■2013.08.15 morning
管理人
アマゾンとか楽天とかで、時々買い物をする。
最近では妻の夏の帽子と、それと小さな可愛い靴を購入した。
それで最近の事だが、ブログを見に行くと、色んなブログのトップに私の買い物履歴が表示される。
多分、私のIPかアドレスを辿って表示していると思うが。
かなりうっとおしいし、そこまでするかとむっとする。

明日の金曜日は出張で日曜は業務のイベント、更に来週の金土も出張、トホホ。
出張は何れもJR便を利用、この時期だから座席指定を取っておかないとヤバイと思い10日程前に予約を入れた。
復路は何とか取れたが、往路は既に売り切れ。
「一便早い列車だと未だ有りますが、どうします?」
そう云われたが、それだと向こうについてこのクソ暑い時期にかなりの時間を持て余す。
「いいです、早めに駅に行って自由席で席確保しますから」
このクソ暑い時にホームに並ぶと思うと、これもトホホ。
後日に綴ると書いた牧師様の件。
東北秘湯ツアー、泥湯温泉を出立し川原毛大滝湯で露天(滝壺だが)に立ち寄り。
それから鳴子温泉に向かう道中の車中。
キルケゴールの君は酒で既に出来上がっている、ワイワイガヤガヤと車中で話題に花が咲いた。
Sさん(キルケゴールの君の奥さん)は私らより一回り若い。
臨床心理士をしていて、当地当県の臨床心理士会の会長、中央の役席も勤めており業界では第一人者。
職業柄もあってか、私等や旦那とは違いさすがに口調は穏やか、
飲んベエの旦那との夫婦の組合せ、他人様から見れば如何にもチグハグだが、人には分からぬもの、それが男女の相性というものだろう。
Sさんが会話の中でチラリと言った。
「私、クリスチャンで・・・・・」
それを私の妻が聞き逃さず、
「エッ、そうなの、私の旦那はバブティストの牧師さんや日本キリスト教会の牧師さんと友達ですよ」
そう切り返した。
Sさん曰く、
「私・・・・、そのバブティストの牧師さん、多分、知ってます」
「大学のサークルの先輩だと思います」
その後、Sさんに対する詳細な突っ込みが有ったのは当然だが、
ひょんなことでSさんと牧師様が繋がった。
「いや〜奇遇、奇遇!」
普通ならそこで終わるのだが。
青春のつなぎ役を自認している私の場合はチト違う。
ハンドル握る別の手で携帯電話取り出し、速攻、牧師様に電話を入れた。
「いや〜、当地で大学時代の方を知るのは初めてです」
当然、牧師様はビックリされていた。
後日貰った牧師様のメールには、
「サークルは宗教総部で彼女は聖書研究会、私は献血推進活動をしていました・・・・」
うむ・・・、かつて私が唯一所属したJAZZ研とは格調がチト違う。
これは是非とも再会をセッティングせねばとの使命感が湧いてきた訳だ。
■2013.08.13 morning 管理人
皆が一斉に休みを取るクソ暑いこの一週間、でも私は出勤。
こう書くと、ぼやいているようだが、こと今年の夏に限ってはそうでもない。
一日中、職場のエアコンで快適なのだ、それも電気代を気にせず。
職場のエアコンは昨年取り替えており、それはそれは気持ちよく冷気が降りてくる、
新鋭機は省エネこの上なく電気代は昨年比20〜30%ダウン、それに世間様は電力不足も無い様で、気にせずフル運転。
昨秋の空調設備全館一括更新工事の御蔭で今年の夏は快適なのだ
今日、先日東北ツアーに一緒したHさん♀が事務所に顔を見せた。
「**さんにはずっと運転して貰って随分とお世話になりました」
そういって冷たいものの差し入れがあった。
同行した旦那のH君は運転免許を持っていないし、もう一人のキルケゴールの君は朝から酒飲んでいるし。
女性に運転さす訳には行かないし、結局、最初から最後まで運転手は私だった。
「いや〜、大反省会をやらないとね」
「え〜と、反省会、土曜日と水曜日は避けてね」
「それに飲み放題のメニューは止めよう、飲むのは唯一アイツだけだから」
Hさんと大反省会開催の基本的条件を詰めて、後は会場と日程を決めるのみ。
ところで基本的条件の「土・水曜日を避ける」と云う根拠。
土曜は日曜礼拝の前夜だし、水曜は水曜礼拝の日だし・・・・・・、
牧師様の都合が合わないから。
牧師様・・・・・??
何で同行していない、そして私以外のメンバーとは面識のない牧師様の都合が関係有るのか?
これには深い訳がある。
しかし、話せば長くなるから、
この件は、後日の日記で綴る。
■2013.08.01 morning 管理人
立秋はもう直ぐ、8月7日。
  
