ヨット

37才の夏、新聞広告で「ヨット教室」募集をみた。
面白そうで、興味半分で友人と申し込んだ。
ヨットハーバーで簡単な座学をうけ海にでた。
舟は「シーホッパー(海バッタ)ミニ」という初心者用のディンギーだった。
まともに舟に座っていられない、少しでも動くとひっくり返りそうになる。
それでも風をうけると何とか走り出す。
”ままならぬ”さと”爽快さ”が同居していて面白かった。

1日限りの講習では物足りなかった。
主催者に今後も乗れる方法はないか相談すると、マリンショップを紹介してくれた。
新艇は40数万円、それに艇の置き場など初心者にはハードルが高すぎた。
あきらめた私に、「中古艇で良いなら探してあげよう」と言ってくれた。
待つこと1月位、5万円で2人乗りのスループ艇(2枚帆)が見つかった。
友人と2人で共同所有で買った。

舟は買ったが、乗る海と艇の置き場が必要。
友人が地元のヨットクラブを探してきてくれ二人で入会した。
舟は浜へ放置保管、保管料は無料だが、台風の時は仕事を休んで片付けに行った。

秋以降に海に出るため「ドライスーツ」を購入した。
これも5万円ほどで、舟と同額の出費だった。
初秋から冬の海は「偏西風」を受けて爽快だ。
初心者で体重のない私でも、2人で乗れば強風にも立ち迎えれた。
5mオーバーの風を受けてクローズドで走るとしぶきが顔に痛い。
ティラーの操作を誤ると、艇はたちまち横転、海面に放り出される。
これがまた楽しいのだ。

舟の艇種名は「シーマーチン」海燕という。
レースではいつもビリかブービーだ、37才から始めた私とクラブ仲間では”センス”が違う。
社会人のヨットクラブだが、仲間には体育会ヨット部出身者もいる。
それでも大胆に一度だけ国体選考レースにもでた、結果は言いたくない。
他県へ遠征にもカートップで出かけた、私の艇種でのエントリーは一艇だけだった。
翌月のヨットの月刊誌「舵」にはクラス1位でレース結果が掲載されていた。

ディンギーに2・3年乗っているとクラブの仲間が誰とはなしにキャビンの付いた「セールクルーザー」が欲しいと言い出した。
最初は夢物語で冗談半分だったが、クラブの仲間がマリンショップに本気で声を掛けていた。
話が舞い込んできた。
新艇で1400万円する30フィートのセールクルーザーが1年落ちで700万円の半値で売りに出ている、との事だった。
なんでもオーナーは若い歯科医師で、かっこだけでセールクルーザーを購入したらしい。
ほとんで乗ることは無しに、手に余っていたらしい。
セールクルーザーを一人で操るなんて最初から無理な話だ、乗るなら歯科医師にはモータークルーザーが似合っている。



疑似餌のついた「トンボ」にシビが掛り大喜び、 身が軽いもので主にバウマン(船首側)をこなしたがこれが命懸け(笑




チラー(舵)を握って嬉しそうな次男坊、 国体セーリング(ヨット)競技に参加した長男坊

出物だった。
買ってもいいという仲間が7名いた。
私もその一人だった。
妻にはこう言って説得した。
「私は酒も飲まなければタバコも吸わない(本当です)、ギャンブルも興味がない、車もどうでもいい性分、ちょっと車に贅沢をしたと思って100万円出してください。車は4・5年で二束三文になるがヨットは一生物、そう考えれば安い買い物だ」と。

7名で共同オーナーになった。
共同所有の月会費は3000円、そんなに高い趣味とは思っていない。
7名で最年長の私が代表オーナーで登録した。
代表といっても船底のメンテなど全てを受け持っている、舟のメンテは結構大変で、これが共同所有の鍵となる。
船名は「アフロディーテ」、嫉妬深い女神の名前だ。

 2007年1月1日初日の出セーリング、携帯電話で撮影

舟は船齢12〜3年になるが、今でも健康で波を切って走っている。
船上で聴くロッド・スチュワートの”セーリング”(曲名)は最高だ。
もっとも友は隣で酒盛りだが。




左)ディンギーヨット・シーマーチン ヨット仲間のNさんと40才の頃、 右)ジュニアヨット教室のコーチを務めていた頃
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