それを境に暑中見舞いは残暑見舞いになるそうだ。
季節は繰り返しかつての夏と同じだろうが、歳のせいか暑さが堪えきつい。
頑張って暑中見舞いをしたためた。
再録版のみ写真追加
 
 
■2012.12.19 morning
管理人
まあ・・・・、選挙の結果はさて置いて。
昨日、帰路のJRで電話が掛って来た。
「おい、1月**日は空いてるか?」
スケジュール帳を取り出しチェック、
「大丈夫、出張さえなければ私は何時だって空いてるよ」
「何なの?」
電話の相手は、この夏に東北秘湯ツアーに一緒に行った地元国立大全共闘の仲間。
「俺達、年に一度皆で集まっていてな」
「今回は他大学も呼ぼうと云う事になった」
「一緒に酒を飲まないか、カミさんも連れて来ないかと思ってな」
「お前さんが知らない奴が殆んどだけどな」
「そうか、有難う、嬉しいよ!」
「知らなくたって大丈夫、あの時代の仲間なら誰だって仲良くできるから」
思えば、40数年前に帰郷して以来、地元の連中の寄合に出るのは初めてだし、
地元国立大全共闘は創設二人組の親分格しか知らないので、
私と同じ一兵卒クラスの面々と付き合いが出来るのが嬉しい。
ここにも何度か書いたが、地元の大学は日大が敗退戦に入った'69年以降から闘争が始まっている。
時折、帰郷した際に日大の乗りでやりたい放題させて頂いた記憶がある。
地元の連中にしたら、感謝二割、迷惑八割位だったと思う。
40年以上経過したが、あの時のお詫びをせねばと思っている。
それはそうと、
私(等)は、単ゲバだけは何処にも負けなかったとの絶対的自信が有る訳だが、
理論とかインテリジェンスの面で言われると、負勢は隠せないし、相手はさもありなん国立大出の面々なのだ。
しかし、私等は現在持って「本」を出している訳で、
「忘れざる日々」を持ちこみ各位に進呈しようかと思っている、
この強力なブツがあれば、私一人でもインテリ(だろう)相手と立ち会える。
そして、目一杯エラを張らせて頂こうと思っている、
そういう点では対抗意識丸出しなのだ(笑。
楽しみだ。
■2012.10.20 morning 管理人
久保田の万寿を3合、千寿を4合、地酒の300mlを6本だから計算すると日本酒だけで1升7合。
8名のうち3名は全く飲まないから、5名で平均すると一人で3合強。
生ビールで乾杯し2杯飲んだし、日本酒が効いて帰りは千鳥足に。
でも、底抜け楽しかった。
遅ればせながら、先達ての東北秘湯ツアーの打ち上げ会。
地元国立大全共闘創設二人組夫婦+私等夫婦に、諸事情でツアーに参加できなかったキルケゴールの同窓生夫婦の計8名。
飲むほどにメートルは上がり、この面子だと旅の話題以上に”昔話”に花が咲く。
何時もなら「貴方、昔の話はもういい加減にしたら」と、ダメ出しする妻も横で笑いながら聞いている。
力関係でいえば私には上から目線の妻だが、私の同窓生は彼女にとっては大先輩になる訳で、
そういう微妙な上下関係を利用し、昨夜は云いたい事を云い切った(笑。

しかし、最後はキルケゴールの同窓生。
またもや
「おい!、俺達の目指した社会ちゅうのは、こんなんじゃなかったのに」
「俺達のやった事は、一体、何だったんだ」
「おい!、答えろよ!」
私等、全共闘一派に詰め寄る事しきり。
そのキルケゴールの同窓生の奥さん、私等より一回りほど若い。
そんなクダ巻く旦那を、終始優しい目で見ている。
かつてはそんな優しい眼差しが、私の妻にも有ったのに、
今持っては、誰彼以上に厳しいのだ(泣。
しかし・・・・、
キルケゴールの同窓生の段取りした居酒屋、
ジブリのアニメに出てきそうな、
窓は壊れすきま風は入って来るは、壁は崩れているは、殆どお化け屋敷寸前の佇まい。
料理が旨いのが救いだった。
■2012.08.23 morning 管理人
行事が立て込んでいて、
クッソォォォォォ、忙しいのだ!
 
先日訪れた鶴の湯温泉の感想を少し。
この温泉、秘湯温泉ランクでは東の横綱だそうだ。
露天には女湯があり、それ以外は男女の区別が無いから混浴だろう。
混浴だろうがどうだろうが、女湯に浸かる訳にはいかないので当然そちらの露天に浸かった。
裸になって露天風呂に浸かると、頭のそばを服を着た女性が通り抜けていく。
この露天、風呂の奥に女性の更衣室がある。
混浴なのだが、良く見ると風呂の奥の方が女性専用になっている。
女性の方から男性の方への行き帰は自由のようだが、其の反対はどうだかわからない。
たまに根性ある中年女性が男性の方にそろりと入って来る。
期待を違えて悪いが、女性はすっぽんぽんではない(笑。
タオルを巻いて隠すところはしっかり隠している。
敵がタオルを巻いていようがいまいが、お互いが裸で露天の湯船に浸かっていると、別段恥ずかしくないのだが、
こちとらが無防備の状態で、服を着た女性にそばを通られるのは、恥ずかしいというか何とも奇妙な気持ちになる。
私は自虐趣味はあるが露出趣味は無いのだ。
更に付け加えると、
この露天の湯船の周りの眼隠しは、子供の背丈ほどのカヤのような草。
今の時期は青々とした垣根になっているが、
これが秋から冬になると、枯れてほとんどシースルー状態になるそうだ。
つまり湯船のそばを通り過ぎる女性客だけでなく、多くの観光客の目線を遮るものが無くなると云う事。
これがおおらかな東北の生活文化なのだろうか?
狙い目は、晩秋から雪の降るまで(笑。
秘湯温泉・東の横綱、鶴の湯とはそういう温泉だった。
■2012.08.03 night 管理人
クソ暑い上にクソ忙しい。
月末に休んだおかげで、キッチリその反動が。
休み明け、法人移行に関わる県の法務担当部署とのヒアリングをこなした。
そこでクリアーしなければいけない課題のあれこれを承った。
その対処であれやこれや。
その上に、イベントの準備、
はたまたその上に、機関紙の夏号の作成・発行。
周りは夏祭り&盆休みへまっしぐらなのだが、
私は繁忙へまっしぐら。
小岩井農場で岩手山を背景に
でも・・・・・、
何というか、
このクソ暑い、クソ忙しいのが、
以前なら、ストレス溜まりまくりだが、
何故か今はそのストレスが無い。
反対に快感というか・・・・、何というか心地よい自虐感。
俺は変態なのか?
再録版のみ写真追加
 
■2012.08.02 morning 管理人
二日目は八幡平のトレッキング。
ガスが立ち込め眺望はゼロ、気温は18度。
トレッキングはTシャツで十分と聞いていたが、用心で持参したウインドブレーカーが役立った。
ヒヤリとした冷気が立ち込め、歩いていても汗をかかず気持ちが良い。
登山道の脇には可憐な山野草がそこここに。
  
トレッキングを終え、次の宿の後生掛温泉に行く途中、蒸ノ湯温泉に立ち寄る。
ここがまた、藤七温泉に負けず劣らずワイルド。
マカロニウエスタンに出てくるような荒野のそここに温泉が。
ここもまたまた、申し訳程度に風呂の周りを囲っているだけ、
温泉に降りてゆく坂道から見下ろすと全てが見える。
見たくなくとも、見る意志がなくとも、角度的に視界に入ってくる、
そう、全てが・・・・・(笑。
 
言っときますが、
丸見えということは・・・・・、
我が方も丸見えで見られているということですから。
お相子です(笑。
■2012.08.01 morningU 管理人
一泊目は樹海ライン沿いの藤七温泉に。
この温泉、国有林の中にポツンと建っており、周りには全く何もない一軒家。
露天風呂はブルドーザーで掘り返しただけのような作りで周りに囲いはない、シースルーとはこのことだ。
それに、いたるところからボコボコと源泉が湧き出ているし、風呂の底は砂利と泥でなんともワイルド。
私等は少し早目の宿屋入りだったようで、勇んで露天風呂に入ったが入浴客は私等だけ。
風呂から風呂は、土木工事現場をタオルで前を隠してウロウロしているようなもの。
ここだけの秘密だが、露天風呂は当然混浴(笑。
 八幡平の花と藤七温泉の露天風呂
ゆったり湯に浸かり、部屋で少しウトウトした。
もうすぐ夕食だろうと何げに窓を開けた。
窓の外には先ほど入った露天風呂がっ広がっている。
見ると、後から来た宿泊客が入浴している。
それが全て視界に入ってくる、男も女も含め、そう・・・・丸見えなのだ。
いつもならここで写真だが、ここで撮ってしまうと結果的に盗撮になってしまうのでグット堪えた(笑。
撮った写真は翌日早朝。
誰も居ないだろうと窓から一枚パチリ。
しかし先ほどディスプレイで見てみると米粒ほどだがペアが映っている、も一度よく見て欲しい。
まあ・・・・・、これ位は露天風呂の風情というもので、盗撮だと目くじら立てないで欲しい(笑。
■2012.08.01 morning 管理人
二日目の宿、
「私が撮って差し上げますよ」
「皆さん、固いですよ〜」
「ハイ、笑って」

宿屋の方の云う通りに、ハ〜イ・チーズ。
パチリ。
皆、いい笑顔だ!
再録版のみ写真追加
 
 
■2012.07.31 morning
管理人
全共闘の旗揚げはたった二人きりだったそうだ。
旗揚げの二人だけの頃、二度、それぞれ別個に民青に取り囲まれリンチされたそうだ。
「リンチって、吊るし上げられたのか?」
地元国立大学で最初はたった二人の全共闘、まあ、対立する民青には取るに足らない勢力のはず、
せいぜい吊るし上げ程度だろうと思ってそう聞いた。
「にぁ〜もの、大勢で俺一人を取り囲み殴る蹴る、ボコボコだよ」
「たった一人、抵抗もなにもあったもんじゃない、一方的に殴られた」
「なにせ我が大学は近辺エリアでも突出した民青の拠点校、一人や二人の抵抗勢力でもあいつらは絶対許せなっかのだろうと思う」
「ヘェ〜、それでもお前さん達は続けたのか」
「俺はこいつが唯一の頼り、こいつは俺が唯一の頼り」
「でもな、嬉しかったことがある」
「一人に寄ってたかって許さん、こいつらに手を出したら今後は俺が相手になる」
「そう言って、ボクシング部の奴がかばってくれた、そいつはインカレの最強の選手でな」
「それ以後、民青は俺たちに手を出さなくなった」
次にかばってくれたのは60'年安保世代の大学教員だったそうだ。
でもそれから一年余り、全共闘が無視できない勢力になるまでは自分の学部キャンパス内に立ち入れなかったらしい。
「俺、お前さん達二人尊敬するよ」
「お世辞じゃないよ」
「個別、俺の場合はイケイケの多数派で全共闘始めたから、少なくともそういう惨めな話はない」
宿泊三日目の宿は二室しか確保できなく、夫婦分かれて男女三人ずつに部屋割りした。
日本酒買ってきて男三人チビチビと飲み、当然、昔話に。
■2012.07.26 morning 管理人
バタバタと一週間が過ぎてゆきます。
せわしなく時間が過ぎてゆきますが、現役時代とちょっと人生の姿勢が違ってきています。
還暦再就職職場ですが、甘えることなく仕事はきちんと責任もってやってます。
でも還暦以前と違うのは、がむしゃらは止めて、仕事をさて置いても「休む時は休む」という姿勢です。
私もやっと欧米並みのライフスタイルになりました(笑。
という、言い訳がましい前置きをして、週末からまたまた旅行に出ます。
今度は国内旅行。
以前から計画していた旅行で、地元国立大元全共闘一派と一緒に行きます。
かつて40数年前、偶の帰省時に地元の国立大や県立大学によく顔を出しました。
1969年に入り、日大闘争は急激に勢いが衰えていましたが、地方はやっと火がつき始めた頃。
私は日大と地元の国立大の両方で、闘争初期の勢いのある状況を経験した幸福な男です。
国立大と県立大、
いずれも全共闘は圧倒的少数派でお互いが密に連携していました。
国立大に行くと、そこに県立大のメンバーが同席していますし、県立大に行くと国立大のメンバーがという状況。
何時だったか時期は忘れましたが、理闘委の仲間と一緒に帰省した時です。
国立大に行くと、丁度、学生会館の奪還闘争の真っ最中でした。
学生会館を民青が占拠しており、全共闘がそれを奪い返すと云う状況、首都圏とは丁度真逆の構図。
理闘委の仲間と一緒に物見遊山の気分で行っていましたが、これ幸いと学館前のデモに加わり、学館前での小競り合いを繰り返しました。
勿論、理闘委の仲間と私は小競り合いごときで納得する訳がありません、学館前の立て看板を踏み倒し学館食堂に突入しました。
食堂の椅子や机やらを投げ付け、やりたい放題やってしまいました。
私等二人は自らの経験も踏まえ、それが奪還闘争の”スタンダード”であると信じて疑わずやってしまったのですが、
地元の全共闘の皆さんからは「やり過ぎ」との大ブーイングを食らいました。
「たしかそうだったよな、(一緒に跳ね上がった)クメちん!」
話は元に戻り、
一緒に旅行に行くのはその時の国立大の全共闘親分衆二人。
其の二人の連れは同じく県立大学の全共闘女子連。
因みにこの二人の連れは妻の大先輩にもあたる。
姉御にバレると、この時期にと猛烈なそしりを受けそうだが、
それはさて置き六人旅、楽しい旅になりそうだ。
■2012.02.27 morning 管理人
まあ・・・・、
今回計画中の旅行はJRのフルムーン旅行の様なものなのだが、違うところは3〜4組の夫婦の団体旅行なのだ。
団塊世代は直ぐに”つるむ”と揶揄されるが、
つるむにはそれなりの人間関係、信頼関係が必要で、「偉けりゃつるんでみろ!」と開き直る。
あの時代に繋いだ信頼関係は、「何年経っても薄まる事は無いのだ!」、とも開き直る。
ところで、今回計画の旅行には地元国立大・元全共闘二人組+私の他にもう一人(夫婦)参加している。
この高校同窓生、二つ強烈な思い出が有る。
一つ目は、高校三年生の時、
休み時間、遊び回る私等をしり目に彼は何時も自席で本を読んでいた。
「何の本を読んでいるの?」、
ある時、そう云って彼の読んでいた本の表紙を見せてもらった事がある。
題名は覚えていないが作者は”キルケゴール”。
哲学には爪の先ほども興味のない私には、訳の分からぬ本だった。
も一つは、'69年だったか'70年だったか定かではないが、駿河台で機動隊とドンパチとなった。
機動隊に追われ命からがら中央大学の学館に逃げ込んだ。
ヘルメットに軍手、片手にゲバ棒の完璧ないでたちで一階の奥まで走り込んだ。
当時、学館一階の奥は談話か喫茶コーナーだった。
「助かった・・・!!」
そう云って椅子に腰かけた。
ふと前の椅子を見ると、カップ片手に座り本を読んでいる学生が居る。
何気に顔をのぞくと、あのキルケゴールの同窓生。
向こうも此方を見て、お互いが同時に同じ言葉を発した。
「おい、お前、何してんだ?」
彼の問いかけは、
高校時代からは想像し難い目の前の私の姿、その私がそこに至るまでの経過が何なのだろうとの問いだったのだと思う。
私の問いかけは、
この騒乱の時代、お前は悠然と学館でカップ片手に読書をしている、何してんだ?、との問いだった。
この高校卒業から数年後の出会いは強烈だった。
中央大学文学部心理学科に進んでいた彼は、卒業後、医療機関でソーシャルワーカーとして働いている。
県内の業界筋では第一人者だそうだ。
ソーシャルワーカーってのが何なのか私には分からないが、この彼、酔いが回る程にしつこく絡んでくる。
「おい**、あの頃、俺達が目指した社会って何だったのだ?」
「俺達ちゃ、決して、今の様な世の中作ろうとした訳じゃない!」
まるで40数年前の感性が、そのまま冷凍保存されているような奴なのだ。
キルケゴールの同窓生と東北を旅するのだが、
楽しいのと気が重いのと半々。
なるべく彼には酒を飲まさないように努めようと思う。
■2012.02.26 morning
管理人
つくづく卑怯だと思った。
この夏、東北をグループで旅しようと打ち合わせを持った。
グループは高校の同窓で、地元国立大の元全共闘一派。
日大でいえば、議長、副議長クラスに当たるボスで悪い奴らだ。
役所をリタイアした元議長格がかつての仲間に声をかけ、夫婦連れで定期的に旅行をしている。
名誉な事に(笑)、今回、初めて私にもお声が掛った。
「お前ら(日大)はいいよな」
「俺たち全共闘一派は最大でも百名足らず、民青は常に2千を超えていた」
それでも1968年には二人して自治会選挙に立候補したと云う。
勿論、惨敗、箸にも棒にもかからぬ選挙結果だったそうだ。
時代に遅れまいと全共闘を名乗った時はその二人にプラス1名の三人だけだったいう、そう云う意味では私は彼等を尊敬している。
その後、他県のセクトが介入し、僅かだが勢力は増えている。
ところが1969年、燎原の野火のように拡がった火が地元国立大にも及んだらしい。
自治会選挙には勝てなかったが、民青も無視できぬ(100名程だが)勢力に伸長したという。
スト権確立の手順を踏んだかどうかは聞かなかったが、時代の勢いでバリケード封鎖に入り、以後、民青との実力バトルを繰り返したと云う。
1969年の夏だったと記憶している、帰省していた私も友のうわさを聞き大学に顔を出した。
丁度、民青は生協食堂に陣取っており、全共闘派がそこに突入するというシチュエーションに出くわした。
勿論、白ヘルを借り、助っ人で先頭切って生協食堂に突入した。
日大全共闘の名に恥じなく、やりたい放題したのは云うまでもない。
その後、”あの日大全共闘”と云う事で地元国立大や県立女子大ではVIP扱いとなったのも云うまでもない(大笑。

話は逸れたが、
一緒に旅行に行く全共闘二人組みの一人は街頭の小競り合いで逮捕されている。
その話がまたまた面白い。
逮捕され所轄の留置所に入ったが、留置所内で騒いで扇動するいって直ぐに隣の市の警察署に移されたらしい。
隣の市の警察署ではタバコ、コーヒー、食事でも、希望する物は何でも与えられVIP扱いだったという。
何故なら、彼は全共闘の逮捕第一号で有るだけでなく、明治政府以来当県警では二人目の”政治犯”という扱いで、警察はどう扱ってよいか分からなかったらしい。
更に、逮捕された場所と起訴状の場所が相違する極めて初歩的な手続き上のミスが有り、その事実を突き付けたら検察が所轄の警察署を叱責し、彼の起訴は反故になったという。
いかにもローカルだ。
卑怯だと冒頭で謗ったのは、
その後、彼は沖縄闘争で上京しまたまた逮捕、一年間檻の中に居た。
日大ならこれで間違いなく、問答無用の除籍になる。
しかしこの彼、檻の中にいた期間にしか履修出来ない単位も履修出来ていたらしい。
卒業まで6年掛ったが、それでもちゃんと卒業出来たという。
日大から云わせれば、これは卑怯と云うしかない。
さらに卑怯な話も聞いた。
議長格のもう一人は、
「これで大学を卒業するなんて恥だ」と、授業料の払い込みを拒否したという。
このアクションは評価する。
日大でなくとも、私学なら未納で即除籍。
ところが彼は授業料未納のその時点で卒業保留扱いになったという。
その扱いは現在時点でも続いており、納付すれば学籍が復活し、規定上40数年経った今でも卒業の手続きが取れると云う。
東大は、全共闘でも「御免なさい」と謝れば許してもらい復学できる大学だという話は聞いているが、
それは東大という、ある意味超エリートの大学ならではのエセなリベラルだと思っていた。
しかし、当地のローカルな国立大でも同じだと云うことが昨夜の酒の席で分かった。
これは別視点で見れば、如何に日大がヒドイ大学だったかという見方もできるが、
ともかく、この規定が本当かどうか、真偽の裏取りはしていないが、これは羨望の思いも込めて”卑怯”と云う一語に尽きると思うのだ。
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